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映画『アアルト』
ライター渡部の方です。

10月13日から公開されている映画『アアルト』 https://aaltofilm.com/ 。言わずと知れたフィンランド建築の巨匠。そのアルヴァ・アアルトを追ったドキュメンタリーフィルムを先日見て来ました。

映画館ではメモが取れないので、うろ覚えな所もありますが、
アルヴァ・アアルトとアイノの出会い、共同制作、家庭、CIAM始め海外の交流、家具作りと職人コルホネンへの尊敬、海外での評価、アイノとの別れ、エリッサとの出会いと共同制作、国内からの批判、時代の変化、巨匠化したアアルト、と、いうように細かな切り口から見たアアルトを、建築作品、家具やインテリアアクセサリーの作品と交えながら紹介していきます。

今は見る事が出来ない(はず)ロシア領にあるヴィープリの図書館を見て複雑な気持ちになったり、タイルを並べた後セメント流してよっこいしょと引っくり返してプレキャストコンクリート壁を作っている昔の映像にワクワクしたり、ドローン様様で普通だと見れない屋根が見れたり、見せられるものをありったけ見せますというサービス精神。監督のヴィルピ・スータリさん、ありがとうキートス。

映像と重ねて言葉を残していくのは、同時代を生きたフィンランドの米国の英国の建築家や歴史家や家族。
アルヴァ、アイノ、エリッサ、本人達の映像や音声記録もふんだんに盛り込まれています。こんなに動いているアルヴァ・アアルトを見たのは初めてで、「あ、アアルトって人間だったんだ」などと思ってしまいました。巨匠ってなんだか人間じゃないような来がしちゃうんですけども、しっかり人間でした。

加えて、昔の映像の中国民年金協会ビルができた時に、多分ビルに来たおじさん達の声「こんなに豪華な建築は必要ない。年金を取りに来てるのに」みたいな、ちょっと不満げな声もきちんと入ってるところが、私にはグッときました。

個人的な記憶なのですが、私がフィンランドに行き始めた90年代、若手のデザイナーや建築家は皮肉っぽく「ヘルシンキはどこを見てもアアルトの建築ばっかり(で、ジッブン達が作るスペースがない」とぼやいてました。(その後、ヘルシンキも激変しますが)
映画の中でもアアルトを「巨匠という恐竜」と言っていたと記憶しています。

アアルトの作品が良いよ、素敵だよ、だけではない、アアルトを真っ正面から見た映画でした。
まだまだ上映中なので、建築好きな方は是非に。

# by dezagen | 2023-11-04 00:19 | イベント
次はいつだ?
ライター渡部の方です。

前々回のブログに「次に書くネタはもう決まっているのですが」などと書いたのに全然書いておりません。
ノルウェーとフィンランドで取材して、日本で追加取材して、写真も用意してあるのですが。
(取材を受けて下さった方には申し訳ありません…)

諸事あり(世の中の皆さん大抵そうですね)、なかなか集中してブログ文章を考える時間がないのが理由ですが、
最近書いたブログ記事を見ると、長い…。
こんなに力入れて書く必要もないだろうに、というほど長い。

もう少し短く、さっと読んでいただけるようなものを書かねばと思うこの頃でもあります。

ちなみにデザインイベントも足を運んだらクローズの時間、とか、なんだかなーです。


# by dezagen | 2023-10-27 01:21 | その他
北欧で思った事(のひとつ)その2
 ライター渡部の方です。

 改めてこのブログを見ると、「だ・である」調と「です・ます」調が混在していて読みにくいですね。どうにかしたいものです。
という事をずっとこのブログでも書いているような気がし、15年も迷っている様子。
 おおよそですが、情報量が多く普通に雑誌に書いていた時の調子でまとめたい場合が「だ・である」調に、情報量が少なく、自分の思った事をつらつら書いている時は「です・ます」調になっているようです。あとは自分が50代になって、社会の大半が自分より年下になり、少しでも「感じのいいおばさん」のイメージを狙っているような気もします。
 というわけで、今回は「です・ます」なので、情報量少ないです。

 まだ北欧旅行(8月後半)の事か、と言われそうですが、前回書いた「次に書くネタ」を書く前に前提として知っておいて欲しい事+前提として自分で理解しとかないといけない事、をまとめているのでした。

 さるデザイン関係の方と、デザインの世界(教育、アーカイブ、職能機関、賞などなど)から形はなくなっていくのだろうかという話をひとしきりした後、「とはいえ」と。
 「今はデザインの話より、気候。環境の方が切迫してる」と言われたのが気になっています。

 特に今年の夏は日本が異常に暑かったのと、干ばつ、洪水、山火事と、自然災害ではあるけれど元々の原因に人間の環境破壊があると思われる事が立て続けで起こっています。つい先日もニューヨークで100年1度の大雨被害があったばかり。

 デザインの形を考えるにしても、プロダクトやインテリアであれば素材の問題は無視できず、また置かれる周囲環境も考慮に入れなければなりません。単純な解消方法はないのですが、脱プラ(でなくともプラスチックの量を減らす事)は避けては通れないでしょう。

 今回の旅行ではオスロ、ヘルシンキ、パリの順番で脱プラ度高かったように思います。

 オスロ。スーパーのサラダバーのサラダを持ち帰り。蓋はプラスチックだけれど、容器は紙カップ。スーパーの袋は無駄なので買わず。袋を買っても紙袋のみ。蓋を止めるテープはないので、ドレッシングがこぼれないようがっちり手でホールドし、ホテルまで急ぐ。
 という私と同じ動作でオフィスに戻る人を沢山見ました。
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 ちなみにエコバッグはもうほとんど全ての人が持っているので、店舗で売っているエコバッグや袋は観光客向け(?)なのか、ショップの昔の写真をプリントした袋だったり、フィンランドではムーミンのキャラが着いている袋だったり。
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(こちらはヘルシンキ)

 スーパーマーケットで使い捨てする食器を見ても、ほとんど紙もしくは木製カトラリー。ヘルシンキでは一部バイオプラがありました。店にもよるとは思いますが、オスロではバイオプラ製品も見た記憶がないです。
 
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 ヨーロッパのスーパーマーケットでは当たり前の光景ですが、野菜果物は計り売り。ヘルシンキでスナップを撮った理由は、薄いプラスチック袋があった事。私が行った限りではあるけれど、オスロのスーパーマーケットではこの薄いプラスチック袋を全然見なかったので、あったー!と。
 
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 こちらはパリで。包装ってこれで成り立つな、と感じたスポンジのスリーブ。これは商品自体もセルローススポンジとリサイクルプラスチックの固いスポンジ面を合わせたもの。他の食器用スポンジ製品は普通にプラスチックの袋に包まれてはいましたが
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 地味に追いかけている歯ブラシ。素材を再生プラスチックや竹にする、パーツを軽量化する、ヘッドの部分を取り替えられるようにする、など、環境負荷の少ない歯ブラシが増えて来ました。パリのスーパーマーケットで見たのはハンドルを竹にしたものが多いです。
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 パリからオスロに向かうフライト中の紙コップに「PLASTIC IN PRODUCT」とあったので、「紙」コップでもフィルムの(大概は)ポリエチレンを使っているのをもう見逃さないのだな、と感心。
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 こちらはヘルシンキ空港のコーヒーショップの紙コップ。色合い的に店のグラフィックより、このマークが目立ちます。
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 2021年7月からEUの規則として使い捨てパッケージに記載するものとなったそうです。パッケージ全てではなく以下のものが対象。
 女性用生理用品
 ウエットティシュー
 フィルター付きたばこ
 飲み物用カップ
 詳細はこちら Marking specifications for single-use plastic products

 10日間くらいこういう状況で生活して、東京に戻って、プラスチック(ポリプロピレン)の袋に包まれたバナナとプラスチック(PET)ケースの中に入ったブドウを、さらにそれぞれ薄いプラスチック(ポリエチレン)の袋に入れ、透明テープ(ポリプロピレン)で止め、というのが頭を混乱させます。
 
 身近な問題として、このプラスチック天国と地獄状態をなんとかできないものかと思う次第です。
  


# by dezagen | 2023-10-01 16:52 | その他
北欧で思った事(のひとつ)
 ライター渡部の方です。

 次に書くネタはもう決まっているのですが、なかなか書き進めない感じがするので、こちらの話を先に。

 8月後半にノルウェーのオスロ、フィンランドのヘルシンキとパリに行き、久々にヨーロッパのデザインに触れ、改めて気付く事が多過ぎて、実はまだ消化しきれていません。

 まずはデザインの意味が変わってきているというのが一番大きな発見でした。プロダクトもグラフィックも、全般的に形を成さないデザインに移行している印象があります。

 日本だとUIとかUXとかの方が通りがいいように思いますが(一緒にするのもざっくりしてはいるのですけども)、いわゆるサービスデザインの領域で活動するデザイナーが増えていて、プロダクトの分野で家具を作っていくとか、グラフィックの分野で広告キャンペーンだけ作るというような専門職を追求する仕事に向かう人が減っているようです。

 統計を取ったわけでも、何十人と取材して得た情報でもないのですが、今回会った人達からは異口同音にそんな話を聞いてきました。

 例えば、ヘルシンキにあるデザインミュージアムのユッカ・サヴォライネン館長は、今後はデザインの流れがサービスデザインに向かっていくだろうし、割合として有形のものは減って行くだろう、と。ミュージアムとしてはそれを「見せる」事も必要ですが、その場合、文字を中心としてその記録を見せていくことになるでしょう、と言っていました。

 デザインミュージアムでは「Utopia Now – The Story of Finnish Design」 https://www.designmuseum.fi/en/exhibitions/utopia-now-the-story-of-finnish-design/ というフィンランドのデザインの歴史をざっと見れる(デザイン初心者にもデザイン復習者にもとてもいい)展覧会をやっていて、その中にサービスデザインの紹介もあります。
 こちらはその展示の写真ですが、確かに文字ばかり。

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 フィンランドの学校給食を良くしようというプロジェクトで、どうプランを練っていったか、プロセスが書いてあります。英語のキャプションもあるので、そちらを読んでくれば良かったわけですが、文字ばかりだとパッとは意味が分からず、私もさーっと記録写真だけ撮って帰って来てしまいました。

 ソフトウエアの広告など見ていると、グラフィックはツールさえあれば「誰でもできる」と謳っているし、その流れで言えばプロのデザイナーの職能は形を作るだけではない、他の何か、ということになります。
 
 実際「モノ」から「コト」へと変化は日本でもずっと前から起こっているのですが、北欧はインフラの分野、行政がクライアントになる所など、日本よりももっと大胆に舵切りしているように見えました。この辺はもう少しリサーチしていきたいと思っています。

 美しいフォルムを持ったプロダクト、グラフィック、インテリア、テキスタイルなどなどもなくなることはないはずですが、例えば日用品がいつの間に民具、工芸として鑑賞物になっていったように、そうした美しさの追求は「デザイン工芸」的な存在になるのかもしれないと思っています。 


# by dezagen | 2023-09-25 09:16 | その他
要らないものについて
 ライター渡部の方です。

 8月の後半にノルウェーのオスロ、フィンランドのヘルシンキと、久々に北欧に行ってきた。デザイナーや企業、デザイン機関を訪ねて話を聞いた事は、思った以上に得る物があった。この話はまた別の機会で書きたいと思う。

 その合間に行ってきたのがチャリティショップ。これは欠かせない。
 チャリティショップは簡単に言うと、慈善団体やNPOが運営するセカンドハンドショップ。利益を慈善事業に使う他、何らかの理由で雇用されにくい人々に雇用機会を与える事も目的としているところが多い。
 ほとんどの商品は一般の人々からの寄付で、家にある不要品、遺品整理したいもの等持ち込みもあれば、街中にある回収ボックスで集める場合もある。小物から家具から本から音楽映像ソフトから、装飾品から何から何まで玉石混淆。その他、様々な理由で販路から外れた新品が並ぶ事もある。

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 運営する団体も赤十字や救世軍、教会、子供や高齢者、癌患者の支援団体など様々、店の大きさも街角の小さなお店レベルから、郊外の倉庫まで様々。

 最近はeBay(日本ではヤフオクやメルカリなど)や、各国での似たような中古品取引オンラインサイトが充実化してきたためか、高い値がつきそうなものは減ってはいる様子だが、それでも思わぬものに出会えるのは楽しい。加えて、(特に価値が付くようなものはオンラインサイトに移行して、価値のなさそうなものが増えているだけに)人々が何を不要としているのか、を見るのも学びになる。

 今回は主にヘルシンキの郊外にあるチャリティショップへ数回。(オスロにもあるのだがきちんと見れなかったのが残念)

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 まずは、どこのチャリティショップでも服が大量に売られている、過去の記憶と比較しても、圧倒的に服の割合が増えている。どこも売り場の半分以上を占め、しかもレールにギュウギュウ。
 世界的に衣料の供給過剰が起こっている、と聞くがあまりリアリティがなかった。こうして不要品となった衣服の塊を見、それが一気に現実として理解できる。しかもこれはほんの一部でしかない。

 ヘルシンキで行ったチャリティショップのPääkaupunkiseudun Kierrätyskeskus Oy(首都圏リサイクルセンター株式会社、で慈善団体とちょっと違うが、資源への意識を高め、雇用機会を増やすという意味でチャリティショップであることは変わらない)。

 ここでは商品から再度商品を作り直すPlan Bというプロジェクトが行われている。私が見たのは布類からポーチやワンピース、パンツなどへ作り直されたものだったが、ウェブサイトを見ると https://www.kierratyskeskus.fi/in_english/plan_b_upcycled_products 家具なども作っているようだ。素材はいくらでもある。アイデア次第で魅力的に生まれ変わっていくのは面白い。

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 さらに面白いやり方だと思ったのは、素材コーナー。布が多くを占めるが、布も素材別に細かく分けられている。引き出しになっているところを見てみると、プラスチックパーツ、針金、使いかけの色鉛筆、半分使った色紙、古い地図、商品の包み紙、ジャムやピクルスの空き瓶など。引き出しのものはほとんどがタダだ。

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 普段の生活で「ゴミ」とされるような半端な物も、回収し、素材別に細かく分別すれば新しい使い方が見えてくる。(美大生の課題制作には夢のような場所である)

 こんなに整備されたリサイクルの環境を見ると、消費の在り方は変化していると感じる。これまで均質な品質を保つ新品が流通し、不要になれば捨てるという流れが普通だったし、その流れがすぐに壊れるとは思わない。だが一方で、不要物は不要ではなく、新しい商品、新しい素材となり得る。
 デザインという分野では、主に均質的な新しいものを作り続ける製造業がベースとしてあったが、不均質な新しくないものをいかに使うか、というのも1つのデザインの方法になってきている。

# by dezagen | 2023-09-03 00:43 | プロダクト・パッケージ