「ホーム・パーティー風……」

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ホーム・パーティー風……。

ひとりで行っても疑似家族が迎えてくれる、とか、ホーム・パーティでよくある「ケーキとちらし寿司と唐揚げ」のようなちぐはぐメニューでテンションあげさせてもらえる、とか。

パーティなるものにまるでご縁がなく生きてきてしまいましたが、実は恥ずかしながら京都に引っ越してすぐの頃、「友人も知人もいないこの街で、誰かとつながらねば!」と焦り、パーティと名のつくものに積極的に参加し、人脈物乞いみたいなことをしてしまいました。

書評家の永江朗さんの講演があるというので、編集者やライター……らしき出版人たちが集まる、よくわからない立食パーティに参加した時のこと。

永江さんが書店をとりまく現況について話し終えたあと、出版界で、偉い? らしい人が「永江先生のお話をうかがい、『びれっじ・ばんがあど』なるお店があることを知りました」と挨拶し、思わず腰が砕けました。

おいおい!
永江さんってヴィレッジ・ヴァンガードについての本を出した人だぞ。
その人を呼んどいて、なにそれ。

ていうか、ほかでもない出版界の人ならヴィレッジ・ヴァンガードくらい知っておいてくださいよ。

これ大昔の話ではないです。
4年前の出来事。

そして、これがいやなんですが、名刺交換タイム。

編集とライターをやっているというぬぼーっとした男が名刺をさしだしながら、どういう仕事をやっているんだ、としつこく訊いてくる。

ライターと、放送作家をやっています。

「放送作家って、なんですか?」
「どんな番組をやっているんですか?」
「その番組で、どんな仕事をやっているんですか?」

質問をどんどん投げかけてくる。
なので、できるかぎり、真剣に答えました。

するとその男は、

「ふーん。そうなんですか。僕、テレビってぜんぜん見ないんですよ」

そう行って、一瞥もくれず、すーっと去っていきました。

じゃあ訊くなよ!

別にテレビを観なくてもいいけど、僕がながながと説明していた時間、なんだったんですか。

そんなことが重なって、もう完全に行かなくなりました、パーティーには。

まあ行かないもなにも、それ以前に誘われてもいないですが(涙)。

# by yoshimuratomoki | 2016-07-05 13:00 | 大阪府

「ロボットの米屋さん……」

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いま子供たちに「ロボットの絵を描いて」と言ったら、いったいどんなフォルムで描くのでしょう。
僕にとってロボットとは、こういう寸胴に手足がついたような、ずんぐりむっくりしたものでした。

先日、仕事で箕面市へ行きました。
箕面市へ行ったのは、10年どころではないほど久々。
それでも、街の印象がほとんど変わっていないのに驚き。

そしてもっと驚いたのが、彼が、まだそこにいたこと。

「ロボットの米屋さん」。

お米屋さんのショーウインドウ(?)に置かれ、ほぼ人通りがない車道へ向かってやさしい笑顔をたたえる彼が、まだそこにいました。

ロボットが米を搗き、精米してくれる……のならもっとおもしろいんですが、残念ながら稼働しておらず、そもそも米屋自体が営業していない様子。
そして、僕が以前に見たときから、すでに稼働してなかったんです。
あらかじめ失われたロボット……。

営業していない米屋さんの看板が、ずっとここに、なんのためにあるのか。
ロストワールドに迷い込んだ気分。

それにしても貴重です。
大阪は都市開発や区画整理や景観浄化の名のもと、味わい深い珍看板や珍風景をつぶすことに容赦がないので、写真で残しておかないとすぐなくなります。
風情のある商店街をつぶして、誰もいない「コミュニティ広場」をつくったり。
そしてみんな、元の風景を忘れてしまう。

テレビ局からよく「あの看板、どこにあるんですか」と問い合わせを受けますが、一応答えはするけれど、きっといまから行ってももうないでしょう。
現存率がきわめて低いんです。
永遠にあると思っていた西天満の「もうあかん、やめます」の靴屋さんも今年本当にやめてしまったので、このレトロフューチャーなデザインの「ロボットの米屋さん」が大阪珍風景界の最長寿物件かもしれません。
箕面という、地上げ屋が手を出さない景勝地だから起きた奇跡なのかも。

そしていまこのロボットに出会ったのは偶然ではない気がします。
ずっと同じ場所にいて、ずっと愚直に同じことを、それこそ毎日繰り返していて、自分は何も変わっていないのに勝手に「懐かしい」と言われて、それで彼のように笑顔でいられるか。
ロボットに問われているように思います。

# by yoshimuratomoki | 2016-07-04 13:00 | 大阪府

「深夜まで行列が続く店……」

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確かにこの日、行列はなかった……。


「千代田では立地の悪さで流行っていませんが、実は大阪市内では“深夜まで行列が続く店”として知られてます」

言ってしまった!...
爽快ですね。
お店自身が実態をバラシてしまいました。
確かに行列らしきものが続いている様子は見当たらなかったです。
足元にネギを背負った鴨の行列があったのかもしれませんが、見落としていました。
きっと「大阪市内の支店は流行っているんだ」というメッセージなんでしょうが、別の意味にとれてしまうところが面白いですね。

仕事柄、飲食店を紹介するナレーション原稿をよく書きます。
マスゴミと呼ばれる世界におりますが、ゴミはゴミなりにつかなくていいウソはつきたくないので必ず現地におもむくようにし、店主さんとお話しするようにしています。

ただ……褒め言葉と虚飾の言葉はとても近しく、これが困りものなのです。
たとえばパスタなど麺のおいしさをたたえるのに「シルクのようになめらかな食感」という言葉をついつい使ってしまうのです。
が、実際はシルクのような食感なワケがないし、本当にシルクのような食感の麺があったら、まずくて食えたもんじゃない。
さすがにない行列を「ある」とは書きませんが、同じような罪を日々いくつもおかしています。

そしてもっとも罪深いのは、僕自身が、行列ができるお店でご飯を食べたいという願望を、実は理解できていないという点にあるでしょう。


# by yoshimuratomoki | 2016-07-03 13:00 | 大阪府

「顔の良い事で有名な……」

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人形の? 山本さんの?

顔。
人の顔って、ぜんぜん憶えられないんです。
憶えられないというか、憶えない。
そもそも人の顔をしげしげ眺めたりしないんです。
女性の顔を見つめるのは失礼だなと考えてしまうし、「なにこいつキモいオヤジじろじろ見んな死ねよむごたらしく」と思われても嫌だから、意識的に避けています。
まして男の顔はその気もないので顔(を)パスです。

よく「人の目を見て話せ」と言われますが、僕は自分の目を見て話をされるのが苦手なので、しません。
自分がやられていやなことは人にするなと教えられてきたので。
腐った魚みたいな目をしてますし(正確には腐った魚の目みたいな目)、こんなもん見てもらったってしょうがない。
それ以前に、たかが目なんかで、その人のやる気などの感情や、なんらかの情報を読み取れるという考え方に傲慢さを感じます。
どこを見ようと、どうでもいいと思うんです。

現実問題、顔は大事なんでしょう。
美人やイケメンがそれだけで得をする(あるいはその逆)のシーンを何度も見てきて、痛いほどその現実を突きつけられてきましたよ。
僕も「その逆」界に生きる、一匹の生き物ですし。
「実力で超える」という考え方もあるけど、実力ってどうやったって限界あるじゃないですか。
反面、美醜には果てがないですからね。

だから「人の顔を見ない、憶えない」というのは、超微力ながら僕なりの、悲しい摂理への反抗心でもあるんです。

# by yoshimuratomoki | 2016-07-02 12:00 | 大阪府

あの伝説の恋愛アパートが実在した

まさか、あの伝説のアパートが実在するとは。
しかも大阪に。

交野市のとある坂道(not.時計坂)にて出くわしたマンション。

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原作よりもずいぶんとゴージャスになっていました。

五代裕作ってけっこうビジネスの才覚があったのか。

あるいは響子さんは離婚していて、大金持ちの三鷹と再婚するという、知られざる後日譚があったのかも。

# by yoshimuratomoki | 2013-12-30 18:09 | 大阪府