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あるあるネタの恐怖

さすがに最近の「あるあるネタ」の「あるある」レベルは低すぎやしないかと思うのだけどどうだろう。「あるあるネタ」で「あるある」と思うのは、普段は見過ごしているんだが言われてはじめてそれがくっきりと「あるある」と感じられるところがポイントだと思うのですよ。つまり「あるあるレベル」の公式は、「あるあるレベル=あると思う強さ-見過ごしている度合い」である、と。だが、最近の「あるあるネタ」は、見過ごしている度合いが低すぎやしませんか、と思うのであります。
goo 辞書の「あるあるネタ」の項では、“演芸や会話などで,だれもが経験したり考えたりするような事柄をしゃべり,共感を誘って笑いを取るネタのこと。あるある系。〔聞き手に「あるある」と思わせ,笑いを取ることから〕”と説明されていて、見過ごしてる前提については言及なしだし。
普段から「あるある」と思っているものを「な、あるだろ?」って言われても、「ありますよ」と大人しく答えるか、その「な、あるだろ?」っぷりのカッコ悪さにプルプル震えながら「ありますけどそれが何か?」と答えるしかないわけです。
しかも、「あるあるネタ」は、お笑いだけじゃなくて、短歌とか小説とかエッセイとか演劇にも形を変えて出てくるので、なかなか厄介。
ふかわりょうさんの出現が、「あるあるレベル」を一段低くしたのだと思うのですが、ふかわりょうさんは、まだぎりぎり「あるある」と笑えるところをキープしていたと思う。むかし読者投稿で見たことあるラジオで聞いたことある友達が言ってたことあるという「そのネタあったあった」という多少の「あったあった」感は生じていて、うすぼんやりとネタとして成立していて、ぎりぎりのレベルを保ったところが凄かったのだと思う。だから、ふかわさんが今、存在感がないということでいじられてたり、視聴者投稿短歌番組をやっているのは、「あるあるレベル」を一段低くして普通の人にも「あるある」ネタを解放した功績の結果だと思うのです。
しかし、最近は、もうふかわりょうさんレベルを下回る「あるある」度で、それは「あるある」じゃなくて「ありますよありますけどそれがなにか」的な状況になっていて、ネタにもなっていないことが多いと感じてしまうのです。
しかも、「ありますよありますけどそれがなにか」という視点を持っている人は少なくなってきていて、「ありがち」であるだけで共感を誘うものとして成立してしまう時代になってきているのではないかという恐怖をひたひたと微妙に感じているのです。
by gogoyone | 2004-09-07 01:39 | 思考
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