今回は冒頭に、これだけ解り易い説明は他にないという文章を、1ページちょっと載せさせて頂く。先日読んだ、村上春樹氏の「海辺のカフカ」に、このような内容の箇所がある。
それは、アドルフ・アイヒマンの裁判に関するものである。彼は、ナチの幹部たちからユダヤ人の大量虐殺という課題を与えられ、どのように行えば、短期間にかつ低コストで処理できるかを検討した。まず、何百万人というユダヤ人の運搬、そして死体を焼くか、埋めるか、溶かすか……を、机に向かってひたすら計算した男である。彼の計画は、実行に移され、ほぼ統計通りの効果を発揮した。戦争が終わるまでに600万のユダヤ人が、彼のプランに沿った形で処刑された。しかし彼は、罪悪感を感じることはなかったらしい。彼は、与えられた課題に、1人の優秀な官僚として、もっとも適切な答えを出しただけなのだ。なぜ、自分だけが責められるのだろう、と理解に苦しむ様子が、裁判中に窺えたのだった。己の没頭した仕事の結果を想像できなかっただけなのだ。
そして、「全ては、想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力から始まる」とイエーツの言葉が使われ、最後は、「想像力のないところに責任は生じないかもしれない。このアイヒマンの例に見られるように」と村上春樹氏の言葉で結ばれている。
想像力のある諸君ならすぐわかったであろう。今、日本に起こっている全ての犯罪はこの想像力の欠如が原因なのだ!
己の行為の結果を想像できないのだ!
偏差値だけ高い官僚の馬鹿者たちを筆頭に、人を刺し殺すチンピラに至るまで、まさに想像力が欠如してしまっているのだ。
神が、宇宙が、人間にだけに与えたこの素晴らしい想像力という世界を、特にこの半世紀のうちに、我がジャパン国民の大多数は、家庭からも、教育現場からも、忘れ去ってしまったのだ。
以前、幼児期に本を読んで聴かせろ! と、しつこく書いた覚えがある。
子どものうちに想像力を養わせることの大切さは、大人になってから、はっきりとその違いが出てくるのだ。
みんな、海が汚れてけしからん! こんな海で泳ぎたくない、と怒る昨今。しかし、その海に排気ガスを撒き散らす車で行き、冷暖房の効いた部屋から眺めているのだ。
自分の部屋に吸殻を捨てるヤツはいない。もし落ちていたら箒で掃き出すであろう。ところが、それが汚れた空気として返ってくれば、箒じゃ掃き出せねェ……。
まァ、ここまで来たら、そう目くじらを立てても、しょうがあかんべェさ、と、このオレ様も諦めつつある。
ワシらは諦めてもいいが、若者よ! オメェたちは諦めちゃいけねェ!
被害者たちの痛みを想像する
このまま行けば、このジャパン国民は、ずっと汚ねえ海で泳ぎ、老後は半身不随のホームレスとなり、うろつく羽目になるぜ!
想像力のまるでない官僚どもに、この国の行く末を任せていると、まさにオメェたちの行く末は、貨車で運ばれる、呼吸しているだけの死体となるぜ!
官僚どもだけじゃねェ。ちょいと周りを見回してみねェ。およそ想像力とは程遠い、紳士面、淑女面したエイリアンどもが闊歩しているぜ。
よくよく見極めるこったァ! マスコミにもエイリアンがしっかり入り込んで支配しているぜ! よくよく見分けるこったァ! 新聞の読み方にも研究が必要だぜ!
ヒタヒタとオメェたちは、エイリアンに囲まれつつあるのだ。そして、ふと気付いたときは、身動きもとれなくなっている奴隷か、己自身がエイリアンになっているかのどちらかだぜ!
ホリエモン、村上ファンド、己自身が数字を刻むコンピューターというエイリアンになっていることに気付いてはいなかろう……。彼等——冷たくのぼせ上ったエイリアンたちは、お金ではなく、数字を見て一喜一憂しているだけなのだ。
何百億の数字だけを見ている人間どもは、その末端で、1万円札というお金が、今この世でどういう働きをするのか、想像すらもしていないのだ。
たった千円札1枚で、1日を楽しく暮らす人々のおおらかな笑顔など想像もつくまい。たかが千円札1枚で、どれだけのアフリカの子どもたちの病が癒やされるか、想像もしていまい!
バブル以降、世界的な賞を取った天才画家が、日本では殆どメシが食えない事実を知っているのだろうか? 世界的には1千万円以上の値打ちがある作品が、百万円で1枚でも売れれば、1年間どうにかメシが食えるという現状を知っているのだろうか?
若者よ! 声を挙げよ! 1つずつ、検証することを覚えよ!
それには、己の想像力を養わなけりゃいけねェ!
新聞記事の1行、テレビニュースのワンカットなど、その中に浮かぶ、非情な犯罪を目にしたときに、己がその被害者だったら、と、リアルに想像することから始めるのだ! その被害者たちの痛みを想像することが自分の目を見開かせるのだ!
少なくとも、うまいものを食ったとき、これを愛する者に食べさせたいと思うだろう。美しい風景を見たとき、この風景を愛する者に見せたいと思うだろう!
何!? そんなこと考えたことねェ! 馬鹿野郎! そういうヤツは既に犯罪者だ!
想像力から生まれる責任感
もっとも、上は何々博士から区役所の役人に至るまで、現金の1千万円も積まれ、「あなたの職権で、これをちょこっと見逃してくださいよ。これに便宜を図ってくださいよ。」と言われたら、まず、殆どの人間は後ろに手が回らない限り、便宜を図るだろう。
金には誰しもが弱いのだ! ワシはそんな職権を持ったことがないからわからないが、恐らくそんな立場なら、ワシも、「ヘイ、有難うござんス。」と現金を頂いてるだろうよ……。
ここだァ! 想像力が必要なのは!
己の職権を振り回して、その結果どうなるか? と想像して、こりゃ、余りにも結果が酷すぎるとわかる。そうすれば、きちっと自制する。
これが、想像力から生まれる責任感というものなのだ。
だから、極端にいえば、総理大臣に国を売られたら、たまったもんじゃないだろう! それに近い総理大臣が、かつてはいたがな……。
今の厚生労働省の官僚どものやってることは、アドルフ・アイヒマンがやったこととまったく同じだぜ。道路公団も防衛庁も銀行も生命保険会社も……。
まったく、単純な行動とはいえ、2・26事件の血気に逸った兵隊たちの、あの純粋さが懐かしくなる……今日この頃だぜ。
よく今まで、各官庁で自爆テロが起きなかったもんだぜ! おっと、ワシはそそのかしているわけじゃねェよ。少ない国民年金を貰っている、このワシがやりたいと思っているだけだわな。
ところが喜ばしいことに、このジャパンじゃおいそれと火薬すらも手に入らねェ。せめても、保険庁の前で、三十寸球の打ち上げ花火でも上げるとするか……。
〈タ—マや、カ—メや!〉とな。役人どもは笑いながら拍手喝采することだろう……。
おお! 怒れば怒るほど、ワシは老いた道化師にされそうだ!
ところがどっこい! 日本刀を隠し持った道化師だァ!
今に見てろ! 今に見てろ! と歯軋りしながら、老いた道化師は1人、トイレに座って『海辺のカフカ』を読んでいる……。
流れるものなら、汚物と共に怒れる己も流してしまいたい……。
そして、すぐ大きな石で蓋をしてくれ!
今わしは、マタギ出身の老殺し屋の長編を書いている。いずれ諸君の前に、その老殺し屋が動き出す。期待してくれ!