三世代の孤独
俺の母は、92歳で死んだ。
最後はカトリック系養護園で手厚く看護されたのは幸運だった。
それでも寝たきりの姿を見ると、長男の俺は、せつない気持ちから、『おばあちゃん、もう、ボケてもいいんだぜ、その方が楽なんだから、もう、安心して、ボケなよ。』と言った。
『いいえ! まだまだ、ボケちゃいられません! 征ちゃん! 私は90歳まではしっかり生きますからね!』と力強く宣言した。
その時、すでに、92歳だった。
俺の不行儀に生涯怯え続けた元気な88歳の母に、『おばあちゃん、今日1日、今日1日を生きられたことに感謝して、もうなんの心配もないんだから、夜は安心して寝るんだぜ。そして朝、元気に目覚めたら、ああ、今日1日も得をしたと思って、またありがたくその1日を生きることだぜ。』といかにも悟った風なことを言った。すると母は、俺の顔を不思議そうにしばらく見つめ、『征ちゃん、この歳になると、眠るのが大変な仕事なのよ! 安心もなにも、眠るという事が辛い作業なのよ!』と、まるですれ違っていた。
母子が見つめ合うなんてことは、滅多にないことだが、この時、お互いの愛がゾッとするほどすれ違っているのを感じた。
相手を愛し理解しているなんて、大いなる錯覚なのだ。
これを我が子どもに置き換えてみねえ、命がけで子供たちを愛していた俺だ?! そんな風に愛されていた子どもはどう感じていたか?
考えちまったねぇ……。
子どもは逃げられねえんだ! もちろん親も……。逃げられない者同士だからこそ深く愛し合わねばならないんだ。ましてや、幼児から少年期は一方的に親が力を持っているのだ。子どもを愛し、教育するとは、親の価値観を一方的に押し付けることなんだ。
スパルタも過保護も無関心も全て虐待なのだ!
だからと言って、愛し教育しない訳には行かない。どうすりゃいいのだ!
自信を持って虐待するんだ! これしかない!
自分の心を深く見つめ、子どもへの愛に微塵も嘘は無いと確信したのなら、自信を持って愛するという虐待をするしかないんだ!
もちろん、子どもは被害者だが、将来独り立ちした時、確固たる人間になる手助けであると親は願うのみである。
だからこそ、親子の愛は本当に理解し合った愛だと思う。
自分が年を取った時、親と子の愛のすれ違いに愕然とする時があるけれど、それはやむをえないすれ違いなのだ! 親子とはいえ、まるで違う人格なのだから……。これが三世代の孤独な愛のすれ違いと言うのだ。
ただ言える事は、親に対して子どもがすれ違ってはいても、親の死を共有していることは確かなのだ。何処にいても、親の死を気に掛けている。ここが他人と違う所なのだ。親も子どもの死を共有している。究極の所ではやはり心配しているのである。
今話しているのは、奇跡的にうまく行った三世代の話だ。
普通はもっと、誤解と無理解と争いの中で、三世代が苦しんでいる。
なまじ中途半端に豊かになったのがいけねえ。
徹底的に貧しいか、有り余るほど豊かか、どちらかなら解決の方法もあるが、この中途半端な豊かさが、煩悩を丸出しにするんだ! 小金の取り合いにもなるし、少しでもウマい物を食おうと相手を押しのけもするし、少しでも預金を増やそうと躍起にもなる。これらの欲求が親子、兄弟すら敵同士にしてしまうのだ。親子、兄弟姉妹は誤解があってもいいが、敵になっちゃぁいけねぇ!
完全無欠の闇の世界
話はちょっと外れるが、昔、英国でスパイを白状させたり、洗脳したりするために使われたのが、ブラックボックスという部屋だった。この部屋はぶつかっても怪我をしないように、安全に作ってあるが、完全無欠の防音と闇の世界になっているのだ。すべての音も光も遮断された状態で生きることを、人間は経験していないのだ。人間は母親の子宮の中に居る時から音と光を感じているのだ。だから人間は、完全無欠の闇と無音の世界に置かれると、10分も経たない内に発狂するそうだ。
これは、自分を確認できなくなることへの恐怖だ。
この世界で心臓の音以外に己を確認する方法は、自分の手で自分の体を触ることしかない、しかし触った部分しか確認できないのだ。つまり己の全体像が消えてしまうのだ。そうなるとたちまち人間の思考が根底から崩れ始めるそうだ。
光があり、音があり、自分の存在を確認できてこそ、思考することが出来るのだ。だから、無明無音の中で、発狂寸前の状態に置かれた時、微かに聞こえる程度の音を流すと、人間はその音にむさぼるように、すがりつくそうだ。
まるで神にすがるように……。
もしその言葉が、洗脳目的であれば、瞬時に洗脳されてしまうと言う訳だ。
今、ホリエモンが拘置所の中で百科事典を読んでいるという。拘置所の中には光も音もある。ただ狭い部屋で自由がきかなくなっただけである。
それでも、己を正常な状態に保つのは至難の業らしい。おそらくホリエモンは発狂防止に百科事典を読んでいるのだと思う。
昔、大変なやくざの親分と知り合いだった。この人は15年間独房に入っていたのだ。その長い生活は、ただ座っているだけ。たとえ何か物事に筋道を立てて考えても、10分と続かなかったそうだ。
頭の中だけで理論構築するのは、文章として起こさない限り、10分程度が限度である。後は支離滅裂で取り留めのない、幻影的な思考を断続的に繰り返すのだ。
この親分の話では、大半の囚人は独房に入れられると、何らかの精神障害を起こすと言うのだ。だからこの親分は般若心経から始まり、手当たりしだいお経を暗記したそうだ、それでも15年……。何百冊もの本を読み、最後には辞書を1ページめから暗記し出したそうだ。もちろん、比叡山に入っているより確実な修行になっただろう……。そこにあったのは、ただ、ただ、発狂だけはするまい、という強い決意だったのである。
何故こんなことを書いているかというと、普段なんの支障も無く、自由に生きている人間ですら、自分を100%コントロールできる者は皆無なのだ。ゴルフをやる人だったら解るだろうが、頭ではわかっているが、体は言う事をきいてくれないのだ。自分が自分に命令しているのに、言う事をきかないのだ。
だから考えても見ねえ!
他人が早々言う事を聞くわけがねえ!
己が酒を飲んだ時、訳のねえ美人が惚れてくれたと錯覚する馬鹿者……。ちょいとした暗示に簡単に乗っているのだ。
雰囲気や環境によって人間はコロコロ気持ちが変わるのだ。
片やノーベル賞をとる人間、片や3歳の子どもを殺す人間、どこでどう、OBボールを叩いてしまったのか?! 開きがあり過ぎるぜ!
一瞬の深い愛の雷光
さて、もう一度、家族に戻ろう。
人間は、己が己をコントロールできないハンパな知性動物なのだ。自分は正しく自分を運転していると思い込んでいるだけなのだ。よくよく振り返れば、鳥肌が立つほど恥ずかしい事をやってきた亀石征一郎である。
家族の行き違いは当たり前の話だ!
ただ、もう一度言う、親子も兄弟も、夫婦も80%誤解し合っている。
だからこそ、誤解を恐れずに愛してやれ! 殴るも、抱くのも、泣くのも、怒るのも、全て愛の表現であり、理不尽な行為も本物の愛の裏付けがあればよいのだ!
誤解を乗り越えるのは、家族の修羅場の中で、一瞬でも深い愛を雷光のように感じた合った時だ。君にも1つや2つあるはずだ。咄嗟に吠える犬から弟をかばったこと、弟の軽い交通事故に真っ青になった姉、君の失敗を父親に隠してくれたこと……。後で振り返れば、そんな一瞬の愛が、凄い温かな思い出となって浮かび上がってくるのが家族なのだ。
こうして考えてみると、他人が君を誤解するのは当たり前なことだろう。
だから俺は子供たちに初対面を大切にしろと教えた。
初対面のたった一発の挨拶「お早う御座います!」、たった一回の「ありがとうございました!」の、心からの言葉。このふた言で先輩諸氏は「おっ、いい若者だ!」と思い込むのだ。それほど君がいい若者でなくとも、初対面のイメージは、大事に持ち続けられるのだ。
それが初対面で、煮え切らなく、無粋な態度で、挨拶したのかしないのか、はっきりしない……よく君たちはやってるぜ! その上たった一回の「ありがとうございました!」を心からも言えない! たったこれだけの事で、先輩諸氏に初対面の悪い印象を植え付ける。実際の君は素晴らしい若者なのに……。そしてこの誤解された悪い評価を払拭するのに、どれだけの無駄な努力と時間が要ることか!
俺の息子たちは、最初の挨拶「お早うございます!」そして、「有難うございました!」たったこのふた言だけで、子どもの頃から、近所中で評判がよかった。お父さんは無愛想だけど、息子さん達は本当に良い子たちね!と言われたもんだ。
こんな単純なことが、君の出世の第一歩なのだ。
情けないことに、大学に4年も通って、企業に入って、挨拶の仕方から教えなければならない会社側の気持ちも考えてみろ! 馬鹿か! お前達!
相手の顔が見えない電話の応答が一番肝心なのに、それすらなかなか、明るく、情熱的に応対出来ないウスノロメ! いやだったら止めろ! と怒鳴りたくなるような中途半端な社員! 馬鹿か!
上司が君に1つの仕事を命じたとする。3回教えてできるのが、普通の社員。1回でできるのが、優秀な社員。「あつ、それはやっときました!」と、全体の動きと雰囲気を読んで、言われる前に謙虚にそっと仕事をこなしている社員! お前は将来経営者だ!
生活を賭けて働いている職場では、口を利いたこともない奴も、皆それぞれ、その人間の能力と仕事ぶりを見つめているのだ。
そして、人は、他人を認めまいとして頑張っているのだ! 人より2倍程度の努力で満足している奴は、まだ無視し続けるられるだろう……。
10倍努力する奴は、こいつを認めないと、己が能無しだと思われるのでしぶしぶ、認めるのだ。自分を守るために、明らかに優秀な奴を認めるのだ。
努力するならそこまでやらなきゃ、他人は認めないのだ。
まあ、笑ってくれ、すべて実際に修羅場を踏んだ経験からしゃべっているだけなのだから……。矛盾とほころびは数々あるだろうけれど、これからこの生きずらい人生を生きていく若者たちよ! ちったァ参考にしてくれ! 理不尽に怒りまくるけど、この爺ぃ! 許せネ! と、殺しに来なよ。今でも、この爺は日本刀を月一度は手入れしているがな!