お久しぶりです。大月です。
随分と久々のブログになってしまいましたねー
日頃はツイッターとかで情報とかもすぐに出せてしまうので、ついブログからは少し遠のいてしまいますね。。
ここ最近はと言えば、
6月にカスケードのレコ発ワンマンツアー無事終了しました
レコーディング終了しました
8/29にフルアルバム発売決定しました
ヘルニア発覚しました
右肩関節に違和感が残っています
メガネを新調しました
32歳になりました
そして、以前のブログでも触れていた僕個人名義で行っていた東北震災チャリティーTシャツの売上げを持って、被災地に行ってきました。
7月22日下北沢ガーデンでのライブを終え軽く打ち上げやって、そのまま仙台へ夜走り。
久々にこのハイエース運転した。やっぱ好きだなー、この車。思い出が有り過ぎる。
7月23日早朝、仙台到着。仙台マカナというライブハウスのタケシを迎えに行く。
彼は昔からUNLIMITSをずっと応援してくれている。東北で仙台で僕が一番頼りにしている男です。タケシは石巻出身。

今回、一人でやろうと決めていたけど東北で何かをやるならやっぱり彼の助けが欲しかったのでお願いしました。
思ったより時間がかかってしまって、朝6時くらいにタケシんちに到着。
それから近所の大型スーパーを案内してもらって、物資の買い出しをしました。
事前にどんなものが今必要なのか、現地の方と連絡を取り合っていて。
米、水、インスタント食品、日用品(洗剤、シャンプー、等々)などを中心に買いそろえていきました。
これも意外に時間かかって、8時くらいに仙台市内を出発。岩手県大槌町に向かいました。
しかし、買い出しもちょー大変なのね。タケシいなくて一人だったら絶対ムリだったな。。
結局昼過ぎくらいに到着。
大槌町の中村さんという方をまずは訪ねていきました。中村さんはこの辺りの地区の世話役みたいなことをされていた方のようで、周辺の仮設住宅と密にやりとりをされているので案内をお願いしていました。
金銭的にも全ての仮設をまわるほどの体力もないのでまずは中村さんのお宅の近所の北田第六仮設団地を紹介していただきました。
皆さん笑顔で暖かく迎えてくださいました。
皆で各世帯ごとに物資を分けて、お姉様方が各世帯に配ってくれました。
ここは33世帯あり、1世帯空き家があるので計32世帯の方々が暮らしています。
空き家をみんなの集会所にしていて、そこでお茶とお菓子まで出していただきました。いろんなお話もしました。

津波が来た当時の様子、そして今日迄のこと、これからのこと。
ここは去年の8月に完成したわりと最後のほうに作られた仮設で、それまでは約5ヶ月間も避難所で生活していたようです。
でもタケシの話によると、こういった最後のほうに建てられた仮設は壁や空調などもしっかり作られていて、普通に生活するのにそこまで不自由も無いほうみたいで、震災直後に建てられた仮設の中には壁も断熱材とか入ってなかったり突貫工事のままの仮設も多く、真夏や真冬には厳しい生活を強いられる仮設団地も少なくないみたい。
何よりも印象的だったのは、みんな笑顔で支え合って暮らしていて、僕らを暖かく迎え入れてくれた。なんなら泊まっていってくれって言われた。笑
「また遊びに来てね、手ぶらでいいから顔見せにおいで」って言ってくれて。
絶対にまた来ようって心に決めました。
仮設を後にして中村さん宅に戻ると、なにやら集会が行われていました。
おそらく近所の代表の方々や、避難していた先の町役場の方?もいたのかな。
少し話を聞いていってほしいと言われたので、隅のほうで話し合いをのぞかせてもらいました。
行政とのやりとり。保障の問題や仮設の設備、津波被害に遭った土地の問題。お金や食料の問題。
めげずに何度も話し合いを続けたから、仮設の風呂場に追い炊き機能のやつをつけてもらえるようになったというお話。
仮設の風呂場に追い炊き機能があるかないかなんて、わかんないじゃん?風呂の有無は気にするけど、正直追い炊きがってとこまでは少なくともおれは考えた事なかった。
けれども、そんな小さなこと1つも日々の生活には本当に大切な事で、でもそれも行政側からは何度も断られていたそうで。
生活資金も相当厳しい。食料品も、栄養素として大事な野菜が圧倒的に足りない。と。
やはり僕らが持って行った食料品も、日持ちのするレトルトや乾麺が多かった。
出来れば野菜類も持って行きたいけど、そこまで日持ちもしないし、種類や数をしっかり向こうの要望に合わせるのも難しい。
そんないろんな話を聞いていたら、いきなり中村さんが「君たちの意見や感想も聞かせてほしい」ってなって。
いきなりだったんで久々にすげーテンパった。笑
僕なりに思った事、音楽を通して全国のみんなと繋がっていて(チャリT買ってくれたりとか応援してもらって、みんなの)協力があってこういった活動が出来ている事。
ほとんどが御年配の方々でした。
この話し合いのときは皆さん俯き気味で少し重たい空気になる場面もありました。
今後の生活への不安。
生活費、仕事。
人生の最後を迎えるときに、自分はどこに住めるのか。
それを苦に、自ら命を絶った方の話。
最後に、
「こういった若い方々の力が本当に助けになるし、未来を切り開いて行く明日への糧になるから」
と言っていただきました。
頭では分っていたつもりだったけど、やはりまだ何も終わっていないし解決していないんだ、と思いました。
32世帯分に物資を分けて、多少余ったので後は中村さん宅に預けて近辺の自宅に住んでいる方々に分けてもらうことにしました。
また必ず来る約束をして大槌町を後にしました。
まだまだ食料品や日用品が足りない現実。
仮設所によって支援物資や行政の援助が来るとことなかなか来ないとこの差がかなり激しいみたいです。
世帯数の少ない仮設やあまり被害の少ないとされる地域はやはり手が届きづらく、まだ厳しいようです。
(ここで言う「被害の少ない」とは町の規模が小さいから被害の数字が少ないというだけで、被害の規模が小さいということではないのです。そこが問題なのです)
仮設所から車を10分くらい走らせれば、大型スーパーや薬局なども普通にあって品物もしっかり有るんです。
普通に生活している方もいます。
一瞬、「なんだ、もう物資もあるんじゃん。」て思ってしまいそうになる。
激しい現実の差に悩むし戸惑いもなくはないです。
帰りは沿岸沿いを走って帰ってきました。
気仙沼で海鮮丼も戴きました◎
やはりTVで観る世界と目の前にある世界は全く別物なんだなと思った。
何も言葉に出来なかった。
仙台に着いた頃にはもう21時を過ぎてた。
前日の朝起きてライブやってそのまま寝ないで活動してきたけど、そんなに疲労感は無かった。
タケシと乾杯して、色々お互いの状況や音楽の話もして、泊まって翌日帰ってきました。
さすがに帰りは疲れが一気に出てきて大変だったけど。笑
今回この僕の活動に賛同してくれた方々
チャリT買ってくれたみんな、買ってなくても応援してくれたみんな
沢山の理解をしてくれて協力してくれたメンバー、事務所のSMA、レーベルのSMRのスタッフの方々
色んな相談に乗ってくれた仲間、家族、友人
そして僕の背中を押してくれたAIR JAM2011、健さん、MEANINGの隼人君
ホントにありがとうございます
正直、途中で何度も挫けそうになりました。笑
背負っていくモノが大きくっていくたびに。
今回のが一区切りついてからこの先どうするか考えようと思っていました。
けど、やはり繋がっていくこと続けていくことが一番大事なんだと思った。
から、これからもまた何かやっていこうと思っています。
まだどんなカタチでかはわからないけど。
自分のしてる事はほんのちっぽけなことかもしれない
けど、身の丈に合わないでかいことなんて出来るはずも無いしそんなの続かない
いつも言っているけど、自分の出来る範囲で少しずつでも続けていきたいです
ホントにありがとうございます
そしてこれからも宜しくお願いします
最後まで読んでくれた君にサービスショット
UNLIMITS/Gt. 大月義隆