突然の報告になって本当に申し訳ないです。
この度、
椿屋四重奏は解散しました。
店じまいってやつですね。
実は去年の夏頃、既にメンバー内ではその事が決まっていました。
理由は、ごく自然なもので、
時期が来た、それだけです。
ただ、どうしても解散ツアーなんてやりたくなかったし、
最後の最後まで現在進行形のバンドでいたかったから、
今まで通りに活動を続けました。
幕引きは椿の花の如く。
椿屋四重奏の生まれた仙台で。
応援してくれた皆さんにとっては非常に一方的な身勝手な話で、本当に申し訳なく思います。
一言でいえば、
俺にとって椿屋四重奏は、
悪足掻きの青春でした。
それはとても愛しくて、切なくて、
憎たらしくもあり、
悩みの種でもあり、
希望の種でもあり。
それは簡単に例えられるほど単純なものではありません。
冷静に客観的にみれば、
時代に何かしらの痕跡を残すようなアクションを起こす事は出来なかったし、
当初思い描いてた夢はそんなに叶えられていません。
悪く言えば、中途半端な…
でもその悪足掻きこそが
椿屋四重奏だった気がします。
ただ、名曲は山ほど残して来たつもりですけどね。
自分でも否定はしなかったけど、よくワンマンバンドと呼ばれました。
確かに作品作りにおける作業はほとんど自分がやってましたし、いわゆる一般的なロックバンドとは違うタイプのバンドだったかもしれません。
やっぱ性格的にというか、元々ひとりで何でもやらないと気が済まない所があって、
結果的にそうなってしまいました。
でも、やっぱり、椿屋は俺だけのものではなかったし、
やっぱりこのメンバーあってこそのバンドでした。
そして、俺自身も、不思議にその事をわかっていました。当たり前のように。
皆で夢を賭けた想いの化身の様なものでした。
たかしげも、良ちんも、
やっちんも、結成当初のメンバーも、
そしてバンドの最後を一緒に見届けてくれた手島も、
大切な時間を椿屋四重奏に使ってくれました。
本当に感謝しています。
共に分かち合えた事、幸せに思います。
今、正直、心の中はグチャグチャです。
この十年、椿屋四重奏こそが俺の人生そのものでしたから。それを中心に俺はまわっていたから。
でも、同時に、なにか胸のつかえが取れた様な感じもあります。
ずーっと長い間自分の中に居座っていた、その悪足掻きの理由が。
今はまだ、先の事は上手く考えられませんが、
あの夢は捨てていませんし、
音楽を辞めるつもりもありません。
少しの間、色々と考えてみようと思います。
「こんなロックバンド、マジで他に居ないよな。最高だよ。自己満足で結構!」
そう思いながら、まるでお客さんになったような気持ちで、
最後の仙台を楽しんでいました。
椿屋四重奏、
そして椿屋四重奏を愛してくれたすべての皆さん、
素晴らしい季節をありがとう。
支離滅裂な滅茶苦茶な文章で
ごめんなさい。
やはりまとまりませんでした。
最後の餞に、嵐が丘の一節で。
咲いて散りゆく花となり
夢と現を抱きすくめて
嵐の中 自ずと望んだこの場所に
涙と雨の
涙と雨の
祝福を
中田裕二
追記、
この霧雨日記も今回で最後となります。
長い間このような拙い文章にお付き合い頂き、
本当にありがとうございました。
また次、何かが始まる頃に、
お知らせします。
懐かしの一枚。
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by tsubakiyablog
| 2011-01-11 12:00