ブログってよく分からないけど何だ!?
まぁルールの分からんゲームもやってるうちに分かってくるように、俺もブログを書いてみよっと。みんな読んでね。
今回はルーツミュージックですね。うちの林と佳史もそれぞれ書いてる。
ってなわけでデビュー以来何度も言ってきてはいますが、俺のルーツは誰がなんと言おうと
マイケル・ジャクソンその人であり、これはどうやっても揺るがない。だって超カッコ良かったんだよ!!そもそもの始まりは小学生の頃に見たメイキング・オブ・スリラー(知ってる人は懐かしいのでは?)かな。
当時レンタルビデオのホラーのコーナーにあって(!)それを見てマイケルの顔をちゃんと覚えた。あれだけブームになっただけあって名前は知ってたけど、外人の名前って意味でケント・デリカットとの区別がつかないガキだったんだ俺は。でも一度好きに なったら俺は凄いよ。生涯熱心なファンでい続ける自信あるもんな。
野郎のファンは一度掴んだら離れないってよく言うじゃん?あれは当たってるな。
まぁそんなわけで、そのスリラーのビデオがあり、あと当時はケーブルテレビなんか無いから、よく民放で外タレのビデオが流れてたんだよね。
そこでマイケルのビデオが映った日に はもう興奮してかじりついたね。
あとキャプテンEOがディズニーランドで公開されると、小堺一機と関根勤(よく一緒にやってたよね)のバラエティーの特番で、そのEOの特集をやったんだ。
ゲストが菊池桃子でさ。親父にビデオの録画の仕方を聞いて録ったっけ。
もちろんあの二人のコントの場面もあったりするんだけど、それも含めてマイケルの特集ってだけでスリリングでさ(笑)そのビデオを飽きずに何度も見まくったよ。懐かしいね。もちろんディズニーランドでキャプテンEOが終わるまでの約10年。
盗んだ3Dメガネは数知れず。
1987年9月、マイケルに相当ハマりつつあった俺の住んでる日本についにマイケル来日!!後楽園、西宮、横浜、大阪の全球場で14公演。運良く手に入ったチケットは横浜スタジアムの日だった。母親と二人で行ったね!アリーナの多分あれはCブロックくらいだな。右寄りだった。場内暗転するとものすごい歓声。と同時にみんな立っちゃった!これは困った。当時小6の俺には、周りの人に立たれると何も見えない。仕方なく後ろの人に気を使いつつ椅子の上に中腰で立ってた。そして体に響く重低音と共にステージの床が開く!
そこにはライトがいっぱいくっ付いてて、逆光の中4人のダンサーと一緒に横一列になって(マイケルが真ん中!)下からドン!ドン!っていう巨大な音と共に階段を上がってくる!しっかり思い出せるよ。野外に鳴り響く大音響が、それまでに味わったことのないものだったから、ものすごい暴力的にも思えた。マイケルが普段とっても照れ屋でおとなしいのは、あの頃から知ってたから、あのステージでのパフォーマンスとも相まって、そのギャップがなんだか凄いショービジネスっていうか大人っていうかロックなものを感じたんだよなぁ。
今 思うとあの日が今に繋がる俺を作り上げる基盤になってる気がする。
この先書きたいことは山ほどある。そのマイケル来日旋風後、日テレで放送したコンサート。俺が行った次の日の公演だった。
もちろんビデオに録って、これは未だに"録画して繰り返し見たビデオランキング"のブッチ切り第一位だ。それを見ながらダンスの振りを覚えて鏡の前で毎日練習した日々。翌年’88年、BADワールド・ツアーの後半、願いが叶い再び日本に来て東京ドームで9回のコンサートをやってくれたこと。
この時のパフォーマンスは進化と洗練具合とパワーが見事なまでに合わさってて、神懸かりって言葉が正にふさわしかったと思う。伝説のライブだ。
未だにテレビ放送されていなくて(撮ってないのかな)俺は17年間何らかの形での放送を今でも祈ってる(笑)などなど。
あの頃のワクワク感を超えることも当時のマイケルに変わる存在も残念だけど二度と現れないと思う。でも全然いい。
あの初来日の時のマイケルと同じ29歳になった俺だけど、未だにあの頃の事を想像したり「Thriller」「BAD」そして「Off The Wall」を聴くとワクワク感や匂いまで蘇ってくるもんね。それだけマイケルは俺に強力な幸せを味あわせてくれたんだよ。