マイケルがこの世を去ってから丸3日過ぎた。この間書いた時はあまりに予想外の事過ぎて、何だかよく分からなかった。頭のどっかで嘘である事を願ってたし。でも徐々に「本当なんだなぁ・・」って分かってきて放心状態になって、あの日の夜は相当な寂しさに襲われた。テレビから繰り返し流れる「スリラー」のビデオ。何度も涙が溢れてきた。本当によく真似したもん。今日は言わなきゃならない事がたくさんあるんだ。みんなには是非聞いて欲しい。そして伝えて欲しい。
急遽組まれた特別番組も含め、一晩中テレビでニュースを見てた。その番組も思ったよりマイケルの功績を讃える内容だったのには救われた。間違った情報も多々あったけど。まぁそれはいい。でもがっかりするのはマイケルの肌が白くなった原因を未だに「脱色した」と決めてかかってるところ。そして一般市民はそれを鵜呑みにする・・・もはや肌を故意に脱色したなんていう、そんな「SF」のような報道をして本気にしてるのは日本くらいだよ(笑)海外ではもっと正しい情報が行き届いてる。あれは「尋常性白斑」という肌の色素が破壊されて部分的に肌の色が真っ白に抜けちゃう病気で、日本人でもたまに患者さんがいるね。黒人にもたまにいるんだよ。彼らの場合それが目立つよね?ネットで調べればこの皮膚病の事がよく分かるよ。マイケルはまだ十代の若いうちから発病してたみたいで、当時の関係者がシャワー中に見たマイケルの体が部分的に「まだら」になってた事を公言してるよ。
その後、色素破壊が顔に及んでからも、「スリラー」の頃までは黒いファンデーションで白くなった部分を隠してたみたい。でも「BAD」以降、徐々に病気が進行して元の黒い部分より白い部分が多くなった時から、やむを得ず白いファンデーションを使って黒い部分を隠すようになった。だからあんなに「真っ白に」なった。マイケルがある時期から厚化粧になったのも、色ムラを隠すためのメイクなんだよ。これはあまりに肌の色の変化を取り沙汰された時に、マイケルを擁護するために昔からの専属ヘアメイクの女性がちゃんと言ってた事。90年代半ばくらいから口紅を塗り出したのも、俺は恐らく唇の色素が無くなったからだと思う。もしかしたらマスカラたっぷり塗ってたのもストレートヘアーのウィッグを付けてたのも、色素破壊が体毛にまで及んでたからかもしれないね。あとね、この皮膚病にかかった人が絶対に注意しなきゃいけないのが紫外線。皮膚ガンになる可能性が人一倍高いから。太陽の下に出る時は長袖はもちろん、顔もなるべく出さない方がいい。マイケルが外出する際サングラスとマスクで顔を覆ってる怪しい映像が多かったと思うけど、あれは顔面崩壊じゃなくて、日除けでしょ。顔面なんて崩壊するものじゃない(笑)場合によってはいちいちメイクするのが面倒な時、色ムラのある顔を隠すためだよね。いずれかの理由だよ。全てつじつまが合う。
もちろんマイケル本人も言ってるよ。93年に全米生中継のテレビ番組に出演した際、インタビュアーに肌の色について突っ込まれたマイケルは、「プライベートな事だから・・」と悲しそうに、「病気なんだ」という前置きを添えて上に書いたような事を正直に話してる。でもそれが世界にニュースとして流れる時には、”マイケル、白くなった理由は「病気なんだ」!!”となる。前後の説明なしにね。これじゃ世間は「うそつけー!」って事になって、マイケルの奇人変人のイメージに拍車がかかるわけ。そういう事なんだよ。ちゃんとした情報はネタにならない。面白くないから。面白おかしくアレンジして編集して流すのがマスコミなんだよ。人を馬鹿にするのが仕事だからさ。別の番組ではインタビュアーが子供と同じ部屋で寝る件に触れて、「君は子供達と同じベッドルームで寝る事を何とも思わないのかい??」と聞くとマイケルが「もちろんさ!!何がいけないんだい!?」と答える。でもその後に「でも子供達にベッドを譲って、僕は床で寝るんだ。」とマイケルは付け加えてる。でもニュースではその部分は流されない。そうなると結果は・・・分かるでしょ?(笑)マイケルのイメージはこうやって作り上げられてきた。超絶な人気の反面、黒人であそこまで成功してしまったこと、容姿の凄まじい変化、子供のままの心、優しさ、ネバーランドというおとぎの国に住んでしまった事・・・メディアにとってその全てが差別、嫉妬、からかい、イジメの対象になっちゃったんだよ。そういう報道が世間に植え付けたマイケルのイメージのほとんどが作りものだよ。だいたい世の中が平和でニュースのない時はマイケルがネタにされるんだよ(笑)「コレといった事件がないなぁ・・よし!マイケルを使おう!」みたいな。記事も売れるしね。思えば'80年代からずーっと、ある事無い事書かれてた。よく今の今まで頑張ってくれたと思う。並みの人間だったらとっくにギブアップしてるはず。ハガネの精神力だったよ、マイケルは。
話を肌の色に戻すけど、だいたい常識的に考えてさぁ、黒い肌を真っ白にする脱色剤なんてあると思う!?飲み薬なんてあると思う!?未だに多くの日本人が上で説明した事実よりも、こんなSF小説まがいのデッチ上げを信じてるなんて、人としての資質を疑うよ(笑)まぁ、それさえ「あり得る」と思わせるところがマイケルのマイケルたる所以でもあるんだけどさ。でも俺達がどれだけマスメディアに踊らされてるか、考え直すいい機会だと思う。偏見なく普通に物事を考えられるまともな人なら、マイケルが「漂白した」とか「白人になろうとした」とか「女になりたかった」なんて噂がいかにアホくさいかが分かると思う。マイケルは事実、たくさんの白人スターへのリスペクトを公言してるし、黒人では珍しいくらい白人アーティストからも影響を受けてる。でもそれはマイケルが人種関係なく「好きなものは好き」っていう柔軟な感性だったからであって、もしマイケルが黒人である自分を捨てて白人になりたかったのなら、どうしてあれだけの黒人市民、そして黒人アーティストからリスペクトされてるんだろう。彼らはちゃんと知ってるんだよ。前述した番組でマイケルは涙ぐみながら言ってたよ。「僕はブラック・アメリカン。その事を本当に誇りに思ってるんだ!」って。
マイケルの今回の死で本国アメリカでの人気の高さを改めて思い知った。ネットを通じていろいろ見てるけど、今アメリカはマイケル一色だもん。(もちろんヨーロッパ諸国も)追悼番組がガンガン流れてて、マイケルを讃えまくってる。散々イジメといて、なんだ今更!!と思うけどさ(笑)ホント皮肉な話だよ。みんなこんなにマイケルが好きなら、なんでもっともっと早くマイケルを讃える、そういうムーブメントを起こさなかったんだろう・・・そうすればマイケルはアメリカでも楽しく暮らせて、あそこまでマスコミの餌食になる事もなく、音楽活動もこんなブランクを空けずに再開できて、あんな猛烈なプレッシャーの中、復活コンサートに挑まなくて済んだはず。そうすれば・・・あぁ・・・人は失って気付くんだよ。そういうもんだ。でもあれだけ世界中の人を喜ばせて夢を与えた人の死に意味が無い事は絶対にないのね。マイケルがこのタイミングでこの世を去らなきゃいけなかった裏には必ずメッセージが隠されてるはずなんだ。それをしばらく考えてみようと思う。
YouTubeでも見れるけど、追悼番組でも特にすごかったのがアメリカのCNN放送の"Larry King Live"。ジャネットを初め、マイケルに縁のある、錚々たる顔ぶれのアーティスト達がこぞって生出演&電話出演して、マイケルへの想いを語ってた。(ちゃんと英語が分かればもっといいんだけど・・)日本でもちゃんと流すべき番組だと思ったね。マイケルと深く関わった人達の言葉がマイケルを知るのに一番いい方法だもん。マイケルに会った事もない、ファンでもないどっかのアナウンサーやジャーナリストが垂れ流す適当な言葉を真に受けないで欲しい。「マイケルは孤独だった」とか「かわいそうな人だった」って意見も全く賛成出来ない。あんなに愛された人はいないよ。世界中が一人の人間に対してここまで悲しみと愛の波動を送ったのはジョン・レノン以来だろうね。
俺は小学校5年生の時にマイケルの大ファンになって、それ以来今まで23年間ずーっと海の向こうで暮らしてるマイケルを意識して生きてきた。何度かの来日時は「もしかして街ですれ違うかも!?」なんて事を夢見たりしつつ(笑)常に常に、「マイケルも今現在、地球のどこかで生きている」って事実がどっかで心の支えだった。マイケルは正に人生の一部だったんだ。10年間オリジナルアルバムが出なかった時期も、「もうかなりレコーディングはしてるらしい」なんて噂を糧に頑張れた。ここ数年だったら、ニューアルバムのためにウィル・アイ・アムとスタジオに入ってるとか、AKONが参加してるらしいとか、Ne-Yoが楽曲提供したとか、そんなニュースが飛び込んで来る度、期待に胸を膨らませた。いつ出るかは分かんない。でもきっと近い将来リリースされるだろう・・・それを楽しみに頑張れた。小学生の時から同じ人が、今でもそうやって自分にドキドキワクワクを提供してくれてるって事が自慢だったし、その人が世界一のスーパースター、マイケル・ジャクソンだったなんて、俺は本当に運が良かった。
でも一昨日、23年前に始まった俺の中の一つの時代が終わってしまった。マイケルのファンになる前の俺はヒーローものやラジコン・カーに夢中な子供だった。マイケルを好きになって俺のいわゆる「子供」時代が終わった気がする。その子供時代の終焉から一昨日まで、オーバーに言えば同じモードだったと言える。地球のどこかにマイケルがいるっていう安心感のもとに生きてた。それが終わってしまった。なんだか、これからどうやって生きていったらいいか分からないような不思議な感覚だ。マイケルがいない地球ってどんなんだろう??音楽界にとってだけじゃなく、地球にとって大丈夫なのかなぁ??(笑)なんて思っちゃう。だって本当の意味でのスーパースター不在の地球になっちゃった。シナトラも、エルビスも、ビートルズももういない。でもマイケルがいた。そのマイケルがいなくなったらどうするの??次そういう人って現れるの!?
間違いなく俺も次の時代に入るんだろうな。そして世界中のマイケル・ファンも。でもね、そんな新たな時代を楽しみにしたいと思う。きっといつの時代も自分にとっての「特別なもの」ってあるはずから。でも俺の「マイケル時代」は永遠だし、あの興奮は一生連れて回るつもり。それに復活ライブは実現しなかったけど、きっとニューアルバムのためにレコーディングされてた曲達が何らかの形で世に出る気がする。是非そうなって欲しい。その時は思いっきり楽しみたい。ロンドンに向けて頑張ってたリハーサルだって映像が残ってるのであれば、是非最後の勇士を見せて欲しい。感動的なはず。この世を去ってもマイケルは当分ドキドキワクワクを与えてくれそうだ。
じゃあ、最後にそんなマイケルの、特に俺が好きなライブ映像を絞っていくつか紹介するね。是非見て欲しいな。みんなと分かち合いたいし。マイケルと言えばミュージック・ビデオだけど、俺はやっぱり観客の前でのライブ・パフォーマンスこそマイケルの真骨頂だと思ってる。特にBADツアーが行われた1988年辺りのマイケルはヤバかった。体力、歌、ダンス、ルックス、全てが神懸かってたよ。最後の二つは市販されてるDVDにも入ってる映像だけど、それ以外は売られてはいない。昔はテレビで放送したものをビデオに録らないと繰り返し見られなかった。今はこうやってYouTubeで見られるからいいね。いい時代だよ。
まずはマイケル初のソロ・ツアーから。1987年9月、後楽園球場を皮切りに始まったこのBADツアーはまず日本で14公演行われた。その中の横浜スタジアム公演が当時テレビ放送された。これはその時の映像。俺が母親と行った次の日のライブだ。何しろ横浜スタジアムだけで5回もやったからね!もちろんビデオに録ってすり切れる程見たよ。このツアーのオープニング・ナンバーがこれ↓。マイケル29歳。天才とはこういうことだよ!
Wanna Be Startin' Somethin' / BAD TOUR 1987 in 横浜スタジアム
http://www.youtube.com/watch?v=VcvZQhRzSqY&feature=related
そして年を跨いで1988年2月、BADツアーはライブ内容をリニューアルして全米ツアーをスタートさせた。その恐らく初日、カンザスでの映像。当時MTVでライブクリップとして放送されたもの。俺達もカバーした事のあるこの曲です。まぁ足下にも及んでないところを証明するよ(笑)
Rock With You / BAD TOUR 1988 in カンザスシティ
http://www.youtube.com/watch?v=vSsYXmy1sXc
マイケルは「スリラー」でグラミー賞をたくさん取ったけど、授賞式での本格的なパフォーマンスは「BAD」のこの時が初めて。小6当時、この放送をテレビにかじり付いて見たよ!今見ても最高にかっこいいね。
The Way You Make Me Feel & Man In The Mirror / 1988 グラミー賞
http://www.youtube.com/watch?v=tmhuQvkCKCw
BADツアーはヨーロッパに上陸。その中のパリ公演からこの曲のライブ・クリップが作られた。ロンドンのウェンブリー・スタジアムだって噂もあるけど、分からない。ちなみにこのツアーのバックコーラスの女の人は、当時これでキャリアをスタートさせた無名時代のシェリル・クロウ!
Another Part Of Me / BAD TOUR 1988 in PARIS or WEMBLEY?
http://www.youtube.com/watch?v=ZKdJiUtCHqM
マイケルのBADツアーはその後再び全米に戻って、1988年の12月、再び日本にやって来た。俺は中1になって、マイケルは30歳。この時は出来たばっかりの東京ドームで9公演!バブリーな時代とは言え、1年ちょっと前に同じツアーで来たばっかりなのに、考えられない動員力でしょ?(笑)前年みたいにテレビ収録は入らなかったけど、こんな風な特番が組まれて、部分的にステージの様子が流れた。実は全編収録されていて、それがいつかオンエアーされたり!?なんて事を俺は20年間妄想してる(笑)それだけ完成度の高い躍動的なステージだったよ。母親と従兄弟のお姉ちゃんと一緒にドームに行ったのを昨日の事のように覚えてる。
BAD TOUR 1988 in 東京ドーム
http://www.youtube.com/watch?v=ySP1rb2cnQc
そして俺が高校2年生の時、デンジャラス・ツアーでもマイケルは東京ドームにやって来た。この時でも8公演!当時好きだった一つ年上の女の子と行ったなぁ・・・その日本公演の直前に行われたのが、このブカレスト公演(大盛り上がり!!)マイケルのトレードマーク、”ビリー・ジーン”のパフォーマンスは進化して凄く洗練された。後半のダンスはBADツアーの時には見られなかった新しいステップだ。
Billie Jean / DANGEROUS TOUR 1992 in ブカレスト
http://www.youtube.com/watch?v=q5GA-ViBjd0
マイケルの後期のパフォーマンスで一番好きなのが、この"Dangerous"。特にこの'95年のVMAの時がいい。何度見ても溜め息が出るカッコ良さだよ。この世にマイケル以上のダンサーはいないね。しかもマイケルはどんどん進化していったダンサー。20代前半だった1980年くらいからみても、たかだかここまで15年でしょ?動きがまるで別人なんだよ!(もちろん顔もだけどさ!!)普通ここまで変われない。天才とはいえ、ものすごい練習と努力を積み重ねてきたはず。じゃなきゃこんな変化は出来ない。マイケルの後ろで踊ってるダンサー達だって恐らく世界のトップレベルだけど、マイケルのキレと優雅さはケタ違いなんだよね。手足が長くてスタイルがいいし、本当に綺麗なんだ。
Dangerous / 1995 MTV Video Music Awards (再アップ)
http://www.youtube.com/watch?v=s9GsdtRSvy8
和田 唱