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3週間ぶりの我が子の顔

もうあまり嬉しくないとはいえ、迎えてしまった先週金曜日の誕生日。

朝、起きてしばらくすると、珍しく息子から日本語でメールが届きました。

「一時的にデバイスが戻ってきたよ。携帯は充電中だけど」

スマホ、PCとも本部に預けてサマースクールに参加している息子との連絡方法は、

寮の呼び出し国際電話と手紙と、コンピューターラボにあるPCでのメールのやり取りだけで、

セッション1が始まって3週間、電話で話せたのは2回、メールの返事が来たのは3回、

それも息子のメールは英語なので、必然的に「簡潔」なものとなっていました。

セッションとセッションの間の週末はもしかしたら

スマホを返してもらえるかも・・・とちょっとだけ期待をしていたら、

実際にはセッション1の終了前日の夜に戻してもらえたようでした。

セッション1で終わるお友達との連絡先交換のためかなと思いますが、

それで自分のPCからメールを送ることができ、日本語だったわけです。

そして、その晩、

「ママ、お誕生日おめでとう。これからFinal Performanceの練習があるから。」

と、

ほんの10秒くらいの会話でしたが、電話ひとつ、難儀を極めていた三週間だったので、

まさかの誕生日コールは、何よりのプレゼントでした。

翌日の朝には、このサマースクールで初めての写真が送られてきて、

三週間ぶりに息子の顔を見ました。

いつものようにスタンプで顔を隠しては意味がないので、ブログに貼り付けるのをやめましたが、

満面の笑顔、ルールメイトや仲の良いお友達との、本当に楽しそうな表情。

この三週間、どんな思いを重ねて乗り越えてきたのだろうかという息子の努力を垣間見た気がして、

この三週間、連絡もままならず、ひたすら「うまくいってる」と念じるように信じるしかなかった自分自身の緊張の糸も解けるようで、

やっとホッできました。

息子の表情が見せられないので、代わりに、一番仲の良いお友達の写真を貼り付けます。
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彼は、この6月に高校を卒業して、来年4月から日本の大学にくるそうです。

そのため、日本語勉強中ということもあり、いい相手になっているようでした。

大学も、我が家とは至近距離なので、来日の折には、私も出来る限りのことをしてあげようと思います。

再び、スマホと ”さよなら” しなければならない2時間前には

この彼とも話すことができ、見かけより(?)可愛らしい声の子で、

とっても愛しくなりました。

SIT(Staff in tranning)として息子を助けてくれていることにもお礼をいい、

日本で待っているね、と言って彼との会話を終えました。

ここでのサマースクールも、後半のSession2に入りました。

また連絡が不自由になりますが、私もこの状況にだいぶ慣れたので、もう少し楽に乗り切れそうです。
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さて、また、息子の元へ送る荷物づくりです!



準備

帰国したばかりだけど、

再渡米の準備。
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日本の運転免許も、今年が更新時期だったので、

ついでだから一緒に。

出来る時に出来ることしておかないと。

息子を旅立たせた母の心境

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ちょうど2週間・・・

異国の地での孤軍奮闘が始まった息子。

一人でアメリカで頑張り始めてちょうど2週間が経ちました。

「いずれ、海外へ」と漠然と考えていた息子の進路が、

明確に、そして急展開を見せたのは、わずか10ヶ月前のことでした。

そう、一年前の今ごろは、まだ「いずれ」だったのに、

今、もう、息子は、家族とも離れ、友達とも離れ、文化も習慣も違う国で、

たった一人、頑張っています。
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私にとっても、「いずれ」という思いと、「いずれ行くならできるだけ早い方がいい」という思いの中で、その頃合いはいつなのか悩んでいました。

その期間も、一年なのか、二年なのか、大学はどうするのかなど、「絶対これ」という唯一の答えなどないことは承知の上、ただ、決めるとすれば、息子自身が「行きたい」と思った時が、ベストのタイミングだろうとは考えていました。それも漠然と・・・。

「来年からアメリカの高校に行く」

息子の決意と共に始まった準備。
「無我夢中」とはまさにこのことを言うのだろうという10か月を経て、

先月末から、息子はアメリカで過ごしています。

参加したサマースクールがとても厳しくて、

スマホもパソコンも本部に預けなくてはならず、

6週間、連絡方法は国際電話か手紙という、

今どきにしては珍しいアナログの生活。
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サイトなどで様子を見ることもできず、

大事な大事な一人息子だというのに!

私が帰国して、9日目にやっと声を聞くことが出来ました。

「便りのないのは良い便り」と思っても、心から、そんなふうには思えません。

言葉もまだ不自由なのに、しかも日本人が一人で大丈夫なのか、

衣類は足りているのか(寒さや暑さに対応できているか)、風邪は引いていないか、食事は、飲物は・・・

ムシに刺されて腫れたりしていないか、鼻血はでていないか・・・などなど、

もうきりがないほど心配しました。

でも、9日ぶりに聞いた声は、とても元気そうで、「何か苦しいことはない?」
と聞いたら、「コミュニケーションがまだね・・」といいつつ、

「でも楽しいよ。アクティビティも楽しいし、みんな優しいし」

「頑張れそう?」

「うん、頑張れそう。あ、日本食と日本のお菓子がなくなりそうだから、送って。あとお箸も。それと、Beethovenとドゥビッシーと、ショパンと・・・」と必要なものをあれこれ私に「指示」し、

元気な声で電話を切りました。

緊張でこわばった顔で私と別れて、

日本への連絡も不自由で、英語も十分に話せなくて、

ツライ思いをしているだろうな・・と思っていましたが、

(もちろん、ツライことはいっぱいあると思いますが)

子供の順応力には驚くばかりです。

あのまま日本にいても、それなりの進路を歩んだろうと、今でも思います。

一方、一人息子で、目が行き届いてしまうことにも不安があり、

この先、この子に必要なことは、私と離れること、自分の力で乗り越えていくこと

と思いながら子育てをしていたことも事実です。

「一人っ子なのに、よく手放した」と言われますが、

「一人っ子だからこそ」母子分離は早い方がいいと、私は思っています。
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ただ、誰でも、どの家庭でも同じようにすればよいかといえば、そうも思いません。

わずか14歳で、最愛の息子と離れる決意が出来たのは、
・息子自身が決意したこと
・当然、この先の目標は変わるかもしれないけれど、少なくとも今の時点での息子の将来の目標を考えると、なかなか日本では十分な環境がなく、海外へ行った方がよい、それならできるだけ早い方がいい

というのが、理由であったと思っています。

何より、本人が自分の将来の、自分の人生のために決意しないことには

どれだけ周囲が無理強いしても、どうにもならないと、私は思うのです。

親ができることは、自分自身の将来像を描ける子供に育てる事であろうと思います。

もちろん、それは母親一人ではできません。私も色々な人の力を借りて、

母親ではできないこと、気づかないことを、たくさん息子に与えていただきました。

黙っていても子供は育つかもしれませんが、

意識をすれば、意識をした分も育つ、と私は思っています。


さて、息子を送って帰国した翌日から、

私も新しい職務が始まりました。
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三井住友建設株式会社の社外取締役に選任いただき、

最年少、紅一点の取締役として、非常にやりがいのある職務を与えていただいています。

これまでの仕事ももちろん続けますので、

二足?三足?四足?・・・の草鞋、

息子にとっても、私にとっても、新しいスタートとなりました。

もちろん、夫にとってもですね。

「老」?夫婦の生活が、こんなに早くにくるとは思わなかったのですが、

結婚20周年の節目も何とか通過できたので、

息子も夫も私も、それぞれが、自分の人生を満喫できるよう、
お互いの力を借りながら、がんばっていきたいと思っています。
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細川珠生 ブログ


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