人生の”迷い”
2019年 12月 15日
カトリック信者になって、33年が経ちました。
もしかしたら、今が一番、熱心に教会に通っているかも。
日曜日の朝、ちょっとゆっくりしたいな、と思う気持ちを抑えて、教会に行くと、
なぜだが、その時の私の心にストレートに響く聖書の言葉が読まれるのです。
どれだけ心の内を隠そうにも、神様にはバレバレだと思うことが多く、
今日もそうでした。
今日の箇所は、要約すると、こんな感じ。
「救い主であるイエスの到来を前もって準備し、信じて疑わなかったのに、それによって、ヘロデ王に捕らえられ、牢に入れられた洗礼者ヨハネは、本当にイエスは自分が待ち望み、信じていたイエスなのか、この道を選んだ自分の人生はただしかったのだろうかと迷いが生まれた。洗礼者ヨハネは自分の弟子をイエスのところに派遣し、『来るべき方はあなたなのか』と質問させた。イエスは自分が行い、洗礼者ヨハネの弟子たちも見たであろう奇跡や行いの事実を伝えるようとに答えた。その後、イエスは自分の弟子に、洗礼者ヨハネの偉大さを伝えた」
聖書は解読するのがとても難しいので、その後の司祭のお説教で、その意味を理解します。
それによれば、
洗礼者ヨハネは、自分が選び、歩んだ人生に迷いが生じるという意味の箇所。
人は誰でも、失敗したり、自分自身に失望したりしても、それでも「探し続ける」「行動し続ける」ことでしか、未来を見出すことはできない。
失敗や挫折を自分の言葉で語れる人ほど、未来を見出すことができる。
人生には「無駄」と思うことが山ほどあるけれど、無駄だと思うことをした分だけ、それは未来の宝になる。
というものでした。
また、今日読まれた別の聖書の箇所には、このようにも書いてあります。
「農夫は秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなた方も忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。(中略)裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです・・・・」
人生の経験に無駄はない。忍耐は実りをもたらす。
色々あった今週、この言葉は私の心にしみわたりました。
神様にはバレバレだけど、それはちゃんと見ててくださるという信頼と安心であり、
それで、また「頑張ろう」って思えることで、
私自身はずっと救われてきました。
信仰する宗教を持ててよかった。
カトリックとの出会いに、心から感謝します。



