選挙総括
2017年 10月 24日
第48回衆議院総選挙の結果が出ました。
選挙総括の原稿も書かなくてはならないので、後々、それをこのブログでも紹介するようにしたいと思いますが、
ひとまず、簡単に私の見解を述べたいと思います。
私は、反安倍でも親小池でもありません。政策も戦略も是々非々と考えています。
ただ、一つ、私の基準にしているものは、政治は政治家のためにあるものではなく、
国民のためにあるもの、そのための選挙も主権者たる国民のためにあるもの、
その基準に照らし、国民のためにならないことであれば、
誰の何のことであろうと徹底的に批判し、
国民のためになっていることは、徹底的に評価をするというスタンスです。
その判断基準で考えると、今回の選挙は、国民のためになっていたとは思えません。
解散権は総理の専権事情と、「関係者」は言いますが、
総理大臣は、私たち主権者が「代理人」として選んだ議員から選ばれれただけであり、
絶対権力者ではありません。
今回の選挙のように、野党の準備不足の隙をつき、国会での追及を避けるように、
今なら勝てると判断した選挙は、私は権力者の横暴であったと思っています。
「自公で3分の2超」の議席確保は、他の選択肢がよくわからなかったためという
消極的な支持も含まれていると考えるべきでしょう。
それでもその先に、私たち国民にとって、どうしても実現しなければならない政策があり、
そのために国民の意見を聞く必要があるというのなら、それも国民のためと考えることができます。
ではそれは何を提示したのかといえば、国難としての北朝鮮対応と少子化問題でした。
北朝鮮対応については、具体的に国民のどんな判断を求められていたのかよくわかりませんでした。
少子化問題については、徹底的な子育て支援をすることで少子化を突破したいということのようですが、少子化などもう止めることはできないのです。
政府が目標としている1.8という出生率は、今から34年前の数値。
人口増のためには、2.08以上必要と言われていますが、
昭和50年の時点ですでに2を切っています。
今から42年前、私が小学校に入学した年です。
しかも、具体策として挙げた幼児教育の無償化、高等教育の無償化は、
その無償化する教育の中身が何かもわからず(かえず)、
それによって、どんな風に未来が変わるのかも不明でした。
政治ジャーナリストとして、政治をフィールドに日々取材をしている私でも、
今回の選挙は正当性を欠き、争点もよくわからない選挙であったと感じています。
ただ、唯一の争点と呼べることがあるとすれば、
それは「傲慢か謙虚か」であったように思います。
理由や状況はどうあれ、「排除」という言葉を使った傲慢な小池氏、
排除されてかわいそうな枝野氏、
小泉進次郎氏を前面に「反省」をアピールすることで謙虚さを見せた(ような)自民党、
偶然かどうかわかりませんが、「偉そう」「かわいそう」「反省してそう」という
「情」に訴える選挙であっただけではないかと私は分析しています。
全ての党の公約を読み込んだ私でも、
政策で選ぶことなどできない選挙だったと思うからこそ、
選ぶ基準は、そんなところにあったのではないかと思っています。
私は小池氏の、政党は、根幹の考えが違う人とは一緒にできない、という考え方は正しいと思っています。排除という言葉も、元々自ら小池氏が使った言葉ではないのですが、
それでも「うっかり」言ってしまった気のゆるみがあったのでしょう。
安倍総理の「こんな人たち」や菅官房長官の「怪文書」発言、
総理や与党閣僚たちのゆるんだり、おごったりする国会答弁、
どれも国民を不快にし、心が離れていきました。
言葉はとても大事、政治だけでなく、人間社会全体に言えることでもあります。
一方、政治は、もっと政策で勝負できるものになってほしい。
有権者も、もっと政治を勉強し、社会を勉強し、
自分の頭でしっかりと判断できるようになる努力も必要です。
メディアの在り方の問題も、深刻度を増しています。
自浄作用がなかなかききませんが、それだけをせめていても仕方ないのです。
有権者一人一人の、毎日の努力こそが、この国をよくしていく、私はそう思っています。
さて、この数週間、息子の中間テストも重なり、変則的な毎日の中で、
アルコールを摂取する体力の余力もありませんでした。
やっと昨日、大好きな「アサヒスーパードライ」を飲もうと思って買ったら、
「Winter Special Package」になっていました! もう冬?!