私は今、猛烈に悩んでおります…。
病める現代日本が抱える死活問題といえば
はい、もうアレしかありません。
吉野公佳AV問題。
思えばキャリアの最初から
どこか亜空間を感じさせる存在ではありました。
グラビアはともかく、テレビや女優の仕事は思うほどぱっとせず
「エコエコアザラク」の呪文を唱え始めたあたりから
急速にダーク・フォースを身に纏っていった彼女。
無論その“陰”は彼女の魅力そのものであり
我々ファンはそれゆえに虜になったのであります。
でもね…でも。
壊れそうな人が実際に壊れてしまう姿
というのは、見ていて本当に辛いものです。
例えば戸川純。
どこまでも陰鬱な彼女が放っていた吸引力というのは
「壊れそうだけど壊れない」という微妙なバランスによるもので
妹の死という、残酷な形で訪れたその均衡の崩壊が
彼女を芸能界から去らしめたという厳然たる事実を前に
我々は無言で立ちすくむほかないのであります。
我々は果たして
吉野公佳AVを買うべきなのか?
ひとたびパンドラの蓋を開ければ
自分の中の何かが確実に壊れてしまうことはわかりきっている。
しかし、この問題を素通りしたとして
それは本当に人生を生きていると言えるのか。
ジョン・アーヴィングが『ホテル・ニューハンプシャー』で示した教訓
「開いた窓の前で立ち止まらないこと」
その根源的な問いが、今再び我々の前に立ちはだかろうとしています。
まーしかし、よくよく考えてみますと
すでに吉野公佳は『極道恐怖大劇場 牛頭』で
出産シーン(しかも産むのは赤ん坊ではなく大人の哀川翔)を演じている訳で
AVにそれ以上のモノがあるはずないんですが。
さてさて、ここに問題を抱えた女優がもう一人…
レプリカント広末。
結婚・出産・離婚という一通りのルーティーンをこなしたにも関わらず
微動だにしない彼女のアンドロイド性が私は昔から非常に苦手で
熱狂的ファンの友人とこの話をするといつも
「朝まで生ヒロスエ」が始まってしまいます。
しかしそんな彼女の無菌的ルックスが、珍しくプラスに働いている映画を見ました。
「納棺師」という特殊な職業を描いた
『おくりびと』。(ふー。何とか繋げたぞ、何とか)
モッくんとヒロスエの夫婦ですからね…
ブサイク中年としてはこの時点で「もーやってらんねー」とゆー感じなんですよ。
ダンナはチェリスト(を辞めて納棺師になる)、奥さんはwebデザイナー。
清潔感を通り越して人間離れしている。
ロボですよロボ。ロボ夫婦。
しかしですね、ここにあるドラマが生まれるんです。
ある偶然から納棺師の仕事に就いてしまったモッくんが
いよいよ初めて人間の死体と対面することになるんですが、これが…
死後2週間放置された孤独死の老婆。
その一日散々な目にあって、青ざめた顔をして帰宅するモッくん。
またこの日にかぎって、晩御飯が鶏すき。
大皿の上にきれいに乗っかった鶏のバラバラ死体を見て
思わず吐きそうになるモッくん。
夫を心配して駆け寄ったヒロスエに
いきなりむしゃぶりつくモッくん。
当惑し、恥ずかしがるヒロスエの服をムリヤリ脱がし
涙に濡れた顔を妻の体にこすりつけるモッくん。
ヒロスエのおっぱいも(ブラの上からだけど)揉むモッくん。
ヒロスエの横パン。
ヒロスエの横パン。
ヒロスエの横パン。
ヒロスエの…
生まれて初めてリアルな死に触れ、恐怖とともに生殖本能が刺激されるという
ベタっちゃベタな展開なんですが
これがいいシーンなんですわ〜。
今までロボ面してた2人が、ここで急に人間に見えてくるんです。
モッくんだってヒロスエだって、悩みもするしセックスもする。
俺はお前らが大好きだぁぁぁ!!!
といきなり宗旨替えをした私。
残りの時間、思いっきり楽しんだことは言うまでもありません。
脚本は、放送作家の小山薫堂。
『料理の鉄人』とか『カノッサの屈辱』とかを作った人です。
秋元康とかおちまさととか
売れっ子放送作家ってなんか無条件にむかつくんですが
映画が面白いんだからどうしようもない。
「ここでもう一押しされたら、確実に泣く」ってとこで
毎回きっちり突いてくるんですもん。
加藤鷹にイかされる女性たちも
こんな気分なんでしょうか・・・。
笑いと泣かせの緩急もバッチリで、初脚本とはとても思えません。
そのソツのなさが鼻につくっちゃつきますが。
今年の邦画は面白いのが本当に多いですが
一番賞を取りそうなのはこれかなぁ、やっぱ。悔しいけど。
ちなみに最初に「納棺師の映画を作りたい」って言い出したのは
モッくん自身らしいですよ。
さすが、バケモノ家族に婿入りした男だけのことはある。
本物だ!
(9月13日公開)
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昔は父親の稼ぎが少なかったので
↓主に母親が葬儀屋で働いた金で育てられた私。