人間とはなにものか@夜と霧

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ウィーンに生まれたヴィクトール・E・フランクルはユダヤ人。
著名な精神分析学者であった彼が家族と共に逮捕され
送られたナチス強制収容所。
その体験を彼の冷静な観察眼で心理状態を分析し綴った本。

この本を知ったのは
アウシュヴィッツ強制収容所の三冊の回想録
という記事。

そして夫に尋ねると、やはり持っていた。
彼は読書家で、かなりの本をすぐに処分してしまうのだけど
好きな本は手元に置いているので、きっと持ってる気がしたのだった。

この本は、3つのパートに分かれている。

●収容されるまで
●収容所生活
●収容所から解放されてから

それぞれの状況と心理状態などを本当に冷静に描いている。

彼にとっての体験なので、
これが全ての人に通じるわけではないと述べているけれども
彼のすばらしい文章を読み進んでいくことで
これまでは「アウシュヴィッツのやせ細った人びとの写真」を
悲しい戦争の写真と捉えていた自分が
そこにいた一人一人の人間を想像しようという気持ちに変わっていった。

本文の中でいくつか特に印象的だった部分をいくつか。

突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、
とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。
太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
何年ものあいだ目にできなかった美しい自然。
それは彼らの中でなににも代え難い芸術として写り
その瞬間は、恐怖を忘れさせてくれたそう。


人間はひとりひとり、
このような状況にあってもなお、
収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、
なんらかの決断を下せるのだ。
典型的な「被収容者」になるか、
あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、
おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
収容所に入れられ身ぐるみはがされ頭髪も剃られ
ボロボロの服とそこについた番号だけになってしまった彼ら。
自由も尊厳も放棄して単なるモノとして堕落するのは簡単だし
言い訳にもなる。

たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは奪えない。


極限状態でも他人に思いやりの言葉をかける人。
なけなしのパンを譲った人。

彼は収容されている側でない人びと(医師や監督など)の中にも
すばらしい人がいたと書いている。

まともな人間とそうでない人間しかいない。
そしてそれはどこにもいる。

生きることがわたしたちからなにを期待しているか
その意味は人によって異なるし状況によっても変わってくる。
それを考え続けられれば絶望から踏みとどまることが出来て
希望が生まれる。

すばらしいことをたくさん教えてくれた本。
ありがとうございました。
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