ライヴの日、土浦ローガンズのこうちゃん、
湯原先輩がピアノを弾いてくれた。
2曲洋楽ナンバーから、
『太陽は燃えている』『ア プレイス イン ザ サン』
こうちゃんと会うのも久々で
リハーサルで何回か唄っただけで本番だったけど
俺はバンド時代からこうちゃんのハモンドが大好きだったから
あの日はピアノで歌えて嬉しかった。
俺が東京にでてきた頃は、
すでにこうちゃんは東京で活躍してた。
こうちゃんのピアノは独学で努力の賜物。
俺からしたらあこがれだった。
あの日は久々の南青山が懐かしかったようで散策してた。
予定では、土浦ローガンズのリーダー宮崎正光さんもライヴに来るはずだった。
急な仕事でライヴにいけなくて悔しがっていた。
イケメンじゃなくてウケメンねらいの先輩は、
俺の大切な人…
俺が高校一年のときに、
当時バンド活動していた宮崎先輩にヴォーカルとして誘われた。
俺が持っていない洋楽のレコードをたくさん聴かせてくれて、毎日が楽しかった。
息子のように宮崎家に入りびたり、
バンドメンバーはみんな先輩だったから色んなこと教えてくれた。
今でも宮崎家のおじさんは俺を「次男坊(宮崎家の)」と言って迎えてくれる。
あの日がなかったら、
俺は夢を実現したいと東京にでていくことはなかったと
間違いなく言える。
あの日があったから…
そういうこと、みんなあるはずだよな。
今、俺が小脳梗塞の後遺症と闘いながら歌い続けていること・・・
いつか、あの日があったから・・・
そう言えるような日がくると信じたい・・・
そう言える俺でありたい・・・そうあってほしい。
ぶっちぎるぜ!