劇場紙風船 TEXT+PHOTO by 河内山シモオヌ

演劇の目で観たスポーツ 終わりに (後編)

いつも正しい言葉とサッカー(前編)

フランス語の先生とイスラム
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 東京にあるフランス語の教室に通っていた頃の話だ。夏休み明けのクラスを前にして、アメリカの同時多発テロがおきた。
 当時私がついていたフランス人の先生は、大変熱心な方で厳格を極めた授業方針があった。ホワイトボードは、彼女が書き続ける応用文や類似表現でいつも灰色に埋まる。そして時間内に彼女が伝えたいこと、生徒に理解してほしいことからずれた質問が出ると、先生は「…コモ…コモン…?」とものすごく困った怪訝そうな顔をして、少しの間固まっていた(溶けた後で懇切な説明がある)。そのリアクションは「優シクナリマシタ」からなのだそうで、フランスにいた頃は鞭を携えて教壇に立っていたらしい。金髪で長身、ドイツ人にも見える先生の容貌。そして鞭。若き日の先生は、映画に出てくる女将校のようだったのだろうか。

 さて、授業の前には日常の出来事について話すのが通例だった。ここでは最近学んだことを取り入れた、よりフランス語らしい頭で語ることが強く望まれる。そうしなければコモンと気まずい静寂が訪れる。
 9月のこの時、何か意見を聞かれるかもしれないと私は焦った。コモンを引き出さないよう、メモを書いていく。が、結局その話題には触れずにクラスは終わった。
 文法だけでもチェックしていただけたら、と思いメモを差し出したところ、先生は「てーまガ難シイカラ、ヤラナカッタネ」とにこにこしながら、くだけた表情で、アルジェリアと旧領主国フランスの関係をゆっくり話してくださった。イスラム教徒が9割以上を占めるアルジェリアが、90年代初頭のイスラム原理主義政党「イスラム救国戦線(FIS)」勝利で迎えた混沌の時代にはじまり、パリ市内で多発したテロの記憶。またフランスだけでなく、ヨーロッパが晒されてきたテロの恐怖について。そこからモスレムに対するどんなステロタイプのイメージが、人々に生まれたか。
 
 先生の話よりはるか前の時代、ヨーロッパがイスラム文化圏についてどう感じていたかは、フィクションの中で描かれたムーア人の姿から窺い知ることができる。そこには「どのみちやるつもり」という強気な姿勢を保ち自信にあふれ、うすく油を引いたような強い肌や独特の匂いなど、自分たちとは異質の魅力を持ったムーア人(人種はコーカソイド地中海集団に属する)に、何もかもぶんどられるのではないかという畏怖の念と、彼らの築いた豊かで高い文明への憧れがある。もちろんラストは、自分たちヨーロッパの勝利で最高に都合よく終わる。マルセイユ出身のマリウス・プティパによる振付で、中世フランスのプロヴァンス地方を舞台にしたバレエ『ライモンダ』が好例だろう(初演は1898年、ペテルブルグの帝室マリインスキー劇場にて)。

 ジダンの頭突きを誘った発言の中身が取り沙汰された頃にこんなことを考えていたら、FIFAは20日、両者に出場停止・社会奉仕・罰金などの処分を科す声明を出し、発言は差別を含んだ内容ではなかったと否定した。
 マテラッツィの言ったことは、読唇術でほぼ明らかになっている。その一つ、イタリア語の「サノバビッチ」を聞いて、映画『7月4日に生まれて』を観た時のことを思い出した。主演のトム・クルーズが吐く英語の罵詈雑言は、ヴァリエーションが少ない。個人的な関係がある相手を罵る言葉も、卑猥なワードばかりで独創性がなかった記憶がある。
 現実でも、最低のコードとして有名な「サノバビッチ」など、ほとんどそのままパロディになっている(写真:私物)。観光地に来たゆるい身体によくなじんで、誰でも陽気な雰囲気を演出できそうなアイテムだ。
 「俺の女がハワイに行って、買ってきたのがなんとこのクソTシャツ1枚」というプリントも持っているが、こういうのより「サノバビーチ」Tは他愛のなさで圧倒している。世界的悪口は、それを知る大勢の人間、おそらく億単位の人を瞬時に笑わせるパロディを生んだ。
by kouchiyama-simone | 2006-07-31 23:59




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