劇場紙風船 TEXT+PHOTO by 河内山シモオヌ

演劇の目で観たスポーツ 1 フレンチオープンテニス

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 1年前の話になるが、2005年の5月末から2週間、ある人の随行でパリに行き、ローラン・ギャロスでフレンチオープンテニス男/女シングルスファイナルを観た。

 テニスの放送を観ていると、選手がボールを打つときに漏らす「ああっ」という声には、演劇にはない何とも形容しがたい響きを感じる。時にエロティックだとも言われている。  

 現場で「ああっ」はどう聴こえるのか。
 放送では比較的大きな声しか拾えないが、「んぁっ」や「ほひっ」といった小さな声も会場では耳に入ってくる。それは力を込めてハードヒットしようとする瞬間、力の塊が小さく破裂する音のようだった。特に淫靡ではなく、放送で観る時とずいぶん聴こえ方が違う。
 種明かしは多分「ああっ」の少し後に映る、ポイントを取った選手のすごい顔、特にガッツポーズのアップだ。声が妙に聴こえるのは、おそらく「ああっ」+アスリートのアグレッシブな表情や隆起する筋肉のアップを繰り返すという、現実を音声と映像で切り出し重ねることによって出てくる、フィクショナルな面白さである。

 声の出始める瞬間とボールをヒットする音のタイミングは、選手によって異なる。打つ瞬間は無言で、ラケットを振り抜いてから「ひいっ」と声を出す人もいる。が、たいてい声の方がわずかに早い。ボールの力に押されると、ほぼ同時になったり、自分のパターンでポイントが取れない状況が続くと、声のトーンが下がったりする。ヒッティングそのものの音も、選手のゲームの組み立てで変わる。それに気づくと、より攻めている側の選手が「こう変化させたい」と思っているリズムが、ボールの回転や強さやスピード(目)で確認する前に、少しずつ感じられるようになる。
 組み立てがうまく行った時に実際に起こるリズムの変化は、天才的な才能と努力して身につけた技術の上に成り立つ、とてつもない即興だ。CDを買って音楽を聴く以外にも、リズムを感じる方法はこんなふうにたくさんある。むしろCDだけに頼ると、感受できるリズムは限られてくるはずだ。

 「フィクショナルな面白さ」は、映像のほかにも見つけることができる。
 上の写真は会場で売っている日刊誌の表紙だ。パリ5区の学生街、カルティエ・ラタンそのままのタイトルで「スペインとアルゼンチン、ラテン系二人の魅力に占められたすてき対決」という方向で切り出している。
 こちらは面白いというよりゆるい。最終号で編集部が力尽きエスプリを見失ったというより、こうしたゆるさや駄洒落はごくふつうのセンスで、まだまだ私が「シェー」のイヤミ暦から抜けきれない目でフランスを見ようとするから、若干の驚きを感じるのだろう。 

 2005年の男子シングルスは、19歳・初登場のラファエル・ナダル(スペイン:表紙右上)が優勝した。
 ナダルの打つボールを観ていると、スピンに細かく変化をつけているのがわかる。そのうちの一つはベースラインを大きく越えてしまうのではないかと思う高さで飛ぶが、突然軌道が変わりコートの深い位置に入る。ギュルギュルとスピンのかかったそのボールは、見るからに重そうでしかも速い。回転をかけて打つと通常ボールのスピードは遅くなるという私のぼんやりした認識も、ボールと一緒に気持ちよく飛んでいった。

 この猛烈なスピンをかける、頭上に振り上げるようなフォアハンドストローク、強い脚、伸びる肘、打つ瞬間の右手の「4」に似たかたちなど、ナダルは影を観ても「ナダル」とわかるフォームを持っている。ボールへの反応も大変速い。セット後半になっても速さは衰えない。
 身体は後ろ全体が、ぶ厚くて新しいゴムみたいだ。特に有名な、ぷりぷりのブドウを半分に割って背中あわせにくっつけたように丸く盛り上がった尻の筋肉は、客席から肉眼ではっきり見えた。この頃すでに身体つきが話題になっていたが、それでも今年に比べれば、まだほっそりしている。

 たまに問題視されているナダルの「ルーティーン」と呼ばれる儀式的な動作は、多くて長いのでたしかに目立っていた。靴下上げや、サービス時に3つのボールを取り寄せ2つを選ぶ身体の動き…こちらのリズムは、きっかりしていて変わらない。
 フェルナン・レジェの実験映画『バレエ・メカニック』(1924年)は、リズムやかたちの似たもの同士を編集した11分の映像だ。ナダルのルーティーンに似たリズムを持つものも、この中にあるかもしれない。

 さらに今年のフレンチオープンテニスをテレビで観て、ナダルは映像向きの人でもあることに気づいた。
 クレーコートは長いラリーが続きやすい。足の動きは土の滑りを利用するのだが、それでも取れなさそうな、難しい位置に飛んでくるボールに「うわー届いてる、しかも返したショットがハードヒットでウィナー」という驚き。この時現場では力がどう連動しているのか、細かい部分までは捉えにくい。さっきも書いたように音で読み、ボールの軌道や相手の対応を観て、どんな攻めだったのか自分で補うことになる。が、スロー映像ではラケットのあわせ方や打点、抜群のコントロール、それにラケットのグリップが細めなことまで手にとるように観られる。
 また試合中、ナダルはバモースと吠えガッツポーズも見せるが、ウギャアと切れる方向にはメンタルがいかない。休憩の間は客席からだと、バナナをよく食べ、水の置き場所に気を遣う落ち着いた若者に見えた。ところがひとたびカメラを通せば、矢じりみたいな鋭い表情や、相手を徐々に破壊していく精神力のありようが、アップや編集で強調されて伝わってくる。

 私は今回、WOWOWの放送をいくつか観た。身体がこう動いて、力がこう加わると回転はああなって土のバウンドがこうなって、結果あそこへあのようにボールは行く。それをこう切り返すなんて信じられないが、この選手はおそらくこういう理由でできていると、ていねいに解説しているゲームもあった。
 人間の身体は、そんなふうに動かないはず。ボールはそんな軌道で飛ばないはず。今のテニスの趨勢と違うから、そんなプレースタイルの選手はいないはず。もっともらしい、さまざまな「はず」が、ただの自分の思い込みだったと知らされる。トップアスリートの試合は、その連続だ。

…この記事続く
by kouchiyama-simone | 2006-06-16 09:42




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