48 短編集に収録される作品の数
短編集のペーパーバックだけを選び出し、別にしてみた。たいへんな冊数だ。積み上げると二十メートルにはなるだろう。どの一冊も読んではいない事実に、感銘のようなものをいま僕は感じている。短編集だけを読み続ける、という読書は充分に成立する。報われるところは多いのではないか。
積み上げて二十メートルの高さのなかから、ここにある七冊を選んでみた。選んだ基準は、収録されている短編の数だ。もっとも少ないのは、四人の作家による四つの短編を一冊にした、『フォー・バイ・フォー』というグローヴ・プレスのペーパーバックだ。十編を収録したものが二冊、そして十二編、十三編と小刻みに増えていき、二十編へと跳ね上がったあと、五十編へと到達している。
一冊の短編集のなかに五十編とはかなり多いようにも思うけれど、おなじバンタム・ブックスからペーパーバックになっている短編集のなかには、七十五編を集めたものもある。『五十編の偉大なアメリカの短編』は、編者が序文のなかで述べているとおり、アメリカでなされた文学の推移を見渡す一冊となっている。これはぜひ読もうと思っている。最近なにか面白い本を読みましたか、と人に訊かれたとして、「五十の短編小説を読みました」と答えるのは、なかなか渋そうではないか。
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by yoshio-kataoka
| 2006-12-04 11:34
47 一九六十年代の五冊のミステリー
ニコラス・フリーリングの一九六十年代の作品が五冊ここにある。作品の数はもっと多いが、僕のところにあるペーパーバックの山のなかから見つけたのは、ひとまずこの五冊だ。五冊ともバランタイン・ブックスからペーパーバックになった。ほぼリアル・タイムで手に入れ、そのたびに気になっていたのだが、いまにいたっても読んではいないまま、こうして五冊を眺め、そのことを楽しんでいる。
年間最優秀ミステリー長編で、一九六七年度のエドガー・アラン・ポー賞を獲得した作家だ。二十代の前半から後半にかけて、ニコラス・フリーリングのような作家のミステリーに夢中になっていたなら、その後の僕はひょっとしてミステリー作家をめざしたかもしれない、などといま僕は思う。めざすのは勝手であり、ミステリー作家になれたかどうかは、まったくわからない、なんとも言えない。
書き手のひとりとしての進むべき方向に関して、二十代に熱心におこなう読書によって、ほぼ決定的な影響を受けるというようなことがもしあるなら、読まなかった本、あるいはどんな本にせよとにかく読まなかったそのことによっても、決定的と言っていいほどの影響を、書き手という種類の人は受けるのではないか。
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by yoshio-kataoka
| 2006-11-27 11:24