ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

10 デニスとのつきあい

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 ヘンリー・ケッチャムの『デニス・ザ・メナス』というカートゥーンが、アメリカ各地の新聞にシンディケートされたのは一九五一年からだ。当時はポスト・ホール・シンディケートといい、のちにホール・シンディケートと名を変えたシンディケート会社が、配信を引き受けていた。カートゥーンとは、ひとこまの漫画に一行から三行ほどのキャプションをつけたものだ。
 フォーセットのクレスト・ブックから刊行されていたデニスのカートゥーン・コレクションが、ペーパーバックの山のなかから七冊見つかった。もっとあると思う。最初はエイヴォンから刊行され、のちにはポケット・ブックからも出ていた。ここにあるこの七冊は、一九五九年から一九六七年にまたがっている。一九六十年代の前半までは古書店で買い、それ以後は新刊で買っていた。
 一九六七年に出たデニスの謎々の本は、なかにぎっしりと詰まっている謎々が懐かしい。子供の遊びとしての謎々だ。その多くは言葉遊びであり、いかなる謎も言葉の頓智感覚で正解を導き出しては、難関を切り抜けていくのだ。「アリゾナの所有者は誰か」という謎々を、僕は久しぶりに思い出した。この謎々は、音声としてのアメリカ英語の基礎だと僕は思う。この謎々が瞬間的に解けない人は、英語を知らない人だと言っていい。「チーズの半分によく似たものはなにか」という謎に、正解することが出来るだろうか。
 いろんな雑誌や新書にさまざまな文章を書くフリーランスのライターをしていた頃、ペーパーバックのカートゥーンをよく読んだ。神保町で仕事をして一日を過ごし、夕食を食べたあとの時間、どこでもいいから喫茶店に入り、当時の苦いコーヒー一杯をテーブルに、七時あるいは八時といった早い閉店時間まで、僕はカートゥーン本を読んだ。二冊も読むとコーヒー・カップは空になっていた。渋谷行きの都電の最終に乗り、やや時間はかかるけれどひとまず渋谷まで帰るとそこはまだ宵の口であるという、フリーランスつまり日雇いあるいは時間雇いの青年の日常だった。
by yoshio-kataoka | 2006-06-02 11:20





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