ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

050【ソルトスプリング島、水上飛行機、Wisteriaの朝食】

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 先週はホノルルに、一昨日までバンクーバーに、そして今はソルトスプリング島へやって来ている。
 今、金曜日の朝。
 「Wisteria」というB&Bに泊まっていて、オーナーのベヴァリーが作る滋味なる朝食が9時きっかりにサーブされるため、早起きして準備を整えている。「できたて」にこだわるベヴァリーは、宿泊客の朝食の遅刻を許さないのだ。
 ニューヨークのフォーシーズンズ・ホテルでパティシエとして働いていたこともあるベヴァリーの朝ご飯は、この宿のハイライトでもある。僕の部屋はコテージルームでキッチンつきだから、安くすませたければ自分で朝食を作って食べればいい。でも、ベヴァリー手作りの朝ご飯を食べないわけにはいかない。とにかく美味しいし、美しいのだ。そして、滞在中毎日メニューが違うのが嬉しいし、驚いてしまう。
 それでなくても、この島の朝の空気と景色は素晴らしいから、早起きして辺りをのんびり散策しないわけにはいかないし、そうやって早起きしていると、ふだんは食べない朝ご飯をしっかり食べたくなってくる。
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 サマータイム、緯度が高いこの辺りでは日に日にサンセットの時間が遅くなっていて、昨日も10時過ぎまで明るかったし、トワイライト・タイムは10時半過ぎまで続くだろうか。だから、夜の時間を屋外で過ごすのが楽しい。このアフターファイブの楽しさは日本には決してないものだ。日本はどちらかというと赤道に近い国であって、日没はあっという間。太陽はすとんとあっけなく沈んでしまう。北海道ならサマータイムも可能かもしれないけれど東京や大阪でサマータイムは物理的に不可能というか、難しいだろうと思う。
 この辺りは北緯49度だから、アフターファイブが何時間もあるという感じ。緯度が高いから太陽がなかなか沈まないのだ。いつまでも、いつまでも、名残惜しそうに太陽は空にいる。午後8時、9時といった時間にカフェやバーの外のテーブルにいるのが心地いい。となると、まるでスペイン人のように夕食が始まるのがさらに遅い時間になり、就寝時間がどんどん後ろにずれ込んでいく。でも、朝は朝でこうして早起きして過ごしたいわけだから、旅行者は寝不足気味になる。
 もちろん僕は取材で訪れているわけだから、寝不足になっても文句は言えない。
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 今朝は、にぎやかな鳥たちの声で目覚めた。
 コテージの玄関脇の窓が網戸になったままで(閉めるのをすっかり忘れていた。朝、ひんやりした風が流れ込んできていた)、その窓のすぐ向こうは林だから、早起きの鳥たちの声がにぎやかに入ってくる。目覚ましが鳴る前に、その声で目覚めたのだ。鳥の囀りで目覚めたなんて書くと、なんて優雅なんだろうと自分でも恥ずかしくなってしまう。でも本当にそんな感じだった。たった今、空を、つがいの大きな鴨が飛んでいった。大声で啼きながら。
 鳥に継いで早起きなのは猫たちだ。
 この宿には6匹の猫と、2匹の犬がいる。これを書いている今も、窓の外の草の上を、次々と猫たちが歩いていく。草を食べ、お気に入りの場所でトイレをすませ、追いかけっこをして・・・。僕の部屋も彼らの通り道の途中で、玄関を開け放しておくとするすると入ってきてベッド・サイドの窓辺に乗って裏の家の庭を眺めていたりする。
 空を飛ぶ飛行機の音が聞こえた。そろそろ、タクシー代わりの水上飛行機が飛び始める時間だ。時計を見ると、6時半。
 島の朝は早い。
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 今回僕は水上飛行機でこの島へ来た。
 ソルトスプリング島へやって来るのはこれで3度目だけれど、前回、前々回とも、フェリーでやって来たから水上飛行機で来るのは初めて。フェリーの方が安いし、車ごと乗れるから荷物をずっと乗せたままでよく、それはとても便利ではあるけれど、移動の時間は余計にかかる。もちろん、その時間のかかるところがいいのだ。のんびり船旅で島に到着するのは、それはそれで楽しい。運が良ければ船の上からオルカを見ることもある(2年前の秋の旅で僕と友人の写真家は親子のオルカを船上から見た)。
 水上飛行機の良いところは何と言っても時間がかからないこと。そして、空からの眺めが楽しいこと。カナダ西海岸はフィヨルドの海岸線が続く、アーキペラーゴ=多島海の海辺だ。小さな島々が散らばる北の海を眺めながらの飛行は、実に楽しかった。
 今回僕が利用したのは、ソルトスプリング・エアという小さな会社の水上飛行機。乗客は5人まで。操縦席の隣に座ることもできる。もちろん荷物チェックなんてないし、液体物だって持ち込み自由。その代わり、ラッゲイジのスペースが小さいから(何しろ飛行機そのものが小さいのだ)、大きな荷物を持って乗ることはできない。
 僕は島への出発の前日、オフィスへ電話して水上飛行機の乗り場を確認した。初めてだったから慎重になっていたのだ。電話に出た女性は明るい声で、「タクシーで港のウエスティン・ホテルへ来たら、そのままホテルの隣のザ・リフトという名のレストランの方へ回ってもらって。降りたら目の前がハーバーだから、そこが乗り場よ」と言った。その口調は「わざわざ前日にコンファームの電話をしてくるなんて、びっくり!」という感じだった。
 翌朝、心配性の僕は少し早めにタクシーをつかまえて、彼女から教えられた通りに「ザ・リフト」というレストラン横までタクシーで行った。荷物を持って車を降りると、そこは確かにハーバーでたくさんの船が横付けされていた。でも、いったいどこから飛行機に乗るというのか。見えるのは船ばかりだし、水上飛行機が機体を寄せるような場所が見あたらない。
 僕はやっぱり心配になってまたオフィスへ電話してしまった。
 「Don’t worry, you’re at RIGHT place! そこでいいのよ。時間になったら(飛行機が)来るし、来たら操縦士が上がってくるから、その港の上の歩道のところ、ゲイトのところで待っていてくれる」と、(昨日と同じ人だと思う)彼女が言った。
 素晴らしい天気の朝。僕は太陽を浴びる港のベンチに腰を下ろして島から飛んでくる飛行機を待った。
 11時38分発。
 その飛行機が現れたのは11時30分を回ってから。
 想像していたよりずっと小さな水上飛行機が港の外の、ハーバーから少し離れた水面にタッチダウンすると、のろのろと水上をすべって近づいてくる。飛行機はヨットや船が係留されている港の隅の方にやって来ると、そこにちょこんと横付けされた。横付けしながらパイロットはさらっと降りてロープで機体を舫い、エンジンが停まる。そこまで何かも彼ひとりでやっている。それが、美しい流れるような動作だった。毎日、毎日やっているからだろう、ヤンキースのデレク・ジーターのボールさばきのような、バルセロナのロナウジーニョの足さばきのような、そんな優雅さがある。
 僕は水面からちょっとだけステップを上がったところにある遊歩道に立ってそれを見ていた。3人ほど、どうやら同じ便の乗客らしい人たちが(気がつけば)周りにいる。
 やがてパイロットはのんびり上に上がってきて、僕らを眺め渡すようにし、「みんないるみたいだね」という感じで無言で笑顔を見せると、「君がエレンだね? とすると君が・・・」という感じで乗客(僕を含め3人)の名前を確認、でも特に身分証明書も何もチェックせず、僕らを機体の方へうながした。
 気がつけば、僕らはみんな小さな機体の中。
 あっという間。成田空港から乗る飛行機もこれくらいシンプルで簡単、あっという間ならいいなと思う。バス停でバスに乗るような感じで島便の水上飛行機に乗るわけだ。星野道夫さんの本にも、アラスカの原野を飛ぶ軽飛行機や水上飛行機の話が出てくるけど、アラスカやカナダでは、このタイプの小さな飛行機はタクシーであり、バスであり、自家用車と同じなのだ。気軽、かつ、簡単な乗り物。バンクーバーからソルトスプリング島へ行くこの水上飛行機もまた、気軽な毎日の「空のバス」というわけだ。
 それにしても、なんて小さな飛行機なんだろう!
 リチャード・バックの小説に出てきそうな感じ。もちろん僕はうきうきした気分になっている。
 「後ろに救命道具があるからね」
 パイロットはそれだけ言うと、すぐにエンジンをかけて、するすると飛行機は水面を動き出した。操縦席の隣に座った青年は、動き出してからパイロットに促されてもそもそと座席ベルトをつけていた。
 のろのろしたモーターボートのように飛行機は港の中を進み、やがて広い場所へ出るとエンジンのうなりを高めて滑り出し、あっという間に上空へ。
 ここまで何もかもがあっという間。飛行機がちゃんと来るかな、この場所でいいのかな、とちょっぴり心配していた僕の気持ちを笑い飛ばすみたいに何もかもあっという間だった。
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 すぐにバンクーバーのダウンタウンは僕らの背景となり、新緑に輝くスタンレーパークを左手下方に見送りながら、機体はバンクーバー・シティとバンクーバー島との間の海峡の上へ移動していった。エンジンの響きも、プロペラの音も、何もかもが心地いいことのひとつひとつだ。僕以外の乗客にとってはこれは「バスに乗っている」程度のふつうのことなのだろうけれど、僕にとってはこれはちょっとした「特別な旅」だ。
 ソルトスプリング島までおよそ30分。フェリーだと2時間半。どちらも楽しいけれど、水上飛行機は悪くない。好きな島へ、どうせなら早く着きたいとやはり思うからだ。そして、この美しい空からの眺め。島から島へ飛んでいく魔法使いの姿が目に浮かぶ。アシュラ・K・ル=グィンの『ゲド戦記』の舞台のような、多島海の空の上。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『BABEL』ORIGINAL SOUNDTRACK
『LOVER ALBUM』クラムボン
『THE BENDS』RADIOHEAD
『JAGGED LITTLE PILL ACOUSTIC』ALANIS MORISSETTE
『HYMNS OF THE 49TH PARALLEL』K.D. LANG

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# by imai-eiichi | 2007-05-22 05:02

049【ヴォネガットの死、『バベル』、誰かを好きになること】

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 カート・ヴォネガットが死んだ。
 ヴォネガットのホームページ を開くと、トップページにドアが開かれたままの鳥かごが大きく描かれている。中には1羽の鳥もいない。ヴォネガットは飛んでいったのだ。
 彼の魂は今、何処に在るのだろう?

 10代の終わり頃、ジョン・アーヴィングを通じて僕はカート・ヴォネガットの存在を知った。
 18か19のときジョン・アーヴィングの『ガープの世界』を読み、すっかりアーヴィングの小説世界のとりこになった僕は、『ウォーターメソッド・マン』、『サイダーハウス・ルール』、『熊を放つ』など、当時日本語訳が出ていたアーヴィング作品を次々と読んでいった。
 アーヴィングの物語はいつもとても長く(日本語訳のハードカバーはどれも必ず上下巻あった)、だからたっぷり時間をかけて読むことができた。大人は「時間を過ごす」ためにバーで酒を呑んだりするけれど、少年少女は本を読んだり、新宿の映画館で3本立ての映画を観たり、ただ歩き回ったり、そういったことで時間を過ごすのだ(と、思う。少なくとも僕はそうだった)。

 その頃僕はドロップアウトしたフリーターだったから、とにかく「過ごす時間(無為なる時間)」がたっぷりあって、分厚い小説ばかり買って読んでいた。すぐに読み終わる短編小説には興味が向かなかったのだ。いつまでも終わらないような長編小説が当時の好みだった。アーヴィングの長編は自分だけの時間に埋もれるにはうってつけだった。僕はまるで毛布にくるまるようにしてアーヴィングの本を抱えて1日を過ごしていた。
 そんなジョン・アーヴィングが「影響を受けた」と語っていた作家が、カート・ヴォネガットだったのだ。アーヴィングを一通り読み終わると僕は、次に、ヴォネガットの本を読み始めた。
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 作家に限らず、スポーツ選手でも音楽家でも映画監督でも、何でもそうだと思うのだけれど、「誰かを好きになる」と、今度はその好きになった誰かと繋がっている人たちや、その人が関係している世界のことを知りたくなるものだ。
 たとえば『スターウォーズ』を好きな人が、ジョージ・ルーカスが「私は黒澤明を尊敬していて、黒澤のいくつかの映画からスターウォーズのキャラクターを練っていった」と言っている記事を目にしたら、きっとその人は「黒澤の映画を俺も観てみようかな」と思うに違いない(何人かはそう考えるはずだ)。そして黒澤明の『七人の侍』を観ると、その次には『荒野の7人』のDVDを借りるだろう。やがてサム・ペキンパーを知り、ウォルター・ヒルやコッポラの作品に手を伸ばすことになるかもしれない。
 たったひとりを好きになるだけで、その後ろに居る、その周縁に存在する、様々な人たちや物事、出来事、場所や物語を知ることになる。その広がりのすごさ! 最初はたったひとり、たったひとつの出来事なのに、どんどんつながっていく。だから世界は面白く、驚きに満ちているのだ。
 それは別に作家や映画監督に限ったことではない。日常生活においても同じことが言えそうだ。たとえば仕事場で誰かを好きになれば、その「誰か」が好きな「別の誰か」とも知り合いになるだろうし、そうやっていくうちに好きな人がどんどん増える可能性はある。

 「好きになる」という気持ちはとても大切なことなのだろう。少なくとも、嫌いになるよりはずっと気持ちがいい。最悪なのは「無関心」だ。無関心でいると、まったく広がりがないし、無関心さは新たな無関心さを誘発していく。無関心さというウイルスは恐ろしい。それはときに「嫌いになる」というウイルスよりも強力で、ネガティヴである。
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 平和、というのは結局「好きになる」ことから始まるのだなぁと思ったりもする。
 「All We Need Is Love=愛こそすべて」とビートルズは唄ったけれども、なるほどその通りだ。もし米国のブッシュ大統領にイラク人の大切な親友がいたら、彼はイラクを攻撃できなかったかもしれない。好きな人の暮らす国を攻撃できるわけがない(ヤツならできるかもしれないが)。ブッシュという人物はきっと、好きな人がほとんどいない人なのだろうなぁと思う。だから彼はみんなに嫌われているのだ。誰かを好きになれない人は、誰からも好かれない。彼は悲しい人間なのだろう。

 カート・ヴォネガットは、そんなブッシュ大統領とブッシュ政権に対して、断固とした態度をとり続けた勇気ある作家でもあった。講演会に招かれれば痛烈でウィットのきいたブッシュ批判を繰り広げたし、良心がまだ残っているいくつかの新聞などに政府批判のコラムを書き続けた人だ。
 たとえば、ヴォネガットのこんなセリフが僕は大好きだ。

 「ブッシュ大統領とヒトラーは、基本的にほとんど変わりません。ほとんど同じと言ってもいい。ただひとつだけ違うのは、ヒトラーは正しく選挙で選ばれた大統領だったということです」カート・ヴォネガット

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 今年のアカデミー賞で最多ノミネート作品となった映画『バベル』が、やっと日本でも公開になる。
 ハリウッドやヨーロッパと日本との映画公開の「時差」には、時々うんざりさせられる。『バベル』がハリウッドで公開されたのは去年の秋のことだ。半年以上遅れての公開にいったい何の意味があるというのか。ときには数年前の映画が突然公開されることもある。『LOVE SONG FOR BOBBY LONG(ママの遺したラブソング)』は、米国ではもう2〜3年前に公開された古い作品なのに、今月日本では新作として公開される。おかしな話だ。

 僕は、昨年の12月、仕事で訪れていたホノルルで『バベル』を観た。ハワイ大学のそばにある「Vertical」というシアターで。大好きな映画館だ。
 北米ではその頃すでに『バベル』公開から数ヶ月経っていたから、大きな映画館での上映はすでに終わっていた。ホノルルでは唯一その映画館が上映していた。
 Verticalは古いミニシアターだ。オンボロの椅子がリノリウムの床に並び、あまり段差がないからもし目の前に背の高い人が座ったらスクリーンを遮られてしまうというタイプ。小さな映画館なのに一応スクリーンは2つあり、同時に2つの映画を上映している。問題は2つの部屋の間にある壁が薄いこと。隣の部屋でドンパチ音がうるさい映画をやっていたら、こちらの部屋まで響いてくるのだ。

 その夜、9時からスタートの『バベル』を観に来ていたのは、僕を含めて10人ほどの観客だった。ガラガラ。結果的にこのタイミングでこの映画館でこの映画を観てよかったと思う。
 ひとり客は僕と、少し前の方に座った中年の女性。あとは、ニューエイジ風の若いカップル、中年のゲイ・カップル、不思議な男4人組(20代から50代までバラバラの4人。家族には見えない)、初老の夫婦(だろう)。・・・そんな感じの人たちが、細長い室内の真ん中辺りの座席に、少しずつ離れて座っていた。
 時々、「実にしっくりくるモーメント」に出逢うことがある。この映画館で観た『バベル』が、まさにそれだった。
 12月の初め頃のホノルル。風が涼しい金曜日の夜のミニシアター「Vertical」。10人ほどの観客で観る『バベル』。
 結果的にぴったりのシチュエーション、ぴったりのモーメントだった。その場に居合わせた観客=僕らは、映画『バベル』の物語を共有し合った。
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 「バベル」とは、旧約聖書に出てくるあの「バベルの塔」のことだ。ブリューゲルの有名な絵で知っている人も多いはず。

 昔々・・・、世界はひとつだった。人間はみんな仲良く暮らし、平和だった。
 だが、人間は自分の力を過信する。人間はいくらでも傲慢になれる。
 人間は、高い高い塔を建てようと計画する。天にも届くほど高い塔だ。人間は神の領域に入ろうとした。
 塔の建造が始まる。
 天からその様子を見ていた神は怒る。人間の分際で神の領域を侵そうとは・・・、人間のくせに神になろうとは・・・!
 怒った神はその塔を破壊して粉々にする。
 粉々になりながら人間は、バラバラになる。
 バラバラの世界、つまり、神は人間に無数の言語や無数の人種、無数の宗教、数多の民族を作ったのだ。
 神は人間を隔てたのである。
 以来、人間は、無数の異なる言語を持ち、異なる民族や人種のボーダーの中で、コミュニケーション・ギャップを感じながら生きていかなくてはならなくなった。
 塔の名前は、「バベル」。

 バベルとはつまり、言語によって世界を隔てられた人間の物語である。そこには、神に近づこうとした人間の傲慢さと、その結果として人間が得たコミュニケーションの難しさがある。
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 映画『バベル』は、「言語とコミュニケーション」を描いた映画だ。
 監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、デビュー作『アモーレス・ペロス』、前作『21グラム』らと同じように、3つの物語を同時進行させていくという構成で映画を描く。
 『バベル』の舞台は、北アフリカ・モロッコ、メキシコとカリフォルニアの国境地帯、そして、東京。3つの場所と3つの時間。
 モロッコを旅行中、とあるトラブルに巻き込まれる米国人夫婦を演じるのは、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット。彼らの言語=英語は、モロッコの小さな村ではまったく役に立たない。初め小さな傷口だったが、その傷口はコミュニケーション・ギャップによってどんどん広がっていく。けれど実は、同じ言語を喋るはずの夫婦が、もともと心のコミュニケーションをとれていなかったのがすべての原因なのだ。
 メキシコとアメリカの国境地帯。メキシコ人と米国人のコミュニケーション・ギャップがそこにある。ここでも、事件の発端は言語の違いである。言葉によって自分の思いを正しく相手に伝えることができない。傷口はどんどん広がっていく。けれど実は、言葉以前にそこには根強い人種差別があり、その差別意識こそが、ギャップを創造する源なのだ。
 そして東京。役所広司演じる父親と、その娘に菊池凛子。イニャリトゥは、「言語とコミュニケーション」を描く映画の最後のエピソードから意識的に「言語」を放つ。菊池凛子演じる女子高生は「聾唖の少女」である。彼女は耳が聞こえない、言葉を失った人間なのだ。彼女こそは、人間の傲慢さが生んだバベルの塔の最大の犠牲者である。言葉を持たない親と子供。彼らのコミュニケーションが最悪なのはすぐにわかる。言葉があってもどうにもならない我々人間だが、言葉なくしてはもう何処へも行けない、何もできない。無力。
 自分以外の人間を知ることとは何か? 我々は真にお互いを知り合うことができるのか? この映画は、そんな問いかけを繰り返す。

 終わらないどころかひどくなる一方のイラク戦争。まったく報道さえされなくなったアフガニスタンの現状。アフリカの飢餓、パキスタンとイスラエル、様々な内戦。欧米や日本で広がる格差社会、ワーキング・プアの世界。人種差別、宗教問題、民族紛争・・・。
 浮かれるばかりで真実をまったく伝えようとしない、努力をしないジャーナリズム、一部の人間のためのプロパガンダとして使われるマスメディア・・・。
 今、僕ら人間の世界はどん底の極みに向かっている。
 イニャリトゥ監督はこの映画でこうメッセージしているのだろう。
 「真実はとてもシンプルだ。隣人を好きになること、好きになる努力をすること。そのためには隣人を理解する努力をすること、隣人を知ろうとすること。好きになれば、悪くは決してならない。好きになることから、理解は始まり、その先に希望がある」
 米国の大統領はアフガニスタンへ旅をしてその土地の魅力を知ろうとはしなかった。彼はイラク人のことを学び、自分の隣人を好きになろうとはしなかった。もし、していれば、と思う。こんなひどい世界にはならなかっただろう。それを政治用語では「外交努力」と言うのだ。

 好きになること。隣人を知り、理解しようとすること。人を、誰かを好きになること。まずは日常から始めよう。すぐそばの誰か、毎日顔を合わせる誰かでいい、その人を知り、理解し、好きになりたい。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『BABEL』ORIGINAL SOUNDTRACK
『神童』オリジナル・サウンドトラック
『ONE QUIET NIGHT』PAT METHENY
『LE PAS DU CHAT NOIR』ANOUAR BRAHE
『SAG VOYAGE 2006』VARIOUS ARITSTS

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# by imai-eiichi | 2007-04-16 16:34




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