ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

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040【チェ・ゲバラ、ドロシー、スナフキン】

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 旅に出られる日は、いつもあるとは限らない。
 それは「人生の特別な祝日だ」なんて書くと、ちょっと大袈裟だけれど。でも、旅立つ日の朝はどことなくうきうきしているような気もする。いつになっても。
 そう思って今年の旅を頭の中で振り返ってみたら、ほとんどの旅で僕は、その出発の朝までずっとラップトップに向かっていたことに気づいた(だいたい出発の日は徹夜明けだ)。
 なるほど、そうか。旅立つ朝だからと言って決してうきうきばかりしているとは限らないみたいだ。むしろ苦痛を感じていたということもある。「ああ、出発がなければ、もっとゆっくり原稿が書けるのに!」と。でも、それは「夏休みの宿題を最後の日にやる」自分が悪いのだけれど。
 泣いても笑っても飛行機に乗ってしまえばもう後戻りできない。座席に座ってしばらくして、飛行機がとうとう滑走路へと移動し始める頃には、結局、うきうきした気分が心を支配している。たとえそれが仕事の旅であっても。
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 とは言え、憂鬱な仕事旅も確かにある。
 そんなとき、行く前の晩はとにかく気が重いし、「何か天変地異が起きてこの仕事がなくならないものか・・・」などと本気で考えている自分がいる。まるで雨乞いのような気分だ。
 でも、いつもそうなのだけれど、結局何も起きない。
 朝が来て、「やっぱりこの旅を中止させるほどのことは何も起こらなかったか・・・」と思いながらバタバタと荷物を鞄に詰め込んで、パスポートと国際免許証とチケットをポケットに入れて、空港へ向かう。そういう旅のときには、成田空港にいる時間がいつも以上に面倒だし、飛行機の中に座っているのが辛い。
 不思議なのは、たとえそんな気分で始まった仕事旅でも、いざ飛行機が彼の地へ到着すると、自分の気分ががらっと変わっていることだ。飛行機の機体から出て入国審査の列に並ぶ頃には、僕の気分はすっかりその「旅の中」にある。辛いとか、嫌だとか、そういう気分はいつしかフェイドアウトしている。それがどんなにタイトなスケジュールの旅であろうとも、ぜんぜん来たいと思っていなかった場所であろうとも、一向に構わないという自分がむずむずと頭を上げるのだ。
 来たからにはもう、可能な限り楽しんでやろう。
 たとえ自分が疲れていたって、大人数の旅だって、頼まれ仕事だって、何だって構わないじゃないか。毎日、毎日、虎ノ門(たとえばです)の会社のデスクに向かって1年を過ごす人だっているわけで、自分はその人じゃない、それだけで充分ハッピーだろう、何が不満なんだ?・・・などと思って、開き直って、結局、うきうきしてくる。
 要はこういうことなのだ。
 見知らぬ街を走るタクシーに乗って、空港から宿へと向かっているとしよう。そのとき、窓の向こうの街並みを眺めながら、風景を見ながら、僕の「目」はとにかく楽しんでいるのだ。それがわかる。目が、うきうきしている。貪欲な僕の目が、いろんなものを見ていることを脳が感知して、脳もまた、めまぐるしいスピードでハードディスクを回転させている(大した容量じゃないけれど)。そうなるともう、血液がぐるんぐるんと流れ、身体中にエネルギーが満ちてくるのを感じる。それが、僕にとっての旅の始まり。いつもそう。それを何度だってやりたいから、旅に出るのを厭わない。

 よそへ出かけたからって、常に新しいことがあるわけでもない。ニューヨークは東京とは違う、パリは東京とは違う。それは確かだ。でも、それは「こっちとは違う」というだけで、特に「新しいか?」と問われたら、「うーん・・・」と思うはずだ。
 変化はしていても、新しいとは限らない。
 結局、旅先だから新鮮に感じるだけなのだ。マンハッタンで食べるホットドッグだから美味しいのだ。同じホットドッグを東京の自宅で食べたって、決して美味しくない(むしろマズイかもしれない)。
 旅先だから新鮮で、何もかもが得難い冒険になる。新しさと冒険を、自らが創りだしているからだ。
 旅とは「する」ものではない。「創る」ものなのだ。
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 「ねぇ、そろそろ、行く?」
 と、友達が言う。僕らは美しい砂浜の木陰に寝ころんでいる。耳にはiPodのプレイリストが流れていて、いい気分。太陽は真上。青い海。
 「行くって、どこに?」と僕はきき返す。
 「別に・・・」と友人。「でもさ、いつまでこうしているの?」
 「もう飽きちゃった?」と僕は彼にきく。
 「いや、そういうわけでもないんだけれどね」と彼。「でも、こんなことしてていいのかなってさ、ちょっと思ってね」
 「仕事は全部終わったんだし、あとは好きなように今日1日を使ったって、神様も怒らないと思うよ」と僕は笑う。
 「何もしないって、けっこう難しいね」と友人は苦笑する。

 そうなのだ。のんびりするには、けっこう勇気と知恵がいる。かといって、めまぐるしいスケジュールに沿っていろいろ見たり体験すれば「その方が楽しい」とも限らない。短い時間にたくさん見たって、実は見ていないからだ。人間の吸収する能力には限界がある。どんなにたくさん見ても、結局僕ら人間とは、「自分の興味のあることしか、きちんと見ていない」ものだ。
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 前にこんなことがあった。マウイ島のハナ。ホテル・ハナ・マウイでのこと。

 ある日の午後、仕事も終わり、たぶん午後3時過ぎ頃だったと思うけれど、僕は素晴らしい海抜けプールでリラックスしていた。しばらく泳いで、デッキチェアに寝ころんでiPod。また泳いで、今度はビールを飲みながら文庫本を開く。うとうとする・・・。
 米国人の夫婦がすぐそばのデッキチェアに寝そべっていた。旦那は分厚いハードカバーを開き、熱心に読書。奥さんは身体を灼いている。昨日は彼らを見なかったから、きっと今朝か、この午後にチェックインしたのだろう。そこに、彼らの息子と娘がやって来た。たぶん、中学生くらい。息子が言う。
 「パパ、部屋にテレビがないじゃないか!」
 ホテル・ハナ・マウイには、いくつかの厳格なルールがある。「テレビを一切置かない」は、そのひとつだ。3年前までは電話もなかった。テレビを見るような客には来て欲しくない、という姿勢。
 米国人と日本人のテレビ好きは異常だ。いつでも、どこでも、テレビがついている。日本なら、銀行、役所、郵便局、どこでも「当たり前」のように大型テレビが置かれ、常に(だいたいの場合NHKが)オンになっている。だいたいこの国には、車を運転しながらテレビを見ている人たちがいる。そこまでして見たいと思わせる番組があるとは僕には思えない。

 それにしても、携帯電話を使いながら運転したら罰金なのに、なぜ運転席のダッシュボードにテレビがついていて警察は何も言わないのか? テレビを見ながら運転する方がよっぽど危険じゃないか。なぜ取り締まらない? なぜそれが「ダメ」だと言わない? なぜメディアはキャンペーンをはらない? 「運転しながらテレビを見るのは危険です」と。もちろんメディアは黙って知らないふりをする。だって、そこには裏に大きな力が働いているから。大手家電メーカーと大手車メーカーによる政治家への圧力と献金、そこに新聞やテレビなどメディアとの談合。だいたいテレビ局がニュースでそれを言うわけがない。だってテレビを見てもらいたいのだから。広告代理店はCMを作っているのだから車にテレビがあるのは願ったり。だいたい彼らがカーナビTVの宣伝もしているのだし。結局この国では、「テレビを見ながら車を運転して人をひき殺しても、決して誰も何も言われない」。大手企業と政治家と官僚がトライアングルを作る国。暗黙の了解と、従順な国民によって、それが未来永劫まで守られる。
 米国では、さすがに銀行にテレビは置かれていないけれど、でも、みんながみんな、テレビ・ジャンキーだ。だから100チャンネルもあるのだ。そんなにたくさんチャンネルがあって、どうするつもりだろう? 理由は簡単だ。要は洗脳なのだ。フォックスTVでもNBCでもCBSでも、みんな「フセインが悪」「北朝鮮が悪」と言うわけだ。テレビの中でみんな「アフガニスタンに攻撃しなくちゃいけない」と叫ぶわけだ。すべてのニュースで同時に「アルカイダが攻撃した張本人です!」と言うわけだ。見ている人たちは、チャンネルを次々と換えるけれど、どのチャンネルでも同じ原稿を別々のキャスターが喋っているから、気づかずインプットされていく。次の日、会社や学校へ行くと、自分も知らぬうちに「アフガニスタンに爆弾を落とそう!」と思っているわけだ。テレビを使った洗脳システム。その最先端にいるのが、米国。ついで、日本。
 だから僕はフランスが好きだ。パリでは、人々はテレビを(ほとんど)見ない。家にテレビがないという人も多い。パリジャン、パリジェンヌたちは、テレビなど見ないでカフェへ行く。そして、議論する。フランス人たちの議論好きは有名。彼らは語り合い、主張し合い、民主主義を構築しようとする。テレビから民主主義は生まれない。テレビとは、見せかけの民主主義を官僚や政治家と組んで魅力的に見せようとする巧妙なる悪魔の仕掛けだ。
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 旅の話だった。

 とにかく、部屋にテレビを置かないホテル・ハナ・マウイで、その米国人一家の息子と娘は、「こんなスゲェ田舎にいて、いったい何が楽しいんだよ!」的な怒りを両親にぶつけている。父親は言う、「ここはテレビのないリゾートなんだよ。オマエもいろいろ楽しみなさい」。息子は言う、「だって、見たいテレビがあるんだよ。どうしてくれるんだよ。だいたい、何をして遊ぶんだよ。テレビがなけりゃ、テレビゲームだってできないじゃないか!」
 テレビもないような田舎でくつろぐには勇気がいる。知恵がいる。我慢がいるのだ。
 今の社会の構造というものが、常に人々を急かし、あちこちへ引きずり回して、イベントに参加させ、お金をたくさん使わせるようにできている。村上春樹はそれをかつてこう書いた。「高度資本主義社会のシステム」。

 自分の好きなように旅をするためには、そんな高度資本主義社会のシステムと「知恵くらべ」をするようにして、自ら旅を創っていかなくてはいけない。なかなか大変だ。中田英寿は今ごろそれをやっているのかもしれない。

 若きチェ・ゲバラの旅を描いた映画『モーターサイクルズ・ダイアリーズ』は、まさに、そんな「旅の醍醐味」を伝える作品だった。
 医師を志していた23歳のゲバラことエルネストは、親友アルベルトと2人で、中古のオートバイに乗って南米大陸縦断の旅に出る。あてのない2人旅。喘ぐオートバイを押したり修理したりしながらアンデスの山を越え、船倉に隠れて密航し国境をまたぎ、イカダに乗ってアマゾン河を下る。たくさんの出会いと別れがあるのだけれど、その旅で若きエルネストが見たのは、南米大陸に暮らす多くの貧しい民の姿だった。スラム街の子供たち、蔑まれるインディオたち、あらゆる荒廃と、あらゆる差別がはびこる南米大陸の真実。
 「今まで、大学まで行かせてもらったおぼっちゃんの自分が見ていたのは、ほんのわずかな世界だったんだ・・・」とエルネストは気づく。
 後にエルネストを「チェ・ゲバラ」へと変え、革命家へと変えていったのは、すべてこの旅が理由だった。
 エルネストは、あらゆる局面で知恵くらべをしながら旅を全うする。彼は自ら旅を創り上げ、旅の目的を見いだす。まさに、「旅の極意」をメッセージするかのような映画だ(原作の著書も素晴らしい)。
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 大竹昭子は、「旅ではなぜかよく眠り」と書いた。確かにその通りだ。旅先ではいつもぐっすり、よく眠れる。中田英寿は「人生とは旅である。旅とは人生である」と書いた。旅が人生というと、それは寅さんになってしまうけれど、確かに旅をしていると様々な知らなかったことを学ぶ。エルネストだって旅をしなかったらチェ・ゲバラにはなれなかったのだ。旅とはものすごい学校だ。
 けれど、そんなに難しく考えなくてもいいのだ。だって、旅では、ただ単純に楽しいことがたくさんあるのだから。
 たとえば旅では、いろんな想い出がフラッシュバックしてきて過去の自分が語りかけてきたりすることがある。想い出にばかり浸かるのは良くないけれど、でも旅の夜にはなぜかふだん思い出さないようなことを思い出すことがある。最初の恋人が現れたり、ずっと前に死んでしまった知人が「やぁ」と言って顔を見せたりする。彼らと言葉を交わす夜は、日常生活にはないスリルだ。
 見知らぬ街であてずっぽうに歩いていて、旅をしていなかったら絶対に会えないような人と出会うことがある。旅では、ちょっとしたハプニング、乗り遅れや勘違いが、冒険になり、そこで何かが待っている。そういったものに、あれこれ知恵を絞って対処しようとする自分と出会える。ふだん使わないエネルギーを使い、使わない肉体の細胞が動き出す。
 なぜこんなにも旅が好きなのだろう? 僕は旅人なんかじゃないけれど、1日一度は何処かへ旅をしたいと思っているのも事実。
 ここでへない何処か、ここではない何処か、ここではない何処か・・・。いったい何処へ行きたいのか?
 『オズの魔法使い』のドロシーは、「There is no place like home.お家ほど良い場所はない」と3回唱えてカンザスの実家へ戻ることができた。永遠とも思える旅の果てに。子供の頃その映画を観て、ドロシーのような旅がしたいと思った。ムーミン谷のスナフキンは、ときどき旅に出て、戻ってきて、ムーミンに話を聞かせたりしていた。小学生の頃、そんなスナフキンに憧れていた。もう少し歳を重ねてから憧れたのは、『風の谷のナウシカ』のユパだ。あらゆる土地を旅し、ときどき風の谷へ帰ってきてナウシカや谷の人々に冒険談を語って聞かせるユパ。夜、ろうそくの炎の前で。そういう仕事があればいいのに。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『FEAST OF WIRE』CALEXICO
『DREAMING THROUGH THE NOISE』VIENNA TENG
『THE NIGHTFLY』DONALD FAGEN
『ELEMENTS』FINALDROP
『空中』FISHMANS

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by imai-eiichi | 2006-12-30 15:53

039【セドナ、ナヴァホ・インディアン居留地、ON THE ROAD】

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 先月、知人が休みをとってセドナへ行った。
 旅の計画を練っているときに相談され、フェニックスからセドナへ、グランドキャニオンからカリフォルニアへと抜けるルートや、セドナでの宿など、知っていることを彼に教えた。もうしばらく行っていないけれど、数年前まで僕は毎年のようにアリゾナやニューメキシコを訪れていたのだ。

 よく訪れていた場所なのに、ひとたび足が遠のくともうまったくと言っていいほど行かなくなる、ということがある。少なくとも僕にはそういう傾向があるようだ。それはお気に入りのラーメン屋やバーに始まり、異国の街や土地にまで至る。
 あの「9・11」以降、通うようにニューヨークへ行っていたのに(年に3〜4回)、今年はもう一度も行っていない。ロンドンもそうだ。バリ島も。
 一方で、ここ何年かはハワイの島々へ旅することが増えた。今年も何度か行った(数えてみたら6回)。では、ハワイもまた、いつかピタッと行かなくなるのだろうか。
 もちろん、仕事で行くことがほとんどだから、それは「行った」とか「行かない」ではなく、「仕事で行く機会がなかった」「そこへ行く仕事が減った」という、ただそれだけのことなのかもしれない。けれど、ニューヨークやロンドンと言った好きな街へはそれまでは個人的な旅としても行っていたわけで、それが最近はまったく行かなくなってしまった。
 もし好きな場所ができたなら、好きな場所があるなら、通い続けなくてはいけないのかもしれない。その場所との「relationship=関係」が切れないように。なんだかそれって恋愛関係みたいだ。
 街や島や土地といった「何処かの場所」を好きになるというのは、結局、「その地に恋をする」ということなのだろう。そう考えれば、恋愛と同じで、情熱が続く限り通うことが肝心ということなのかもしれない。そして最後には、その情熱が高じて彼の地へと移住する。愛が続く限りそこに暮らし、醒めたらまた移動する。本来、「暮らす」というのはそういうものなのかなぁと思ったりする。土地を買ったり家を買ったり、なぜその場所に執着するのか。本当に(土地や家を買うほど)その場所が好きなのか。
 日本に暮らしていると、「とりあえず」ということが多い。とりあえず、高校へ進学する。とりあえず、偏差値の高いところを目指す。とりあえず、大学へ進学する。とりあえず、卒業する。とりあえず、就職する。とりあえず、結婚し、とりあえずマンションを買う・・・。親はそんな子供を見て、とりあえずホッとする。
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 話を友人に戻そう。
 セドナへ行った友人。
 11月の初旬に彼は、ガールフレンドと一緒にフェニックスへ飛び、ジープチェロキーをレンタカーしてアリゾナ州を北上した。
 フェニックスはなかなか大きな都市だ。もともとは砂漠で、パイプラインで水を引っ張ってきて無理やり作った都市。街を出ればもう、サボテンばかりの荒野になる。1年を通じて暑い。雨はほとんど降らない。
 フェニックスからセドナまでは、フリーウェイでおよそ3時間ほどだろうか。とても大きなフリーウェイで、最初のうち道の両側には荒野にサボテン=多肉植物という風景が延々と広がっている。背の高い多肉植物だ。
 北上するに従って土地の高度が上がり、それにともなって周囲の植物も変化していく。相変わらず多肉植物は多いけれど、北上するにつれそれらの背は低くなっていく。
 やがて多肉植物の姿が消え、針葉樹や広葉樹が現れる。荒野の地平線はもう消えて、遠くに山並みが現れ、近くにはメサと呼ばれる台地が次々と現れる。
 フェニックスを出たばかりの頃は片道5車線ほどもあったフリーウェイが、いつしか片道2車線ずつのローカルロードのような雰囲気になっていく。直線続きだった道はくねくねした山道へと変わる。
 フェニックスの辺りでは車の窓を開けていると熱気が入ってきたのに、セドナの辺りではもうひんやり冷たい空気が素肌にあたる。
 フェニックスからセドナへのオン・ザ・ロードのこの旅路、イタリア・トスカーナ地方を車で旅しているときのような「美しいなぁ!」という感動はあまりないけれど、これはこれで僕はけっこう好きだ。楽しい。U2とかジャクソン・ブラウンとかイーグルスなんかがよく似合う。一方でTHE ALBUM LEAFとかシガーロスなんかも意外にハマる。この辺りを走るときは、聴いている音楽によって風景の印象がかなり変わるかもしれない。

 何年か前そのルートを旅したとき、僕は『スモーク・シグナルズ』という映画のサウンドトラックをCDで持っていった。車を運転しながら、繰り返し、繰り返し、それを聴いていた。『スモーク・シグナルズ』は素晴らしいロード・ムービーだ。
 アメリカ先住民の作家として初めてベストセラー作家となったシャーマン・アレクシーが1993年に出版した短編集がこの映画のベースになっている。アレクシー自身が自分の物語を脚色し、友人であり、やはり先住民の29歳(当時)のクリス・エアが監督した。できあがった作品はロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス・フィルム・フェスティバルで新人賞に輝いた。2人の先住民俳優の若者が主役を演じている(彼らが旅をするわけだけだ)。その1人はアダム・ビーチ。イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』で主演を演じた3人のひとりだ。アダム・ビーチの役は「ヴィクター」という名の若い先住民で、死んだ父親の死体を引き取るために居留地の友人と2人で旅に出るのだ。
 11月、『父親たちの星条旗』プロモーションのために来日したアダム・ビーチを僕はインタビューした。彼が待つ部屋に案内され、彼と目が合うと同時に僕は笑ってこう言った。「ああ、ついにヴィクター・デイヴィスと会うことができた!」。アダム・ビーチは大きな笑顔になり(もともと笑顔ばかりのナイスガイなのだけれど)、僕らはすぐに仲良くなった。
 ビーチは言った。「シャーマンが今、あの映画の続編のための物語を書いているんだ。同じスタッフで、続編映画を作ろうとしているみたいだよ」。
 「じゃあ、君はまた出るんだね?」と僕。
 「さぁ、まだわからないな。それに、まだ脚本を作っているところだし」
 「出るために」と僕はビーチに言った。「今から髪の毛を伸ばし始めないといけないね」。
 彼は豪快に笑った。ビーチは『父親たちの星条旗』の兵士役のために、短いクルーカットにしていたからだ。
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 セドナと友人の話だった。
 その友人が「セドナに3泊する」と言うので、僕は彼に「ENCHANTMENT RESORT & SPA」に宿泊することを薦めた。そこはけっこう値段の高い高級リゾート・ホテルなのだけれど、彼にとっては久しぶりの休みだし、ガールフレンドと一緒だし、「セドナなんて、そんなにしょっちゅう行かないだろうから、だったらお金を出して泊まってみる価値はあるよ」と僕は彼に言った。
 彼はすぐにネットでリゾートのホームページを調べて、3泊すると4泊めがタダ同然の値段になるというシーズン・オフならではのオプションを発見した。そんなわけで、結局彼はこの高級リゾートに4泊した。シーズン・オフであったため、もともとの値段設定も低かった。
 セドナ、そしてアリゾナ州北部の山岳地帯のオン・シーズンは、5月から9月いっぱい。最も気持ちいいのは6月だろう。陽射しは強いけれど、風が涼しい。7月、8月は、天気は安定しているけれど、日中はちょっと暑すぎると僕は思う。10月はもうかなり涼しいけれど、紅葉が美しい。11月になってしまうと、すっかりオフ・シーズンなのだ。
 でも、11月のセドナは、それはそれで素晴らしいことを僕は体験して知っている。
 11月のセドナの空は青く、高く、澄み渡っている。紅葉が美しい10月が足早に去っていき、小さなその街からは、観光客がすっかりはけてしまう(もちろん1年を通じて観光客はいる。けれど確実に少なくなるのがこの時期なのだ)。ダウンタウンの雰囲気はのんびり、ローカルの人々もみんなリラックスしていて、ゆるゆる、いい雰囲気だ。ひんやりした11月の朝夕の空気、サンライズとサンセットは格別だし、運が良ければ初雪に出会えるかもしれない。
 セドナや北アリゾナの高地に降る冬の初め頃の雪景色は、とてもドラマティックだ。その風景の美しさはもちろんだけれど、住人たちの「心の変化」がリアルに伝わってくる。11月に初めての粉雪が舞うと、「あ、冬だ」と暮らしている人々は心から思う。みんなのざわざわした心模様が伝わってきて楽しい。セドナという土地に「冬が到来した」まさにその瞬間に居合わせるなんて、それはそれで素敵な想い出になる。11月のセドナは、悪くない。
 「11月のセドナは、悪くないよ」と僕は友人に言った。

 セドナは「パワースポット」とよく呼ばれる。実際、その「パワー」を求めて(探して)この地へ移住してきた元ヒッピー、現役ヒッピーのおじさん&おばさんたちがいっぱいいる。タイダイTシャツ姿にポニーテイルというのは、この街のユニフォームのようなものだ。ニューエイジ系の若者もたくさんいる。
 アリゾナ州はもともと米国のリタイアした老夫婦に人気の旅先で、セドナにも壮年、熟年の旅行者は多い。そして、病院も多い。普通の内科・外科という病院ではなく、余命幾ばくもない人たちが滞在する病院。他の場所で「治らない」と宣告された病が「セドナのパワーで治る」という伝説を信じてやって来るのだ。
 「ここはヴォルテックス(Vortex)だからね」
 とこの地に暮らす人々は言う。ヴォルテックスとは地球のエネルギーが集中して地表に湧き出ているとされる場所のことで、セドナはそのエネルギーが「相当に高い土地」だという。カリフォルニア州ヨセミテ、カナダ・ブリティッシュコロンビア州のスコアミッシュなど、北米の西部一帯にはヴォルテックス地帯が数多い。
 セドナへ行って地元の観光ガイドを開くと、だいたいこう書いてある。「ここはElectromagnetic Power Spotである」。なんだかよくわからないけれど、すごそうだ。

 旅から帰ってきた友人は、爽やかな笑顔でこう言った。
 「すごくよかったよ」
 天気にも恵まれたという。毎日快晴。「昼間は暑くてTシャツだけで充分だった」と彼。「トレッキングとかしていると、もう暑くってさ」。
 彼と初めて会ったのは、もうかれこれ10年以上前だけれど、その頃の彼は年に2、3度は海外の何処かへ旅をしていたし、ナイトライフ好きなヤツで、あちこちのクラブに毎晩のように出没していた。年月が過ぎ、今の彼はなんだか仕事に追われている(ように見える)。もちろん、フリーランスの人間で仕事がたくさんあるのは悪いことじゃない。けれど、遊ぶことがあれほど好きだった彼が、だんだん仕事人間のようになっていくのを見ているのは、なんだか少し寂しかった。
 アリゾナ、カリフォルニアという車の旅から帰ってきた彼は素晴らしい笑顔を携えていて、僕は「やっぱり旅は人の心を広げるんだなぁ」と思ったりした。旅から帰ってきたばかりの頃彼は、どことなくまだ「セドナ時間」というか、「旅時間」の中にいるようで、間違いなくのんびりしていた。そういう姿を見るのは楽しい。「なるべくその感じが長く続けばいいのにな」と僕は彼を見ながら思った。もちろんそれは、自分自身への教訓でもあるのだけれど。

 彼が最も「やられた」と言っていたのが、泊まったリゾート・ホテル、「ENCHANTMENT RESORT & SPA」の「スパ」。
 「安くないけど、でも、あそこのスパはすごい。効くなんてもんじゃないね。めちゃくちゃ気持ちよくって毎日やってもらったよ」
 特に彼を感動させたのが、ストーン・マッサージだ。
 今ではニューヨークやパリ、ロンドンなどはもちろん、東京でも増えているストーン・マッサージだけれど、これはもともとセドナで生まれたセラピーだ。セドナのヴォルテックス地帯の「パワフルな石」を使って行うのが、ストーン・マッサージのもともとの「売り」だったのだ。
 「あのホテルのスパでやってもらったストーン・マッサージは、すごかったな。もう、別世界に連れて行かれたよ。まさにマジックだったね、あれは」
 彼は目をまるくして言っていた。
 僕も何度かやってもらったことがあったけれど、元来僕は懐疑心の固まりなので、そんなに「効いた」と思えたことはない。でも、彼が喜んでいるのだから、それはそれでよし。
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 彼の旅話を聞いていて、僕は久しぶりにアリゾナへ行きたくなった。セドナもいいけれど、僕が行くアリゾナと言えば、やはり北部のナヴァホ・インディアン居留地だ。僕の大切な「ガイド」であり、大切な友人であり、素晴らしいストーリーテラーでもあるウィル・トゥーシィが住んでいる村が、居留地の北部にある。もう3年以上、彼とは会っていない。来年は、久しぶりに彼を訪ねてみるのもいいかもしれない。仕事なんか関係なく。フェニックスからオン・ザ・ロードの旅をして。

<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『NIL CH’I〜SPIRIT WIND』MOCHINGBIRD
『KAMUY KOR NUPURPE』OKI
『NICKY’S DREAM』GABBY & LOPEZ
『SOLITARY』ZONKE
『HOTEL CALIFORNIA』THE EAGLES

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by imai-eiichi | 2006-12-22 09:57

038【クリスマスカード、ソルトスプリング島、Wisteriaの朝】

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 クリスマスカードが届いた。
 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州、ソルトスプリング島から。「Wisteria」というベッド&ブレックファーストのオーナー、ベヴァリー・ブラウンからだ。ベヴァリーからカードが届くとはまったく思っていなかったから、ちょっとびっくりしたけれど、それは嬉しい驚きだった。そう、a little surprise!だ。
 ときどき僕は、ベヴァリーのこと、彼女の宿のことを思い浮かべる。
 東京で、車を運転して移動しているときとか、カフェやレストランのランチタイムに自分のオーダーしたものをぼんやり待っているときとか、仕事先の高層ビルの窓から街並みを見下ろしているときとか。
 あるいはどんよりした曇り空の午後、ついに雨がぱらついてきたのに傘は持っていず、とは言え傘をさすほどの降りでもないなぁという小雨で、ちょうど僕はアークテリクスの防水アウターを羽織っていて、フードを引っ張り出してかぶって雨の中を歩いている・・・、そんなときベヴァリーのことを、彼女の宿のことを、思い出す。
 なぜだろう?
 自分でもあまりよくわからない(分析できない)。でも、そんなふうに「ふと思い出す」「思い浮かべる」という情景や場所というものが、確かにある。僕は、ソルトスプリング島、その島にあるベヴァリーの宿を、そんなふうにときどきふと思い出すのだ。
 ベヴァリーのことを思っているとき、彼女の宿のことを考えるとき、自分の心がとても穏やかになる。コーヒーの香りにリラックス作用があるように、ソルトスプリング島のことを思うことは僕にとってはある種のリラクゼーションみたいだ。

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 ソルトスプリング島は、カナダの太平洋コーストにある。
 バンクーバーがあるブリティッシュ・コロンビア州というのがカナダの太平洋に面した州。その海岸線はフィヨルドで、ぎざぎざしたコーストラインが北へ伸び、その海には無数の島々が散らばっている。その島々のひとつが、ソルトスプリング島だ。
 オルカやイルカが回遊し、夏にはクジラがやって来る、豊かな北の海に浮かぶ小さな島。ひとつも信号がない島。ヒッピーや芸術家たちが集まっていて、自給自足のような生活をしている人々が大勢いる島。オーガニック・フード文化の世界最先端を行っている島。
 大きなホテルは一軒だけ。あとはベッド&ブレックファーストやゲストハウス、バケーションレンタルだ。人口は1万人ほど。

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 港から少しだけ丘を上がった林の中に、ベヴァリーの宿「Wistera」はある。林の中の小径、木蓮や桜が咲いた(これは4月の風景)ドライブウェイを入っていくと、車寄せがあり、コの字を描くようにして平屋の建物が並んでいる。向かって正面が母屋でベヴァリーの家とメインのキッチンがある。左側の建物には4つのゲストルームと、朝食を食べる広いダイニングルーム(ソファ、TVやボードゲームなどもある)、右側に独立したコテージルームがひとつだけあり、その奥に2つのゲストルームがまたある。部屋は基本的にバスルーム付きだけれど、2つの部屋でひとつのバスルームを共有するタイプも一部ある。
 僕は、はなれになったコテージにひとりで泊まった。
 可愛い屋根がついた玄関から入ると、右手にデッドエンドの小さなスペースがある。小窓があり、その下にひとりがけのソファが置かれている。基本的に必要のない、飾りのような空間なのだけれど、こういう遊びというか余裕が素晴らしい。
 玄関を入って左側はキッチンルームだ。大きな冷蔵庫もあるし、コンロ、電子レンジ、コーヒーメイカー、皿洗い機と必要なものはすべてそろっている。もちろんナイフやお皿、カップ、シルバー類は棚に入っている。大きな窓があり、太陽の光が燦々と注ぐ窓辺に四角いテーブルが置かれている。僕はここにMac G4のラップトップを置いて、毎朝いれたてのコーヒーを飲みながら原稿やメールを書いていた(ベヴァリーが暮らす母屋から無線ランが飛んでいる)。
 キッチンルームの奥がベッドルーム。キングサイズのベッドが置かれ、ウォークインクローゼットがある。窓がたくさんあり、心地よい風が通り抜け、朝も夕方も光がたっぷり入るベッドルームだ。
 バスルームはシャワーだけだけれど僕はもともとまったく風呂には浸からないので、それで充分。ベヴァリーが自分で選んだ実に肌触りの良いリネン類がバスケットの中に重ねられ、一番上にオーガニックのソープとアロマオイルがいくつか置かれ、小さなメモがある。「島で作られている天然素材のオーガニック石けんです。残った分はぜひお持ち帰りください」と書かれている。裸足で履くと気持ちいいスリッパが2組置いてあって、そこにもメモがある。「自分の部屋のようにくつろいでください。靴は脱いで、室内ではこれをどうぞ・・・」。
 「神は細部に宿る」という言葉があるけれど、ベヴァリーの心遣いは細部にまで及んでいて、彼女の温かなホスピタリティが伝わってくる。
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 滞在中、毎朝僕は6時には起床した。

 部屋のブラインドをすべて開け、熱いシャワーを浴びる。
 コーヒーメイカーでコーヒーをいれ、最初の一杯をマグに注ぐとビーチサンダルで外へ出る。玄関の前はちょっとしたガーデンになっていて、その一角にデッキチェアが2つ置かれている。幅の広い大きな肘当てがついたチェアで、その肘当ての上にマグをのせることができる。
 朝陽を浴びながらコーヒーを飲んでいると、母屋の玄関が開いて、ベヴァリーが現れる。ぼさぼさの髪の毛、起きたばかりという感じだ。
 「おはよう」と僕。
 「おはよう。あなた、早いのね」とベヴァリー。
 「だって、こんなに気持ちのいい朝を逃しちゃもったいないでしょう?」
 「私は朝って苦手。ほんとはもっと眠っていたいんだけど、この子たちをトイレに連れていかなくちゃいけないの」
 そう言うベヴァリーの後ろから、4匹の犬が出てくる。大きな犬たちだ。1匹だけ、よく吠える。他は寡黙なほど静か。あとで知ったのだけれど、よく吠える1匹は耳が聞こえないのだ。犬たちの脇をすり抜けるようにして、猫も出てくる。僕が知っている限り彼女は、3匹か4匹の猫と、4匹の犬を飼っている。これもあとで知ったのだけれど、犬や猫はみんな、虐待されたり捨てられたりしたものたちをベヴァリーがひきとって、ここで一緒に暮らしているのだ。「捨てられた犬や猫たちを、世界中から全部ひきとれたらいいんだけれど」とある日ベヴァリーは言っていた。

 僕はマグカップからコーヒーを飲みながら、犬と一緒に林の小径を歩いていくベヴァリーを眺めている。毎朝、同じように。
 僕と彼女は特にたくさんの言葉を交わしたわけではない。でも、毎朝そうやって僕は、犬たちを連れて外へと出てくるベヴァリーを見たり、「おはよう」とひと言だけ声をかけ合ったり、笑顔で視線を交わし合ったり・・・、それだけのことなのだけれど、それが僕にはとても素敵な時間、瞬間だった。なんて言うのだろう、温かな心が通い合う瞬間とでも言うのか、僕と彼女はその朝の短い時間に、確かに心を通い合わせることができたのだ。お互いに初めて会った同士なのに、なぜだろう? でも、そういうことってある。
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 ベヴァリーはニューヨークから移住してきたアメリカ人で、ニューヨークでは某有名ホテルのレストランでパティシエをしていた女性。この宿はベッド&ブレックファーストだから朝食が必ず出るわけだけれど、ベヴァリーの朝ご飯は、毎日ほんとうに素晴らしかった。
 朝食は8時から、と決まっている。ゲストはみんな母屋のダイニングルームへ8時きっかりに集まらなくてはいけない。5分でも遅れるとベヴァリーがキッチンから出てきてこう言うのだ。「もう、せっかく美味しいのが冷めちゃうわ!」。そして、誰かが笑って寝坊助を起こしに行く、というわけだ。
 さすがパティシエとあってパンが実に美味しい。毎朝手作りのパンがいろいろと出るのだけれど、もうそれだけパクパク食べ続けたい。でも、ぐっと我慢しなくてはいけない。なぜなら、前菜、メイン、デザートと、朝食なのにたっぷりなコースになっているのだ。とにかくどれもこれも美味しい。毎朝違ったものが出されるから、とても楽しい。出されたお皿を全部食べ終わると、もうお腹がポンポンになる。美味しいパンは残念ながら食べきることはできず、するとベヴァリーがやって来て悲しそうな顔をする。「でもベヴァリー、もうお腹がいっぱいなんだよ、ほんとうに。すごく美味しかったよ・・・」と僕は言い訳をする。毎朝それの繰り返し。

 朝食後、ダイニングルームの大きなテーブルに残ってコーヒーを飲みながら、お皿の片づけをしているベヴァリーとお喋りするのも僕の日課だった。日本人の血が混ざっているベヴァリー、ニューヨークからやって来た彼女に僕は興味津々で、毎朝少しずつ質問をした。毎朝のそれは、僕にとって至福のインタビュー・セッションだった。英国人の旦那さんのこと、子供たちのこと、故郷のこと、犬や猫のこと、なぜカナダのこの島へ、ソルトスプリング島へやって来たのか・・・
 「これは私にとってチャレンジなのよ」とベヴァリーは言った。ソルトスプリング島はアーティスト・アイランド、ヒッピーの聖地などと呼ばれていて、ベヴァリーもまた見るからに元ヒッピーという女性だった。僕は彼女がソルトスプリング島のそういう空気にひかれてやって来たのかと思っていたけれど、答はそんなに単純ではなかった。
 「私は、自分の可能性を試してみたかったの。新しい暮らし、新しい仕事・・・、これは憧れとか夢とかそういうことではなくて、私は自分の新しいチャレンジとしてここを選んだの。もちろんこの島は美しい、良い島だと思うわ。でもここは田舎だし、白人文化の島だし、私は見ての通り白人じゃない。住んでみて初めて体験する差別もあるのよ。理想主義だけじゃ何も成し遂げられないわ。私は、何よりもまず自分がどれだけできるのか試してみたかった。私が“こうありたい”という形の宿を作り上げて、それでやって来る人たちを満足させてあげたいけれど、それができるかどうか試したい。たとえばこのリビングルームの床も壁も、これは前の持ち主の作ったもので私の好きな色じゃないの、好きなタイプじゃないの。だからこれらを私は自分が“こう”と思うものに変えていきたい。それもチャレンジなのよ。もちろんいっきにすべてはできないから、少しずつ、少しずつ、できることからやっているの。今は庭をいじっているでしょう。私の好きな花や木々を植えたり、庭でハーブを作って料理に使いたいし。すごく大変よ、こういうことって。楽しいか?って訊かれても、“すごく大変”と言うしかないわ。もちろんここにやって来たことを後悔していないし、私は自分のためにこれをやっている。でも、チャレンジというのは常に大変なこと。チャレンジするのは楽じゃないわ。でもね、私はこれを選んだの。チャレンジすることを、私は選んだの。だから一生懸命やるし、とにかくやり遂げたいわ」・・・
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 僕らは確かに大切なことを語り合った。それが僕にとっては重要だった。お互いによく知りもしない間柄、短い時間、でも、それでも人は心を通い合わせることができるんだと僕は思った。もっともっといろんなことを彼女と話したいと僕は強く思っていた。きっと彼女もそう感じてくれていたはずだ。
 ベヴァリーから届いたクリスマスカードは今、僕の仕事机の上に広げて置いてある。彼女の柔らかな文字を見て、僕は彼女の遠慮がちな笑顔を思い出す。
 早く春が来て欲しい。次の春か初夏に僕はきっとソルトスプリング島へ渡り、ベヴァリーの宿にまた滞在するだろう。僕が世界で最も好きな空間のひとつが、そこにある。あのコテージ。あのコテージのキッチンルームの小さなテーブルで物を書きたい。玄関のドアを開け放っておくとベヴァリーの猫がのそのそと入ってくる。美しい午後の光の中、猫が昼寝をしているベッドの横で僕は読書をする。何処へ行く必要もない。だってそこの部屋、その庭が、あまりにも心地いいから。ベヴァリーの素晴らしい朝食を食べる。コーヒーを飲みながら彼女とまたお喋りをする。話したいことが僕にはある。聞きたいことがある。
 彼女の宿は僕のために待っていてくれる。何処へも行かずに。今、目を閉じれば鮮やかに景色が見える。そこは今もあそこにある。今、この瞬間に。そう思うと嬉しい。東京にいても、僕にはあそこがあるのだ、と思えること。それが嬉しい。いつでも行けるのだ。そう信じて、今を生きる。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『THE TRIIALS OF VAN OCCUPANTHER』MIDLAKE
『LUNATICO』GOTAN PROJECT
『NICKY'S DREAM』GABBY & LOPEZ
『IN BETWEEN DREAMS』JACK JOHNSON
『HAPPINESS』FRIDGE

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by imai-eiichi | 2006-12-15 15:34

037【アンソニー・ミンゲラ『BREAKING and ENTERING』】

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 旅先の街で、2つの素晴らしい映画を見た。
 アレハンドロ・イニャリトゥ監督の新作『BABEL』と、アンソニー・ミンゲラ監督の新作『BREAKING and ENTERING』。
 『BABEL』は、『21グラム』を見てからずっと待ち遠しく思っていたイニャリトゥの新作。やっと、という感じで先週末、米国で僕は見た。ミンゲラの新作『BREAKING and ENTERING』は11月中旬にイングランドで公開、12月に入って米国でも公開された。どちらも、日本での公開は残念ながらまだずいぶん先のようだ。
 まず、ミンゲラの新作について少しだけ書こうと思う。

 アンソニー・ミンゲラと言えば、『イングリッシュ・ペイシェント』は僕も気に入ったけれど、完全にミス・キャスティングだった『リプリー』はまったく好きになれなかった(この映画は『太陽がいっぱい』のリメイク。では、なぜアラン・ドロンをマット・デイモンに演じさせたのだろう? むしろ相手役のジュード・ロウこそアラン・ドロン役に相応しいじゃないか!)。『リプリー』に裏切られたせいで、その次作『コールド・マウンテン』は見ていない。ただ、ミンゲラの映画は、サウンドトラックが常に素晴らしい。だから、『コールド・マウンテン』は見ていないのだけれど、ガブリエル・ヤレドによるそのサントラはすぐに買った。ミンゲラ作品のサントラはどれもこれも常に素晴らしい。
 この秋のある日、東京のFMラジオ局のスタジオで、音楽ディレクターの友人が「これ、知ってる?」と貸してくれたのが、『BREAKING and ENTERING』と題された映画のサウンドトラックだった。「とってもいいよ」と彼女は言った。彼女の音楽センスを僕は120%信頼している。
 そのサウンドトラックを聴く前から僕は、「このサントラは相当いいに違いない」と信じ切っていた。何しろそれは、アンダーワールドとガブリエル・ヤレドという、僕が特にフェイバリットな2組によるコラボレーション・アルバムなのだ。このアルバムの素晴らしさとユニークさについて、ミンゲラ監督がCDに長文のエッセイを寄せている(CDはもう売られている)。けれど、このCDの話に入るとまた長くなりそうだからそれは次回にとっておこう。今日は映画の方の話。
 とにかく、そのサントラを初めて聴いたのが2か月ほども前。以来ずっと、「早く映画を見たい」と心待ちにしていた。

 『BREAKING and ENTERING』。
 壊し、入る。
 「不法侵入」。
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 舞台は今日のロンドン。
 季節や時間が不明な曇り空の下(つまりそれは、この街特有のものだ)、40代とおぼしき男女2人が車で移動している。言葉はない。2人の間にはなんだかひんやりした空気が流れていることがすぐにわかる。沈黙の車内。一方で街のノイズが窓の外から響いている。ロンドンはどこもかしこも再開発のまっただ中にある。ランドローバーを運転する男の心の声がこう語る。
 「僕らは、いつから偽るようになったのか。偽りが消えたとき、残るのは何なのか・・・」
 しばし続く彼の心のモノローグ。後ろにはアンダーワールドとガブリエル・ヤレドによる緊張感のある旋律。いっきに僕はこの映画に引き込まれた。この映画が観る者をいったい何処へ連れて行ってくれるのかと、心は相当にワクワクどきどきし始めていた。
 映画の冒頭からそんな気持ちにさせられたのは、実に久しぶりのことだった。

 映画の冒頭でランドローバーを運転しモノローグをしていた男は、ロンドンに住む若く有望な建築家。彼がキングスクロスの裏通りにある古い倉庫に新しいオフィスをオープンする。古い巨大な体育館のような倉庫の中に、真っ白なiMacが何台も並べられ、モダンな家具がそろう。彼は今、ロンドンが市をあげて取り組むキングスクロス再開発のリーダーである。彼のデザインがコンペで通り、キングスクロスは新しい街として生まれ変わろうとしている。彼には大きな才能があり、少しだけの野心があり、ロンドンという街をきれいに作り替えたいという夢がある。いずれにせよ、これは一大プロジェクトだ。彼のこの建築計画がすべて終わる頃、彼はヨーロッパで最も有名な建築家のひとりになっているだろう。建築家としての彼の前には明るい未来がある。
 キングスクロスとは、東京で言うと新宿歌舞伎町界隈だろうか。繁華街。新宿よりもっと現実的な危険に満ちている。通りに立つ売春婦、無数のドラッグディーラー、マフィアとチンピラたち、路上には注射針が落ちている。僕は仕事で時々ロンドンへ行くけれど、わざわざキングスクロスを歩きたいとは思わない。歩くときには、鞄など持ちたくないし、持たねばならないときは、ギュッと抱きしめるようにして歩くだろう。ビーチサンダルで歩くなんてもってのほかだ。HIVウィルスに感染した血液がついた注射針を踏み抜いたら・・・。
 その建築家のオフィスのキングスクロスへの引っ越しはすべて終わり、夕刻、倉庫の中に作られた真新しいスペースで新オフィスのお披露目パーティが盛大に開催される。若き才能ある建築家のために、大勢の人々が祝福にやってくる。
 その夜、パーティが終わり無人となったオフィスに泥棒が入る。倉庫の天窓を破って、2人の若者が侵入する。そう、breaking and entering、最初の不法侵入を観客は目撃する。セキュリティがなぜ破られたかも、瞬時に目撃する。
 2人の少年の泥棒は、別の大人たちに雇われた使い走りに過ぎないこともすぐにわかる。そして彼らが、生まれながらの英国人でないこともすぐに明かされる。彼らはバルカン半島からの移民、ユーゴスラビアでの民族紛争中、命からがらロンドンへ逃げてきた者たちと、その子供たちなのだ。移民である彼らにまともな仕事や学校はなかなか得られない。
 ゆっくり、しかし確実さを持って、ロンドンという世界的な大都市の構造が、明かされていく。
 わずか一部の富める者と、多くの貧しき者によって成り立っている世界。貧しき者の中にこそ差別がある。富める者は差別をしない。必要ないからだ。富める者は差別のある社会を狡猾に利用しているだけだ。貧しい者たちはしかし、その差別のまっただ中に放り込まれ、翻弄され、生きていくしかない。従って競争が生まれる。差別という名の競争だ。肌の色、国籍、性別、住んでいる場所・・・、ウィルスのように存在し広がっている病巣が次々と明かされる。その病巣はしかし、ロンドンだけのものではないことを観客はすぐに知るだろう。それはニューヨークであり、パリであり、東京である。不法侵入したバルカンの子供たちは実は僕ら自身である。若き建築家もまた僕ら自身の姿。物語が引き起こす出来事は次々と観客の心に突き刺さっていく。なぜなら、「これは僕たち・私たちの物語なのだ」と誰しもが思わされるからだ。

 ミンゲラ監督は見事な映画的手さばきで、僕ら観客の心にbreaking and enteringしてくる。実に見事だ。
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 未来が約束された若き建築家。一方で彼は大きな問題を抱えている。
 一緒に住むスウェーデン人の女性は実は彼の正式な妻ではない。結婚することができるのに2人はしないまま一緒に暮らしている。彼女には別れた夫との間に生まれた娘がいる。心を閉じた不眠症の少女だ。少女は家庭に暗い影を落としている。才能ある建築家は、仕事を隠れ蓑にし、頭がおかしいとしか彼には見えない少女がいる家を避けようとする。だが一方で彼は、愛する彼女と結婚がしたいし、彼女の娘を我が娘として愛したいと希求している。2人の心を理解したいし、愛する2人に自分を理解してもらいたいと願っているのだ。彼は善人である。
 建築家と彼女、その娘。一見平和な一家は実は、3人ともお互いの心の内をのぞこうとしない仮面の家族であることがわかる。彼らはお互いに、breaking and enteringされることを拒んでいるのだ。最も小さな集団の形、つまり「家族」。建築家一家の3人は、わずか3人の小さな国境の中で、まったくお互いの心に侵入できない。世界には無数の不法侵入があるというのに。
 これは彼らだけの物語ではない。この一家に観客は、時に本当の心を明かそうとしない僕ら現代の住人を見る。彼ら一家は僕ら自身なのだ。この映画は「僕ら自身の物語なのだ」。
 強盗、不法移民、差別、貧富の落差・・・、ロンドンの街と人々に観客はbreaking and enteringしていく。

 物語は一見複雑に、しかし実に純粋に、「今」という時代の真実を明らかにしていく。

 なぜバルカン半島で悲惨な戦争があったのか。なぜ人は争うのか。宗教とは何か、性とは何か、家族とは何か、言葉とは何か、国境とは何か・・・、映画は、観る者の心の準備を遙かに凌駕して、様々なディテイルにbreaking and enteringしていく。その度に見ている観客は、気づかないふりをしていた「真実」が明かされていくことに気づき、息苦しくなるだろう(僕はとても苦しかった。そして、それは感動的でもあった)。

 自分の会社には不法侵入者が繰り返し、自分の家庭にはしかし心を一切入れることができない。愛する女性、愛する娘の心はロックされたまま、一切侵入できない。けれど実は、主人公である建築家の男自身こそが、自分の心に誰かが忍び込むことを頑なに拒んでいるのだ。一番欲しくないものが無理やり繰り返し侵入してくる。けれど一番欲しいものの中へはまったく入れない。ああ、これは僕らの物語じゃないか。
 無数のbreaking and entering。けれど、真実には入っていけない。
 この世界は矛盾に満ちている。
 その矛盾を、「人間の真実の世界」としてミンゲラは描く。ミンゲラはこう問うのだ、「唯一の道などない。正しい解決法などない。無数の矛盾が絡み合って解くことはできない。これが、我々人間なのだ」と。そしてミンゲラはその美しい結末でこうやさしく語りかける、「矛盾はなくならない。しかし、我々人間には語り合うことができる。理解し合おうと努力できる」。
 明らかにミンゲラは、「9・11」以降のブッシュと米国が先導してきた方法論に疑問を投げかけている。

 とにかく、複雑に見えながら純粋な病巣を抱えたこの都市で、様々に繰り返されるbreaking and entering。ミンゲラ監督はその実態を、決して焦ることなく、落ち着いて、ディテイル一つひとつにきっちりと迫りながら、あらゆる細部を開いて見せてくれながら、ひとつの「現代の人間と都市の物語」として見せていく。
 いったい、どのようにこの物語は終わりを告げるのか?
 心臓の鼓動はどんどん速くなる。観ている者は最後まで息を切らすことなく走り続けることを強いられる。しかし、走り終わったとき、そこまで走ったことに、走りきったことに、喜びを感じるだろう。ミンゲラが観客を先導する長距離走のゴールは、実に素晴らしい。

 傑作。この映画は必見と言うに相応しい。今年見た映画の、僕にとって、間違いなくナンバーワン。もちろん、『スターウォーズ・エピソード3』はまったく別として。日本での劇場公開が待ち遠しい。映画館でもう一度この映画に出会いたい。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『BREAKING and ENTERING』GABRIEL YARED & UNDERWORLD
『LUNATICO』GOTAN PROJECT
『NICKY'S DREAM』GABBY & LOPEZ
『THE TRIIALS OF VAN OCCUPANTHER』MIDLAKE
『MILKWHITE SHEETS』ISOBEL CAMBELL

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by imai-eiichi | 2006-12-11 16:49

036【音楽のある風景、NEW YORK, VANCOUVER, HAWAII】

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 最近、Gabby & Lopezの新譜を、繰り返し、繰り返し、聴き続けている。
 アルバム・タイトルは『Nicky's Dream』。今もラップトップのiTunesから流しながらこれを書いているところ。街を歩いているときにはiPodで、もちろん車の中で、ソファの上、エレベーターの中、地下鉄の中、書店をのぞきながら・・・。何処でも、いつでも。
 瞑想音楽。
 そんな感じ。
 瞑想と言っても、彼らの音楽はアンビエント・ミュージックの類ではないと僕は思う。静かなだけの音楽があるとするなら、彼らの音楽は対称的だ。彼らの音楽は決して静かではない。決してにぎやかではないけれど、強い主張がきっちりあるからだ。彼ら2人の奏でるギター・サウンドの根底にはロックのビートが響いている(もちろん音楽の受け取り方はひとり一人まったく異なるので、ここで書いているのはあくまで僕の個人的見解です)。
 とにかく、すごく、ものすごくいい。The Album Leafの新譜もいいけれど、Gabby & Lopezの新譜は至福。

 エレクトロニカ・ミュージック、いわゆるプチプチ系の音楽が、今、とても面白いように思う。これは日本に限らず、欧米的にもそういう流行があるみたいだ。
 自分のiPodのお気に入りソング・リストを振り返ると、少なくとも僕は、そのジャンルにあてはまる音楽ばかりを最近よく聴いている。The Album Leaf、Chari Chari、Natural Calamity、The Aurora、Moose Hill、Boards of Canada、Calm、Dub Tractor・・・。まだまだあるけれど、きりがない。今、気づいたけれど、このジャンル、日本人の音楽家が意外に多い。僕は邦楽と呼ばれる音楽をほとんど聴かないけれど、いわゆるプチプチ系サウンドに関してはフェイバリットな日本人音楽家がたくさんいる、ということだ。坂本龍一を筆頭に。
 こういった音楽家たちはテレビには登場しないし、FMラジオからも彼らの楽曲は、BGM的に時々使われる以外は、流れてこない。
 でもそれって、本当にひどいことだ。こんなに素晴らしい音楽が、「歌詞がないから」とか「長いから」とか、そういうアホな理由だけでオンエアされないのだから。インストゥルメンタルのナンバーだというだけで、DJトークの後ろで申し訳程度に流されるだけなのだから。だいたい昨今のFMラジオ局は3分半の楽曲しか流さない。5分以上あったらもうNG、それでも奇跡的にオンエアされたときには4分前後でフェイドアウトしていく始末。やれやれ、ひどい。日本の音楽ビジネスのファシズム的内情、音楽環境の貧しさが、このFMラジオに象徴されている。そこにはオルタナティブ性がないのだ。ヒット曲しか流れないから。「オルタナティブ=その他の選択」が皆無なのだ(これはTVや新聞なども同じ現状。そして政治や行政についても)。オルタナティブが皆無の現在の日本社会、これをファシズムと呼ばずして何と呼ぼう?

 やれやれ。またイライラ・ストレス病が・・・
 閑話休題。
 いずれにせよ、こういったプチプチ系の音楽は、マイナーな、アンダーグラウンドなものであることには違いない。でも、だからこそ、なのだろう、オリジナリティあふれる素晴らしい音楽を創造している人たちが、そのジャンル、フィールドにはたくさんいると言いたい。それって、良いことがほとんどなくなった今の時代において、実に素敵なことのひとつだ。
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 ニューヨークへ行くと必ず立ち寄るレコード・ショップがある(もちろん売られているソフトはCDがメインだけれど、この店は「レコード・ショップ」と今も呼びたい。実際、レコードもたくさん売っているわけだし)。「OTHER MUSIC」という店だ(前にもこのブログにちょっと書きました)。ダウタウン、イースト・ヴィレッジのセント・マークス・プレイスのすぐそばにある。地下鉄WEST 4th STREET駅から上がってすぐの路面店。
 OTHER MUSIC、つまり「その他の音楽」というレコード・ショップ。「その他」って、どういう意味?
 道を挟んでこの店の向かい側には、「タワーレコード」という世界的なチェーンの大型CDショップがある。そう、OTHER MUSICの主張する「その他の」というのは、タワーレコードで売っている「以外の」音楽、ということなのだ。「あちらのタワーがメイン・ストリームなら、こちらはオルタナティブですよ」と。
 こういうネーミングって、それ自体がすごく楽しい。そしてこの店は、そのユニークな主張(名前)と内容が見事に合致していて、そこがまた素晴らしい。小さな、地味なる店なのに、骨太。小さな巨人と呼ぶにふさわしいレコード・ショップなのだ。その強烈なメッセージを正しく発信させている姿は、魂の体育会系と呼ぶべきだろう。大型のタワーレコードが、ちゃらちゃらしたお遊び程度に見えてくるから不思議(でも、もちろん、そっちも僕は大好きです。とってもお世話になっているし)。
 OTHER MUSICに置かれている多くの音楽は、確かにアンダーグラウンドだったり、インディペンデントだったり、超マイナーだったりする。でも、滋養のある音楽が多いのも特徴だ。そう、滋養ある音。
 もちろん、こういう店は世界各地、都市には必ずあるのだろう。東京には実にたくさんの個性的なレコード・ショップが健在だし、パリやロンドンにも数多い。バンクーバーなんてとっても小さな街なのに、RED CAT RECORDという、これまた「小さな巨人」的CDショップがある。この店の入り口にはケニーGのレコードが飾られていて、そのジャケットには大きく「×」がつけられている。「NO KENNY G」、そう、「そっちの類の音楽をお探しなら、どうか他を当たってくれ」という無言のメッセージを入口からガンガン響かせている、というわけだ。ちなみにこの店のオーナーは、ニール・ヤングによく似ている。バンクーバーの友人に、「ニール・ヤングに似ているよね」と相づちを求めたら、「もみ上げだけじゃない?」とクールに言われたけれど。(RED CAT RECORDは、メイン・ストリートの25丁目界隈にあるので、バンクーバーへ行かれた際には、ぜひ入ってみてください。名前の由来もわかるし、素敵なオリジナルTシャツもオススメです)
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 今また、旅の途上。旅先のホテルで深夜、ケオラ・ビーマーのドキュメンタリー番組をやっていて、これがとても面白かった。
 ケオラ・ビーマーは、現代ハワイを代表する音楽家で、スラック・キー・ギター界の重鎮のひとり。重鎮でありながら、孤高と呼べばいいのだろうか、ハワイの音楽シーンのメイン・ストリームからは遠く離れた場所にいるような雰囲気を僕は彼の音楽から感じてきた。今回このTVインタビューで本人の言葉を聞いて僕は、彼が醸し出す「孤高性」のその理由を少しだけ知ることができた。
 1970年代初めのハワイ諸島にわき起こった「ハワイアン・ルネサンス」というムーブメント。その流行の中にケオラ・ビーマーもいた。当時は、カポノ・ビーマーと2人で兄弟バンドを組んでいた。ビーマー・ブラザーズという名で活躍、次々とヒット曲を出した。この兄弟バンドで最も有名な曲は「ホノルル・シティ・ライツ」だろう。当時の彼ら2人によるアルバムを数枚持っているけれど、僕が好んでよく聴くのはここ数年内に出されたケオラ・ビーマーのソロ・アルバムだ。
 『ISLAND BORN』というタイトルの1枚は特に大好きで、よく聴いている。雰囲気で日本語にすれば「島生まれ、島育ち」という感じだろうか。沖縄諸島の唄者のアルバム名にもなりそうだ。
 アルバム・タイトルにもなっている「Island Born」という曲が特に大好きで、こんな歌詞の唄だ。

 自分が何処へ向かっているのか。
 自分の本当の居場所はあるのか。
 迷ったとき僕は自分の故郷を思う。
 僕が生まれ育った島を。
 ああ、あの島に生まれて良かった・・・そう思う。
 島に生まれ育って良かった・・・ほんとうにそう思う。
 島の山、島の海、何もかも、
 I'm so proud to be Island born・・・

 山々の上に太陽が昇る。
 緑の木々を光で照らす。
 顔を上げて、思わずじっと見入ってしまう。
 今日という日が僕に与えてくれる素晴らしきもの。
 僕は思う、
 ああ、この島に生まれてほんとうに良かった。
 島に生まれ育って良かった・・・ほんとうにそう思う。
 山も海も何もかも、
 I'm so proud to be Island born・・・

 サビのパートで繰り返される、「I'm so proud to be Island born」という歌詞は、直訳すればこうなる。
 「僕は、この島に生まれ育ったことを誇りに思う」
 日本の本州というメイン・アイランドで生まれた僕もやはり「島生まれ、島育ち」だけれど、この歌詞のような言葉を自ら言う気分になれたことは一度もなかった。自分が「島にいる」という気持ちになれたことは、東京に暮らしていて、ない。だから沖縄の島などに旅行に行ったときにこう言うのだ、「島へ行ってきたよ」と。自分が今いるここも島なのに。
 もしかしたら、「自分は何処へ向かっているのか?」とか「自分の本当の居場所は何処なのか?」というような疑念が誰しも芽生える、誰しもそのことで一度ならず悩むというのは、結局、自分の本当の故郷に対して誇りを持って、「大好きだ、ここに生まれて良かった」と言い切れない現状にあるのかもしれない。どれほどの数の日本人が「ああ、この島に生まれ育ったことを誇りに思う」と言い切れるのか僕は知らないけれど、少なくとも僕は言えないからだ。
 だから、ケオラ・ビーマーのその唄を耳にすると、涙がこぼれそうになる。そう唄える彼を、彼にそう唄わせる島々を、うらやましく思うからだ。
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 このTVインタビューの中で彼は、「自分が今、探し求めている音」について、こんなふうに表現していた。
 「私は、ここにある花や緑の音を奏でたい。海や波の音を奏でたい。空や風、大地がもたらしてくれるもの、そういったものを私は、自分の身体を通して音楽として表現しているに過ぎないのです。ある意味で、私は音楽家ではなく、自然と人間との間に立つ媒介でしかありません。私がほんとうに好きなサウンド=音は、風で葉っぱがこすれる音や、波の音なんです。人間が奏でる音楽の中で本当によいサウンドがあるとするなら、それはきっと、サウンド・オブ・サイレンス、沈黙の音だけでしょうね」。
 彼が暮らしている場所は、人間が奏でる音楽というものが一切なくても、もっと素晴らしい音楽が流れているところなのだろうなぁと思う。究極的にはきっと彼は、「ギターを弾かない」という選択をするのだろうと思う。それはつまり、「その他の音楽」の選択、オルタナティブな選択だ。「自然が奏でる音楽で充分じゃないか」と思い、ギターを置き、それで満足すること。「I'm so proud to be Island Born」と唄う彼のその先には、もう「唄わない」という選択が待っている。唄わなくても、そこここに美しい音楽が流れているから。そういう場所に生まれ育った彼を、うらやましく思う。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『NICKY'S DREAM』GABBY & LOPEZ
『STRAW HAT, 30 SEEDS』GABBY & LOPES
『ISLAND BORN』KEOLA BEAMER
『NEW LOST CITY RAMBLERS』LONESOME STRINGS
『WHOLE TRIP MUSIC』田原マサハ

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by imai-eiichi | 2006-12-04 07:35




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