ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

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035【旅の記憶、白日夢、クリント・イーストウッド】

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 今月は何処へも旅をしていない。
 久しぶりに、ずっと東京の自宅にこもったまま。
 とは言え、今の季節、東京にいることが比較的心地いい。朝の太陽の眩しさ、夜の長さの心地よさ、ちょっと上着を羽織れば丁度いい外気や湿気の具合。屋外のカフェで過ごすのが楽しい時間は、東京では短い。春と秋の、わずかな日々だけ。夏は蒸し暑くて外になんかいられないし、冬はすごく冷える。今月はそんな、屋外で過ごすのが心地いいという、東京でのわずかな日々のひとつだと思う。外を歩くのが気持ちいい季節だ。

 放浪者というわけではないので、もとよりそんなにしょっちゅう何処かへ行っているわけではない。ただ、「何処かへ行く」のが好きなだけだ。そして、「何処かへ行ける仕事」に向けて常にアンテナを広げているのは、事実かもしれない。
 仕事柄、周りには写真家やスタイリストの友人が何人もいる。彼らは本当にいつも「機上の人」という感じがする。コレクションのたびにどこかへ行かねばならないし、その他にも買い付けや、雑誌の撮影などなど、とにかく彼らはあまり日本にいない人たちだ。僕は、決してそういう生活をしているわけではない。とは言えもちろん彼らもまた放浪者というわけではない。仕事で否応なく飛び回っているのだ。重たい荷物と一緒に。
 知人のフットボール・ジャーナリスト、つまりサッカーのライターや写真家たちは、もう少し趣味に近いレベルで仕事の旅を重ねているように見える。秋から翌年の春にかけてはヨーロッパのフットボール・シーズンだから、彼らはほとんどの時間をヨーロッパのあちこちで過ごしている。各国のリーグ戦、チャンピオンズ・リーグ、代表戦と、細かく取材していったら、ほとんど日本へ帰ってくる暇などなくなってしまいそうだ。でも彼らの多くはいつだって楽しそうだ。だって、もともとフットボールが好きで、そしてフットボール好きにとって仕事という名目でヨーロッパの地でフットボールのゲームを生観戦できるなんて、これほど素敵な経験はない。もちろん大変だと思う、でも、楽しいはずだ、ゲームを見るのは。
 ときどき、彼らの何人かからメールが来ることがある。ミラノやパリ、バルセロナ、ベルリン、アムステルダム・・・、ヨーロッパのどこかの街にいる彼らから。
 自分が東京にいても、そういう場所からメールが届いたりするだけで(時には写真が添付されていることもある)、ずいぶん気分が変わるから不思議だ。自分が訪れたことがない街からメールが来たら、貪欲な耳と目になってあれこれ質問メールを送り返してしまう。そこが、自分も行ったことのある街であれば、いろいろ思い出すし、懐かしいなとか「あそこのレストランはまだあるかな」とか、具体的なことを思い出すことがある。
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 いつも不思議に思うのは、旅先の何か、つまり旅の途上の出来事を思い出すとき、多くの場合なぜか食べ物に関することが多いということだ(もちろんこれは、僕の場合は、ということです)。
 ニューヨークやロンドン、ホノルルで、行く度に必ず立ち寄るレストランやカフェのこと、そこでの食事や飲み物のことはもちろん、店員や、店員の交わした言葉、「あのカウンター」「あの窓際の席」にいる自分のこと、などなど。そういった場所の空気感というか時間というか、何も具体的ではないのだけれど、東京の街角を歩いていて突然ふと、「あれ、この感じはどこだったっけな・・・」とデジャヴュのような感覚があり、その感覚の先にある記憶の糸を探っていくと、「ああ、○○のあのカフェの・・・」ということもある。まるで、鼻腔の奥に、その場所の空気が残存していて、それが突然外へ出てきて脳を刺激する、なんだかそんな感じ(本当にそういうことって起きるのだろうか、科学的・肉体的に?)。
 海外駐在員とか、あるいは仕事で何週間、数ヶ月、ずっと異国に暮らしている日本人はきっと、その滞在先でときどき、「ああ、○○のラーメンが食べたいな」とか、「○○の鮨が食べたい」とか、きっと感じるんだろうなぁと思う。それはとても具体的で、舌先や喉の奥、鼻の中で「感じたい」という感覚なのだろう。
 僕が言いたいのはつまり、「家族に会いたい」とか、そういう「誰」ということではなく、「味」とか「匂い」という意味での郷愁が、時にとても鮮やかで、濃密で、そしてどうしようもないほどに「懐かしい」という想いをよみがえらせる、ということなのだ。

 そういうことって、ないだろうか?
 僕は、わりと頻繁にある。
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 たとえばこんなことがある。
 東京の街角、恵比寿でも中目黒でも銀座でもいい、どこかの街角を歩いていて、あるいは窓を開けて車で走っていて、すっと息を吸い込んだ瞬間に、「あれ? これは、なんだったっけ?」と思うのだ。「この感じ、何処かで・・・?」
 急いでいなければ僕はその場で立ち止まり、目を閉じたりして、そのおぼろげな記憶をゆっくりたぐり寄せようとするだろう。でもそれは、とても危うい、薄っぺらでか細い糸にくっついた記憶で、ぎゅっと強く引っ張るとすぐに切れてしまう。だから、ゆっくり丁寧に、慎重に、やらなくてはいけない。「これは何処だったろう? あれは何だったろう?」・・・
 実は、これも僕に限ってのことかもしれないけれど、多くの場合、その細い糸は切れてしまう。あるいはその糸は他の糸とあまりにも細かく絡み合っていてうまく解くことができず、その先にある欲しい記憶にたどり着けない。
 でも、時々、運良く「そこ」へたどり着けることもある。「そうそう! そうだったよな!」とあらゆる細部までリアルに思い出し、嬉しくなるのだ。
 そういう瞬間、僕は、ここに居ながらにして旅の途上に居るような気分になれる。それは幸せで、けれど、ちょっぴり切ない気分だ。でも、時々そうやってセンチメンタルな気分になるのは、悪くない。
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 ずっと東京にいたおかげで、今月は映画をたくさん見た。いくつか試写を続けざまに見て、見たかったDVD映画をまとめてレンタルしてきて見て、という具合。
 『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』は、どちらも忘れがたい映画となった。大好きなクリント・イーストウッドの監督作品。『父親たちの星条旗』は、最初試写で見て、文字通りノックダウンされて、その後、『硫黄島からの手紙』をやはり試写で見る前日に、映画館でもう一度見た。
 来日したアダム・ビーチ、ジェシー・ブラッドフォードという2人の俳優と、原作者のジェイムズ・ブラッドリー、その3人にしたインタビューは(短い時間だったけれど)今月の良い想い出のひとつだ。特に、素晴らしい原作を書いたジェイムズ・ブラッドリー氏と会えたのは、氏と言葉を交わせたのは、僕にとって大きな出来事だった。
 『硫黄島からの手紙』に主演した4人の日本人俳優へインタビューする機会にも恵まれた。
 主演の栗林忠道を演じた渡辺謙、オリンピック馬術競技の金メダリストという国民的英雄でありながら硫黄島で戦死したバロン西を演じた伊原剛志、そして、若い2人の日本兵を演じた二宮和也と加瀬亮。彼ら4人はみんな、イーストウッドへ深い愛情とリスペクトを抱いていた。短いインタビューで、それがひしひしと伝わってきた。用意された取材日程での映画のプロモーションのためのインタビューだから、彼らは間違いなく、様々な媒体の同じようなインタビュアーから、似たような質問をいくつも、いくつも受けていたはずだ。それなのに彼ら4人は、イライラすることもなく、むしろゆったりと、大切な言葉をじっくり語るようにして、真摯にこちらの質問に応じてくれた。4人は素晴らしい人たちであったし、それを知ったことが嬉しかったし、そういった彼らが演じた映画の出来もまた、素晴らしかった。
 出演者たちのその態度を見れば、イーストウッドの現場がどれほど実り豊かなものであったか、イーストウッドという監督がいかに良い監督であるか、そして結果としてその作品がどれほど彼らにとって大切なものとなったか、そういうことがわかるのだった。彼らは4人とも、今回のイーストウッド監督による2本の映画の重要性、「今だからこそ」という大切さの意味を理解していて、それをきちんと、なるべく多くの人に物語ろうとしていた。その姿勢が美しいと僕は思った。
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 『硫黄島からの手紙』は、クリント・イーストウッドというアメリカ人が撮ったアメリカ映画である。それなのに、舞台は硫黄島という日本であり(撮影の大半はカリフォルニアとアイスランドで行われた)、出演している俳優はみんな日本人であり、全編が日本語である。
 これはなんなのだ? と僕は最初、正直思った。これは、まったく日本映画じゃないか、と。
 でもそれは日本映画じゃないのだ。

 イーストウッドは、『父親たちの星条旗』同様、『硫黄島からの手紙』でも、「戦場には、無数の正義があり、無数の悪がある。そしてその違いを見きわめるのは難しい」ということを描いている。「戦っている兵士たちに悪人はいない。戦争こそが悪なのだ」ということを(もちろん声高に主張することなく)見せてくれる。硫黄島に派兵された兵士たちはみな、誰も本土から助けが来ないことを知っていたかもしれないが、誰も「死にたい」と思っていたわけでは決してない。「いつでも戦争で犠牲になるのは、若者なのだ」とイーストウッドは主張する。そこはとにかくひどい、ひどすぎる世界だ。
 戦場には悪人はひとりもいないが、戦場から遠く離れた安全地帯に「ひどい大人たち」がいっぱいいる。
 いつだって、すべて、大人たちが悪いのだ。
 そんな抽象的というか、「今さら言ったってしょうがないだろう?」的な怒りがまたもやホールデン・コールフィールド的に僕の中には沸々とあり、『硫黄島からの手紙』で主演キャストたちにインタビューしたときに、つい、そんな愚痴にもならない言葉を吐いてしまった。
 渡辺謙に向かって僕は、こんなことを言ったのだ。
 「渡辺さん、けれど、こんなにひどい戦争の真実が、なぜアメリカ人によってしか撮られなかったんでしょう? なぜ、こういう映画を撮る日本人が日本社会からは現れないんでしょう? 僕はそれが悔しい、哀しい、恥ずかしいと思うのです」
 渡辺謙は、僕の言葉を最後までしっかり聞いてから、一瞬何か思いを巡らし、次の瞬間にこういう答を返してくれた。
 それは、とても素敵な答だった。

 「撮影の最後にぼくは、クリントと一緒に硫黄島へ行ったんです。ぼくは最後に、硫黄島で少しだけのシーンを撮影したんですね。
 硫黄島には今も何万という兵士の死体が埋まっています。そこは聖地でもあるんです。映画に出てくる摺鉢山(すりばちやま)の山頂には、日米双方の慰霊碑があります。映画『父親たちの星条旗』では、映画の最後の最後、エンド・テロップがすべて出終わったところで、その慰霊碑(現在の姿)が映し出され、すべての映像が終わります。一方、『硫黄島からの手紙』では、慰霊碑は映画の冒頭に登場します。
 硫黄島へ行ったとき、ぼくらはみんなで最初にその慰霊碑へ行きました。献花し、祈るためです。
 ついに山頂へ到着して、お祈りを捧げようというそのとき、仲良くなっていたアメリカ人の小道具担当のスタッフのひとりが、胸のポケットから小さな2つの旗を取り出しました。ひとつが日章旗、ひとつが星条旗。彼は星条旗を僕に手渡し、自分は日章旗を手にしました。彼は言いました、「オレはオマエの旗を持つ、オマエはオレの旗を持ってくれ。一緒に捧げよう、ともに祈ろう」。その瞬間、ぼくはこう思ったんです。ああ、こいつらと一緒にこの映画を作ることができて本当に良かった、この映画をアメリカ人と一緒に作ることができて良かった、と」

 イーストウッドは、この『硫黄島からの手紙』でもやはり、急がない。ゆっくりと、じっくりと、時間を使って物語を描いていく。
 この時間の使い方、ゆっくりとした、決して性急にならないその姿勢、それこそが近年のクリント・イーストウッド映画の魅力であり、真骨頂だと思う。
 いつ頃から彼はそういうタイプの映画を撮るようになったのだろう? 『バード』の頃からだろうか、それとももっと前だろうか。もう一度、『恐怖のメロディ』からずっと彼の映画を見直さなくてはいけない。
 その時間のゆっくりさ、それは、ここ数年の彼の監督した映画、『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』では際だってきていた。
 イーストウッド監督はいつも決して物語を急がないのだ。

 僕には、他の多くの人たちと同じように、自分の好きな映画や映画監督たちがたくさんいる。たとえばイニャリトゥ監督の『アモーレス・ペロス』『21グラム』という映画が大好きだし、初めて見たときショックを受けたというか、(わかりやすい表現だが)感動した。たとえばポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』や、ロバート・アルトマンの『ナッシュヴィル』のような群像劇も大好きだ。キャメロン・クロウもコーエン兄弟も、ウェス・アンダースンも、デヴィッド・リンチもハル・ハートリーもミンゲラ、ゴダール、ミルチョ・マンチェフスキー、ジャン=ピール・ジュネ、ガブリエル・サルヴァトーレ・・・、みんなみんな大好きな映画監督で、彼らの作品はすべて必ず見てきた。
 けれど、クリント・イーストウッドの映画は、映画術と言うべきなのか、まったく誰とも違う。もちろんそれぞれが違うのだけれど、なんて言うのか、自分の好きな映画監督とその映画を見比べていくと、今の時代だからこそ76歳にもなるイーストウッドの映画の個性が、あまりにも際だってびっくりするのだ。

 近頃、性急な映画、というものが今はどうしても多い時代だと僕は思っていて(たとえば『クラッシュ』がそうだった。いい映画なんだけれど・・・)、クリント・イーストウッドの作る映画は、そういった時代の流行とは無縁なのだ。
 そして僕は、イーストウッドが描く「時間」の中に滞在することが、たまらなく好きだ。
 2時間から2時間半の映画館の暗がりの中でイーストウッドは僕を、まったく別の「何処か」へと完璧に連れて行ってくれる。
 そこは、ゆっくりしていて、やさしくて、決して押しつけがましくない時間が流れる場所だ。イーストウッドは常に僕を、「完璧にその場所に連れて行く」。それは、2時間の旅の感覚とか、そういうことではない。イーストウッドの作品では、映画とは「旅そのもの」なのだ。
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 アカデミー賞受賞作『ミリオンダラー・ベイビー』でそのキャリアの頂点を究めた感のあるクリント・イーストウッドだけれど、この2本、『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』で、さらに先へと進んでみせた。「端倪(たんげい)すべからざる」とは、まさにこの人のためにある言葉だ。今年76歳のイーストウッドは、現存する世界最大の映画作家であることを、またしても証明したのだ。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『12 NOTES』高田漣
『DESERT HOUSE』MOOSE HILL
『THE RUSTLE』TAKAGI KAZUE & MOOSE HILL
『TENORLY』LEE KONITZ
『SOLITUDE』BILLIE HOLIDAY

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by imai-eiichi | 2006-11-21 15:07

034【縁日、川と海辺、旅の時間】

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 僕が暮らしている街は、毎月28日がお祭りの日、縁日になっている。1月から12月まで、毎月必ず。毎月一度必ずお祭りがあるなんて、考えてみると、なかなかおめでたい街だ。とは言え、御神輿かつぎや太鼓の音が、年に何度も響くのは、確かにちょっと「うるさいなぁ」と思うのだけれど。特に、朝寝坊したい日曜日の早朝に、「今日は、午前10時から、御神輿が出ます。皆さんもお誘い合わせの上・・・!」などと、はっぴを着たローカルのオジサンに拡声器でメッセージしながら町内を歩かれると、ちょっと困ってしまう(しかも困ったことにこのオジサン、ものすごく素敵な声をしているから、無視できない)。
 とにかく、そんな街にもう、10数年暮らしている。
 縁日の日、小さな商店街には提灯がぶら下げられ、各商店は安売りセールをしたり、店の前に即席の屋台を設置して色々と売っている。無料で甘酒をふるまう店もある。
 ここは野良猫が多い街なのだが、猫たちもこの日は朝からそわそわしているようだ。もともと「猫おばさん」「猫おじさん」系の多い街ではあるのだけれど、縁日には誰でも気前がよくなるようで(たぶん)、路上に生きる猫たちにすると、「今日はご馳走にありつける日だぞ」ということになっているらしい(もちろん直接聞いたわけじゃなく、あくまで推測です)。いつもはちくわしかくれないおでん屋のオヤジが、この日だけはと牛すじの煮込みをくれたりとか。それも見て確かめたわけではないのだけれど、どうもそんな気がして仕方がない。
 毎月28日の縁日には。

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 歩いてすぐのところに目黒不動尊という寺院があり(不動尊としては東日本最大だとか)、そこに市が立つのが28日なのだ。渋谷・五反田間を走り、寺の入り口にバス停がある東急バスは、その行き先表示に、この日だけ「縁日」というサインが灯る。「縁日五反田行き」と「縁日渋谷行き」である。なんだか、縁起のいいバスみたいだ。
 目黒不動尊の他にも、この辺りには神社仏閣が実に多い。目立つところをあげると、「蛸」を神様にしている「たこ薬師」、素晴らしいミュージアムが併設されている「チベット密教寺院」(ここには見事な砂絵が常設展示されている。ちなみに、チベット密教の砂絵の常設展示は世界でここだけである)、本当に500の羅漢像があるのだろうか? といつも前を通るたびに思う「五百羅漢寺」・・・、他にもまだまだあるのだけれど、きりがないので、この辺で。とにかく、どの神社仏閣も、毎月28日にはお祭りムードを醸し出している(便乗か?)。

 28日の縁日には、まず日中、目黒不動尊の駐車場エリアに植木や植物などの市が立ち、夕方くらいからは無数の屋台に明かりが灯って、「夜祭り」状態になる。中には有名なたこ焼き屋があるらしいのだけれど、10年以上この街に暮らしていながらまだ知らない。
 海外から友人・知人がやって来ているときなど、タイミングよくこの縁日を迎えると、だいたい連れて行き、必ずみんな喜ぶ。エキゾティックでフォトジェニックだろうし、そもそもこの目黒不動尊という寺が立派で、なかなか味わい深い空間なのだ。
 目黒不動尊の本尊へは、入口の鳥居をくぐってから、かなり長い石段を上って辿り着く。山寺風なのだ。春の桜は見事だ。秋が深まると、大きな銀杏の樹が黄金色に輝き、それも美しい(11月の終わりから12月初旬にかけて)。
 その本尊へ至る石段の麓には、湧き水場があって、ここにわざわざ水浴びにやって来る人もいる。そう、ガンジス川の水浴びみたいに。ガンジス川と違うのは、ここは川ではないことと、死体は流れて来ないこと、もちろん頭から浴びてお腹をこわしたりしない、ということ。365日、毎朝6時前後に、必ずこの湧き水を汲みにやって来る老人たちがいる。彼らは、その日1日飲んだりお茶にするための水を、米を炊くための水を、ここに求めているようだ。「煮沸して飲むと、確かに美味しいよ」と、同じく近所に暮らす知人は言っていたが、まだ試したことがない。

 海外から知り合いが来ると僕は、まぁその人の年齢や性格にもよるとは思うけれど、だいたい浅草と明治神宮へは必ず連れて行く。王道と言えば確かに王道。でも、確実にみんな喜ぶし、僕自身、そういうことがないと浅草まで足を伸ばさないから、ちょうどいい。
 この夏にも、ハワイから1人、オーストラリアから2人、現地の友人が日本を訪れ、そういった場所へ一緒に行った。

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 浅草へ行くときには、浜松町の日の出桟橋から水上ボートで行くことにしている。古いタイプのボートが出航する時間を調べて行く。新しいボートは、有名な漫画家のデザインによるものなのだが、実に醜いと僕は思うし、何より甲板がない造りになっているため、外に出られない。せっかく水上を走っているのに、潮風も川の風も浴びられないのだ。それってなんだかひどすぎる。一方、古いボートは、船の3分の1近くが屋外になっているから、とても心地いい。寒い真冬は別として、他の季節なら(雨さえ降っていなければ)船はやっぱり甲板で楽しみたいと個人的には思う。
 この水上ボートの会社は、わざわざ広告代理店経由でたくさんのお金を使って有名漫画家にデザインさせたのかもしれないけれど、そういうのって、意味がないどころか、隅田川を船で旅することの意味を見失っているんじゃないだろうか。漫画のキャラクターが満載されている船内は、確かに子供たちには楽しいのかもしれないけれど、そのせいで多くの子供たちは水辺の景色を見ようともしないまま(常設のTVゲームに夢中だったり)30分を過ごしてしまうのだ。やれやれである。でも、そんなことに口うるさくなってしまう自分自身にもやれやれだけれど。

 浅草までは、およそ30分の水の道だ。
 隅田川にはたくさんの橋が架かっていて、それぞれに表情がある。川の道を行くと、少しずつ川縁の街の風景も変わっていく。
 水上ボートに揺られながら、ほんの100年とか120年前までは、この川の道が重要な幹線路だったのだろうなぁと想像したりする。たとえば木材を船が運んだのだろうし、人も船に乗ったし、その他にも食料やいろんな物資が、車のない時代、船で運ばれていったのだ。東京中を(江戸中を)。
 東京は海に面した街であるし、このように蛇行する川をいくつも抱えているのに、「水」や「水辺」「川」「海」をそこに暮らす住民のライフスタイルとして利用できていないように感じる。アムステルダム、ミラノ、ロンドン、パリ、バンコック・・・、自分が旅してきた街を思い返すと、川が今も地元の生活と密着している都市がたくさんあった。サンフランシスコ、バンクーバー、ケープタウン、シドニー・・・、それらの街は海とともあり、そこに暮らす人々の生活と密接に関係し合っている。
 ロンドンのテムズ川やパリのセーヌ川のように、なぜ隅田川はなれなかったのだろう? というより、先人たちはなぜそのような利用法を生かした街に東京をしなかったのか、デザインしなかったのか。
 たとえばバンクーバーやサンフランシスコへ行くと、海辺から広がっていくその街のデザイン的美しさ、そこから生まれる心地よさを、感じる。東京にはそれが皆無だ。海がすぐそこにあるのに、「僕らは海辺の街に暮らしている」ということが実感できない。実際、どれくらいの東京人が、「自分は海辺の街に暮らしている」と実感しているだろうか?
 バンクーバーやサンフランシスコやケープタウンでは、常に海を感じていられる。実際、すぐそこに海があり、浜辺もあり、気軽に散策できるのだ。それらの街では、海辺は、決してお台場のような観光地ではない。あくまでそこに暮らしている人々の生活にくっついている。むしろ、まずはローカルたちの生活ありき、なのだ。
 こういうことを考えていくと、いかに日本には「まともな建築家や環境デザイナーが実はひとりもいない」ということに気づいて愕然としてしまう。作り手が自己主張するだけのビルは無数にある。でも、ひとつの都市をひとつの生きた空間として、有機的な街として考えている人がいるようには感じられないし、少なくともそのようにデザインされた試しがない。
 近年、ロハスなんていう言葉が流行語になって、「有機栽培」とかなんとか、そういう食べ物や店が流行っているけれど、そもそも土地や街こそ、有機的なものではないのか。東京ほど(もちろん東京だけではないけれど)無機的な街もない。ここには持続可能で有機的なライフスタイルを目指す姿勢がまったく感じられない(それは実質的に不可能かもしれないが、試すことはできる)。
 これほどまでに雑多でありながらその本質的中身はゼロという街に生きていると、「ロハス」と言って有機的なライフスタイルを個人で送ろうとしている人たちからすると、これはなかなかしんどいのだろうなぁと思ってしまう。
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 などなど、相変わらず皮肉と文句ばかりを脳みそ中にぐるぐるさせながら、海外からやって来た友人と一緒に浅草へ向かうのだ、水上ボートに乗って。
 だいたいお昼前の船で出発することが多いから、浅草へ到着するとまずは「昼食」ということになる。行く店は決まっている。「田川」という蕎麦屋だ。ビールを飲み、まず「御膳蕎麦」を食べる。真っ白な更科である。それから、「狸丼」を食べる。狸丼というのは、いわゆる親子丼の中に天かすが入っている丼だ。田川の狸丼は、メニューには出ていないのだけれど、知る人ぞ知る名物で、とても美味しい。ご飯の上にのったとろ〜りと料理された卵があり、そこに箸を入れると卵の黄身の部分が流れ出し、その下に隠れている天かすと混ざり合う。とろとろ卵と、しゃきしゃきの天かす。口の中で双方が描くハーモニーが素晴らしい。
 お饅頭やお煎餅をつまみながら、新仲見世を歩き、浅草寺で手を合わせ、その後は浅草の裏通りを散策。時間に余裕があるときには「花屋敷」に入って、名物の木製ジェットコースターに乗ることもある。地元の家の軒先をかすめていくこの小さなジェットコースターは、僕からすると、富士急ハイランドやよみうりランドの巨大コースターよりも、ずっとスリリングだ。夕暮れまで浅草をぶらぶらして、帰りは銀座線に乗って、神田の「菊川」で鰻重を食べて帰る。

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 明治神宮へ海外の友人を連れて行くときには、車に乗せて行く。目黒や恵比寿で待ち合わせ、渋谷の街を通り抜けていく。ハチ公前交差点の人混みに驚き、にぎやかな街をのんびり走っていくと、初めて来た彼らはだいたい目をまるくしてびっくりする。
 その後で、明治神宮に着くと、「都会のど真ん中に、こんなに濃い森があるんだね!」と、これまた大びっくりする。僕自身、何度も訪れているけれど訪れるたびに、「素敵な森の空間だなぁ」と感じる。少々カラスの鳴き声が激しすぎる気はするけれど・・・。
 たっぷり明治神宮を散策してから、表参道や青山を流して、午後4時の目黒「とんき」へ行く。午後3時の銭湯と同じで、開店したての「とんき」のぴかぴかのカウンターに座るのは、極上の気分だ。ビール、お新香をつまみながら、ロースと串カツが揚がるのを待っているときの時間の素晴らしさ。海外の友人・知人たちの中でもハワイ人たち大の豚肉好きなので、特に喜んでくれる。

 3日前に、バンクーバーから友人がやって来た。彼をどこに連れて行こうか、考えているのもなかなか楽しい。
 旅をしていると、時々、素晴らしいガイドと出会うことがある。彼らは、偶然を装いながら、見事な手順で一生の想い出と出会わせてくれる人たちだ。そういう旅をすると、「ありがとう」と旅に対して両手を合わせたくなる。「感謝」と。だから、誰かがこの街へやって来たときには、可能な限り自分が良きガイドとなって、彼らを迎えたいと思うのだ。「とんき」とか「田川」だけではなく、いろんな意味で。この街への文句を超越して、彼らの「旅の時間」として、何かを与えてあげられたらいいなぁと、そう思う。
 そう考えていくと、なるほど旅とは、場所や土地や物ではなく、「時間」なのだろうなぁと思う。そこが砂漠でも、雪山でも、スモッグのひどい都市でも、「素晴らしい時間」を感じられれば、その旅は風景には関係なく素晴らしいものになるのかもしれない。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『5:55』CHARLOTTE GAINSBOURG
『DREAD BEAT IN TOKYO』KAZUFUMI KODAMA
『PAUL SIMON』PAUL SIMON
『INVITES SUR LA TERRE』RENE AUBRY
『NORWEGIAN MOOD』KARI BREMMES

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by imai-eiichi | 2006-11-03 19:55




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