ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

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017【聖地 その2】

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 先日、FMラジオ番組のゲストに呼ばれて、ホストを務める高城剛さんと30分ばかりスタジオで言葉を交わした。高城さんとは、仕事を通じてだが、かれこれ10年以上前から顔見知りで、ときどき旅先からお互いが「今、どこにいてね・・・」というようなことをメールで伝え合ったりしている。ただ報告し合うだけ。それでどうこう、ということはないし、そこから仕事へ発展することもないし、ただメールを交換しあうだけ。だから、番組の収録のための短い時間とはいえ、「旅」について、今回たまたまきちんと言葉を交わすことになって、なんだか意外な感じだった。
 二人の話の中で、「聖地」という言葉が何度か出てきた。それから「ヒーリング・ジャーニー」とか「スピリチュアル・プレイス」といったキーワードも。
 彼と会う前に僕はカナダの西海岸へ、それからハワイへと仕事で旅をしていて、この収録直後、スコットランドへ行った。たぶん、そういう一連の旅先のせいだと思う、最近ずっと、「聖地」とか「スピリチュアル・プレイス」といったことについて、(そういった場所がほんとうにあるのかどうか、僕は知らないが)ぼんやりと思いを巡らせている。

 収録中、「聖地というものが安売りされているような気がする」というような発言を僕はしたと思う。高城さんはその意見についてこう分析してくれた。
 「結局、1980年代のバブル以降、日本人はとにかくモノを買いまくってきたでしょ。モノ、モノ、モノ。車、家、マンション、服、バッグ、靴、何でもかんでも買って買って買いまくった。まぁ、今もそれは続いているけれどね。でっかいビルを建てることが、そう意識の現れだろうし。ただ、一部の人たちはそろそろモノを買うことに飽きてきたんじゃないかな。目に見えるモノをこれ以上買ってもなんだか満足感が得られない。それで、今度は、心の満足感を探しているわけ・・・」
 まぁだいたいこんな感じのことを言ったと思う。
 精神分析学の本によれば、「人は心が満たされていないと買い物に走る傾向にある」そうだ。失恋してやけ買い、というのは、その傷ついた心(あるいはムカついた心)=非物質を、モノ=物質を買うことで紛らわせるという効能から起こる行動だとか。

 ここ1年ほどだと思うのだけれど、女性誌を中心に「ヒーリングの旅」とか「スピリチュアル・プレイスへの旅」のようなタイトルを見かけることが多い(僕は多いと思うのだけれど、どうだろう?) もちろん、「ダイエット」とか「ハワイ」とかに比べれば全然登場してくる数は少ないとは思うけれど。でも、時々だからこそ逆に、なんだか目立つのだ。
 これはもしかしたら、一連のロハス・ブームとか、オーガニックとか、そういったムーブメントの一環なのかもしれない。そういったムーブメントの先、あるいは周縁に、「聖地巡礼」とか「スピリチュアル・ジャーニー」とか、そういう発想があるのかもしれない。
 一般的な女性誌で「聖地」なんていう言葉が書かれるくらいだから、じゃあこれまで、パリやミラノで買い物を楽しんだり、ニューヨークでブロードウェイを観劇、ワイキキ・ビーチで日光浴をしていた女性たちが、今は、セドナへ心の旅をしたり、オーストラリアのウルルへ行ったりしているのだろうか。そう、「もうワイキキじゃないっしょ。ハワイ島のヴォルケイノでヨガじゃん」みたいな・・・。

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 雑誌や広告などでしばしば「聖地」などと書かれるいくつかの場所へ、もちろん僕も行ったことがある。それは、そこが実際に宗教的な聖地である場合もあるし(バラナシやエルサレムがそうだ)、地学的に力を持った場所ということもあるだろう(ハワイ島ヴォルケイノ国立公園や、富士山樹海)、あるいは、人による歴史がそう感じさせる場合もあるかもしれない(人が創造したという意味で、スタンディング・ストーン、ピラミッドなどはそうだろう)。
 たとえば、ウルルはどうだろうか?
 ウルル、オーストラリアの中央にヘソのように存在する巨大な一枚岩、通称エアーズロック。
 この巨大な一枚岩は、自然が造形したものだと言われている。先住民アボリジニたちは、このウルルへ観光で訪れる人々に、「ここは私たちにとっての聖地だから、上ったりしないでほしい。ただ遠きに眺めるだけにして欲しい」と訴え、近年では、良識ある人々はあの岩の上に登るということをしないようになった。
 アボリジニたちがここを聖地と呼ぶ理由にはいくつかあって、まず単純に彼らが「そこから巨大なパワーを感じる」から。あるいは「自然万物信仰のひとつとして、そこに神的なものを見いだす」から。あるいは、こう語るアボリジニもいる、「この大陸のまこと真ん中にあるのがこの岩。私たちのドリームタイムは、いつもここから始まり、ここへ戻ってくる」。
 アボリジニたちは「ドリームタイム」あるいは「ドリーミング」と呼ばれる独特の時間・空間の中に生きている。彼らの頭の中には、古から現在そして未来までが描かれた「絵」があり、と同時に、広大なオーストラリア全体が隅から隅まで描かれた「絵」があるというのだ。その絵はドリームタイムと呼ばれ、すべてのアボリジニの精神の中に備わっているという。だから彼らは地図を持たずに何処へも旅をできる。「どこ=where」だけではない、「いつ=when」へも旅ができるのだ。自在に。そんなドリームタイムの源=ソースが、ウルルだというのだ。
 ドリームタイムはしかし、はるか昔のことであるとはいえ、アボリジニたち=人間によって創造されたアイディアだと言える。それは、小説のように、誰かが創造した一編のストーリーから始まったはずだ。そう考えると、その考え方はあくまで人間が創ったものになる。ピラミッドやストーンヘンジのように。
 だが、ウルルという巨大な岩そのものは、人間が削って創った美術作品ではない。それは、自然が歴史の中で創造したものだ。それは、自然物=万物であるが、生まれた「聖地伝説」は、やはり人が創造したということになるだろう。

 こう考えてきて素朴な疑問に思うこと。それは、果たして「聖地」というのは、人間独自のものなのか?ということ。たとえば、鯨には鯨の、亀には亀の、象には象の、ハクトウワシにはハクトウワシの、コヨーテにはコヨーテの、あるいは、菩提樹には菩提樹の、木蓮には木蓮の、それぞれの「聖地」があるのだろうか。ハクトウワシは、彼・彼女なりの聖地を持ち、時にそこへ飛んでいくだろうか。もしそうなら、この世界には、僕ら人間がうかがい知ることができない、何か不思議な、奇妙な、大きな力というものが備わっているのかもしれない。あるいはこの世界には、僕ら人間が容易には行けない、「別の次元」のようなものがあり、聖地への力は、その異次元からのバイブレーションであるのかもしれない。
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 ・・・などと、これまで一度も読んだこともない雑誌『ニュートン』のようなことを考えているときりがない。さてさて、聖地について考えるのはまたにして、今宵も、ギネスでフットボール観戦をしよう。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『BRIGHT SIZE LIFE』PAT METHENY
『THE ISLE』WECHSELGARLAND & WORLD STANDARD
『GAUCHO』STEELY DAN
『PEACE....BACK MY POPULAR DEMAND』KEB'MO'
『RETURN TO FOREVER』CHICK COREA

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by imai-eiichi | 2006-06-30 23:07

016【聖地 その1】

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 アリゾナ州フェニックスは、砂漠の中に造られた人工都市だ。そう、ラスヴェガスと同じ。米国の白人たちは、乾いた荒野に、はるか西海岸から巨大な地下パイプを通し、ウォーターラインを作り、その何もない砂漠の真ん中に都市を創造した。
 フェニックス。乾いた何もない荒野の中に、突如現れるビルの森。無数のガラスがきらきらと輝き、光が反射するその森は、今から500年後、千年後、果たしてそこに残っているのだろうか。廃墟として、遺跡として、形を少なからず留めているのだろうか。たとえば、ニューヨーク・シティでもいい。そういった現代の都市は、千年後、1万年後に、どんな姿でそこにあるのだろう? そのときに人々は、古代の廃墟となったその風景を目にし、こう言うだろうか、「ここは聖地なんだよ」。
 もちろん、千年後というより、300年後に人間が地球上に生息しているかどうかも疑問だけれど・・・。

 フェニックスから北へ車を走らせる。
 片側4車線のフリーウェイ。どこまでも、どこまでも、乾いた大地が続いているが、その風景は、北へ向かうに連れ少しずつ、少しずつ変化していく。
 最初、道路の周囲には、背の高いサボテンが群れを成している。ジョシュア・ツリーや、同じようにひょろりと背の高い多肉植物たちが、群生している。
 さらに北へ向かうに連れ、緩やかにだが、道は上り坂になっていく。そう、北にはロッキー山脈があり、フェニックスに比べて標高差はかなり高いのだ。車はどんどん山を(緩やかに)上っていく。
 フェニックス周辺に群生していた背の高い多肉植物は次第に消えていき、やがて、ユッカ・サボテンのような、背の低い多肉植物が現れる。それまでは、車の外はうだるような熱さなのだが、ユッカ・サボテンが現れる頃に窓を開けると、外からは実にクールな風が吹き込んでくる。そこは北の、山の中腹なのだ。やがて、サボテンの類は一切なくなって、周囲には「メサ」と呼ばれる岩盤大地の世界が広がる。メサは、丘よりも高く、山よりも低い、太古の海と雨と川が刻んだ大地の名残でもある。

 アリゾナ州北部一帯は、ナヴァホ・インディアン居留地である。ナヴァホの土地は、そこからユタ州やニューメキシコ州と白人が引いたステイト・ラインをまたいで広がっている。そこは、米国にして米国ではない。異国。別の時間、別の言語が支配する土地。
 そんなナヴァホの土地の入口にあるのが、セドナという街だ。
 セドナは、「スピリチュアル・プレイス」としばしば呼ばれる。「聖地」、「ヒーリング・タウン」とか、「パワースポット」と言われるのだ。僕はセドナへ2度、訪れたことがある。どちらも、その北に広がるナヴァホ居留地へ行く途中に立ち寄ったのだった。
 セドナのことを、決して少なくない人々が「パワースポット」とか「スピリチュアル・プレイス」と呼ぶ理由を、僕はなんとなくだが理解できる(賛同という意味ではなく)。固い岩盤の荒野、岩山=メサに囲まれたその土地にいると、その固い岩盤のせいだろうか、その岩山の風景のせいだろうか、人々は常に「守られている」というような気分がするのではないか。そこは、赤い岩山にぐるりと囲まれた土地で、人々はいつも、その赤い岩山を周囲に感じながら生きている。岩山は壁であり、人々はその壁に「守られている」と感じるのではないか。
 巨大な岩山そのものが、自然が造形したにも関わらず、実に美しい美術品のようだ。それはただ眺めているだけで、美しい。岩は、それ自体が何かを語りかけようとしているように感じられるのだ。そういった雰囲気に人々は「パワー」を見いだすのか。
 僕自身はやったことがないが、磁場の測定器で測ると、セドナではその針が「すごく高く振れる」という話を聞いたことがある(確かハワイ島ヴォルケイノ・ヴィレッジでも同じような話を聞いたが・・・)。「土地そのものに、力があるんだ」と語る科学者もいるという。

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 セドナに滞在中、僕は毎日、早起きをしていた。4時半には目覚めるようにし、シャワーをさぼって外へ出て、見晴らしのいい丘の上にカメラを持って立つのが日課だった。6時前、太陽が東の空から上がると、いっきに世界が真っ赤に染まる。そこは、赤い、乾いた大地。その赤が、太陽によってさらに鮮やかに、朱色に、染まる。
 その風景は、ほんとうに美しく、荘厳だった。僕が毎朝訪れていたその見晴らしのいい丘には、同じように毎朝数人の人々が集まってきていて、だいたい毎朝同じ顔が集まっていたから、僕らはみんなで一緒に笑顔で、でも黙って、朝のセドナの色を楽しんだ。

 セドナで、僕が一番印象深く覚えているのは、シャノンのことだ。アイルランド系移民のシャノンは、セドナで人気のジープ・ツアーのガイドのひとり。首や手首、指を、無数の先住民アートで飾っているシャノンは、ローカルの旅ガイドでありながら、サイコセラピストでもあった。雑誌の仕事で彼女へインタビューをしたのだが、対話をしている最中、僕は逆に彼女から「精神分析」をされてしまった。彼女は当時40代前半だったと思うけれど、ほんとうに美しい、ミステリアスな女性で、精神分析をされた日の夜、僕は彼女から渡されたメモの電話番号を回し、彼女の家に会いに行った。「あなたには、もっと話をする必要があるはずよ」、そのようなことを彼女は言ったのだ。「もっと心を開いて、話してごらんなさい」と。そういう経験(心を開いて話す、という経験)は、僕にとって、それが生まれて初めてのことだった。
 シャノンもまた、「セドナは別な場所よ」と語った。慎み深く思慮深い彼女が語ると、そこには真実があるような気がした。今よりずっと若い僕は、ただシャノンの言葉にじっと耳を澄ませていた。そして、僕も自分を語った。
 もし、そういうことをさせる力のようなものがセドナにあるのだとしたら、もしあるのだとしたらの話だが、そこは確かにある種のパワースポット、ヒーリング・プレイスであり、ある種の「聖地」なのかもしれない。

 それにしても・・・
 「聖地」とは何だろうか? なぜ今、僕らは「聖地」について、声高に語り合うのか。



<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『FJORD』THE AURORA
『PEARL JAM』PEARL JAM
『MR. BEAST』MOGWAI
『THE BEST OF MARTA SEBESTYEN』MARTA SEBESTYEN
『DEVILS & DUST』BRUCE SPIRINGSTEEN

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by imai-eiichi | 2006-06-27 23:46

015【太陽と月と4千年の石】

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 グラスゴーでレンタカーをピックアップ、北へ向かう(正確には北北西)。北の海辺へ、北の港へと車を走らせる。
 北の港から車ごとフェリーに乗り込む。フェリーが走る海には、無数の島々が浮かんでいる。すごい数だ。島、島、島・・・。フェリーは、さながらインサイド・パッセージのような、島と島に囲まれた海の道を進む。いくつかの島に寄港しながら、北へ、北へと、航海を続けていく。
 夏の今、海が荒れることはあまりないが、ひと度荒れると、船の揺れは最悪だ。でも、夏の、晴れ渡って静かな海の日なら、船はまるで鏡の上を滑るような感じで、するすると移動していく。船が立てる白波がなければ、北の海はほんとうに鏡のようにつるりとして見える。とても美しい風景だ。

 スコットランドは、北緯50度から60度の間にある。北海道の北端が択捉島のカモイワッカ岬で北緯41度だから、それよりずっとずっと北。だがスコットランドは、温かなメキシコ湾流の影響を受けているため、1年を通じて比較的温暖だと言われる。たとえば、冬の平均気温が5〜6度だから、なるほど確かに、北緯は北海道よりずっと北なのに、気温はそんなに下がらないというわけだ。
 かなり北にあるため、冬の日照時間はとても短い。そこでは冬とは長く暗い夜の日々だ。今は夏で、それのまったく逆。昼間がとても長い。日没は9時半ごろだろうか。真夜中近くまでトワイライトが続く。夜に戸外で過ごすのが心地いい。寝不足になる。

 ここは小さな村だ。ディスコやクラブの類はないし、スーパーマーケットもない。雑貨屋が1軒、小さな学校が隣の村にある。老人が多い。
 そんな小さな村だが、2軒のバーがある。それぞれが自慢の地酒を出す。地酒、つまり、スコッチだ。もちろんシングルモルト。夕焼けの空を思わせる琥珀色の液体が、小さなグラスに注がれる。氷は入れない。「氷を入れるヤツぁ、アホだぜ」とジャム・バンドのドラマーのようなヒゲを生やしたバーテンダーが言う。「うまいスコッチは空気と同じだ。ありのままを飲め」。
 何年も何年も何年も、このバーのカウンターに村人たちが寄りかかってきた。だから、カウンターの木の色はじっとりと黒ずんでいる。人々の手が、肘が、腕が、カウンターを擦り、その摩擦で角はいい具合にまるくカーブを描いている。バーは、北のこの土地では宿り樹なのだ。人々はここへ宿る。雨宿りをするように、バーへぶらりとやって来て、スコッチ・ウィスキーを飲む。
 村人の何人かはゲール語を喋る。もちろん何を言っているかわからないが、聞いていて楽しい。多くの人は英語を喋るが、いわゆる米語から遠く離れた発音なので、何を言っているのかときどきうまく聞き取れない。「Pardon?」、「Say that again, please」、「Excuse me?」を何度も言うことになる。やれやれ。ときどき、誰かがバンジョーのような楽器を手にして歌い出す。ゲールの唄に声が重なっていく。
 「どこから来たの?」と、(どこから現れたのか)女の子に声をかけられる。ボーイッシュでハスキーヴォイス。僕らは、絶妙に柔らかい泡のギネスで乾杯し、それからスコッチへとはしごする。酔っぱらって立っているのが辛くなり、奥の暖炉の前のソファに沈み込む。夏でも暖炉には小さな火が燃えていて、心地よい。北の夏、夜はずいぶん涼しくなる。上着を羽織るのではなく、Tシャツ姿のまま、こうして炎で暖かいというのがいい。こういう英国風のパブでは、必ず奥にソファでくつろげる別室がある。カウンターにはだいたいテレビが置いてあってフットボールのゲームを映しているが、奥の部屋は音楽もかかっていないからシンとしている。彼女がおかしな手品を見せてくれる。でも、それは手品なのか、こちらが酔っぱらっているだけなのか、わからない。でも、ある種のマジックに酔っぱらう夜。
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 ここは、ルイス島。
 アウター・ヘブリデス。
 スコットランド北西の海岸線は、太古の氷河が削り取ったフィヨルドのコーストラインだ。入り組んだ複雑な入り江が延々と続く。海には、島々が散らばっている。アーキペラーゴ、多島海。スコットランドの北には、とても美しい海辺の景色がずっと続いているのだ。
 無人島がほとんどだが、千を超えるとも言われる島々がそこにはある。その島々のひとかたまりが、ヘブリデス諸島。500以上の島々からなるヘブリデス諸島のうち、スコットランド本土に近い島々の集まりがインナー・ヘブリデスと呼ばれ、外側、北の外洋に向かって散らばっている島々がアウター・ヘブリデスと呼ばれる。

 毎年、夏至の夜にルイス島カラニッシュへ必ずやって来る、という人々がいる。多くはバックパッカーの旅人。彼らは、カラニッシュのスタンディング・ストーンの周りで夏至の夜を過ごすためにやって来る。
 スタンディング・ストーンと言えば、有名なのはイングランドのストーンヘンジだろうか。ただ、あそこは有名すぎて、その「石」そのものに僕らは触れることができない。ストーンヘンジはぐるりと囲いで覆われ、旅行者は、車を駐車場に停めて、遠巻きにその起立する大きな石を見、写真を撮るしかない。
 カラニッシュでは、囲いなどない。石はそこここに立っている。地面の草や小さな石っころのように、高さ3メートルから4メートルという大きな石がいくつも立っている。それらの石はたくさんある。僕らは自由にそれらに触れることができるし、寄りかかり、その石の下でまるまって眠ることもできる。夏至の夜にここへやって来る旅人は、一番きれいにまとまって立っている14本のスタンディング・ストーンの真ん中に座って(ここだけ、円を描いている)、太古の唄を聴き取ろうと心の耳を澄ませるのだ。
 「だって、すごいパワーを感じるじゃないか」
 出逢った旅人のひとりは、そう言って笑った。
 大きなスタンディング・ストーンたち。いつ、誰が何のために立てたのか。ものの本によればそれらは4千年前の遺跡だという。
 「ここは、聖地なんだよ」
 と彼らのひとりが興奮気味に言う。聖地という場所がいったいどのような土地なのか、いったい聖地とは何であるのか、そんな場所が本当にあるのか・・・、僕にはまだよくわからない。セドナやアグンなど「聖地」と語られる場所を旅したことがあるけれど、やはりまだよくわからない。でも、無数の大きな石が立ち並ぶこの風景を、単純に美しいと思う。不思議な力強さを感じる。何かの気配のようなものも・・・。

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 午後10時。
 空をオレンジ色に染め上げたまま、遠くの海に太陽が沈んだ。空はまだ明るい。もうしばらくこの状態が続くだろう。オレンジ色の空はやがてピンク色に変わり、そこに紫が混じり、やがて何とも言えない深いブルーに染まる。しばらくすると藍色のような群青色のような深い青に変わる。そのようにしてゆっくりと、この北の島に夜が降りてくる。長い、長い、北の島のトワイライト・タイムがあり、そしてやっと夜が降りてくるのだ。
 月が昇り、空が白く輝く。無数の石も白く輝く。地面には無数の黒い影。その空も光も影も、4千年前と同じはずだ。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『SUN』SILENT POETS
『波』SANGATSU
『LUST』REI HARAKAMI
『JOURNAL FOR PEOPLE』MASAKATSU TAKAGI
『CLUB KAMA AINA』KAMA AINA

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by imai-eiichi | 2006-06-21 23:31

014【フットボールの魔法】

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 僕はFCバルセロナの大ファンだ。
 かつて独裁者フランコに「ノー!」と言い続けた、スペインにしてスペインではない異国であり、カスティージャ人たちがコントロールするマドリード的中央集権にずっと反旗を翻してきたカタランたちが暮らすバルセロナという街も大好きだ。ミロが、ピカソが、マティスが、バルセロナを愛した。バルセロナの街は「自由と芸術の象徴」としてしばしば語られる。
 そんなバルセロナをホームとするクラブ・チーム、FCバルセロナはだから、「自由と芸術のフットボール・チーム」だ。2年連続でスペイン・リーグを制し、この5月、実に久しぶりにUEFAチャンピオンズ・リーグを制した。その原動力となったロナウジーニョやエトオ、メッシやデコのことがよく語られるが、彼らが加入するよりもっと前からこのチームは、「自由と芸術のチーム」だった。
 いや、そもそも、フットボールというスポーツそのものが、「自由と芸術の遊び」なのだ。

 フットボールの素晴らしさとは何だろう?
 なぜ僕は、こんなにフットボールを好きで、これほど熱を持ってあのスポーツを見るのだろう?

 フットボールの素晴らしさ、それは、シンプルなことだ。
 道具はボールひとつだけ。それを大きなカゴ(ゴール)に入れればいい。グラブやバッドはそこには必要ない。仰々しいプロテクターも肩パッドもない。まるいボールは、シンプルさの究極だ。まるーーつまり「円」。円とは、我々が知りうるあらゆるデザインの中で、究極的にシンプルで、かつ、美しいものだ。そしてそれは、地球や月や太陽を小さくしたカタチだ。小さな星を、フィールドに散らばった22人のプレイヤーたちが蹴る。

 フットボールの素晴らしさ、それはこのゲームが、開始された途端にプレイヤー=選手のもになる、ということだ。もちろんこのゲームにはコーチがいる。しかしフットボールは、45分という時間が始まってしまったら、あとはすべてフィールドにいる選手たち自身が自分たちの決断と想像力でコントロールするしかない。ヒディングがいかに策士であろうと、ゲーム中はすべて選手に委ねられる。バスケットボールのようなタイムアウトはない。アメリカン・フットボールのように5秒おきに止まらない。ベースボールのように20球(一例)ごとにCMはない。日本の野球のようにベンチ裏で煙草を吸うことはできない。フットボールでは、ゲームは常にプレイヤーのもの、なのだ。

 フットボールの素晴らしさ、それは、空間と時間が織りなす美しさと儚さだ。
 選手は、美しい緑色をした長方形の空間の中で闘う。と同時に彼らは、前半45分、後半45分、合計して90分という「時間」とも闘わなければならない。あらかじめ定められた時間の中で何をどのように描くのか。それを観衆は見るのだ。だから、そこに美しい絵が描かれたとき、僕らはため息をもらし、拍手喝采する。あるいは怒り、落胆する。

 フットボールの素晴らしさ、それは、体格や人種や言語が無用であることだ。小さな11人が巨人たちを圧倒することは度々だ。フランス代表やブラジル代表を見ればいい。そこに立つ選手たちの「血の混ざり具合」を見ればいい。アングロサクソンが支配する世界とは別世界だ。足が速いこと、背が高いことは確かに有利な条件となりうるが、それが絶対条件とはならない。そこでは英語は辺境の言葉だ。

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 ポルトガル、リスボンの旧市街地に、アルファマという地区がある。車もバイクも入れない、狭い路地が蜘蛛の巣のように絡み合う場所。
 アルファマを歩く。
 上を見上げると、左の建物の2階の窓から右の建物の2階の窓にロープが渡され、洗濯物が揺れている。青い空、白い壁、風に揺れる洗濯物・・・。小窓からしわくちゃ顔のオバアが顔を出して、睨みをきかせて路上を見ている。目が合い、ふと片手を上げて笑顔を投げると、はにかんだような小さな微笑みがその年輪刻まれた顔に現れる。ポルトガルは、恥ずかしがり屋の人々が暮らす美しい国だ。サウダーデの国。
 そんなアルファマの迷路を上っていくと途中で、バスや路面電車が通り抜ける広い路地に出る。そこは崖のようになった坂道の角で、その崖の出っ張りの部分が、小さなフットボール・フィールドになっている。公園のような、市民のサッカー場。夕暮れどき、そこはリスボンっ子たちの王国だ。オレンジ色に染まる空気の中、夕暮れまで、いや夕暮れても長い長いトワイライトの最後の光の粒々が夏の夜の闇に溶けてしまうまで、いつまでも、いつまでも、大人も子供も一緒になって、まるいボールを追いかけている、蹴り合っている。

 あるいはハワイ、ワイキキのカピオラニ公園で。
 夕暮れどき、この美しい緑の公園に無数のフットボール・コートができ、いくつものチームが対戦し合っている。練習、試合、いろいろだが、見ているだけで楽しい。赤道に近い島々の夕暮れは早い。サンセットはあっという間だ。その時間まで彼らは、まさに時間と競争するように、駆け続ける。夕陽が祝福するその世界で、シルエットを描く椰子の木々、真っ赤に染まるカイマナヒラの麓で、いつまでも、いつまでも・・・。
 まるいボールを蹴る、止める、一緒に走る、蹴る。ただ、それだけ。なんてシンプルで、美しいのか。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『CAFE DEL MAR IBIZA Volume 7』CAFE DEL MAR
『BAJAMAR』MANUAL
『COME HERE』KATH BLOOM
『O PARAISO』MADREDEUS
『CLUM KAMA AINA』KAMA AINA

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by imai-eiichi | 2006-06-17 15:49

013【LIKE A ROLLING STONE】

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「アニー・リーボヴィッツが、サンフランシスコにあるローリングストーン誌のオフィスへ入ってきたとき、その20歳の学生がもしかしたらこの雑誌を大きく変えてくれるかもしれないと、そんな予感のようなものを感じた。アニー(今では56歳だ)は、アレン・ギンズバーグがベイ・エリアのピース・ラリーでジョイントを吸っている雰囲気たっぷりの写真で、我々のアテンションをつかんだ。“私は、ローリングストーン誌で働くことで写真を学んだのよ”とアニーは語る。“そんな私と一緒に、ローリングストーン誌も一生懸命学んでいたんだけれどね”・・・」

 米国の『ローリングストーン』が、創刊1000号を迎えた。僕はロサンゼルスのレコードショップで、その「記念号」を見かけ、買った。ここに僕が拙訳したのは、その記念号の冒頭に編集部が寄せている写真家アニー・リーボヴィッツについての短いエッセイからの一文だ。
 ひとつの雑誌が生まれ、その雑誌が育っていく。そこからひとりの写真家(あるいは作家)が育ち、名をあげていく。雑誌とクリエイターのそんな「蜜月」。その蜜月から様々なドラマが生まれ、「時代」が切り取られていった。中でも、「ローリングストーン×アニー・リーボヴィッツ×ジョン&ヨーコ」という関係は有名だ。リチャード・アヴェドンやハーブ・リッツ、アルバート・ワトソンなど、『ローリングストーン』を語るときに外せない写真家は他にも大勢いると思うけれど、なるほどアニー・リーボヴィッツはやはり、特別な存在であり続けたのだなぁと、この記念号から感じた。

 僕は、カウンター・カルチャーも知らないし、学園闘争も経験していないし、安田講堂とか三島の切腹とか、「あの時代」については何もリアルタイムでは経験していない。唯一、父親と並んでだったと思うが、アポロが月に降り立った白黒テレビの映像だけはなぜか鮮明に覚えている。1960年代、そして70年代の世界、それは僕にとってずっと憧れであったが、決して得ることのできない幻でもあった。誰しも過去へ旅することはできない。
 幼い頃、とても仲良くしていた向かいの家に暮らす美大の学生から、ロックンロールやジャズを教わり(小学生のとき)、以来ずっと米国の小説や雑誌や音楽に夢中であり続け、彼ら年上の人々が語る「あの時代」というヤツに憧れ続けた。「あの時代」。いつになったらオレたちの時代が来るんだろう?ーーそう思い続け、結局、そんな時代はやって来なかったというわけだ。ボブ・ディランが唄ったときに気づくべきだったのだ、「時代は変わる」と。最悪なのはすべて悪い方に変わってしまったことだ。かつて憧れだった米国は今、世界中に銃を向けている。そんな悪の帝国の奴隷となり去勢されたままの僕の祖国。ディランはもう歌わないのだろうか?

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 昨年、雑誌『スイッチ』が創刊20周年を迎えるにあたって、僕は東京のローカルFM局J-waveで、「Switch 20th Anniversary Special〜IN OUR TIME〜」という特別番組を作った。その番組の中で『スイッチ』創刊者・新井敏記さん(現『コヨーテ』編集長)と、作家の片岡義男さんに対談してもらった。それは対談というよりも、新井さんが熱く「雑誌について」ほぼ一方的に語る、というものになったのだが、やさしい片岡さんはそんな新井さんの熱き思いを笑顔で(時に苦笑しつつ)受け止め、僕は僕で新井さんに「もう少し片岡さんにも語ってもらえると嬉しいです」などと無理難題を新井さんに投げかけ(成功せず)、けれど結果的にその番組は、「スイッチという雑誌はつまり、新井敏記そのものなのだ」ということを、リスナーに、つまり『スイッチ』読者に、伝えることはできたように思う。
 新井さんは片岡さんとDJブースで向かい合い、様々な想い出を語ったが、そのひとつにこんなものがあった。
「雑誌創刊の思いを語るぼく(新井)に、あるとき片岡さんが古いローリングストーンをどっさりくれたんです。捨てることはできないからもらって欲しい、と言って。そして片岡さんはぼくに、その雑誌がジョン・レノンという男とともに成長していったことや、ジョン・レノンを通して“ある時代”を切り取っていたという話をしてくれた。そのときに閃いたんです。“ああ、自分もこういう雑誌を作りたい。人を通して同時代を切り取っていく雑誌をやろう”って・・・」
 一字一句この通りではなかったと思うが、おおよそこんなことを新井さんは語った(はずだ。否定されると嫌だから、新井さんにも片岡さんにも確認はせず、そのままここにアップしよう)。
 6月の雨の午後に、1000号記念の『ローリングストーン』をパラパラと読みながら、ふとそんな『スイッチ』20周年のときのことを思い出した。

 『ローリングストーン』がタブロイド紙として創刊し、とにかく走り出した時代(1967年)、あらゆるクリエイターにとってそれは、「生まれる時代」だったのかもしれない。そこにはきっとまだ無垢の平野、フロンティアが拓けていたのだろうと思うのだ。映画『ALMOST FAMOUS(あの頃ペニー・レインと)』は、キャメロン・クロウがそんな時代に送った個人的なラブレターだったが、ぜんぜん世代が違う僕の心にさえその恋文は見事に突き刺さった。寂しいのは、僕にはその恋文を返す相手がいないことだ。その相手(時代)は、もう去ってしまった。
 それは「(Just like a)Rolling Stone」、転がる石ころのような時代だったのだろう。誰もが石ころ=原石だったという意味において。

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 ジョンとヨーコがオールヌードで表紙を飾っている第22号(68年)、若きジェイムス・テイラーの第76号(71年)、ミックとキースの第191号(75年)、ブライアン・ウィルソンがバスロープ姿でサーフボード片手にマリブビーチに立つ第225号(76年)・・・。
 『ローリングストーン』の1000号記念号では、そんな「転がる石」たちの輝かしい時代が、見事によみがえっている。雨の午後に僕はコーヒーを飲みながら、自分の知らないそんな時代へ旅をした。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『HIGHWAY 61 REVISITED』BOB DYLAN
『JAMES TAYLOR』JAMES TAYLOR
『LED ZEPPELIN』LED ZEPPELIN
『FROM THE DISTANCE』MYSTIC DIVERSIONS
『BAJAMAR』MANUAL
by imai-eiichi | 2006-06-08 17:06

012【マウイ島へ】

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 オアフ島からマウイ島へ。
 ホノルル空港からマウイのカフルイ空港までのフライト時間は30分ほど。ホテルから空港へ行く時間よりも、飛行機に乗っている時間のほうが短いくらいだ。飛行機に乗って、機体が上昇し、簡単な飲み物のサービスが終わる頃にはもう機体は下降し始めていて、ベルト着用サインが灯される。iPodでほんの3〜4曲という時間。まさにワン、ツー、スリーという感じ。
 空港の待合所で周りを見渡せば、旅行者半分、ローカル半分という感じだろうか。ローカルたちは、だいたいビーサンに短パン、Tシャツやハワイアン・シャツという格好で、ほんとうにバス待ちという雰囲気。ハブ空港の国際線乗り場のような大袈裟な感じがまったくない。インターアイランドの待合所はいつも、のんびりしている。

 5月終わりから6月初旬、ハワイ諸島は、どの島へ行くにしても一番いいときだと僕は思う。日本人が少ないのは春の連休後でまだ夏休み前だから。米国メインランドからの旅行者もこの時期は少ない。また、この頃は天候がとても安定していて、どこにいても晴天に恵まれやすい。7月、8月になると、安定しているというよりも「熱い」という気候になる。5月終わりから6月初旬の今は、陽射しは強いけれど、風がすごく爽やかで、それがやはりいいのだ。またこの頃、いろんなトロピカル・フラワーが次々と開くから、風景がとってもカラフル。5月、6月のハワイ諸島は、ほんとうに素晴らしい。

 マウイもそんな素晴らしい青空の下にあり、暑かった。
 マウイ島に降りるのは、およそ1年ぶり。ハワイ諸島でハワイ島に継いで大きな島がマウイ島。実際、レンタカーで島を走り出すと、「ああ、大きな島に来たなぁ」という感じがするから不思議だ。

 ジープ・ラングラーを借りてハナ・ハイウェイを走り、しばらくしてからハレアカラ・ハイウェイに入る。ここからは緩やかな上りの山道だ。両側には広大なシュガーケインの畑、パイナップルの畑。左の彼方に見えている海は、とてつもなく青い。目が痛くなりそうなくらいのブルー。FMラジオのチューニングをいじり、ジミ・ヘンドリクスの歌声が聞こえてきたところで手を止める。マウイ、太陽、乾いた風、揺れる椰子の木々、そしてジミヘン・・・、「サイコー!!」と叫びたくなる。
 マカワオの町をかすめ、その後はずっとカーブが続く山道をじりじりと上がっていく。最近、ハレアカラの山の裾野の一軒家へ引っ越したばかりのケアリイ・レイシェルを訪ねるために、僕はマウイ島へやって来たのだ。

 ケアリイは、ハワイのスーパースターだ。
 西海岸やニューヨークなどでもコンサートを開催し満員の観客を集める人気シンガーであり、と同時に、偉大なるクム・フラのひとりでもある。「クム」とはフラの師匠=マスターのこと。フラは、ジェダイのように、マスターから弟子に伝授されていく「技と心」の伝統世界だ。ケアリイはだから、「偉大なるフラのジェダイ」ということになる(もちろん、彼らは自分たちをジェダイとは呼ばない。僕がここでそう例をあげているだけ)。
 ハワイを気に入り、何度も訪れるようになると、どうしても「フラ、ハワイ音楽の世界」を避けていることができなくなる。僕もだから、ハワイへ通ううちに自然と、フラの世界、伝統的な音楽の世界について学び、少しずつだけれど知識を蓄え、いつしか、その世界の知人や友人も増えていった。ケアリイもそんな友人のひとりだ。

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 ケアリイの新居は、想像以上に素晴らしかった。
 くねくねしたバンピー・ロードを辿って山を駆け上がり(ジープを借りて正解だった)、「まだ上るのかな・・・」とちょっぴり心配になった頃に、電話で告げられた住所が現れた。山の斜面に建つ、2階建ての大きな木の家。周りには美しい森が広がり、いろんな鳥の鳴き声がにぎやかだ。家の周りはぐるりと芝生の植え込みになっていて、犬が自由に走り回れる。もちろん人間も。素晴らしい環境だ。2階の広いラナイからはパイーアの青い海が見渡せる。
「芝刈りが大変なんだよ。1週間に一度は刈らないと。きれいに見える裏には、いろいろ大変な作業があってね」とケアリイが笑う。もちろん、「その大変な作業を楽しんでいる」といった感じだ。
「まだまだこれから、庭を作ったり、やることがたくさんある。楽しみだよ」
 僕はケアリイがかつて作り上げた、素晴らしいハワイアン・ガーデンをワイルクの町で見たことがある。ケアリイは昔、ワイルクにあるベイリーズ博物館のディレクターを務めていたのだが、その博物館の美しい庭を(時間をかけて)作ったのが、ケアリイなのだ。ウル(ブレッドフルーツの樹)の木陰が心地いい、プルメリアが咲き乱れる、緑と花々の香りが漂う、小さな、けれど美しいガーデンだ。そのプルメリアもウルも、ケアリイが植え、大きくなるまで育てたのだ。そう、ビギンがハワイの島々を旅し、その旅の最後にマウイのケアリイを訪ねていく、というTV番組の企画を数年前に僕は作ったのだけれど、その旅の最後に、つまり番組の最後に、ケアリイが「Ka Nohona Pili Kai」を、ビギンが「涙そうそう」を、それぞれ贈りあった(唱った)のが、この美しいガーデンだった。

「今日は素晴らしく良い天気だけれど」とラナイから室内へ戻りながらケアリイが言う、「ここは素晴らしい風の通り道でね、2つの雲がせめぎ合う場所でもあるんだ。ちょうどあっち側に」と言って、片側の森の斜面を指さし「雲が停滞する。こっち側(と反対を指さし)から強い風が流れるから、向こうからやって来た雲が押し戻されながら、でもがんばってそこに停滞するんだ。だから、雨がよく降るんだよ。雨がよく降るから虹もよく架かる。森全体が虹色に染まることもしょっちゅうさ。ここは虹が生まれる場所なんだよ」
 ホノルルでも、マノア・ヴァレーなど、「山肌全体が虹色に染まる」ということが時々あるし、僕も何度か見たことがあるけれど、それはとても不思議な風景だ。ハワイは虹の国=The State of Rainbow。虹を生む雨はハワイでは祝福。ハワイは、雨の島々でもあるのだ。
「ここの雨は、気持ちよさそうですね」と僕が言うと、
「素晴らしいよ。確かに山だから、冬はかなり冷え込む。でも、ここの風と雨は、特別だよね」
 ケアリイはよく風の話をする。彼は、ハワイ諸島のいろんな土地の風の通り道をよく知っているし、どの風がどんなときに吹くのか、今流れた風がいったい何を意味するのか、その風の後には何がやって来るのか・・・などなど、そういうことを知っている人だ。彼が話す風の話は、聞いていて楽しいし、いつも驚かされる。

 風が吹いたら、遠い祖先が語りかけたと思えーー

 そう言ったのは、クリンギット族の古老だったか、それとも星野道夫さんの著書の中で読んだのだったか。
 風の中に物語を見いだすのは、北米インディアンだけではない。ハワイアンたちも、オーストラリアのアボリジニたちも、ニュージーランドのマオリたちも、北海道のアイヌたちも、似たような知恵を伝承している。そう、それは知恵だ。学校で教師が教えようとする知識とは違うもの、新聞やテレビが伝える情報とは違うもの。情報も知識も知恵も、もちろんどれもが大切だけれど、知恵を学べる機会が最近は少ないように思う。もちろん、自ら能動的に学びに行くべきなのだろう。待っていてもヨーダはやって来ない。フォースはマスターについて、自ら学ばなければならない。
 May the Force be with us all・・・

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 ケアリイとのお喋りを楽しんだ僕は、マカワオの町を少しぶらぶらしてからパイーアの町へ行き、そして、ホオキパの崖の上からマウイのサーファーたちを眺めた。風が強く、波は大きかった。サーファー、ブギーボーダー、カイト・サーファーたちが、波を、風を、つかまえていた。いつものマウイがそこにあった。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『CLUB KAMA AINA』KAMA AINA
『KE'ALAOKAMAILE』KEALI'I REICHEL
『ON AND ON』JACK JOHNSON
『GLLIA』KAZUMASA HASHIMOTO
『SIGH BOAT』SIGHBOAT
by imai-eiichi | 2006-06-03 17:37




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