ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

053【バンクーバー、イラン、移民の街で】

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 バンクーバーのダウンタウンから空港へ向かうタクシーの運転手は、イランからの移民だった。
 とてもお喋りな男で、だからイタリア人かなと思ったりもしたのだけど、顔つきがちょっと違う。
 「どこから来たの?」ときいてみたら、「イラン!(英語では、i-ran=アイランという発音になる)」と元気いっぱいの答が返ってきた。たぶん僕よりも若いだろう。
 その答は、そのときの僕にとってちょっぴりシンクロニシティというか、奇妙な感じだった。なぜかと言うと、ちょうど5日ほど前、ソルトスプリング島から水上飛行機でバンクーバーへ戻ってきたときのこと、港からダウンタウンへ向かうタクシーの運転手が、やはりお喋りなイラン人だったからだ。
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 東京にはイラクやイランからの移民が多いと聞くけれど、残念ながら僕はこれまで会ったことがないし、僕の周囲にはイラン人の知人友人は皆無。
 渋谷や新宿の街角で、「中東系だな」と思う人たちを見かけることは多い。でも、パッと見ただけではその人がイラン人なのかイラク人なのかアフガニスタン人なのか、どうもよくわからないものだ。
 よく見れば、イラン、イラク、アフガニスタンなど、それぞれの顔や肌の色はずいぶん違う。
 イラン人はペルシャ人であり、イラク人はアラブ人、また、同じアラブ人の中でもいくつも民族があって、微妙に顔つきは違うのだ。アフリカ人はひとつでない。ナイジェリア人というのもひとつではない。ナイジェリアという国境は欧米の白人社会が勝手に引いた線であり、勝手に名づけた領土だ。ナイジェリアには、たとえばイボ人、ヨルバ人、フラニ人と、もともとの民族がいて、それぞれの領土が、ほんとうは、あった。
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 この1週間でたまたま僕は、人生で初めてイラン人と言葉を交わし、さらに人生で二度目にイラン人と言葉を交わした、ということになる。しかも、どちらもタクシーの中で。
 「バンクーバーは移民が多いのは知っているけれど、イランからの移民も多いの?」と僕は運転手にきいてみた。
 「何人くらいいるかっていうのは、わからないけど、けっこういると思うよ」
 実は5日くらい前に乗ったタクシーの運転手もイラン人だったんだ、と僕が言うと、彼は「名前、覚えてる?」ときいてきたけれど、残念ながら覚えていない(名前を僕は確かにきいたのだ、そのときに)。
 「イラン人タウンみたいな場所があるの?」と僕はきいた。
 「そういうのはないね。でも、みんなで集まるパブなんかはあるよ」
 「みんなでフットボールを見たり?」
 「そう、チャンピオンズリーグ! 俺はリバプールのファンなんだ」
 「僕はアーセナル!」
 僕らは笑って、フットボール情報をしばし交換しつつ、ワールドカップやアジアカップではお互いライバルになる日本代表とイラン代表の話で盛り上がった。「日本は一番強い。イランはダメ」と彼は言ったけれど、決してそんなことはない。先のアジアカップでは力を発揮できなかったけれど、今、オーストラリアをのぞけば「イランこそがアジア最強」と評するフットボール評論家が多いのだ。
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 「あれ? イランって、お酒は禁止なんじゃないの? パブでビールとか飲んで、いいの?」と、ふと気づいて僕はきいた。
 「ここはイランじゃないからね」と彼は当然の顔。
 確かに。「じゃあ、向こうではぜんぜん飲まないわけ?」
 「いや、飲むよ」と、さらり。
 「飲んでいいわけ?」
 「いや、オフィシャルにはダメ」
 僕は笑った。「隠れて飲むんだね?」
 「そう。アンダーグラウンドな場所はいっぱいあってさ、暗黙の了解ってやつだよ。あと、自宅で飲めば誰も迷惑しない。警察も、目につかない限りは何も言わないんだ。イランはね、他のイスラムの国ほど戒律に厳しくないんだよ」
 「サウジみたいに」
 「あそこは大変! 酒なんて絶対無理。捕まっちゃうからね。イランは、自由な国なんだよ」
 博識な彼は、そしてこんな話を聞かせてくれた。ワインに関する話だ。
 「俺たちの国は、酒の歴史が古いんだ。もともとワインが生まれたのは、俺たちの国なんだからな」と彼は言った。イランという国家は新しいけれど、確かにペルシャは古い、とっても古い国だ。
 「シラーズってワイン、知ってるだろ? 有名だよな。あのワインは、イランが起源なんだって、知ってた? イランにシラーズって街があってね、そこで大昔にワインが作られていたんだ。紀元前の話だよ、ずーっと昔々のことさ。イタリアやフランスなんて国がまだぜんぜん存在しない頃だ」
 「君たちの国の方が、歴史的にはずっと古いもんね」と僕は少し彼の鼻を高くしてあげた。インタビュアーの心得だ。相手を気持ちよくして、喋らせる(警察官や検事はまったく逆。相手を泣かせたり怒らせたり嫌な気持ちにさせた挙げ句、疲労困憊させて無理やり偽や嘘の供述をとる)。
 「その通り。俺たちの国は古い、古い国なんだ。それで、シラーズという街では葡萄が栽培され、ずっとワインを作っていた。昔々からね。それからずーっと後で、フランスのローヌ地方で美味しいワインが作られるわけだけど、そのワインの種が、イランのシラーズから持っていった種だったってわけ。それで、ワイン通で知的なフランス人は、俺たちイランの街とオリジナリティに敬意を表して、そのワインの品種にシラーズって名前をつけたんだよ」
 「それ、ほんと?」
 「マジさ。すっげぇマジ。俺はこう見えても読書家でね。いろんなことを調べて知っているんだ。自分の国のこと、自分たちのこと、すっげぇ勉強したからね」
 「そんなに自分の国が好きなのに、カナダにいるのは、なぜだい?」
 「こっちには、なーんでもあるだろ。仕事もあるし」
 「可愛い女の子もいっぱいいるし」と僕は言ってみた。
 「イランの女性は美人だよ。でも、こっちの女性の方が話しかけやすいね。すぐデートできちゃう」
 「君は独身かい?」と僕はきいた。
 「もちろん! 俺は自由が好きなんだ。何ものにも縛られたくないもんね」
 彼はもっともっといろんな話をしたそうだったし、僕の方もイラン人の彼ともっと知り合いたかったけれど、残念ながらそうこうしているうちに車は空港に到着した。バンクーバー市内から空港までは車でわずか20分ほどなのだ。とても便利である。成田空港とは大違いだ(あれが東京の国際空港なんて、まったく詐欺みたいじゃないか)。
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 僕はバンクーバー空港のドメスティック・ターミナルに入り、ペンティクトンまでの国内線にチェックインした。
 ペンティクトンは、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州オカナガン・トンプソン地方の街。もちろん、耳にするのも行くのも初めて。
 出発まで時間がたっぷりあるので、僕は空港内の書店に入り、一昨日までいたソルトスプリング島の大きな地図をひとつ買った。地図を見るのが僕は大好きだ。東京の自分の車にはもちろんカーナビの類はついていない。それは僕の車がオンボロだし小さいからだけれど、いずれにせよ僕は自分で地図を見て道を探しながら走るのが好きなのだ。

 書店で何気なく新刊のベストセラーが並んでいる書棚を眺めていたら、そのトップ1の場所に置かれているちょっと大きめなペーパーバックが目をひいた。赤を基調にしたカラフルな表紙、鳥のイラストがとても可愛い。手に取ってみるとそれは、レナード・コーエンの最新散文集だった。
 結局それも購入し、もうやることもないからとゲートへ向かって歩いていった。
 ペンティクトン行きのゲートはメインターミナルからかなり離れた、一番片隅に位置するゲートだった。そのゲートのちょっと手前に、「ABSOLUTE SPA」という店があった。出発待ちの時間に気軽に受けられるスパやマッサージ、ネイルケアの店だ。店といっても、空港内なので仕切があるわけではなく、まったくのオープン。
 時計を見ると、出発時間までにはまだたっぷり1時間以上ある。僕は、30分ほフット・マッサージを受けることにした。
 白衣のような制服を着た女性が2人。ひとりは金髪の白人で、もうひとりも白人だけれど中近東系、黒髪の女性。
 「30分ほどフット・マッサージをお願いしたんですが」と僕が申し出ると、金髪の女性が、「あなたはラッキーよ。彼女のフット・マッサージは最高なんだから!」と言って、黒髪の女性が僕の担当であることを告げた。
 ゆったりとしたソファには電動マッサージ機能がついていて、背中をぐりぐりされながら僕の足のマッサージははじまった。よく見ると、彼女はとても美しい女性だった。薄いターコイズブルーの瞳が実にセクシーだ。
 彼女はお喋りな女性だった。
 僕は彼女に、「どこから来たんですか?」ときいてみた。
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 東京にいると、というか、日本にいると、「どこから来たのか」という質問は都道府県をきいているに過ぎないけれど、バンクーバーにしろパリにしろロンドンにしろ、そういった世界の都市では、「どこから来たのか」という質問は、「あなたの生まれた国はどこか」ということを意味している。
 数多の人種と民族が暮らす都市では、「その人が何人で、どんな宗教なのか、どんな歴史の中に生きてきたか、どんな戦争を経験してきたか」ということが、時として重要な意味を持ってくる。
 たとえば、ニューヨークで友人の家に招かれたとしよう。もしその人がイスラム教徒であるなら、招待のお礼にとワインを持っていくことはできない(イスラムは酒は禁止。先ほどのイラン人タクシー運転手の話は別)。また、誰かの家でパーティを開くとして、もしやって来るゲストの中にインド系の人がいたら、ホストは牛肉の料理は出さないようにするだろう(インドでは牛は神聖なる動物)。
 こういった発想というか、当たり前のこと、考え方、あるいは習慣になっているインターナショナルな暗黙のルールが、東京には欠如していると思う。もちろん、それで悪いとは言わない。ただ、東京がいかに「国際都市ではないか」ということは言えるだろう。どこまでいっても東京は極東の田舎街に過ぎないのだ。外資はたくさん入っているし、世界的なブティックや高層ビルは林立しているけれど、それは容器が立派になっているだけで、中身は空っぽに等しい。見せかけだけ。だから、東京(日本)にはそれなりの文明はあるかもしれないけれど、文化はまったく見えない。と、僕は思っている。

 僕が「どこから来たの?」とマッサージを施してくれている女性にきくと、驚いたことに彼女はこう言った。「イランからよ」。
 また、イラン人。
 なんだか、偶然にしては、できすぎているみたいだ。こういうことがあると、僕はどうしても映画『トゥルーマンショー』を思い出してしまう。被害者意識が強いのだ。
 僕は彼女に、ここ5日間で僕がたまたま出会ってきたイラン人の話をした。出会った、というほどのことでもないのだけれど。
 ・・・「その2人のタクシー・ドライバー、そして、君が3人目。これまでイラン人と接点がまったくなかったのに、なんだか奇妙な偶然だと思うんだ・・・」
 「きっと、イランがあなたを呼んでいるのよ」と彼女は僕に言った。そのときの彼女の顔に浮かんでいた不思議な笑顔はどんな意味だったのだろう。魔女のような(と言っても魔女に出会ったことはない)、僕に魔法をかけたみたいなスマイルだった。
 「イランは美しい国よ。美しい女性たちがたくさんいるわ」
 「きっとそうでしょうね。ところで、あなたの名前は?」
 「マジューニア」
 「マジューニア・・・。美しい名前だ」
 「ありがとう」
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 マッサージは終わり、僕はお礼を言って立ち上がった。
 「次の旅のときも、ぜひ、また寄って」とマジューニアは言った。そして、またあのスマイル。黒髪と薄い青の瞳に吸い込まれそうだ。
 イラン、イランか・・・、僕はゲートへ向かって歩きながら考えていた。
 知らない国、行ったことがない場所は無数にある。この世界は、僕らが知らないことで充ち満ちている。

<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『ENCANTO』MARCOS VINISIUS
『AERIAL VIEW OF MODEL』GLIM
『GUERO』BECK
『KHALI』ALEJANDRO FRANOV
『THE ESSENTIAL LEONARD COHEN』LEONARD COHEN

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by imai-eiichi | 2007-10-13 18:22




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