ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

051【ソルトスプリング島、雨の日曜日、ベヴァリーとの散歩】

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 2匹の犬の名前は、サンバとサルサ、という。どちらも女性、つまり雌犬だ。
 今朝、 「Wisteria」のダイニング・ルームでいつものように美味なる朝食を食べ終えると、ベヴァリーがやって来て僕にこう訊いた。
 「今日の夜はどうするの?」
 「特に何も決まってないけど」と僕。
 「じゃあ、よかったら犬の散歩につき合わない? そのあと、よかったらうちで晩ご飯を一緒に食べましょう」
 それで夕方になり、これからサンバとサルサとベヴァリーと僕、という4人(2人と2匹)で一緒に散歩に行く。
 今は夕方5時をまわったところ。5時といっても、北緯50度に近い北の島のサマータイムだから、日没まではまだ4時間以上ある。さっきやっと雨が上がり、空が少し明るくなってきたところだ。

 日曜日の今日、朝から雨だった。
 木曜日の正午に、僕は水上飛行機でこの島へやって来た。島へ来てからずっと天気が良かったのに、滞在の最後の日は雨。明日、僕はこの島を出る。
 けれど、太陽が眩しくとても乾燥した毎日が続いていたから、この雨が気持ちよかった。しっとりした空気はやさしくて、湿気が肌に染みこんでくる感じ。
 雨の今日、ほぼ1日中、僕は部屋で本を読んで過ごしていた。いつもは窓もドアも開け放しておくのだけれど、今日はさすがに空気が冷たくて、キッチンの窓以外は閉めていた。
 雨降る午後も、猫たちは律儀に散歩をする。窓ガラスの向こうに猫を見ると、気分転換も兼ねて僕は外へ出た。もちろん近づいていって呼んでも猫は寄ってこない。彼らはいつでも自由気ままだ。
 朝は小雨、午後には本降りになり、午後3時を過ぎてから雨脚が弱まってきた。
 雨が昨日じゃなくてよかったな、と思う。昨日は土曜日。土曜日は、この島恒例のサタデー・マーケットの日だ。雨だったら、ぜんぜん盛り上がらない。
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 人口わずか1万人のソルトスプリング島に、毎年4月から9月の夏の間だけ、50万人を超える観光客が訪れる。彼らのほとんどは、太陽眩しい北の島でバカンスを過ごそうと思ってやってくる。海も森も美しいこの島でのんびりと過ごす。ハワイもいいけれど、北の島の夏も格別。北の島の夏休みだ。
 そんな「夏休みの人々」の休暇の日々には土曜日が欠かせない。この島のサタデー・マーケットは、とても有名なのだ。
 毎年4月第1週めの土曜日から10月第1週目の土曜日まで、ソルトスプリング島では毎週土曜日、サタデー・マーケットと呼ばれる市が立つ。

 ソルトスプリング島は「アーティスト・アイランド」「オーガニック・アイランド」と呼ばれていて、土曜日のこのマーケットには、島にアトリエを構えるアーティストたちが一斉に店を出し、オーガニック・ファーマーたちもとれたての野菜や果物を並べ、苗木や、彼ら自身が作ったパンやジャムなども売られる。だから、夏のこの島での滞在のハイライトが、このサタデー・マーケットというわけだ。
 昨日は、僕もマーケットへ行った。ウィローツリー・バスケットを作っているリオネル、バン職人ヘザー、オーガニック・ファーマーのチャーリーなど、マーケットで再会したい人たちが何人かいた。天気も上々だし、僕はビーチサンダルで宿からのんびり歩いてガンジスのダウンタウンまで行った。
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 ソルトスプリング島には信号がひとつもない。田舎の、小さな島なのだ。そんな島一番の町の名が、ガンジスという。
 もともとヒッピーがたくさんいる島だし、その中心地がガンジスなんて、どうもふざけているとしか僕には思えない。昔からそういう名前だったのだろうか。それとも、1960年代末に、誰かが名づけたのが始まりではないのか・・・。(正確なところを調べたことがない。今度行ったときにはリサーチすることにしよう)
 ガンジスには大きなスーパーマーケットが一軒あり、数軒のカフェとレストランがあり、素敵なブックショップがあり、2軒のパブがある(すごく小さな町なのだ)。港に面していて、水上飛行機もここに降り立つ。
 ガンジスの海辺にはセンティネル・パークという公園があり、土曜日の日中、ここがマーケット会場になる。ふだんは静かな公園だ。晴れていれば、緑濃い芝生の上で日向ぼっこ、遊戯施設にはヒッピーの親子、という感じ。芝生の片隅で輪になって座ってお喋りをしているスモーキーなヒッピーたちも大勢いる。白黒写真でその風景を撮ったら、「1969年、サンフランシスコ」という感じだろう。この島は、長髪、ドレッドヘア、タイダイシャツの割合がものすごく高いのだ、今もあいかわらず。なんとなく、1970年代からすっぽり抜け落ちてきたような印象さえある。
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 昨日、晴れた土曜日、マーケットは盛況だった。
 リオネルやチャーリーとその娘、手作りアクセサリーを作っているアレックスなど、1年ぶりにみんなと再会できてよかった。彼らの多くは僕を見ると、「また来たのかい?」と驚いていた。確かに、日本人はそんなに多く来ないし、何度も再訪する日本人となると数少ないはず。この島を気に入ってしまって「移住してしまった」という日本人たちは何人かいるけれど(この島には10数人の日本人が暮らしている。多くはファミリーで移住してしまった人たちだ)。
 リオネルはこの日、店を出すのをさぼっていて、だからブラブラしていた僕を見つけると嬉しそうだった。「すぐ近くに日本人の友達の家があるんだけど、一緒に遊びに行こう」とリオネルに誘われ、それで僕も、マーケット見物はそこそこに、彼の実に汚く魚臭いおんぼろ車に乗って、その友人宅へ行ったのだった。
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 森の中にある山の家のようなその家は、古いけれど、広く、とても居心地がよかった。庭が広い。納屋があり、大きな羊が1頭、3羽のアヒル(近づくと猛烈に怒る)、たくさんの鴨、林檎の木々、クルミの木、家庭菜園。眺めのいいトイレは水洗ではなく、自分たちが出したものをすべて畑の肥料にしているという。それで育った野菜や果物を中心に食べて生活しているその家族。まさにオーガニック。
 日本が大好きなリオネルは、昨年だったか沖縄へ行ったときに買ったという三線を独学していて、ずっとそれを弾いていた。その腕前、彼のこれまた独学の(かなりあやしい)日本語よりもずっと上手。僕が広い庭を散歩していると、外でブームの「島唄」をリオネルが練習していて、その音が辺りに響き渡り、不思議な心地よさだった。
 夜は、リオネルのその友人の日本人宅で、納豆、味噌汁、玄米という晩ご飯だった。囲炉裏で鮭を焼き、エビを焼き、サラダを食べた。
 サラダの葉はすべて庭の菜園でとれたもの。納豆も(納豆菌以外は)完全自家製、すべてオーガニック。自家製のフルーツワインも出てきた。リオネルが買ってきたオーガニック・ブレッドをスライスして、チーズを食べた。
 結局、夜遅くまで僕らは飲み、唄い、太鼓を叩き(家にはグランドピアノもギターもあるし、なぜかジャンベがたくさんあった)、楽しんだ。なかなかすごい夜だった。
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 それが昨日の土曜日のこと。
 今朝目覚めると雨が振っていて、前日のワインが頭に残っている感じもしたし、静かに部屋で過ごすことにした、というわけだ。ここ、ウィステリアの僕のコテージ部屋は居心地がいいので、ずっと部屋にいても嫌にならない。無線ランが母屋から飛んでいるからラップトップの仕事もはかどるし。

 そうして、夕方。
 雨がやみ、5時を過ぎて少ししてから、ベヴァリーと僕は2匹の犬を連れて散歩に出発した。犬の散歩と言っていたから僕はリードをつけて近所をぐるっと回るのだろうと思っていたら、そうではなかった。
 「南へちょっと走ったところにきれいな森があるの。いつもそこへ行くのよ」とベヴァリー。
 サンバとサルサを後部座席にシートベルトで固定して、僕らは出発したのだった。

 島にはマウント・マックスウェルという、展望台からの風景が実に素晴らしい山があって、ベヴァリーが2匹の犬を散歩する森はその山の麓にあった。
 1日中雨降りだったから地面はすっかりぬかるんでいたけれど、たっぷり水を吸い込んだ森は瑞々しく、実に美しい気配だ。
 「近い道で回る? それともゆっくり遠回りする?」
 車を降りてからベヴァリーに訊かれて、僕は躊躇せずに、「I’m easy. You decide!(僕はどっちでも。決めて!)」と応えた。
 「じゃあ、せっかくだからぐるっと回ろうか」とベヴァリーが言って、僕と彼女とサンバとサルサは森へのトレイルを歩き出した。
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 森の中はひんやりしていた。僕はアークテリクスのアウターのジッパーを首もとまで上げて歩く。
 最初、ベヴァリーは2匹の犬をきちんとリードに繋いだまま歩いていた。2匹はとても大きい。重そうだ。横から見ていて、この大型犬2匹をリードでひくのは大変だと思う。
 しばらく歩いて森の中まで入ったところで、ベヴァリーはリードをはずした。2匹は「待ってました!」とばかりに駆けだして、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
 僕とベヴァリーはお喋りをしながらのんびり森の中を歩く。
 ときどき彼女は大声で、「サルサ!」「サンバ!」と2匹を呼ぶ。すると、どこからか2匹が走って戻ってくる。ベヴァリーに「Good Girl!」と頭を撫でられて、おやつをちょこっともらい、するとまた森の中へ消えていく。そんなことを繰り返しながら僕らは森の道を少し上っていった。
 湿った森の空気。吸い込むと美味しい味がする。森の匂い。水滴をつけた新緑、濡れて濃い茶色になった木々。素晴らしい、何もかも!
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 トレイルを外れると、森の中は一面苔むしている。雲が流れてときどき木洩れ日が射し込み、すると苔が光る。なんて美しいのだろう。
 「何もかも・・・きれいだね!」
 それ以外、僕には言えない。何もかもパーフェクトに美しいのだ。
 「ここ、いい場所でしょう?」
 ベヴァリーは、僕がこの場所を気に入っているのをわかって喜んでいる。
 「毎日、仕事は忙しいし、やることがたくさんありすぎて、知らないうちにどんどん時間が過ぎていくでしょ。だから、毎日必ずここに来るの。ここに来ると、リセットできるから。面倒でも、疲れていても、必ず来る。もちろん、サンバとサルサにとっても必要なことだし。毎日毎日やって来るけど、この森は、一度たりとも同じ顔をしていることはないの。いつも、いつも、必ず表情が違うのよ。だから、私はここへ来るのが好き。ここがあるから、私はまた明日もできるんだと思う」
 ニューヨークからこの島へやって来たベヴァリー。
 昨年春にこのウィステリアに泊まって彼女と話したとき、彼女は大きな希望とチャレンジ魂に満ちていた。「私は、新しいチャレンジを自分に課したくてここに来たの」とそのとき彼女は笑顔で言っていた。「この宿を自分の宿に変えていくこと。床も壁も塗り替えて、少しずつ自分の色に染めていきたいの。大変だけれど、私は自分を試してみたい・・・」、そんなことをベヴァリーは言っていた。
 今もそれは変わっていないと思う。でも、森を歩きながら言葉を交わしていると、「この島に居続けることについて」多少なりとも悩みがある・・・というか、迷いがあるのは事実のようだ。
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 「ここは、何もかもユルすぎると思うことがあるの」と彼女は言った。「カナダ人と私たちアメリカ人のメンタリティは、だいぶ違うのね・・・」
 「でも、そのユルい感じ、メロウなのが、この島のいいところだと思うけれどね」と僕。
 「もちろん、旅でやって来た人にはそれがいいんだろうけれど、住むとなると、ちょっと別。ここにずっといると、挑戦する気持ちが萎えていってしまうというかね、そんな感じがするの」
 遊びに来る僕らと、暮らしている人たちとでは、やっぱり違うのだろう。住む、というのは、その場所の白と黒を両方見せられることなのかもしれない。その土地の白と黒、その中間のグレイのグラデーションの中に自分の身を置いて、どちらに染まっていくのか、そんな変化を感じることであるかもしれない。
 「ここの冬をひとりで過ごして、少し寂しくなった?」と僕はベヴァリーに訊いた。
 「そう、ここの冬は冷たいし、暗い。エイイチはLAに行ったことはある?」
 「何度もあるよ。住んでいたことも。僕が好きなのは海辺、サンタモニカ、ヴェニス、やっぱりオーシャン・サイドだね」
 「そう、あの光! 太陽が今の私には必要なのよ。最近はなんだか、西海岸の太陽に憧れちゃって・・・」
 「ハワイはもっと温かいよ」
 「ハワイか。まだ一度も行ったことがないわ」
 そこで僕は、ハワイのどんなところが素敵なのか説明しようとしたのだけれど、うまく語れないような気がしたので、やめてしまった。それはまたいつか、次の機会にしよう。今はまだ、そのときではない、そんな気がした。

 森を歩き、倒木をまたぎ、渓流を渡る。
 腰まであるブッシュの丘を歩いたら、ジーンズも靴もびしょ濡れになってしまった。靴はもう、明日は履けないだろうなぁと僕は思ったけれど、途中からもうどうでもよくなって、犬と一緒に駆け回った。

 少し上り、少し下る。開けた海岸に出る。どんよりした雲に少しずつ切れ目ができはじめている。西の方の空、その雲の隙間から光が射している。エンジェルズ・ラダー、天使の階段だ。
 「ベヴ、ありがとう。ここに連れてきてくれて」と僕は言い、彼女が笑顔で言う、「また来ましょう、一緒に」。
 また来たい。また来よう、きっと。会いたい人がそこにいるから。会いたい人がここにいるから。
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<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『DEEP』FLIPSIDE
『IN A SAFE PLACE』THE ALBUM LEAF
『BEYOND THE MOSSOURI SKY(SHORT STORIES)』HADEN & MEHTENY
『COMMENTS OF THE INNER CHORUS』TUNNG
『JEHRO』JEHRO

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by imai-eiichi | 2007-06-10 18:27




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