034【縁日、川と海辺、旅の時間】
僕が暮らしている街は、毎月28日がお祭りの日、縁日になっている。1月から12月まで、毎月必ず。毎月一度必ずお祭りがあるなんて、考えてみると、なかなかおめでたい街だ。とは言え、御神輿かつぎや太鼓の音が、年に何度も響くのは、確かにちょっと「うるさいなぁ」と思うのだけれど。特に、朝寝坊したい日曜日の早朝に、「今日は、午前10時から、御神輿が出ます。皆さんもお誘い合わせの上・・・!」などと、はっぴを着たローカルのオジサンに拡声器でメッセージしながら町内を歩かれると、ちょっと困ってしまう(しかも困ったことにこのオジサン、ものすごく素敵な声をしているから、無視できない)。
とにかく、そんな街にもう、10数年暮らしている。
縁日の日、小さな商店街には提灯がぶら下げられ、各商店は安売りセールをしたり、店の前に即席の屋台を設置して色々と売っている。無料で甘酒をふるまう店もある。
ここは野良猫が多い街なのだが、猫たちもこの日は朝からそわそわしているようだ。もともと「猫おばさん」「猫おじさん」系の多い街ではあるのだけれど、縁日には誰でも気前がよくなるようで(たぶん)、路上に生きる猫たちにすると、「今日はご馳走にありつける日だぞ」ということになっているらしい(もちろん直接聞いたわけじゃなく、あくまで推測です)。いつもはちくわしかくれないおでん屋のオヤジが、この日だけはと牛すじの煮込みをくれたりとか。それも見て確かめたわけではないのだけれど、どうもそんな気がして仕方がない。
毎月28日の縁日には。
歩いてすぐのところに目黒不動尊という寺院があり(不動尊としては東日本最大だとか)、そこに市が立つのが28日なのだ。渋谷・五反田間を走り、寺の入り口にバス停がある東急バスは、その行き先表示に、この日だけ「縁日」というサインが灯る。「縁日五反田行き」と「縁日渋谷行き」である。なんだか、縁起のいいバスみたいだ。
目黒不動尊の他にも、この辺りには神社仏閣が実に多い。目立つところをあげると、「蛸」を神様にしている「たこ薬師」、素晴らしいミュージアムが併設されている「チベット密教寺院」(ここには見事な砂絵が常設展示されている。ちなみに、チベット密教の砂絵の常設展示は世界でここだけである)、本当に500の羅漢像があるのだろうか? といつも前を通るたびに思う「五百羅漢寺」・・・、他にもまだまだあるのだけれど、きりがないので、この辺で。とにかく、どの神社仏閣も、毎月28日にはお祭りムードを醸し出している(便乗か?)。
28日の縁日には、まず日中、目黒不動尊の駐車場エリアに植木や植物などの市が立ち、夕方くらいからは無数の屋台に明かりが灯って、「夜祭り」状態になる。中には有名なたこ焼き屋があるらしいのだけれど、10年以上この街に暮らしていながらまだ知らない。
海外から友人・知人がやって来ているときなど、タイミングよくこの縁日を迎えると、だいたい連れて行き、必ずみんな喜ぶ。エキゾティックでフォトジェニックだろうし、そもそもこの目黒不動尊という寺が立派で、なかなか味わい深い空間なのだ。
目黒不動尊の本尊へは、入口の鳥居をくぐってから、かなり長い石段を上って辿り着く。山寺風なのだ。春の桜は見事だ。秋が深まると、大きな銀杏の樹が黄金色に輝き、それも美しい(11月の終わりから12月初旬にかけて)。
その本尊へ至る石段の麓には、湧き水場があって、ここにわざわざ水浴びにやって来る人もいる。そう、ガンジス川の水浴びみたいに。ガンジス川と違うのは、ここは川ではないことと、死体は流れて来ないこと、もちろん頭から浴びてお腹をこわしたりしない、ということ。365日、毎朝6時前後に、必ずこの湧き水を汲みにやって来る老人たちがいる。彼らは、その日1日飲んだりお茶にするための水を、米を炊くための水を、ここに求めているようだ。「煮沸して飲むと、確かに美味しいよ」と、同じく近所に暮らす知人は言っていたが、まだ試したことがない。
海外から知り合いが来ると僕は、まぁその人の年齢や性格にもよるとは思うけれど、だいたい浅草と明治神宮へは必ず連れて行く。王道と言えば確かに王道。でも、確実にみんな喜ぶし、僕自身、そういうことがないと浅草まで足を伸ばさないから、ちょうどいい。
この夏にも、ハワイから1人、オーストラリアから2人、現地の友人が日本を訪れ、そういった場所へ一緒に行った。
浅草へ行くときには、浜松町の日の出桟橋から水上ボートで行くことにしている。古いタイプのボートが出航する時間を調べて行く。新しいボートは、有名な漫画家のデザインによるものなのだが、実に醜いと僕は思うし、何より甲板がない造りになっているため、外に出られない。せっかく水上を走っているのに、潮風も川の風も浴びられないのだ。それってなんだかひどすぎる。一方、古いボートは、船の3分の1近くが屋外になっているから、とても心地いい。寒い真冬は別として、他の季節なら(雨さえ降っていなければ)船はやっぱり甲板で楽しみたいと個人的には思う。
この水上ボートの会社は、わざわざ広告代理店経由でたくさんのお金を使って有名漫画家にデザインさせたのかもしれないけれど、そういうのって、意味がないどころか、隅田川を船で旅することの意味を見失っているんじゃないだろうか。漫画のキャラクターが満載されている船内は、確かに子供たちには楽しいのかもしれないけれど、そのせいで多くの子供たちは水辺の景色を見ようともしないまま(常設のTVゲームに夢中だったり)30分を過ごしてしまうのだ。やれやれである。でも、そんなことに口うるさくなってしまう自分自身にもやれやれだけれど。
浅草までは、およそ30分の水の道だ。
隅田川にはたくさんの橋が架かっていて、それぞれに表情がある。川の道を行くと、少しずつ川縁の街の風景も変わっていく。
水上ボートに揺られながら、ほんの100年とか120年前までは、この川の道が重要な幹線路だったのだろうなぁと想像したりする。たとえば木材を船が運んだのだろうし、人も船に乗ったし、その他にも食料やいろんな物資が、車のない時代、船で運ばれていったのだ。東京中を(江戸中を)。
東京は海に面した街であるし、このように蛇行する川をいくつも抱えているのに、「水」や「水辺」「川」「海」をそこに暮らす住民のライフスタイルとして利用できていないように感じる。アムステルダム、ミラノ、ロンドン、パリ、バンコック・・・、自分が旅してきた街を思い返すと、川が今も地元の生活と密着している都市がたくさんあった。サンフランシスコ、バンクーバー、ケープタウン、シドニー・・・、それらの街は海とともあり、そこに暮らす人々の生活と密接に関係し合っている。
ロンドンのテムズ川やパリのセーヌ川のように、なぜ隅田川はなれなかったのだろう? というより、先人たちはなぜそのような利用法を生かした街に東京をしなかったのか、デザインしなかったのか。
たとえばバンクーバーやサンフランシスコへ行くと、海辺から広がっていくその街のデザイン的美しさ、そこから生まれる心地よさを、感じる。東京にはそれが皆無だ。海がすぐそこにあるのに、「僕らは海辺の街に暮らしている」ということが実感できない。実際、どれくらいの東京人が、「自分は海辺の街に暮らしている」と実感しているだろうか?
バンクーバーやサンフランシスコやケープタウンでは、常に海を感じていられる。実際、すぐそこに海があり、浜辺もあり、気軽に散策できるのだ。それらの街では、海辺は、決してお台場のような観光地ではない。あくまでそこに暮らしている人々の生活にくっついている。むしろ、まずはローカルたちの生活ありき、なのだ。
こういうことを考えていくと、いかに日本には「まともな建築家や環境デザイナーが実はひとりもいない」ということに気づいて愕然としてしまう。作り手が自己主張するだけのビルは無数にある。でも、ひとつの都市をひとつの生きた空間として、有機的な街として考えている人がいるようには感じられないし、少なくともそのようにデザインされた試しがない。
近年、ロハスなんていう言葉が流行語になって、「有機栽培」とかなんとか、そういう食べ物や店が流行っているけれど、そもそも土地や街こそ、有機的なものではないのか。東京ほど(もちろん東京だけではないけれど)無機的な街もない。ここには持続可能で有機的なライフスタイルを目指す姿勢がまったく感じられない(それは実質的に不可能かもしれないが、試すことはできる)。
これほどまでに雑多でありながらその本質的中身はゼロという街に生きていると、「ロハス」と言って有機的なライフスタイルを個人で送ろうとしている人たちからすると、これはなかなかしんどいのだろうなぁと思ってしまう。
などなど、相変わらず皮肉と文句ばかりを脳みそ中にぐるぐるさせながら、海外からやって来た友人と一緒に浅草へ向かうのだ、水上ボートに乗って。
だいたいお昼前の船で出発することが多いから、浅草へ到着するとまずは「昼食」ということになる。行く店は決まっている。「田川」という蕎麦屋だ。ビールを飲み、まず「御膳蕎麦」を食べる。真っ白な更科である。それから、「狸丼」を食べる。狸丼というのは、いわゆる親子丼の中に天かすが入っている丼だ。田川の狸丼は、メニューには出ていないのだけれど、知る人ぞ知る名物で、とても美味しい。ご飯の上にのったとろ〜りと料理された卵があり、そこに箸を入れると卵の黄身の部分が流れ出し、その下に隠れている天かすと混ざり合う。とろとろ卵と、しゃきしゃきの天かす。口の中で双方が描くハーモニーが素晴らしい。
お饅頭やお煎餅をつまみながら、新仲見世を歩き、浅草寺で手を合わせ、その後は浅草の裏通りを散策。時間に余裕があるときには「花屋敷」に入って、名物の木製ジェットコースターに乗ることもある。地元の家の軒先をかすめていくこの小さなジェットコースターは、僕からすると、富士急ハイランドやよみうりランドの巨大コースターよりも、ずっとスリリングだ。夕暮れまで浅草をぶらぶらして、帰りは銀座線に乗って、神田の「菊川」で鰻重を食べて帰る。
明治神宮へ海外の友人を連れて行くときには、車に乗せて行く。目黒や恵比寿で待ち合わせ、渋谷の街を通り抜けていく。ハチ公前交差点の人混みに驚き、にぎやかな街をのんびり走っていくと、初めて来た彼らはだいたい目をまるくしてびっくりする。
その後で、明治神宮に着くと、「都会のど真ん中に、こんなに濃い森があるんだね!」と、これまた大びっくりする。僕自身、何度も訪れているけれど訪れるたびに、「素敵な森の空間だなぁ」と感じる。少々カラスの鳴き声が激しすぎる気はするけれど・・・。
たっぷり明治神宮を散策してから、表参道や青山を流して、午後4時の目黒「とんき」へ行く。午後3時の銭湯と同じで、開店したての「とんき」のぴかぴかのカウンターに座るのは、極上の気分だ。ビール、お新香をつまみながら、ロースと串カツが揚がるのを待っているときの時間の素晴らしさ。海外の友人・知人たちの中でもハワイ人たち大の豚肉好きなので、特に喜んでくれる。
3日前に、バンクーバーから友人がやって来た。彼をどこに連れて行こうか、考えているのもなかなか楽しい。
旅をしていると、時々、素晴らしいガイドと出会うことがある。彼らは、偶然を装いながら、見事な手順で一生の想い出と出会わせてくれる人たちだ。そういう旅をすると、「ありがとう」と旅に対して両手を合わせたくなる。「感謝」と。だから、誰かがこの街へやって来たときには、可能な限り自分が良きガイドとなって、彼らを迎えたいと思うのだ。「とんき」とか「田川」だけではなく、いろんな意味で。この街への文句を超越して、彼らの「旅の時間」として、何かを与えてあげられたらいいなぁと、そう思う。
そう考えていくと、なるほど旅とは、場所や土地や物ではなく、「時間」なのだろうなぁと思う。そこが砂漠でも、雪山でも、スモッグのひどい都市でも、「素晴らしい時間」を感じられれば、その旅は風景には関係なく素晴らしいものになるのかもしれない。
<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『5:55』CHARLOTTE GAINSBOURG
『DREAD BEAT IN TOKYO』KAZUFUMI KODAMA
『PAUL SIMON』PAUL SIMON
『INVITES SUR LA TERRE』RENE AUBRY
『NORWEGIAN MOOD』KARI BREMMES
by imai-eiichi
| 2006-11-03 19:55