Feature of the month '07.Feb
「てしょがいいひと」の言葉
最初読み始めたときは、どこか遠い国の話を聞かされているような気がした。
コンビニエントでインスタントな都会の日常では聞き慣れない、古風なモチーフや言葉に戸惑った。けれど、読み進めていくうち、まぎれもなくこの東京のいまの時代に暮らしている女性が書くエッセイなのだということがはっきりしてきた。
「おくるみ土鍋」という一編がある。十五年前に二束三文で買った小さな土鍋の話。
古びてみすぼらしくなった土鍋は、いつのまにか流しの下に追いやられていた。しかし、中国で出会ったおこげ料理に使われていた真っ黒な鍋を見て、家に帰ると早速、土鍋を引っ張り出してみる。
石田千にとっての「言葉」も、この土鍋のようなものなのかもしれないと思った。
もう使われることの少なくなった古い言葉や言い回しは、しかし真っ黒な鍋のように年月が染み着いた味を持っている。そんな言葉を引っ張り出してきて、丁寧に使うこと。
もう一つ、「透明なもの」という一編にも、この著者の言葉にまつわるヒントがあるように思えた。
中学の美術の授業で、先生が生徒達に、透明なものを思いつくだけ書きなさいと言う。自分は、水、空気、風、セロハンテープ……と、月並みなものしか思いつかない。しかし、隣りのクラスの女の子が
「猫の目を見たところ」と答えたことを知り、もやもやとした嫉妬の感情を覚える。それから二十年が過ぎた今でも、「透明な猫の目をみつけたやさしい友だち」をうらやましいと思う。
石田千は、この忙しない日常を過ごしながら、「透明な猫の目」のような出来事や言葉に気を留めている。だから、同じ時代同じ場所に暮らしていても、まるで遠い世界のように思える話を紡ぐことができるのかもしれない。
「やわらかな切れ味」という一編では、料理や裁縫といった手仕事の細やかさが語られる。細かく正方形に刻まれたキャベツの浅漬けが、機械の仕事か包丁の仕事かという話から、スライサーで作ったにんじんのサラダがおいしくないという話に繋がる。そして、母親がよく口にした「てしょがいいひと」という言葉を思い出し、辞書を引くと、それが手性、つまり手先仕事の上手下手という意味だと知る。この話は機械の仕事と包丁の仕事、同じに見えても繊細な違いがあるということなのだが、その言葉は文章を書く者にも当然跳ね返ってくる。
その伝で言うなら、石田千のエッセイは「てしょのいいひと」の仕事であることは確かなのだけれど、それは上手にコントロールされた収まりの良い文章という意味ではなくて、とても丁寧に一つ一つの言葉が手塩にかけて育まれた印象があるという意味だ。
特に、時折顔を覗かせる敬語は絶品。うつくしい敬語に触れる機会もどんどん減っている昨今、「くださる」という言葉がここまで確かな実感をもって記されているのを読むのは、やはり気持ちがいいものだと思った。(猪野 辰)
『ぽっぺん』 石田千 新潮社 ¥1600(税別)

コンビニエントでインスタントな都会の日常では聞き慣れない、古風なモチーフや言葉に戸惑った。けれど、読み進めていくうち、まぎれもなくこの東京のいまの時代に暮らしている女性が書くエッセイなのだということがはっきりしてきた。
「おくるみ土鍋」という一編がある。十五年前に二束三文で買った小さな土鍋の話。
古びてみすぼらしくなった土鍋は、いつのまにか流しの下に追いやられていた。しかし、中国で出会ったおこげ料理に使われていた真っ黒な鍋を見て、家に帰ると早速、土鍋を引っ張り出してみる。
石田千にとっての「言葉」も、この土鍋のようなものなのかもしれないと思った。
もう使われることの少なくなった古い言葉や言い回しは、しかし真っ黒な鍋のように年月が染み着いた味を持っている。そんな言葉を引っ張り出してきて、丁寧に使うこと。
もう一つ、「透明なもの」という一編にも、この著者の言葉にまつわるヒントがあるように思えた。
中学の美術の授業で、先生が生徒達に、透明なものを思いつくだけ書きなさいと言う。自分は、水、空気、風、セロハンテープ……と、月並みなものしか思いつかない。しかし、隣りのクラスの女の子が
「猫の目を見たところ」と答えたことを知り、もやもやとした嫉妬の感情を覚える。それから二十年が過ぎた今でも、「透明な猫の目をみつけたやさしい友だち」をうらやましいと思う。
石田千は、この忙しない日常を過ごしながら、「透明な猫の目」のような出来事や言葉に気を留めている。だから、同じ時代同じ場所に暮らしていても、まるで遠い世界のように思える話を紡ぐことができるのかもしれない。
「やわらかな切れ味」という一編では、料理や裁縫といった手仕事の細やかさが語られる。細かく正方形に刻まれたキャベツの浅漬けが、機械の仕事か包丁の仕事かという話から、スライサーで作ったにんじんのサラダがおいしくないという話に繋がる。そして、母親がよく口にした「てしょがいいひと」という言葉を思い出し、辞書を引くと、それが手性、つまり手先仕事の上手下手という意味だと知る。この話は機械の仕事と包丁の仕事、同じに見えても繊細な違いがあるということなのだが、その言葉は文章を書く者にも当然跳ね返ってくる。
その伝で言うなら、石田千のエッセイは「てしょのいいひと」の仕事であることは確かなのだけれど、それは上手にコントロールされた収まりの良い文章という意味ではなくて、とても丁寧に一つ一つの言葉が手塩にかけて育まれた印象があるという意味だ。
特に、時折顔を覗かせる敬語は絶品。うつくしい敬語に触れる機会もどんどん減っている昨今、「くださる」という言葉がここまで確かな実感をもって記されているのを読むのは、やはり気持ちがいいものだと思った。(猪野 辰)
『ぽっぺん』 石田千 新潮社 ¥1600(税別)
by switch-book
| 2007-02-19 00:05