Feature of the month '06.Nov
「私以外」の経験を味わう背徳感
ある雑誌で脳科学の第一人者に取材した際、百年後の未来では、脳の状態を克明に記録する科学技術が成立しているだろうという話を聞いた。脳内の情報を記録することで、その日起きた出来事の客観的な情報だけでなく、その出来事を通じて「私」がどう感じたかの主観的情報までも保存し、いつでも再生できるようになる。現代人のようにブログを書く人は誰もいなくなる……。
胸踊る話だ。しかし、ちっぽけな「私」の記録を完璧にデータベース化できたとしても、そこにアクセスする機会はほとんどないんじゃないか、とも感じた。では「私以外」の存在に起きた経験がデータベース化され、自由にアクセスできるとしたら? しかも「私以外」でありながら十分に「私」の、つまり理想的な「私」が、理想的な「世界」を生きる経験を五感全てで追体験できるとしたら。飛浩隆の『ラギッド・ガール』に登場するヴァーチャル・リアリティは、そんな体験を使用者(ゲスト)にもたらす。
<廃園の天使>シリーズ第二作に当たる本書は、前作『グラン・ヴァカンス』でも描かれたネットワーク上の仮想リゾート<数値海岸>の姿を、そこに暮らすAI達と、その世界を作った科学者達、双方の視点から描く中短編集だ。ラギッド(ざらざら)な皮膚を持つ醜い天才少女によってもたらされた、ヴァーチャル・リアリティ理論はこうだ。仮想世界のAIは、人間(ゲスト)の欲望に応え、サービスするためにプログラムされた存在であり、自らがAIであることを自認している。ゲストは仮想世界に没入しリアルタイムで経験するのではなく、「情報的似姿」という名の架空の「私」をその世界にあらかじめ送り込み、経験した結果をビデオデッキで録画・再生するように選択的に追体験する。「情報的似姿」に人間と同程度の処理能力を持たせることは不可能だから、「感覚」を処理する機構は一元化し、「感覚」自体を仮想世界の座標点に置いておく!
ミステリー小説の最後で惨殺されるヒロインについて、作中人物がこう語る、「私が本をひらくまでは、ミランダは紙に印刷されたただの活字。そのままにしておけば彼女は死ぬこともなかったわ。うかつにも私が読んだりしたばっかりに、彼女は“生きた”」。本を読むこと、「私以外」の経験を味わうことの甘美な背徳感が、この小説のヴァーチャル・リアリティ観と共鳴する。圧巻なのは、「魔述師」と題された中編だ。反<数値海岸>を掲げる女性運動家は、なぜAIの“人権”保護にこだわり、どのようにして人間によるAI虐待を止めさせるのか? 「清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである」。前作のあとがきで示された「SF」観は、本書でもどくどくと息づいている。本をめくる手を止めさせるほど、強烈に。最高の「SF」は、最高のホラーでもあるのだ。(吉田大助)
『ラギッド・ガール』 飛浩隆 早川書房 ¥1,600(税別)
ある雑誌で脳科学の第一人者に取材した際、百年後の未来では、脳の状態を克明に記録する科学技術が成立しているだろうという話を聞いた。脳内の情報を記録することで、その日起きた出来事の客観的な情報だけでなく、その出来事を通じて「私」がどう感じたかの主観的情報までも保存し、いつでも再生できるようになる。現代人のようにブログを書く人は誰もいなくなる……。胸踊る話だ。しかし、ちっぽけな「私」の記録を完璧にデータベース化できたとしても、そこにアクセスする機会はほとんどないんじゃないか、とも感じた。では「私以外」の存在に起きた経験がデータベース化され、自由にアクセスできるとしたら? しかも「私以外」でありながら十分に「私」の、つまり理想的な「私」が、理想的な「世界」を生きる経験を五感全てで追体験できるとしたら。飛浩隆の『ラギッド・ガール』に登場するヴァーチャル・リアリティは、そんな体験を使用者(ゲスト)にもたらす。
<廃園の天使>シリーズ第二作に当たる本書は、前作『グラン・ヴァカンス』でも描かれたネットワーク上の仮想リゾート<数値海岸>の姿を、そこに暮らすAI達と、その世界を作った科学者達、双方の視点から描く中短編集だ。ラギッド(ざらざら)な皮膚を持つ醜い天才少女によってもたらされた、ヴァーチャル・リアリティ理論はこうだ。仮想世界のAIは、人間(ゲスト)の欲望に応え、サービスするためにプログラムされた存在であり、自らがAIであることを自認している。ゲストは仮想世界に没入しリアルタイムで経験するのではなく、「情報的似姿」という名の架空の「私」をその世界にあらかじめ送り込み、経験した結果をビデオデッキで録画・再生するように選択的に追体験する。「情報的似姿」に人間と同程度の処理能力を持たせることは不可能だから、「感覚」を処理する機構は一元化し、「感覚」自体を仮想世界の座標点に置いておく!
ミステリー小説の最後で惨殺されるヒロインについて、作中人物がこう語る、「私が本をひらくまでは、ミランダは紙に印刷されたただの活字。そのままにしておけば彼女は死ぬこともなかったわ。うかつにも私が読んだりしたばっかりに、彼女は“生きた”」。本を読むこと、「私以外」の経験を味わうことの甘美な背徳感が、この小説のヴァーチャル・リアリティ観と共鳴する。圧巻なのは、「魔述師」と題された中編だ。反<数値海岸>を掲げる女性運動家は、なぜAIの“人権”保護にこだわり、どのようにして人間によるAI虐待を止めさせるのか? 「清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである」。前作のあとがきで示された「SF」観は、本書でもどくどくと息づいている。本をめくる手を止めさせるほど、強烈に。最高の「SF」は、最高のホラーでもあるのだ。(吉田大助)
『ラギッド・ガール』 飛浩隆 早川書房 ¥1,600(税別)
by switch-book
| 2006-11-17 00:05


