Feature of the month '06.Sep

全身がざわめくコレクション展
『ばらばらになった身体 Body in Pieces』展@東京国立近代美術館 ギャラリー4/開催中(10/15まで)
http://www.momat.go.jp
美術館の作品購入予算や企画展制作費が軒並み減らされていく現状で、今あるコレクションを少しでも工夫して見せようという美術館の気概が感じられると、無性にうれしくなる。で、東西の二大コレクションが集った、大原美術館と東京国立近代美術館のお宝自慢「モダン・パラダイス」展を見に行ったわけなのだが、光や空間、夢、楽園といったお約束のテーマ設定とあいまいな作品対決のアングルがやや退屈。一緒に並んだ西洋美術とその影響を受けた近代日本美術の文脈の違いばかりが気になって、名画を名画以上に楽しむことができなかった。がしかし、同じ近美のコレクション展示室にありましたよ、珠玉のコレクション展が!
「ばらばらになった身体」展は、近美の所蔵品から約二十五点をセレクトした、ごく小規模な企画展だ。頭部、手、手足のないトルソといった、西洋彫刻史的な切り口だが、その前口上がしゃれている。美術家たちは身体の一部分だけを切り取って、愛する人の不在や、都会人の不安感を表してきた、と。
連想ゲームのような作品の選び方が面白い。たとえばマルクス・リュペルツの大きな首の彫刻がゴロンと床に転がっているかと思えば、なにげなく佐伯祐三のライフマスクが並んでいる。スティーグリッツが撮ったオキーフの優美な手の写真に、珍しい岸田劉生の手のブロンズ彫刻。一九三〇年代に北脇昇が描いた木の幹の絵がトルソに見立てられたりもしている。最終章「ばらばらになる身体」では、瑛久の実験写真、大辻清司、高梨豊の都会の群像写真も。
そして、展覧会のクライマックスは、河原温の鉛筆画「浴室」シリーズ(一九五三-五四)だった。二十八点からなるこの絵は、歪んだ浴室を舞台に、人間達が機械の部品のようにバラバラの変死体になっていくマンガ的連作だ。コンセプチュアルな「デイト・ペインティング」で知られる作家の異色の初期作品である。センスよくまとめられた会場の空気は、ここで一気に覆された。全身がざわめいた。
カラダという、表現において普遍的な王道モチーフを入口にして、マニア心をくすぐる変化球もおりまぜ、美術史で遊ぶ。こんなにもコンパクトで抑揚のある展覧会はひさしぶりだ。(宮村周子)
by switch-art
| 2006-09-19 00:05