遅刻する!と焦ることが多々ある。
こないだも転がるように家を飛び出し、急いで我が白チャリに跨った。
よほどの事が無い限り、急いでいる場合まず最初の信号にひっかかり、青信号になるまで眉の間隔を狭め、渋い顔をしながら片足カタカタを余儀なくされる。
信号を越えると、あぶくのように湧き上がる突飛な『近道』という考え、まだ見ぬ最短の道のりを夢見て小道に入ってみたりする。
この時頭の中では『急がば回れ』という真理と反する教訓を思う。なんて馬鹿げてるんだ、急いでるのなら近道するのが筋だろう。きっとこの教訓を最初に口走ったやつは愚鈍な洟垂れ小僧に違いない。口にした瞬間みんなに大笑いされ、その時でさえ洟を垂らし、ボタンを掛け違えてたりしたに違いないのだ。
小道を軽快に走る白チャリは目的地にぐんぐん近づく。『近道』の成功に、帰ったら祝杯をあげようかなんて考えた矢先、道の中央に人影を発見する、9割かた『小さいおばあちゃん』である。おじいさんでもお姉さんでもただのおばあちゃんでもなく『小さいおばあちゃん』だ。
我が白チャリ、生憎、ベルがついていない。僕自身自転車のベルの音が好きではないため、あらかじめ外してしまったのだ。
『小さいおばあちゃん』のサイドを突破する事は物理的に無理なため、後ろにぴったりくっつく形で白チャリを進める。
ブレーキが鳴いても、激しい咳払いをしても、『小さいおばあちゃん』は気づかない。
この時頭の中では『急がば回れ』の教訓が、崇高で厳かなパラドックスであることを痛感させられる。きっと口ひげを蓄えた真に高貴なお方がお作りになられたのだろう。口にした瞬間、荘厳な響きに皆ひれ伏したのではなかろうか。
おばあちゃん突破後は、力の限りペダルを踏み、チェーンを回し、結果汗だくになり白い目で見られるというのが常。
『急がば回れ』。古人の言うことは聞きましょう。それ以前に、急がねばならぬ事態を避けましょうと言うほうが利口か。 逆太郎(でやぁ!)