1995年5月3日。西麻布のイエロー。
忘れもしないこの日が、僕の音楽人生の原点だ。
この日、僕は某服飾専門学校に通う女性と仲良くなった。
以来、その女性の友人達とインクスティックやブルー、マニアックラブといったクラブに通い、そして彼女達がオーガナイズするパーティーでDJデビューをした。そして彼女を通して知り合った男とジャズのパーティーを立ち上げ、その現場で沢山の仲間と出会い。DJとしてキャリアを積んできた。
出会ってから18年になるこのグループは今でも定期的に集まり、相変わらず馬鹿をやっている。
1995年5月3日。この日のパーティーの名は「DISCO BABY」。
DJ Patrick、通称パトちゃんが主催するパーティーだった。
彼が先日亡くなった。
僕が彼から学んだのはHOUSEミュージックと、AIDSの知識だ。
彼はHIVポジティブだった。それをカミングアウトし、正しいHIV/AIDSの知識を啓蒙し続けていた。
僕も彼が書く文章をよんで、そして彼の話を聞いてそれを学んだ。
彼はいつだってダンスフロアを明るく照らしてくれていた。
そのダンスフロアで一生の友人に出会わせてくれた。
パトリック、ありがとう。
ご冥福をお祈りします。
彼の活動については、彼が連載をつづけていた雑誌、SPAのこちらのページを。
http://nikkan-spa.jp/424624