タケムラ
八幡小学校避難所の先生やおばあちゃんに見送られながら、
俺達は南相馬市に向った。
ここは福島第一原発にも近く、
避難区域や屋内退避区域に指定されている地区。
それ故、物資も行き届きにくい地域で
物資不足からくるあまりの困窮に、
南相馬市の市長自らが、YouTubeで助けを乞うメッセージを発信。
そのショッキングな発言、様子は
日本のみならず世界的なニュースにもなった。
八幡小学校で物資を下ろしていた時も
「南相馬市用の支援物資」はコンテナの奥に取り置いていたのだが、
そうとは知らない小学校の先生が
「あのう・・・、
奥にある食料と水も頂いてもいいですか?」
とおっしゃったのだが、
「すいません・・・、あれは南相馬市用の物資なんです」
と説明すると、ハッとした顔で
「そうでしたか!いや、あっちはもっとひどい状況なんで
是非あちらにお願いします!」
と慌てて訂正。加えて、
「そうですか・・・、南相馬にも行ってくれるんですね。
ありがとうございます」
と言っていた。
南相馬への支援自体が、やはり少ないのだった。
南へ下る俺達。
相馬市も出歩いている人は少なかったが、
南相馬市はもっと少なかった。
というか歩いている人は、ほぼ皆無だったのではなかろうか。
車で移動している人は見かけても、外でおしゃべりしていたり、
歩いて移動している人を見かけた記憶が無い。
そして事前に物資集積所と言われていた、厚生病院へ到着。
中へ入ると、集積所というスペースは無く
病院の一角で、ゴッタ返す人達を診療をしている。
「あれ・・・?」と思いながら看護士さんに訪ねるが、
「物資を?ここへ?」と合点がいかない様子。
「南相馬市市役所の方から、
ここが集積所だから持ち込むように言われたのですが」
と言ったら、集積所はここでは無く、
少し離れた所にある市場だ、と言う。
そこへの行き方を教えて貰い、トラックを走らせる事10分弱。
教えられた「卸売り市場」に着いた。
そこはバレーボールのコート2面分程の大きさで、
作業着姿の男性20人程が手持ち無沙汰に座っていた。
支援物資を運んで来た旨を告げると、
事務所で書類を書くように促され、奥へ通された。
「ほぅ〜、東京から来てくれたのかい。ありがとなぁ」と
おじちゃんに声を掛けられながら、物資内容等の書類を書き終えた。
事務所を出ると、もう荷下ろしは始まっていて
10人掛かりで作業にあたってくれていた。
おまけにフォークリフトも使ってくれていたので
作業は順調に進み、スピーディーに終わった。
物資置き場になっているスペースを改めて見回してみた。
その時、南相馬市で避難所生活や自宅避難を続けている方の人口が
どの位なのかは分からなかったが、
それにしてもそこにある物資の量というのは
心もとない量だった。
勿論、他のスペースにすでに移されている物資もあるのだろうが、
それにしても、だった。
目的の地に支援物資を届け、
コンテナが空っぽになったトラックに乗った俺達。
「支援物資を届ける」という役目は、一応無事に終えた。
しかし、八幡小学校の教頭先生との約束がまだ残っていた。
現地に行く前、電話で打ち合わせを重ねている時に
教頭先生にこう言われたのだ。
「もし本当にこちらに来て頂けた際には、
被災地のこの現状、被害を時間の許す限り、つぶさに見て行って下さい。
そしてそれを皆さんに伝えて欲しいのです。」
今回の支援に際し、様々な現地関係者の方達、
宮城・福島県の行政、災害対策本部、支援本部、
避難所の方達と話してきた。
しかし、こんな事を言うのはこの教頭先生だけだった。
教頭先生自身も相馬市という、
津波で壊滅状態になってしまった街に深く関わる
れっきとした被災者なのだが、
それと同時に、未来を創っていく教育者としての発言であるのだろう。
俺も人生の中で色んな「先生」に出会って来た。
しかしこの教頭先生ほど、教育者として素直に尊敬出来る人には
残念だが出会ってなかったかも知れない。
「この先生の生徒になってみたかったな・・・」
そんな事を心の底から思ったのは、初めての経験だった。
小学校を後にする時も、教頭先生は重ねて俺に言った。
「出来れば、でいいです。被災の状況を見て行って下さいね」
「はい。失礼にならないよう気を付けながら、そうさせて頂きます」
教頭先生の前で、俺は従順な生徒だった。
(次回に続きます)
俺達は南相馬市に向った。
ここは福島第一原発にも近く、
避難区域や屋内退避区域に指定されている地区。
それ故、物資も行き届きにくい地域で
物資不足からくるあまりの困窮に、
南相馬市の市長自らが、YouTubeで助けを乞うメッセージを発信。
そのショッキングな発言、様子は
日本のみならず世界的なニュースにもなった。
八幡小学校で物資を下ろしていた時も
「南相馬市用の支援物資」はコンテナの奥に取り置いていたのだが、
そうとは知らない小学校の先生が
「あのう・・・、
奥にある食料と水も頂いてもいいですか?」
とおっしゃったのだが、
「すいません・・・、あれは南相馬市用の物資なんです」
と説明すると、ハッとした顔で
「そうでしたか!いや、あっちはもっとひどい状況なんで
是非あちらにお願いします!」
と慌てて訂正。加えて、
「そうですか・・・、南相馬にも行ってくれるんですね。
ありがとうございます」
と言っていた。
南相馬への支援自体が、やはり少ないのだった。
南へ下る俺達。
相馬市も出歩いている人は少なかったが、
南相馬市はもっと少なかった。
というか歩いている人は、ほぼ皆無だったのではなかろうか。
車で移動している人は見かけても、外でおしゃべりしていたり、
歩いて移動している人を見かけた記憶が無い。
そして事前に物資集積所と言われていた、厚生病院へ到着。
中へ入ると、集積所というスペースは無く
病院の一角で、ゴッタ返す人達を診療をしている。
「あれ・・・?」と思いながら看護士さんに訪ねるが、
「物資を?ここへ?」と合点がいかない様子。
「南相馬市市役所の方から、
ここが集積所だから持ち込むように言われたのですが」
と言ったら、集積所はここでは無く、
少し離れた所にある市場だ、と言う。
そこへの行き方を教えて貰い、トラックを走らせる事10分弱。
教えられた「卸売り市場」に着いた。
そこはバレーボールのコート2面分程の大きさで、
作業着姿の男性20人程が手持ち無沙汰に座っていた。
支援物資を運んで来た旨を告げると、
事務所で書類を書くように促され、奥へ通された。
「ほぅ〜、東京から来てくれたのかい。ありがとなぁ」と
おじちゃんに声を掛けられながら、物資内容等の書類を書き終えた。
事務所を出ると、もう荷下ろしは始まっていて
10人掛かりで作業にあたってくれていた。
おまけにフォークリフトも使ってくれていたので
作業は順調に進み、スピーディーに終わった。
物資置き場になっているスペースを改めて見回してみた。
その時、南相馬市で避難所生活や自宅避難を続けている方の人口が
どの位なのかは分からなかったが、
それにしてもそこにある物資の量というのは
心もとない量だった。
勿論、他のスペースにすでに移されている物資もあるのだろうが、
それにしても、だった。
目的の地に支援物資を届け、
コンテナが空っぽになったトラックに乗った俺達。
「支援物資を届ける」という役目は、一応無事に終えた。
しかし、八幡小学校の教頭先生との約束がまだ残っていた。
現地に行く前、電話で打ち合わせを重ねている時に
教頭先生にこう言われたのだ。
「もし本当にこちらに来て頂けた際には、
被災地のこの現状、被害を時間の許す限り、つぶさに見て行って下さい。
そしてそれを皆さんに伝えて欲しいのです。」
今回の支援に際し、様々な現地関係者の方達、
宮城・福島県の行政、災害対策本部、支援本部、
避難所の方達と話してきた。
しかし、こんな事を言うのはこの教頭先生だけだった。
教頭先生自身も相馬市という、
津波で壊滅状態になってしまった街に深く関わる
れっきとした被災者なのだが、
それと同時に、未来を創っていく教育者としての発言であるのだろう。
俺も人生の中で色んな「先生」に出会って来た。
しかしこの教頭先生ほど、教育者として素直に尊敬出来る人には
残念だが出会ってなかったかも知れない。
「この先生の生徒になってみたかったな・・・」
そんな事を心の底から思ったのは、初めての経験だった。
小学校を後にする時も、教頭先生は重ねて俺に言った。
「出来れば、でいいです。被災の状況を見て行って下さいね」
「はい。失礼にならないよう気を付けながら、そうさせて頂きます」
教頭先生の前で、俺は従順な生徒だった。
(次回に続きます)
by ex_snail_ramp
| 2011-04-21 04:02
| タケムラ(その他)
|
Comments(3)
Commented
by
うなぎ
at 2011-04-21 11:58
x
泣ける…。
私はこの人の生徒になって良かったと心底思った事はないです。この先出会えるのかな…。
私はこの人の生徒になって良かったと心底思った事はないです。この先出会えるのかな…。
0
タケムラさんの様な人がいて本当に嬉しいです。
私も福島から松戸市に避難されてる方に、
個人的ですが物資を持って行きました。
開封したお菓子や使用済みの物もありましたが、
とても喜んで頂けました。
私の力は微力です。
本当は今直ぐにでも被災地に行きたい位です。
でも、これからタケムラさんの様な人が
みんなを日本中を元気にしてくれる気がします!!
★心から応援しています★
またライヴでみなさんと楽しめる日が
1日でも早く来る事を願ってます!!!
私も福島から松戸市に避難されてる方に、
個人的ですが物資を持って行きました。
開封したお菓子や使用済みの物もありましたが、
とても喜んで頂けました。
私の力は微力です。
本当は今直ぐにでも被災地に行きたい位です。
でも、これからタケムラさんの様な人が
みんなを日本中を元気にしてくれる気がします!!
★心から応援しています★
またライヴでみなさんと楽しめる日が
1日でも早く来る事を願ってます!!!
Commented
by
ヤマダコロスケ
at 2011-04-21 16:33
x
タケムラさんのブログを読むたびに、自分も頑張ろうと思います。普段の生活を!