先日、友人と話しているときに主体性という言葉で話しが盛り上がりました。
ミラノから車で数時間の街にいった時の事を友人は語ってくれたのです。
小さな街の、小さなお店がとてもあついと。
客であるおばあちゃんが、魚を一匹くれと言うと、店主は、あんたは先日も体調をくずしていたのだから、その魚ではなくこっちの魚にしろと。
はたまた今度はこの野菜はどこでつくられた野菜なの?と、おばあちゃん。
店主が答えると、その場所の野菜はいらないと、おばあちゃん。
ものを買うこと、売ること、本当はこのように主体性が両者に介在するべきだとあらためて感じた話でした。
なにかを選ぶという行為、日々の中で誰にでもあることですね。
そんな些細なやりとりの中にも主体性があるか否かによって、ものの価値も変わってくるんじゃないかと、最近考えたりしています。
といいながら、どこで御飯を食べるかさえ、なかなか決めることができない没主体性の僕だったりするのですが、すこしはこの話をきいて、主体性を持ちたいなーなんて考えたりしたのでした。