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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
昨日の続きで、何故医者は自分の医者選びに苦労するかという話をする。
![]() まず、医者であると、医療の裏側を知りすぎている。 世間的には名医で通っているがその実・・・、とか、あいつは手術は熱心だが、症例を増やして教授を有利に運ぼうとしているとか,この治療はメリットに比べてリスクは無視できると患者には言っても、自分じゃやっぱりリスクにこだわったりなどなど。 反面、こと手術に関する限り、他科の医師の実力など、執刀する姿を見せてもらわない限り、分かるものではない。 また、手術の腕のよしあしは、色々な要素で決まるので、一概に誰が名手とは言いにくいこともある。この問題はいわゆる“神の手”を含め、別の機会に論じたい。 更に教授職にあれば政治的な配慮も必要になる。 他大学には自分の抱えている疾患の名医がいると分かっても、同僚の面子を立てて自分の大学で受けざるを得ないとか。 たとえば心臓外科では、日本ではあそこが一番と誰もが知っていても、仲間を裏切るわけにいかず、ホノルルへ逃避したりした教授もいた。それはたまたまホノルルに名医がいたからでもあるが。 ところでこれからどこか医者にかかりたいが、というご相談のときは、まだ幸いクラスメートでも現役がいるのでそのつてか、また、後輩や弟子たちを通じて探してあげることにしている。 だが、どなたでもやはりかかりつけの医師というのを持つべきと思う。その人のライフスタイルをのみ込んで、また、家族構成も熟知してくれてる医師が。 昔は内科の開業医がそういう役目をしていた。今は内科医もそれぞれの専門に分かれてしまった。 だから逆に、かかりつけ医師は何科でもかまわない、必要に応じて専門医に紹介するだけの器量とネットワークを持っていれば。 数年前に始まって物議をかもしている2年の研修制度も、また、プライマリーフィジシャンという職種も、すべての医師に交通整理の基本能力を持たせるためのものとして、色々と問題はあるが育てていかねばならぬだろう。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-31 22:34
| 医療全般
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現役を退いた今でも、医者の紹介を頼まれることはしばしばある。
これが意外に難しい。 医者であっても自分の医者選びには頭を悩ますことが多い。 ![]() そもそもいい医者とは何だろう。 まず腕がいいこと、これには診断が確かで、治療、外科の場合は手術になるが、その腕がいいこと。 もちろん最新の知識にも通暁していること。 また、いくら腕が良くても、頭が良くても、おっかない先生は遠慮したい。つまりこちらの聞きたいことには分かりやすく、親切に説明してくれるないと困る。 じゃ、お前はどうだったと聞かれると忸怩たるものがあるが。 医者の紹介を頼まれた場合、僕はまずすでに誰かにかかっているかどうかを確かめる。 原則として、医者を変えるのは反対だからだ。 よほど特殊な病気であったり、その医者が医者仲間で定評のヘボ医か悪徳医師なら別だが、通常は医者を変えればすべて検査をしなおしたり、同じことでも医師によって説明のニュアンスが違うと却って迷いが深くなるからである。 また、言い方は悪いかも知れぬが、並みの病は並みの医師に任せたほうが無難である。 唯最近は“セカンドオピニオン”という考えが定着してきて、必ずしも転医のためではなく、とりあえず別の医師の意見を聞いて確かめたければ便宜を図りましょうと、セカンドオピニオン外来というのも生まれてきたので、活用されると良い。 ことに手術が必要な場合、外科医としては考え抜いた結論でも、突然手術といわれれば、素人でなくても、エッ、切らないと駄目ですか、とまずショックを受けるのが普通だろう。そこでセカンドオピニオンもやはり手術となれば、諦めもつくというものだ。 もちろん、“札付きの医師”の犠牲からもまぬかれることも出来る。 かってイエズス会の神父さんから相談を受けたことがある。カトリック系の病院で大腸がんで手術が必要を言われたという。やはり癌センターで手術を受けたほうが安心なのではという悩みだった。 話を聞いてみると、唯普通の大腸がんで、手術もルーティンのものである。幸い僕もそのカトリック病院と関係があり、外科部長も信頼できる方と知っていたので、たってと言われれば癌センターもご紹介できますが、今の病院でなんら問題ないし、院長も主任看護婦もカトリックで、むしろカトリック司祭にとっては、何かと好都合ではないか、また、入院環境も世俗の病院よりも優れているのではないか、と申し上げた。 だが、神父でもこんな時、世俗的に悩むものかと、いささかがっかりしたのも本音である。 そこで、医療というものは、医師とか看護師とか、また、医療設備とかいったものだけでなく、それ以上の次元の働きに、“神のご加護”とは言わなかったが、助けられるものだなど、“釈迦に説法”のようなことを付け加えた覚えがある。 そしてまた、良い医療を生み出すのは医師と患者の信頼関係であること。つまりこの先生にならすべてお任せします、たとえ結果はどうあろうと、と言うくらいの信頼が生まれれば、医師の力も最高のものが発揮されるものですよ。 このような僕のつたない説明に神父さんは納得してくださり、そのカトリック病院で手術を受けられた。 幸いに経過は良好で、30年たった今も、故国のハンガリーでまだ司祭として活躍されている。 医師自身の医者選びはまた別の難しさがあるので、次回に回す。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-30 21:24
| 医療全般
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人は何故美を求めるのだろう。
とくに女性は、なぜ美人でなければならないのだろう。 ![]() 女性週刊誌は、こうすれば貴方も美人にとか、確実に痩せる法などと、“美人への近道ガイド”が毎号ぎっしりと詰まっている。 又フェーシャル、痩身、脱毛を表看板にしたエステサロンは大繁盛だ。 まるで生まれ付きの自分に満足しているのは怠慢だと言われいるようで、“人間の本質は形ではなく心だ”とという建前はかき消されてしまいそうだ。 たしかにそれは建前であって、それだけで本音が納得するとは限らない。 肉体のない霊魂ならともかく、僕たち人間は肉体によって存在し、生きているのだから。 心が肉体に反映するように、肉体も心に影を落としまし、両者は不可分のものだからであろう。 仮に、ヤケドで顔に大きな傷跡が残ったとしよう。その傷跡が形成外科医のメスでキレイに消せるなら、その手術を受けることは、多くの人が当然のこととして納得するだろう。 では、どの程度の傷跡ならみんなが納得するのだろうか。 どんなひどい傷跡でも、当人が意に介さないのなら、形成外科医は手術はしない。 ところが客観的にはそれほどひどくなくても、当人が苦痛に思っているなら、その心の傷を癒すためにメスを入れる必要があるのではないだろうか。 そしてこのことは、鼻の形や肌の皺にも当てはまる。 つまり美容外科というのは、メスで体のキズや形を治すことによって、心を癒す医療である。 私は過去五十年近くを形成外科医として過ごしてきた。 そしてある時は異端視されながら、美容外科にも関わってきた。 その経験を踏まえて、美容外科とはいったいなんだろう、人はなぜ、メスに頼ってまで美を追究するのだろう、そして美容外科はこの先どう進むべきだろうと改めて考えてみたくなる。 美容外科は根底に文化の問題をはらんでいる。 美の基準一つとっても、国により時代により、またひとによりさまざまで、“医療”の範疇から思い切りはみだしている。 今感じていることを一言で表せば 「美容外科とは美を求める女性の執念と、造形の魔力に憑かれた形成外科医とが織りなす、矛盾をはらんだ人間模様であり、社会現象である」 ということになる。 何、さっぱりわからないとおっしゃる? いや実は僕もよく分からんデス。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-29 22:09
| 美について
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ダナムラはニューヨークの北、カナダとの国境に近い田舎町である。
元来は良質な鉄鉱の産地で、スウェーデン鋼の産地ダナムラにちなんででつけられたという。 しかしニューヨーク子にとっては、州の刑務所(プリズン)の所在地として知られていた。 ![]() オルバニーからは双発のプロペラ機で一時間。 僕達は月に一回一晩泊まりで手術に行った。 空港からは迎えの車で、プリズンに向かう。小さな村ほどの施設を、高い城壁が囲っている。大きな鉄の扉が開き、車が入るとギーと閉まる。カフカの小説ではないが、もしこのまま開けてもらえなかったらと、馴れてきても不安のよぎる一瞬である。 中には独房、大部屋から、運動場、食堂、職員棟まで病院コミューニティを形成する要素はすべて完備している。 着いた晩は夕食を取りながら、担当医と手術の打ち合わせをする。 僕たちレジデントがここに来るようになったのは、形成外科による囚人のリハビリという、州政府のプログラムの一環だった ロンブロゾーではないが、囚人には人相で不利益を被っているものが少なくない。そこで顔の傷跡、喧嘩でつぶれた鼻、入れ墨など娑婆に戻っても更正のじゃまになりそうな要素を少しでも取り除いて、社会復帰に役立つかどうかの、実験であった。 とかく美容外科の手術は、スタッフが自分でメスを握り、レジデントには回さない。 刑務所は僕達レジデントの格好の練習場であった。 又、囚人たちにとっても、娑婆では目の飛び出るほどの高額の美容外科の手術を、無料で受けられるのでこんなうまい話はない。 しかも彼らは毎日退屈している。 麻酔が効かなくても、医師のメスを持つ手がふるえていても、じっと手術台におとなしく寝ていてくれる。 いつも助手をしてくれたのは、まだ若い、釈放間近の背の高い細面の模範囚であった。その後帰国間近になって、オルバニーのスーパーで声をかけられたとき、髪をきれいにとかし、こざっぱりとした背広姿の彼が、あのときの手術助手とわかるのには一寸間が必要だった。 この試みの結果については、長年の追跡調査が必要なこともあり、僕は承知していない。しかし、人相が与えるアク印象を和らげることは確かだから、何がしかの効果は期待できるのではないだろうか。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-28 22:02
| 美容外科
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どうして殿方はそんなにバッチイ話がお好きなの、と配偶者にはよく言われる。
だが、男にとって糞尿談ほど楽しいものはない。例の最優先の話題に次いで二番目の関心事である。考えると、一番目の話題もやはり下半身には違いない。 この二つの話題に蓋をしておいて、女性同士では何をどう話しているか教えて欲しいくらいだ。 ![]() 昔イギリス生まれの小説家、オルダス・ハックスレーが、デカルトの“我思う、ゆえに我あり、コギト エルゴ スム”をもじって、“カコ・エルゴ・スム”と言ったときは、良くぞやってくれたと喝采したものである。 品がないので、さすがの僕も訳すのをためらうが、“我糞をする、ゆえに我あり”であると、ラテン語の教師に教わった。 これほど哲学的な深い考察の対象となりうる物の、形状や性質について思い巡らすのは、非常に高尚な趣味と僕は信ずる。 現にあの芥川の名作短編「好色」も僕にとってはその主人公は、“糞”である。 “天が下の色好み”平中こと平の貞文にも、意のままにならぬ侍従がいた。 そして彼女を自分の心から抹殺せんともがき苦しみ、あることを思いつく。 ここは芥川の筆致で、 「だがその姿を忘れるには、――たつた一つしか手段はない。それは何でもあの女の浅間しい所を見つける事だ。侍従もまさか天人ではなし、不浄もいろいろ蔵してゐるだらう。其処を一つ見つけさへすれば、丁度女房に化けた狐が、尾のある事を知られたやうに、侍従の幻も崩れてしまふ。おれの命はその刹那に、やつとおれのものになるのだ。が、何処が浅間しいか、何処が不浄を蔵してゐるか、それは誰も教へてくれない。 ああ、大慈大悲の観世音菩薩、どうか其処を御示し下さい、侍従は河原の女乞食と、実は少しも変らない証拠を。……」 そして鍵は糞だと思いつく。 平中は機会を探し、女の童から侍従の糞の入っているはずの箱を奪い取る。 「この中に侍従のまり(糞)がある。同時におれの命もある。・・・」 その蒔絵の箱を開けると、意外にも丁子の上澄みに、かぐわしい二寸ほどの物が浮かんでいる。 [平中は今つまみ上げた、二寸ほどの物を噛みしめて見た。すると歯にも透るくらい、苦味の交ざった甘さがある。その上彼の口の中には、急ち橘の花よりも涼しい、微妙なにおいが一ぱいになった。侍従はどこから推量したか,平中のたくみを破る為に、香細工の糞をつくったのである。」 ここで僕は、長男が芸大の彫刻科にいる頃、粘土やプラスティックでさまざまな糞を彫塑していたのを思い出す。それを見せる時の彼の楽しそうな顔を。 ところで僕がこれほど糞にこだわるのは、数年前、痙攣性便秘をわずらってから、糞の世界は趣味の域を超えて、毎朝の死活問題になっているからである。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-27 17:39
| コーヒーブレーク
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僕の運命を決定付けた一冊の本がある。いや性格には二冊組みであるが。
題名は「アート アンド プリンシプル オブ プラスティックサージャリー」 著者はギリエスとミラードという20世紀を代表する形成外科の二大巨人の合作である。 僕がアメリカで外科を修行中、将来は脳外科をやるか、いや心臓外科にすべきかなど迷っていたとき、“違う、お前は形成外科に進むべきだ”と、決心させたのがこの名著である。 入門書でもない、歴史でもない、テクニックでもない、いやそのすべてであり、しかも“形成外科のエスプリ”を余すことなく伝えてくれた魅力的な著書である。 ![]() ![]() この中で著者たちは形成外科医の守るべき10か条の心得を挙げている。 その中の一つ“明日できることは今日するな。”というのが僕を魅了した。 早とちりしては困る。決してこれは事なかれ主義の霞ヶ関の村民たちの、“先送り体質”を奨励しているわけではない。 そもそも形成外科手術は熱傷や外傷などを除き、一刻を争うものは少ない。 むしろじっくり時間を掛けて問題を分析し、頭の中で手術法を練りに練って、最適と思われる方法に絞り込めたところでメスを入れるべきで、とりあえずの行きあたりばったりの手術はつつしめという戒めである。 ある意味で形成外科の手術にはルーティンはなく、すべて応用問題といってよい。 しかも他の手術と違って、先へすすめなくなったらいったんメスを収め、間をおいて手術を再開することも可能な分野である。 また、手術の種類によっては、二回、三回とステージを分けて手術を行ったほうが安全な場合がある。 第二の理由としては、これが一番多いケースだが、当初目立つ傷跡でも、日にちが経つに連れ自然に目立たなくなることが多い。外傷などでは、受傷当時は細かい細工がしにくいし、また感染を誘発しやすい。 とりあえずは傷をふさぎ、半年、一年たって再評価して、目立つ部分だけを対象にすれば、修正の範囲も少なくてすむし、また操作もしやすくなる。 また小児の場合は、機能障害や生活に支障がない限り、成人するのを待って手術を行えば、子供のときには入院して全身麻酔が必要だったのが、局部麻酔で通いの手術で済む場合もあり、また術後の管理もしやすいというメリットがある。 つまり、形成外科では、“待つ”ことも治療の重要な一環であることが多い。 これほど大切な一か条だが、実は学生には教えないことにしている。 最初の講義でこれを得々と説いたら、その日から彼らは勉強しなくなったからである。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-26 18:12
| 医療全般
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僕がアメリカ留学を終え、形成外科医として日本に戻ってきたとき、直面したのは跳梁跋扈する悪徳美容外科医の群れだった。
その頃まともな形成外科医は十指にも満たず、必死に形成外科の確立に努力いる彼らの足を引っ張っているのが、いわゆる“美容整形医”のでたらめな手術とその被害者の存在であった。 この図式は今もまだあまり変わりはない。 ![]() ちょうどその頃、豊胸術による死亡が話題となった。ある福島の女性が、日比谷の某クリニックで豊胸のためにパラフィンの注入を受け、それが静脈に間違って入り、肺に飛んで呼吸困難で死亡したのである。 今問題になっている下肢の静脈血栓が肺を詰まらせる、エコノミー症候群と同じ現象である。 その頃注入物質としてシリコンが使われ始め、すでにそのトラブルが問題視されていたとき、それよりはるかに劣悪なパラフィンを人体に注入すること自体犯罪行為であった。 その後、鼻の美容整形と称して、大切な鼻の軟骨を皆抜かれ、救いようのないつぶれた鼻に泣く女性。 下眼瞼の皺をとりすぎて生じたアカンベー。更には誇大宣伝で有名な某クリニックでは、脂肪吸引と称して腹部の内臓に穴を開けて、患者を死なせてしまう。 まさに魑魅魍魎の世界である。 何故このようなことが許されるのか。 まず、法律的には医師免許さえあれば、誰でも今日からでも何科を開業してもかまわない。たとえば僕が明日から産婦人科を名乗っても一向に構わない、ただ、僕にその勇気がないのと、どうせ患者も来ないことも確かである。 今の保険で締め付けられた日本の医療の中で、美容外科は唯一保険の効かない、自由診療の分野である。つまり、安い報酬と過酷な労働を強いられる保険制度に嫌気がさした医師にとって、言い方は悪いが唯一“うまみのある分野”である。そしてみな、メスを手にしたことのない医師まで、美容外科にシフトして行く。 反面、医師の広告規制は厳しく、つい最近まで、自分が専門医であることすら広告できなかった。これは美容外科に関しては今も変わらない。 更に美容外科の世界では、お忍びで手術を受けるがるため、患者の“口コミ”が期待できない。 したがって唯一の判断基準として、“テレビの露出度”が高いほどいい医者と、一般の人は信じ込む。 もちろん正しい啓蒙番組なら大歓迎だが、マスコミのスタンスは、イヤー美容はイカガワシイのでちょっとまだ、としり込みするくせに、その同じ局でワイドショウ的に、またお笑い番組で美容外科を面白おかしく取り上げ、そのイカガワシサをあおっている。 では安心して手術をまかせられる美容外科医の選択基準は? ①形成外科の専門医であること(これは必要最低条件と考えて欲しい) ②その上で美容外科のトレーニングを積んでいること ③誇大宣伝に走らないこと。テレビのモニター手術など言語道断である。美容外科も立派な医療の一つ。お笑いの対象にすべきものではない。 ④悩みをよく聞いて、説明を十分にし、手術を受けるかどうかの決定は患者にゆだね、決して手術を売り込まない。 ⑤そしてもちろん腕が確かなこと。 だが、この条件を満たす医師は数が少ないんですな。 今は金と宣伝で“悪貨が良貨を駆逐せん”としている。 じゃどうすればいいの? 具体的に良貨の名前を提示する以外にないですかな、考えて見ましょう。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-25 21:13
| 美容外科
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僕が名誉院長を務める「AACクリニック銀座」の隣に“しゃぶしゃぶ屋”がある。
「らん月」という。 戦後まもなく料亭としてスタートしたが、僕の学生時代は“すき焼き”で知られていた。 そもそも“しゃぶしゃぶ”は関西のもので、京都の「十二段屋」でお茶漬けに牛肉を乗せたのが始まりだとされている。 その後大阪のスエヒロが今の形のしゃぶしゃぶを、自店の料理として出したのが、昭和27年だという。 だから僕の学生時代には、関東に「しゃぶしゃぶ」はなかった。 ![]() 昭和39年、アメリカ留学から帰って初めてしゃぶしゃぶの存在を知った。 帰国後すぐに知り合ったキャンプ座間の日本びいきの軍医が、相模原の「水車園」でご馳走してくれ、肉をシャブシャブと湯にくぐらせるその食べ方が名前の由来だと教えてくれた。 相模原に「北里大学」が出来るはるか以前である。 気風のいい女将で、その後北里に奉職するようになってからは、何かにつけて利用させてもらった。 余談になるが、その後「十二段屋」で元祖しゃぶしゃぶをご馳走してくださったのは、今は亡き京大の森本名誉教授だ。 “塩谷君、ここはその昔なんだったか知っとるか?” “いえ” “芸者の置屋じゃった。学生時代、俺はここから医学部に通っとった。” その頃京都では、京大生といえばVIP扱いで、ただ食いも出来たそうである。いわゆる出世払いという奴だそうだ。古きよき時代とはこういうことかと羨んだものである。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-24 20:02
| 食生活
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山中教授のiPS細胞の開発とノーベル賞受賞と言う快挙で、再生医療は一気に花が開いた。喜ばしい事である。
だが、形成外科医として一言言わせてもらうと、再生医療の先駆けは「培養皮膚」であったと言う事だ。 「培養皮膚」は本人の皮膚を採取し、体外で促成培養をする。 ほぼ切手大の皮膚が3週間で全身を覆うほどの広さになり、しかも人の皮膚なので拒絶反応はない。 ![]() 1983年、アメリカで98%の火傷を負った少年が、ボストンのグループが開発したこの手法で、無事一命を取り留める。98%の熱傷はそれまでの常識では死亡率100%であった。 そして我が国では10年前、この培養法を軸に再生医療に特化した企業、ジェイテックが創設され、熱傷患者の治療に寄与してきた。 それと同時に、広島大学の越智教授は軟骨培養の独自の方法を開発、臨床応用に成功し、世界的に高い評価を受ける。 その後越智教授は精力的に研究開発を進められ、其の臨床応用にジェイテックの畠チームが参加する。 そしてこの四月、越智教授の開発した培養軟骨は膝の軟骨損傷に対し晴れて保険適応となった。 新しい研究成果がR&D(研究開発)によって臨床応用可能に至るまでは、医学的のみならず行政的にも様々な壁を乗り越え無ければならない。 其の辛苦の過程を鮮やかに描いたドキュメンタリーがTBSの人気番組「夢の扉」で報道される。 あさって25日の日曜日6時には、是非TBSにチャンネルを合わせ、「再生医療の夜明け」をお楽しみください。 http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/ ▲
by n_shioya
| 2013-08-24 06:31
| 再生医療
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“美人も皮一重”というが、美人を裏側から見るのは普通には出来ない貴重な体験であろう。
形成外科医として40年間、僕はそれを見続けてきた。 それは皺延ばしの手術である。 ![]() 先ずこめかみに切開を入れ、更にメスを耳前部で下方に滑らせ、耳垂部でメスを耳后部にUターンさせ、最後に生え際へと水平に切り込む。 ついで顔の皮膚を前方へと皮下の脂肪組織から剥がしていく。 ここのところで、白人と日本人の違いが出る。一言で言えば、白人の皮膚の方が遥かに剥がしやすい。皮膚と皮下組織を繋ぐ結合織が粗なので、ほとんど指でさっとはがれていく。日本人の場合はこれに反し結合織が密で、丹念にメスか鋏みで、離斷して行かねばならぬ。 剥離に際しては、顔面神経を傷つけないよう、細心の注意を払う。 剥離を終えたところで、出血がないかどうか確認し、止血操作を行い、皮膚の吊り上げを行う。 この際、緊張はなるべくこめかみと耳后部で受け止め、耳前部や耳后部には、緊張がかからぬように気を付ける。余った皮膚は切除し、皮膚縫合を終えて、包帯を施す。 このほかにも効果を持続させるための、2,3の工夫があるが、これが手術のあらましである。 それにしても、人は何故、これほどの思いをしてまで、痛みをこらえ、若さを求めるのだろうか、 そのままで十分魅力的な女性の顔にメスを入れ、顔の皮を剥がし、顔面神経に気を遣い、術後の出血が気になって気になって、止血に神経を使い果たした時、僕はしばしば自問したものである。 ある女性患者が答えてくれた。 女がね、先生。こんな決意をするのは、男を引き留めようとしているときか、必死に追いかけているときなのよ。とさらりといわれ、ずしりときたことがある。 それ以来、美人の顔を裏側から透かし見るたびに、その重い言葉を噛みしめたものである。 だが最近は、そんな思い詰めた様子とも思えない、あっけらかんとした患者も増えてきた。一部の心無い医師の宣伝に惑わされてか、化粧感覚で手術を受に来る患者には、こちらが戸惑ってしまうのが現状である。 ▲
by n_shioya
| 2013-08-22 22:24
| アンチエイジング
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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