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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
去年の暮れ、NHKの看板アナが痴漢行為で逮捕され、テレビで痴漢防止の秘策があれこれ論じられた事がある。
“でも、彼等は何でこうコソ泥みたいなことをするのだろう、どうせなら真正面から正攻法で行けばいいのに、”など妄言を吐いたら、“何です、貴方なんてそんな勇気もないくせに、”とまた配偶者にコケにされてしまった。 いずれにせよ僕は永年、自分で運転手を兼ねて通勤してるので、痴漢をするチャンスに恵まれたこともないし、勿論された経験はないが、「美女軍団」の話を聞くとこれは満員電車には付き物らしい。が、これは彼女等が余りも魅力的なことにも、責任の一端はあるようだ。 ![]() とここまで書きながら、昔読んだ「クロイツェル・ソナタ」の一節を思い出した。 このトルストイの短編は、ある男が嫉妬に狂って妻を殺してしまう話だが、そのきっかけがピアノを弾く妻とバイオリニストの男性とのあまりにも息のあった、「クロイツェル・ソナタ」の演奏であったという。 この短編を通してトルストイの結婚観、性の問題などが延々と開陳されるわけだが、その冒頭の辺りで、“女性が如何に手練手管で男を挑発し、しかもそれに乗せられた男がすべての結果の責任を取らされるといった、男のぼやきのくだり”がある。 チョット引用してみると “・・・・・・あのいやらしいセーターだの、ヒップ・パッドだの、肩や腕や、ほとんど胸まであらわにするドレスなどは、みなそのためなのです。 女たち、それも特に男修行を積んだ女は、高尚な話題の会話なぞ、単なる会話でしかなく、男が必要とするのは肉体と、それをもっと魅惑的な光で誇示するものすべてにほかならぬことを、十分承知していまよ。・・・・・・・ “ これを今の問題に当てはめれば、女性の側からの痴漢騒ぎなど「盗人猛々しい」ということにもなりかねないが、お断りしておくが、これはあくまでトルストイの科白であって、僕は決して、可愛い彼女らの嘆きを無視して、痴漢のコソ泥的行為を弁護する気はさらさらない。 むしろ“彼女等の持ち味である挑発的な肢体や行動がなくなったら、この世は闇である”というのが、80を過ぎた僕の偽らざる心境である。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-28 21:02
| コーヒーブレーク
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最近は「手術ミス」の報道がやたら多い。
実際に増えているのか、もう隠しおおせない時代になったのか。どちらかといえば後者ではないかと、僕などは思う。 ![]() むかし、むかし大学病院では患者を人と思わぬしきたり、これが村の掟であった。 病人と思うな、研究のマテリアル(材料)と思へ。 一人殺さなければ一人前の医者にはなれぬ、などと恐ろしい言葉が平気で飛び交っていたのが、いわゆる昔の「白い巨塔」の、今でもその気はあるが、医局の風潮だった。 確かに最近の「医療ミス」は、とんでもない、こんなことがあってはならないと思われることが多いが、いわゆるミスの中には本当の意味ではミスと呼ぶべきでないいろいろな問題が含まれている。 いわゆる常識的というのもおかしいが、ヒューマンエラーによる「普通のミス」を中心にすえた場合、その両側にはみ出る、ミスとは呼ぶべきでないない部分が存在する。 このようにミスをあえて三種類に分けて、「普通のミス」からはみ出た二つについて解説を試みると、 まず失敗というより、そもそもが非常識な手術が存在する。 大半は経験不足や不勉強によるものだが、なかには常識的には考えられない行為、もはや犯罪行為といったほうがよい手術もある。どうしてこんなことが起こりうるのか、時折医師の中にも、精神病者に近い、いわゆる精神病質の医師が存在することも否定できない。 その対極が、ミスというよりは合併症と呼ぶべきものである。 例えばどんな名医が注意して行っても、手術の目的、病変、部位などで、あるパーセントは起こりうる、コンプリケーションと呼ばれるものである。 例えば、顔のしわ取りの場合の術後の出血,腸管を開けた場合のやむを得ぬ感染、回復したあとの癒着など、限りなくゼロに近づける努力は必要だが、それでも起こりうるもの。これは当然ながらインフォームド・コンセントの際の最重要な説明義務の部分であり、必ずしも医師の過誤とはいうべきでないものがある。 こう大雑把に区分けしただけでも、いわゆる「手術ミス」といって医師の責任を十派一からげに出来ないことは多少はお分かりいただけるだろうか。 今ひとつ残る問題は、たとえば合併症の場合、法律的に医師に責任がなくても、患者にとってはそのために予定外の、余分な肉体的、経済的負担が生ずることは避けられない。 それに対しては、今の制度では、「医療過誤」と認められない限り、患者に対する保証のめどがたたないので、無理にでも「医療過誤」に仕立てなければならないという一面も出てくる。これに対しての救済処置はそれとして検討されるべきであろう。 手術とて人間の技である。100%の完璧はありえない。しかしそれを、いかにして100%に近づけるか、そのための人間的に可能な限りの努力は必要である。 「手術ミス」を限りなくゼロに近づけるためにこれから求められるのは、まず情報開示とそれに基づく第三者機関による原因の究明、そして対策の探求であろう。 これらは言うは易しいが・・・・・ ▲
by n_shioya
| 2013-02-27 21:00
| 手術
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神谷美恵子の“生きがいについて”を、また読み返している。
40年前出版されたとき夢中で読み、偉い女もいるものだと感心したが、しばらくご無沙汰をしていた。 ![]() アンチエイジングに関るようになり、アンチエイジング・メディシンとは「不老不死」を目指すのではなく、「健康長寿」を医学的に支えることと説いている・・・ だが「健康長寿」は何のため? 「QOL」が目的でしょう。 その「QOL」も、やはり中心は「生きがい」の問題ではなかろうか。 などと自問自答を繰り返し、それでは「生きがいとは?」という命題に取り組まねばと感じていたのである。 ならばまず神谷女史に教えを請うべきなのに、なんとなく先延ばししていたのは、あまりにも彼女が偉大でこちらが萎縮しそうだったのと、僕は僕なりに、「生きがい」とは”人に必要とされること“、また、“そう感じること”に尽きるという単細胞的な回答を、自分の経験から持ち続けていたからである。 だが今こうして読み返してみると、ただもう素直に脱帽せざるを得ない。 まず彼女の豊富な学識、ライの患者との交流、そして精神病医としての分析。 これらは「高齢者のQOL」を構築するにあたっての素晴らしい示唆とまた問題提起に満ちている。 同時期の彼女の日記がまた興味深い。 自身で自分の中で書かずにはいられないデモーニッシュなものを自覚し、7年の年月をかけて仕上げていく様が、生々しく伝わってくる。 それだけではない。 “何故自分でなくてあの方達が?”とライに苦しむ患者への眼差し。 畢竟は資質というものだろうか。 「私達クリスチャンと称するもの以上に、あの方はキリストの心を持っておられますね」、とある修道女が言われたのを思い出す。 ![]() ▲
by n_shioya
| 2013-02-26 21:11
| アンチエイジング
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ワイル博士をご存知ですか?
ハーバード出の内科医で、アリゾナで統合医療を実践され、著書も多く、日本でもよく知られている方である。 十年ほど前に書かれた彼の著書の一つ「ヘルシー・エイジング」を今読み返し、なるほどと頷いている。 ![]() その序文の一部をご紹介しよう。 「老化そして死は自然の現象である」と断定した上で次のように続く。 「・・・私の考えでは老化を否定してそれと闘おうとするのは不毛な試みであり、我々の経験の大切な部分を理解もせず、受け入れも出来ないことになる。このような態度が“美しく老いる”ことを妨げるのだ。 “美しく老いる”とは自然の摂理には逆らわぬことである、と同時に老化による病気には可能な限り立ち向かう、つまり、できるだけ“健康長寿”を保ち、その終末がくれば安らかに息を引き取ることである・・・ 老いは喪失だけではない、豊かな実りももたらす。 古さと良さが同義語である場合を思い起こそうではないか。 何故古木が我々の心に感動を与えるのか? 何故古いワインやウィスキーが珍重されるのか? そしていわゆるアンティークの有り難みは? 何故これらが年とともに価値を増すかよく考え、人の場合にも同じように年を経ることによって高まる価値を探そうではないか・・・ 例えば豊富な経験、叡智、穏やかな心境等々。 “美しく老いる”ためには、老いを否定せず、幾つであろうとそれなりにからだと心を健全に保つよう勤めるべきである・・・ 云々」 ここ10年で「アンチエイジング」は急速に人口に膾炙した。10年前はアンチエイジングそれ何?の世界だったのが,今や猫も杓子もアンチエイジングの時代である。 この辺で我々も原点に戻り、“高齢者のQOL”をアンチエイジングの目的にしっかと据え、”年を重ねる事の価値”を再認識する必要があるのではなかろうか? ▲
by n_shioya
| 2013-02-25 22:01
| アンチエイジング
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リンゴが送られて来た。
早速ガブリと一口。 うまい! 子供のときからの習慣で桃、梨、りんご等、ほとんどの果物は皮を剥かずに丸ごと齧ることにしている。 ![]() 皮と実の間に栄養素がある、というのが親父の考えだったが、慣れるととこの方が味わいがあり、皮がないと物足りない。 だから僕は今でもりんごの皮などうまく剥くことが出来ない、商売柄人の皮ならどんな厚さでもキレイに剥いて見せるが。 親父の考えは二木謙三先生の「完全食」という食生活の理論から来ている。 二木先生は親父の医学部での恩師で、「玄米菜食主義者」だった。 先生の説く「完全食」とはこういうことだ。 どんな食材でも、全体で栄養的にバランスが取れている。だから丸ごと食べれば、体に最もよいはず。果物なら皮から種まで、魚なら皮から骨まで。 そのもっともよい例が玄米である。この宝のような食材から、せっせと栄養分をそぎ落としたのが白米だそうだ。 だが、今と違って昔は玄米を炊くのは大仕事だった。 「圧力釜」を使って。 これがまた圧力で蓋がよく飛んで、天井板をぶち抜いたものである。 魚もこれで炊くと、骨まで柔らかく食べられたが。 またよく噛めとも言われた。 それも、百回以上。 飲み込むのではない、噛んでるうちにに自然に液体となって、のどに流れていく。 野菜も「三分煮」といって、調味料を使わずさっと三分間ゆでるだけ。 熱で栄養素が壊れるのはわかるが、調味料も禁忌なのはなぜか。 人間の体はうまく出来ている。本来必要な食物は舌が察知してくれる。それなのに調味料で舌をごまかすのがよくない。フランス料理など愚の骨頂だといわれた。 確かにフランス料理は最近反省の色を示すようにはなったが。 甘いものもよくない、砂糖は毒である。チョコレートなどとんでもない。 祖母が袂からごそごそ取り出して、さ、信男(親父の名)に見つからない内に早く、早くと手渡してくれなかったら、僕は大人になるまでキャラメルの味すら知らぬままに育ったろう。 デモね、皆さん。 食事はやっぱり楽しまなきゃ。 “美味しいと思って食べれば、それだけ身になってよいはず、”というのが、いまだに過酷な食生活を幼児体験として引きずっ来て、償いのためにありとあらゆる有害な食材を自分に許している僕の食理論である。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-24 21:10
| 食生活
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『灼熱した鉄の玉のような太陽がハドソン川の西にストンと落ちると,チカリ,チカリとビルの窓に明かりが灯り,やがてタイムス・スクェアはネオンの洪水となりマンハッタンの宵が始まる.
セントラルパークのナイトクラブで、ドライ・マティーニを手にした僕は、その夜景を楽しんでいた。 戦後のアメリカの最盛期、50年代には、この緑の中にたたずまうお伽ぎ話のような館「タバーン・オン・ザ・グリーン」は、アスファルト・ジャングルのオアシスであり,夜は芝生に張り出したテラスでダンスが楽しめるファッショナブルなクラブだった・・・ ![]() ワン,ツー,スリー,ワン,ツウ,スリー.優雅なワルツの旋律に乗って男女の群れがくるり,くるりと舞っている. 僕もデイルの手を取って輪に加わった. ワン,ツー,スリー,ワン,ツウ,スリー・・・ 緑のドレスにブロンドを靡かせたデイルは,パンナムのステューワデス.今宵初対面のブラインド・デートで、不慣れな僕をさりげなくリードしてくれる. “ニューヨークは如何? “ “ウーム素晴らしい.それ以上に君が.“ いつの間にか,デイルはそっと頬を寄せてくる. 時差ぼけの頭の中で,昼間かいまみたマンハッタンの街並みがくる,くると渦をまいている. “さ,一休みしましょう.こんどはメキシコのテキーラをどうぞ.“ 連れのスタンは白いカシミヤのスーツの可愛いジョーンと踊っている.デイルのルームメートで同じパンナムのステューワデス. 僕はスタンとの関係をデイルに話始めた. コロンビアに在学中,徴兵で日本に来た時知り合い、今度は僕がフルブライト留学生として渡米。昨日アメリカでの最初の一夜を彼の處ですごし,昼はマンハッタンを見物して,ダブル・デートのブラインド・デートという言葉を教わって,今その実習中。そして明日は研修先のオルバニー大学に飛ぶ予定、等々。 “そう、では貴方はこれから「ベン・ケーシー」を目指して頑張る訳ね“とテレビの人気番組の脳外科医の名前を挙げて僕をからかう. スタンがジョーンと手をつないで戻ってきた. “今度日本にフライトでいったら,是非こいつに案内してもらうといいぜ,デイル “ “素晴らしいわね.でも当分はこちらで外科の修行でしょ,「ベン・ケーシーさん」?“ とデイルは僕の頬をつねる. “ま,そうだが又マンハッタンで逢うというのはどう?“ “君たち二人,随分と気が合うようだね.“とスタンがウィンクする. 出る前の忠告を忘れるなということらしい. 大丈夫,スタン.僕のフィアンセや勿論君の日本に残して来たガールフレンドの事など口にしないから. チャ,チャ,チャ. 急にテンポが変わって,歯切れいいラテンのリズムが始まった. “さあ又,踊りましょう.“デイルが僕の手を引っ張る. そう,腰をまわして,足を出して引っ込めて.いやー忙しい. おーとっとっと.僕の足にぶつかってデイルのハイヒールが、片方芝生にポーンと翔んでいった. “こんなの無い方が楽よ“, とデイルは残りの片方も手に取って芝生に放りだす. いい奴だなあ君は,デール. 1時,2時.マンハッタンの宵は楽しく更けていく. こうして僕達が二人をアパートに送って,それぞれにお休みのキスをする頃,東の方,イースト・リバーの彼方の空は白み始めていた.』 だがこの「タバーン・オン・ザ・グリーン」も寄る年波に克てず、数年前閉鎖になったと聞いて,暫し感慨に耽っている。 又長くなりました,失礼。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-23 20:44
| コーヒーブレーク
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最近読んだ新聞に見過ごせぬ記事があった。
「主人在宅ストレス症候群」という見出しである。 中身は読まなくてもわかる、でも、気になるのでつい読んでしまった。 定年になった家の主に対する家族の風当たりは強い。 ![]() 「粗大ごみ」(正確には「粗大生ゴミ」か?)から始まって、「濡れ落ち葉」、「恐怖のわしも族」等々、ヤット過酷な宮使えを勤め上げた夫に対する、妻達のさげすみの言葉は数限りない。 夫のほうのささやかな言い分など、彼女らの非難の合唱にかき消されてしまう。 “あなた方は仕事人間で家を省みなかった、その間に私たちは寂しい思いをしながら自分なりに生活の場を家庭内で確立した。 いまさらそれを「異邦人」に犯されたくない。” 異邦人? 確かに理屈より何より、夫婦は一緒に過ごす時間が大事だ。 しばらく前、国際学会でパリに行ったときの出来事を思い出す。 20人ほどの団体で学会後、ヨーロッパの各都市をグループ・ツアーで回ってが、旅も半ばの頃、ローマの停車場で列車を待っている間に、一組の夫婦が大喧嘩を始めてしまった。 幸い列車が到着して皆あわてて乗り込み、喧嘩もうやむやになったように思う。 その夜、添乗員が僕に話してくれた。喧嘩の原因はたわいないことだが、要は夫婦でこれほど長期間、といっても一週間ほどだが、日夜行動を共にしたことがないので、二人ともストレスがたまったのだという。 そのときはタダ笑い話として聞いたが、その後このようなことがあまり例外的なことではないとわかってきて、アンチエイジングのめざす老後のQOLに逆行する話だと、深刻に受け止めざるをえなくなった。 夫婦の形態はさまざまであり、僕が是非を言う筋合いのものではない。 しかし、僕は結婚生活をアメリカでスタートできたことは、はなはだラッキーだと思っている。 お互い、干渉する親が身近にいないし、しかもアメリカでは、すべてが夫婦単位の社会生活だった。 又,異国ということで、二人で支えあうしかなかった。 ところでいつからか「廃棄物処理法」が変わって、「粗大ごみ」の日というのがなくなってしまったようである。 世の奥方よ、行き場所のない「粗大ごみ」を、あまり邪険に扱わないで欲しい。 そもそも60歳の定年制など、平均寿命が50歳だった明治の頃の異物だというではないか。しかもアメリカではすでに定年制は憲法違反として廃止されたと聞いている。 「粗大ごみ」そしてその「予備軍」諸君。 手を携えて、「復権」の為立ち上がろう。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-22 21:04
| アンチエイジング
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僕の関係しているクリニックでは、畏友熊本名誉教授の指導で男性更年期外来が設けられ、最近は人気急上昇である。
先日外来でたまたま友人を見かけたので、“君も?”と聞くと、 “やあ、じつは半年前からちょっと、”と頭を掻いている。 検査の結果、テストステロンのレベルが低かったので、ためしに補充療法を始めたら、至極調子がいいという。 “どんなふうに調子が?” “いやぁー、それは・・・わかるだろう。それより君もどうだい?”とニヤリとする。 ![]() 「男にも立派な更年期障害がある。 女性と違って男性の場合、あるときストンとホルモン レベルが落ちるのでなく、徐々に低下するので、それと自覚されないが、しばしば鬱の形を取るとは前に書いたとおりだ。 ともかくホルモンを補充すれば、元気が出てくる。そもそも「男の闘争心」というのは、男性ホルモンのおかげだ。 よく年を取って人間が丸くなったなど言うのは、俺に言わせりゃ、男性ホルモンが欠如してきたということさ。」 熊本大先生の持論である。 確かに僕も昔ほどカッカしなくなったと、弟子達にいわれる。 だが、闘争心が欠如しているのは子供の頃からのように思う。 生まれつき勝負事には興味がないし、「負けん気」というものの持ち合わせがなかった。 小さい頃、よくお袋から、男のくせにとか、覇気がないとどやされた。 僕のお袋は僕とは反対に、負けん気の塊で、昔からなんでも一番、というタイプだったようである。「女々しい息子」が歯がゆくてならなかったようだ。 「負けじ魂」では、親父はもっと強烈だった。 そのハザマでの惨めな幼児体験を僕は長いこと引きずって生きることになる。 いまだに宿無しの浮浪者に一種の憧れを感じるのはそのせいかもしれない。 きっと子供のときから男性ホルモンは情けないレベルだったに違いない。 いまからでも一度ホルモン検査をやってみるか。 だが、低いからといってどうする? いまさら闘争的になっても、「暴走老人」では害があるだけじゃないか。 それに、ポンコツのエンジンに、無理してハイオクのガソリンをつぎ込んだところで、回転速度が上がる前に、エンジンがへたってしまうのではなかろうか。 それよりむしろ、闘争心を煽るのが男性ホルモンなら、世界の元首達から睾丸を抜き取れば、すぐにも世界平和が来るのではなかろうか。 さしあた北朝鮮やイランの「頭目」あたりから。 そして株価を操作して、資産世界一を目指している「金の亡者」からも。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-21 21:40
| アンチエイジング
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先日、同時通訳のU嬢と一緒にランチをした。
![]() 彼女は医学分野の同時通訳者としてはピカイチである。もう30年ぐらいのお付き合いになるだろうか。毎年続けてきたプロジェクトが一段落したので、その慰労のつもりだった。 同時通訳には聡明な美女が多い。聡明な事は当然だが、美人ぞろいというのはうれしいことだ。 昔から僕は、国際学会というと、プログラム委員長とか、組織委員長などの要職はご遠慮して、通訳の世話係に名乗りを上げてきたのは、こういう秘めた理由がある。 同時通訳というのは特殊な技術というか、決して自然でない頭の使い方である。 機関銃のように飛んでくる外国語を、パッパッと日本語に置き換えていく、またはその逆。 ちょっとでも立ち止まったり、考えたりしたらストップしてしまう。 何も考えずにただ機械的に、一つの言葉を他の言語の同義語に置き換える作業である。 思考能力の発達した男性には向かない、と言ったら女性には失礼に当たるだろうか。 通訳は通常二人でペアをくみ、英語から日本語、日本語から英語は別々に分担する。 また、一人で20分以上は続けられないそうだ。なるべく15分ぐらいで交代するという。 場合によっては僕のような世話役が通訳のブースに入って、緊急のヘルプを頼まれることもある。 密室に美女と閉じ込められ、絶好のセクハラのチャンスのはずだが、中は戦場のようで、当事者は殺気立っていて付け込む隙はない。 それどころか全く異なる二つの言語が同時に飛び交っているのを耳にしていると、こちらの頭がくらくらしてくる。 同時通訳は特殊な技術で、しかも脳の回線に多大の無理を強要しているのではといったのはこのことである。 “ だからあまり長く続けると頭によくないのでは?・・・“ “デモね、先生。私この仕事大好きで、夢中になってしまうの。まだまだ続けたい。” 可愛い顔でシレッと言いきるU嬢を、僕はまるで「異星人」のように眺めてしまうのであった。 ▲
by n_shioya
| 2013-02-20 23:07
| コーヒーブレーク
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アンチエイジング・カフェ第一回,「鼻物語」の骨子が固まってきた。
![]() 「鼻物語」と聞いて、ああ「花物語」のモジリか、と気付かれる方は、このフェースブック世代には少ないかも知れない。 昭和の初め、一世を風靡した「吉屋信子」の少女小説である。 彼女が成人向けに書いた「夫の貞操」は僕の小学時代の愛読書の一つだったが(オメエ、ほんとに分かってたのか?)、実は吉屋信子はレズビアンの走りで、「花物語」は“男女席を同じゅう出来なかった”頃の、女学生のレズビアンもどきの物語である。 其の頃、マトモな女学生は皆、” おS”(シスターの略)と称して,チョウ仲良しのクラスメートや,憧れのお姉様とつるむ習わしとなっていた。 つい先ほどまで学校で一緒だったのに、家に帰ると真っ先にラブレターを書いて送る。ご苦労様な話しだが、今のケータイメールは其の電子版と思えばいい。 ちなみに其の男子校版はBとよばれ、それを実践していたのが当時の「ザブ中」、今の麻布高校だそうだが,其の真偽は知らない。 ![]() ところで肝心の「鼻物語」だが,先ずビーナスの鼻の分析から始めたいと思う。 ビーナスが美の標準かどうかは別にして、馴染みが深く,又石膏蔵を弄くり回す事が容易だからだ。 ①先ず,所謂ギリシャ鼻。額と鼻がT定規のようにせり出している骨格。浮世絵の引き目鍵鼻と比べれば,東西の骨格の違いが明確になる。 ②シンメトリーが美の要素と言われるが,余り完璧だと冷たくなる。ビーナスの場合,首のねじれもあるが,鼻が多少左に曲がって,右の尾翼が左より大きいのはよく知られている。 ③目,鼻、口と言ったパーツの配置。所謂黄金率にかなっているという。 次に取り上げたいのは,文学や美術での鼻の表現である。その人の性格まで,鼻で表している事が多い。例えばユダヤ鼻。同じユダヤ人なのにキリストはスッキリと鼻筋が通っているのに、キリストをあざけるユダヤ人は典型的な鷲鼻に描かれる事が多い。それだけで強欲な感じを与える。 又漱石は「我が輩は猫」で,金満家のブランド志向の下品な金田夫人については,其の厚かましい鼻の記述に2ページを割いている。 そして何よりも取り上げたいのは,あの巨大な鼻の持ち主、シラノ・ド・ベルジュラックだ。美女の従姉妹ロクサーヌに伝えたい自分の想いは、自分の鼻に裏切られてしまう。つまり「容貌とメッセージの乖離」の悩みである。 そして最後に、その悩みに形成外科医はどう対処出来るか,詰まり其のギャップをどう埋めるか,其の安全性と効果のほどを。僕の土俵に皆さんを引きずり込みたい ▲
by n_shioya
| 2013-02-19 20:41
| 美について
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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