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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
![]() 膝の専門家、聖マリの石田名誉教授の膝の屈伸運動のレッスンである。 “次は左足で一本立ち。 よろけそうになったら椅子の背で手を支えていいから一分間。 どう、結構難しいでしょう。 さ、次は右足。これは三回づつでいいでしょう。” 2週間ほど前、やっと膝の専門家に巡り合えたいきさつは既報の通り。 2週間先にMRIの検査を控えているが、とりあえずと言って教わったのがこの膝のトレーニングである。 石田君は50年ほど前、ニューヨークのオルバニー大学のレジデントとして、同じ釜の飯を食った仲である。 僕は形成外科、彼は整形外科だった。 彼は日本の手の外科のパイオニア、新潟大学の田島教授の愛弟子である。 天才的に器用で、つまようじを使って小さな紙切れから折り鶴を作り出す妙技にアメリカ人は舌を巻いていた。 僕よりももっと形成外科医で、彼から形成外科の手術の真髄を学んだと言える。 僕が皮膚移植をして、“ついた、ついた”と喜んでいたら、“植皮はついて(生着の意)当たり前なんですよ”とたしなめられた。 また、手の外科は彼の最も得意とするところである。 僕は彼のお陰で、それまで一刀の下に切り捨てていた指の組織に、まことにデリケートな構造が巧みに折り重なって潜んでいるのを学んだ。 ちなみに、田島教授は北大の都留教授、東大の山村教授と、オルバニー大学で学んだ初代の三人の日本人留学生の一人だった。 都留教授は脳外科、山村教授は麻酔学、どちらも日本ではパイオニアである。 膝に戻る。 こんな簡単なエクササイズで本当に効果が、と半信半疑だったが、今日で2週間。半年間の膝の症状がウソのように軽減してきた。全部で7,8分。それを日に三回やるだけ。 雨の日など、散歩の代わりになりますよ、と彼は保証する。 しかもこの片足チンチンは、一回、というのは左右1分づつ計6分だが、20分の散歩に相当するという。 思いなしかベルトが少し緩くなったような気がする。 メタボで悩む方、ぜひお試しください。 あまり、格好のいいものではありませんが。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-30 22:39
| 医療全般
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心機一転。
今夜はオーロラも鮮やかな南極をお送りする。 ![]() といっても僕が南極越冬隊に参加したわけではない。 ![]() 北里大学の形成外科の若い女医さんが、医療チームの一員として、一年半の南極生活を終え、無事帰国したお土産話が昨夜の研究会で披露された。 オーロラも見事だが、ペンギンも可愛らし。いさぞ得難い貴重な経験であったろう。 だが、行く前の想像と何が一番食い違ったかと聞かれ、 “閉鎖空間での長期にわたる共同生活から生ずる ストレス”という答えが返ってきた。 ![]() その一番いい治療法は人にその体験を話すことだそうだ。 銀座の、しかも昼間だけの閉鎖空間でも、ある程度のストレスで「美女軍団」が悩むのも(その主たる原因が僕にあることは認めるが)、やむを得ないことかもしれない。 とまれ、今日のフォトを心の癒しにしてください。 彼女もまつ毛ににつららを垂らしながら、けなげに頑張ったのですから。 ![]() ▲
by n_shioya
| 2009-11-29 21:31
| コーヒーブレーク
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今日は研究会や学会、またその打ち合わせなど、東京と横浜をまたにかけて、四っつの行事をこなして、今帰宅したところ。11時である。
![]() だが、これも年なのか。 まず東京ではサンケイホールで、来年度の「見た目のアンチエイジング研究会」の世話人会。 次いで、ちょうど同じホールで開催されていた「毛髪科学研究会」にちょっとだけ顔を出す。こちらもまだ僕は世話人の一人らしい。 そして横浜に戻り、北里大学の形成外科の同門会と研究会に駆けつける。最後の長崎大学の平野教授の特別講演にやっと間に合った。 その懇親会で挨拶をし、ロイヤルパーク・ホテルのフレンチレストラン、ル・シェールへ。 <下記写真、左から内沼教授、平野教授そして僕です。> ![]() ここではゆっくりとワインをたしなみながらフレンチを賞味し、あす開催される「第4回日本美容外科抗加齢学会」の打ち合わせを関係者で行う。 その一人が年季の入ったワイン通で、学会の打ち合わせはそっちのけで、ワインの試飲会に終始してしまった。 シャンパン、白、赤色さまざまの銘柄のワインが提供され、講釈を聞かされたが、僕には依然、赤と白の区別しかつかず、ワインコンプレックスは深まるばかりだった。 と、日付が変わる前に、ここまで死ぬ思いで書いたのは、我ながらあっぱれ、ブログの鬼とほめてやりたい。 ![]() ▲
by n_shioya
| 2009-11-28 23:29
| コーヒーブレーク
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水野肇氏にお会いしたのはもう30年前ほどであろうか。
佐久病院で農村医学の先駆者、若月先生に御紹介を受けた様な気がする。 水野肇氏は行天良雄氏と並んでわが国での医事評論の二大先達として僕は尊敬している。 その水野氏の「医療はどこへ向かうか」を読み終えたところ。 3年前の出版だが、今日本の医療の抱えている問題が網羅され、 そのほとんどの結論に僕は賛同する。 ![]() そして最近の医療の発達は、医学そのものよりも医療技術つまりテクノロジーの発達にすぎないのでは、と読者に見直しを求める。 第一章では「糖尿病の秘密」と題し、飢餓にさらされた人類の祖先が、生存をかけて所有するようになった「節約遺伝子」が糖尿病の発症の一端を担っている事実を通じ、ただ単に病気をたたくことだけでは解決にならぬことを強調する。これは癌の治療にも通ずる問題であろう。 そして予防の原則は「おいしいものを少量」という結論にわが意を得た。 第二章は「ストレスが生み出す病」 すべての病気の源、そして老化の原因にストレスが存在する。 それに対する著者の解消法は ①少量のアルコール飲んでリラックスする。 飲兵衛には福音かもしれないが、少量がビール大瓶二本とは如何なものか?と下戸の僕は思うが。 ②遊ぶこと。 楽しく遊ぶのでないと、ストレス解消にならない。 ③仕事をして生きがいを感じるという方法。 第三章「人体のリズムの不思議」というくくりで、時差ぼけを例にサーカディアン・リズムが取り上げられ、そのほか人体の固有のリズム・サイクルの重要性が見直されている。 など、など最近の話題が13賞まで続き、終章の「医学はどこへ向かうのか」で終わる。 そして著者が終始問いかけるのは、副題でもある「医学の進歩は本当に人間を幸福にしているか?」である。 これこそまさに僕自身、日夜自分に問いかけている疑問でもある。 これ以上、テーマと中身に興味をお持ちの方は、ぜひ、実物をお読みください。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-27 22:54
| 医療全般
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熱血漢の岡本行夫理事長が吠えた。
せっかく築き上げてきた「日米同盟」を、能天気な鳩山由紀夫首相がぶち壊していくではないか。 「安全保障」のなんたるかを民主党の方々は理解してないと、森本敏氏が追い打ちをかける。 意外に冷静に、せめて一年間は様子を見ましょうとなだめるのは田中均氏。 喧々諤々の議論を鮮やかにさばいていくのは、残間里江子氏。 ![]() 今日の新現役フォーラムは「日本をめぐる世界情勢」というタイトルの下、民主党政権下の危なっかしい日本外交を、快刀乱麻を断つごとく、鮮やかに解体して見せてくれた。 テレビで毎週のようにお目にかかっているメンバーだが、議論が核心に触れそうになると時間切れとなる放映と違い、今日は皆さんが思いのたけを充分に出しつくした、実り多いフォーラムであった。 安保条約の庇護の下、平和憲法ボケした皆さん、もっと現実を直視なさい、というのが今回のメッセージだった。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-26 23:10
| コーヒーブレーク
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三回のアンチエイジング・カフェを無事に終えて、僕は今、来年に向け構想を練っている。
一方通行の講演や解説書ではなく、参加者と向き合って話を進めながら、一緒にアンチエイジングを掘り下げていく。そんな目的のために始めた試みが、アンチエイジング・カフェだった。 主催者側としては十分な手ごたえを感じたが、参加者の皆さんはどう思われたか本音を知りたいところではある。 ![]() 来年度の課題としては ![]() ②今年の受講者を中心、具体的な各論をもっと深く掘り下げるアドバンストコースとするか。 ③その二つを行う場合、うまく組み合わせていくか、または春、秋といった具合に、時期を分けて行うか。 ④曜日や時間帯の再検討。 ⑤参加者が費用対効果が十分ありと感じられる内容。 ⑥できれば少数で気長に続けていき、核となるグループを育てていきたい。 ⑦その方たちが積極的に意見交換できる雰囲気作り。 ⑧楽しく、長続きするアンチエイジング・ライフスタイルの構築 ⑨そのメンバーがやがては毎月一回例会を開催し、好きな時に参加するアンチエイジング・サロンになっていけば・・・ ⑩たまにはアンチエイジング・バーなどの日も設け、赤ワインのレスベラトロールの効果を検証するのもいかがなものか? ワインとチーズのアンチエイジングな組み合わせなどあってもいいんじゃなかろうかなどというのは、あくまで理事長の個人的な見解である。 NPO事務局関係者も、専任、兼任を含め半ダース以上になり、全員やる気満々ですので、ぜひ忌憚のない御意見をお寄せください。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-25 22:25
| アンチエイジング
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![]() 着いて先ずしたことは、暖炉に火をくべることである。 柱の髄まで冷え切った部屋を急速に暖めるにはこれにしくものはない。 昔は雑木林の枯枝を集めてホダギにしたものだが、最近はお年なのでズルをして着火剤を使うことが多い。 お陰で苦労せずに、多少湿った冷たい薪も勢いよく燃え始めた。 メラメラと立ち上る炎を眺めていると、都会生活でささくれだった気持ちが癒されてくるのがわかる。 焚火にどうしてこのような効果があるのだろうか。 やはり近くに小屋を持つ仲間がこういぶかしがっていた。 お客に呼ぶと、男は皆、まず火おこしに夢中になるのはなぜだろう、と。 “火遊び”の醍醐味かもしれぬ、と答えた覚えがある。 ![]() さつまいもを突っ込めば、忘れたころにホカホカの焼き芋が出来上がる。 もっとお勧めなのはナスだ。アルミフォイルに包んで、じっくりと焼き上げる。 これにショウガ醤油をかければ、最高のおつまみだ。 勿論肉でも、川魚でも、炙り焼きに勝るものはない。 だが燃え盛る炎はやがて幻想の世界へと観る者を誘う。 それは速水御舟の代表作「炎舞」でもある。 あやしく燃え上がる焔。 そこに乱舞する蛾の群れ。 “飛んで火にいる夏の虫”など無粋なことは言うまい。 これはもう遊びの世界ではない、命をかけた耽美の境である。 あたかも、美少年タドゥツィオを追い求め、ペストのしょうけつするベニスに死したアッシェンバッハのような。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-24 23:05
| コーヒーブレーク
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“一寸見て、彼女すごい美人でしょ。でももとは男だったのよ。”
週刊誌を見ていた配偶者が、タレントの写真を指さす。 なるほど美女である。 “それはきっと「性同一障害」ってやつで、「性転換」の手術を受けたのだろう。” と答えて、僕自身の経験を話し始めた アメリカ留学を終えて東大の形成外科に戻って間もなくの頃、女性の患者が二人、ペアで現れた。 聞くまでもなく二人はいわゆるレズビアンで、その男役?の方が手術で本当の男の体にしてほしいという。 当時はまだ違法だったし、女から男への転換は、その反対の場合よりもはるかに難しいことを説明した。 だが、どうしても手術を受けて、結婚したいという。 彼女らの言い分では、結婚は異性の間でなければいけないとは法律に定められてないそうだ。 所が相手方がトイレに立った時に、夫たるべき女性が急に泣き始めてしまった。 自分は本当は手術は嫌だが、断るとか彼女に殺されるかもしれないという。 トイレから戻り二人揃ったところで、ともかく今の日本では手術はしてあげられないから、とお断りし、言外にそのまま仲良く同棲を続けるようにとのメッセージを込めて、お引き取りいただいたものだったと。 そのころすでにアメリカでは「性転換手術」は合法化され、ジョンス・ホプキンス大学にはジェンダー・アイデンティティ・クリニックというのが設けられ、厳密なスクリーンの末、手術が行われていた。 そのころ言われ始めたのは、「性同一障害」というのはれっきとした病的状態で、いわゆる「ホモセクシャル」とは異なり、肉体と精神で「性」がくい違った状態で、手術以外に救いようのないという考えだった。 “じゃ、ホモとその障害とどう区別するの?” 僕はクリニックの友人に聞いた。 “それを見分けるのがジェンダー・アイデンティティ・クリニックに所属する、形成外科医、精神科医、産婦人科医そして泌尿器科医などの専門医のチームの仕事です。その線引きは決して容易でないこともあるし、「性同一障害」と診断されても、手術まで行くにはさらに選別がかかります。” ということだった。 ただ、“「性同一障害」の場合、本人の苦しみは計り知れないものがあるので、周りの方々もよくご理解いただきたい”、とも付け加えられた。 それから半世紀。 誰それがカサブランカまで手術を受けに行っただの騒がれたこともあったが、やがてわが国でもその考えが徐々に認められて、大学で正式に専門委員会を立ち上げ、「性同一障害」を認知させ、倫理委員会の許可の下、「性転換手術」をスタートさせたのは、埼玉医大の原科教授である。 そして今では、手術後に戸籍も変更が許されで、更にはタレント活動まで可能になったのは、これまで「性同一障害」で苦しんでこられた方々には、喜ばしいことだと思う。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-23 19:12
| 医療全般
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都市は皆、その顔ともいうべき「通り」を持っている。
パリのシャンゼリゼ―、ニュー・ヨークなら五番街。コペンハーゲンにもストロイエ通りというのがある。 ではベルリンは? 壁の崩壊までは文句なしに、クーダム、正式にはクルフュルステンダム通りだった。 東西に三キロほど続くショッピングストリートで、表参道を銀座に展開した感がある。 ベルリンには三度ばかり泊ったことがある。 初回は壁の崩壊直後で、動物園そばのインターコンチネンタル。 2回目はクーダムに沿った、ブリストル・ケンピンスキー。 そして二年前の三回目は旧東ベルリンの、昔懐かしいウンター・デン・リンデン沿いの、アドロン・ケンピンスキー。 毎回ベルリン滞在の一番の楽しみは、銀ブラならぬクーダムブラであった。 ツォー駅から東にスタートするとまず、記念教会がある。 戦後再建されたが一部だけ、爆撃の跡を残して保存されている。 その先右には、名前は忘れたが、人気のケーキショップがある。赤白のストライプの、お菓子のようなお店だった。 その左に入ると、ドイツソーセージのレストラン。 どうも食いもの屋ばかり目につくが、ファッション・ブティークもある。 たとえばジル・サンダー。ファッションにはど素人の僕だが、何となく気に入っている。黒を主調にしたどちらかといえばミニマリズムのスタイル。 ジル・サンダーが似合うのが、僕の好みの女性と言ったら差しさわりがあるだろうか。 その左あたりに、世界最大級のデパート、KDWがそびえている。その最上階には世界の食料品が展示販売され、同じフロアだったか、広いレストランはベルリン子にも人気がある。 その傍には、ドイツ名物の豚の足料理、アイスバインの名物レストランがある。確か、亀にちなんだ名前だった。 さらに東のはずれに近くには、シュプリー・アテンという、アト・ホームなレストランがあった。初回の時、今ニュー・ヨークに住む次女を連れて訪れたところ、ギリシャ風の若いウエイトレスが親切に給仕してくれたのを思い出す。 何料理だったか定かでないが、女性歌手がドイツ民謡を歌っていた。 ほろ酔い気分で「リリー・マルレーン」を所望すると、くだんのウエイトレスが、当惑気に其れは一寸、という仕草をした。 第二次大戦中、アメリカからディートリッヒがドイツ軍の戦意をくじくために、電波に乗せて歌った歌は、やはり如何なものかということだったろうか。 ところで最近は、ベルリンの政治、経済の中心はまた旧東ベルリンに移りつつあるようだ。学会もアレキサンダー・プラッツ脇の国際会議場で開催されることが多い。 最後にクーダムを訪れた時はもう、懐かしいシュプリー・アテンはもとの場所には見つからなかった。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-22 21:51
| コーヒーブレーク
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ついに僕もヒアルロン酸のお世話になりそうな気配だ。
といってもいまさら「しわ伸ばし」ではない。ひざ関節の痛みに対してである。 先日の学会の会長招宴で、旧友の「膝の専門家」と同席になった。 食後、ホテルの僕の部屋に招いて、特診(「白い巨塔」の世界で教授がVIPを診ることの言い)をうけた。 入念な診察の結果、半月板の損傷の可能性があるので、MRIを撮りましょう、ということになった。大して心配するほどのことはないし、場合によってはヒアルロン酸の注射でよくなるかもしれないという。 関節鏡は? その必要はないでしょう。 と言われほっとした。 半月板とは膝関節に特有なもので、関節面の間に介在して、衝撃を和らげる役目をしている軟骨板のことである。 よく運動選手が傷めて切除術を受けたりするやつだ。 軟骨の主成分はヒアルロン酸だが、注射で補強できるわけではないが、潤滑油的な役目は果たしてくれ、2,3回の注射で症状が改善されることも多いという。 ヒアルロン酸はギャグの一つである。 ギャグ? それ何のギャグ?と言われそうだが、ムコ多糖類と呼ばれる生体物質の一つで、glycosaminoglycan,略してGAGと呼ばれる。 ![]() 生体では細胞の支持組織として結合組織と呼ばれるものが細胞間にあり、コラーゲン線維はその主要成分である。その間に介在するのがギャグで、6種類ほどあるが、そのなかでヒアルロン酸は保水性がよく、化学伝達物質の浸透に重要な役割を果たしている。 我々の領域では、加齢とともに真皮のコラーゲンが劣化、減少し、皮膚の老化の原因と考えられているので、これまではコラーゲンの注射が「しわ伸ばし」の目的に使われてきた。 しかしコラーゲンに対する過敏症が3割の人とにみられ、また狂牛病騒ぎのあおりもあって、異物反応がほとんど見られないヒアルロン酸の注射がとってかわるようになった。 ちなみにヒアルロン酸は飲んでも消化吸収の過程で分解されるので、経口摂取しても真皮や軟骨の補強にはならないというのが現在の常識ですので、念のため。 ▲
by n_shioya
| 2009-11-21 23:37
| アンチエイジング
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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