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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
スラトキン指揮のN響、教育テレビの録画放映を見終えたところ。
今年も一年の締めくくりは第九だった。 だが、合唱を聞いて、いつも気になることがある。 シラーの「歓喜の歌」は素晴らしいが、その中の“ひとりの友も出来なかった者はこの集いから泣きながら立ち去れ!”という下りである。 レトリックとしてはわかるが、そりゃあまりじゃないか、と思うのは僕一人だろうか。 とまれ、波乱に満ちた一年だった。 アメリカではオバマの「チェンジ!」の雄叫びの勝利。 日本では相次ぐ政権投げ出しの醜態。 そして未曽有の経済危機に襲われ、ただうろたえる阿呆総理。 来年も世界は漂流を続けるのだろうか。 そして到着点は? 「Wo?いずくへ?」 Wo wird einst des Wanderm¨uden Letzte Ruhest¨atte sein?・・・ 彷徨い疲れた旅人の 最後の安息の地はいずくに?・・・ (ハイネの詩集「Heimkehr 帰郷」より) 来年こそはよいお年を! ▲
by n_shioya
| 2008-12-31 22:35
| コーヒーブレーク
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Comments(6)
![]() “何寝ぼけたこと言って。これをお読みなさい。私もその一匹よ。” と美女軍団の一人から手渡されたのは、「満足できない女たち・・・アラフォーは何を求めているのか」。著者は「田中亜希子」という方だ。 著者によれば『アラフォーは年齢でいうと40歳前後だが、どこまでを対象とするかは場合によってばらつきがある。 なぜなら、アラフォーの出現は、「男女雇用均等法施行」のタイミングで社会に出た均等法第一世代がそもそもの出発点であるので、基本的に、2008年度に45歳となる1963年度生まれまでをアラフォーの上限とし、その雇用均等法第一世代を「元祖アラフォー」と呼ぶことにする。 つまり現時点でのアラフォーは、「元祖アラフォー」と、その後の「バブル世代」、そしてバブル崩壊後に社会に出た「就職氷河期世代」と、三つの世代が混在していることになる。』と芸は細かい。 そしてそのメンタリティは 『時代の風を受けて歩み、挫折しながらもチャレンジし、達成感を求め、道を切り開いてきた元祖アラフォー。彼女たちに盾になってもらいつつ、バブルのいけいけをひきずり、やはり達成感を追い求めてきたバブル世代のアラフォー。・・・そして上の世代を楽天的と思いつつも、彼女たちが切り開き、増えていった選択肢を自然に享受する、氷河期アラフォー。・・・』と細部にわたって分析されている。 これで“アラフォーの生態”はほぼわかったが、要は亡き筑紫哲也がかつて朝日ジャーナルに連載して流行り言葉となった「元気印の女たち」の21世紀版と言えるだろう。 以来、益々女のほうが男よりも生きが良くなってきたのはどういうワケだろう。 アラフォーに限らず、勢いのいいベンチャーには、女性の起業家を多数見受けるようになった。 そしていまだに「雇用均等法」になじめない旧体然とした男性は、まだまだ問題を抱えているようである。 例の勝間女史は著書「日本を変えよう」の中の西原女史との対談で、男女共同参画に関して司会の男性に手厳しいことを言っている。 『司会;まあ私も中年の男ですが、メディアの一員として、働く女性を励ましたいとは思っていますよ。 勝間:それはですね、私に言わせると発想が間違っていて。女性を励ます、頑張れよ、ではなくて、参加しないとダメなんです。・・・ 共働き家庭で、私たち女性がパートナーから言われるいやな言葉ってわかりますか? 司会:うーん、何でしょう? 勝間:「手伝ってあげようか」っていう。 西原:ああ。 勝間:わかりますよね? 司会:えーとそれはプライドが傷つくとか・・・ 勝間:違います! 西原:もともとお前の仕事じゃコラ、ということよ。』 と司会と勝間、西原の会話は続く。 イヤー厳しい世の中である。 「雇用均等法」以前に五人の子育てに励み、家事に専念してくれた配偶者に改めて敬意を表し、感謝する次第である。 ちなみに僕は生まれてこのかた、料理、洗濯はいっさいしたことがない。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-30 23:33
| コーヒーブレーク
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![]() ゆったりした大理石まがいの浴槽に20分ほど体を横たえ、そのあと、塗油室ならぬエステルームの心地よいベッドの上で、美女の手で全身にオリーブ油を刷り込んで筋肉をもみほぐしてもらう。 施術中、僕は「クオ・ワディス」の主人公、ペトロニウスに我が身をなぞらえていた。 エステ業界のリーダーの某サロンが、今回新たなスパを開設したのでお試しをと、社長からお誘いを受けたのだ。 新設のスパのラウンジはほの暗い照明で、中央には50センチほどの盆状の皿が、真ん中から湧き出る噴水を受け止めている。 ラウンジに入るなり、心地よい眠気に襲われたのはローズマリーのアロマのせいだろうか。 新しい施術のフルコースを終えてラウンジに夢心地で戻った時は、4時間近くの時が過ぎていた。 ![]() 「エステティック」は西欧では、クレオパトラの時代からの文化といわれているが、ローマ時代は貴族たちもこうして、政争に痛めつけられた体を癒していたに違いない。 日本の戦国武将とっては、それに相当するのが、利休の編み出した「茶の湯」とも言えるのではないだろうか。 そして21世紀の今、コンクリートジャングルの都会の喧騒ですり減った現代人の神経を癒してくれるのがこのエステティック・スパであると認識した。 ちなみにペトロニウスはのちにネロの勘気に触れ、死刑の宣告を目前に自害するが、いくらスパが心地よくても、僕はそこまでペトロニウスの後を追うつもりはない。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-29 22:53
| エステティック
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繰り返し書いたことだが、アメリカのレジデント生活は唯一残された奴隷制度といわれるだけあって、過酷だった。
一日おきの当直。 合間は普通の勤務で、帰宅するのは夜中。 子供たちと顔を合わすことはめったにない。 ある日曜、久しぶりに昼間家に帰ると、“変なおじちゃんがいる!”と長男が泣き叫んだのはショックだった。 また、ある時は配偶者から、スーパーマーケットのミニコミ誌を渡された。 その中には“医者とは結婚するな”という記事が載っていた。 「貴女は人類愛に燃えた崇高な男性と結婚すると期待しているかもしれない。だが、その男は,崇高な人類愛は病院で使いはたし、あなたが迎えるのはその燃えカスにすぎない。」とあった。 “もう手遅れね。” とため息をついた配偶者の、諦めきった顔はいまだに忘れることができない。 それだけではない。阿呆総理に与するわけではないが、医者はともすると欠陥人間になりやすい。 それは、医者はいつも自分より立場の弱いもの、つまり患者や看護師を相手にしているので、自分の意思を一方的に押し付ける態度が身についてしまう。 だからよほど心しないと・・・というのがいつも日野原先生のお諭しの言葉である。 ま、でもこれは医者に限ったことではないかもしれない。そう言う阿呆総理自体、人の心もわからぬ欠陥首相ではないか。それに比べれば識字能力の欠如などはかわいいものである。 だいたい彼を“お坊ちゃん”呼ばわりするのはやめてほしい。 “下々の者”と呼び掛けられて、選挙民がなにもへいつくばることはない。 封建制度のころでも、百姓一揆は起きた。 今の民主主義の時代、あの阿呆を首相の座から引きずり下ろす気概は、日本国民にはないのだろうか。 話があらぬ方に飛び火してしまったので、今日はここで筆をおく。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-28 21:27
| コーヒーブレーク
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ブログを書き始めてもう4年近くになる。
よく毎日書くことがありますね、といわれることがあるが、ことは反対である。 どういうわけか書き記したいことは後から後からと湧き出てくる。 困るのはどうしても今日はこれを書かねば、と囚われてしまうことがあるのだ。 それを済まさぬと次に進めない、頭が働かなくなるのである。たとえその記述が当事者には迷惑であっても。 今回もその一つかも知れない。 昨日京都を日帰りで往復した。 伏見の病院に入院している北里時代の助教授を見舞ってきたのである。 僕の教授としての23年間のほとんどを、彼は助教授として支えてくれた。 形成外科医には珍しく、バランスのとれた頼りがいのある奴で、ユーモアにも富んでいた。 本人はある時点で開業を望んでいたが、僕は無理に引きとどめた。 “助教授を5年やると気が狂う、といいますよ。”と苦笑いしながら引き受けてくれた。 それほど助教授の仕事は辛いし不条理に満ちている。 まず、女房役である。教授に言えない医局員の悩みを受け止める役である。 そして教授の尻拭い。ことに僕のような日本の医局のしきたりをわきまえぬ、しかもずさんな男には、彼は不可欠だった。 そして汚れ役。これはあまり深入りしないほうが良い部分である。 しかも彼は腎不全で、週三回の完全透析を受けていた。 彼は絶対弱音を吐かない。 おかげで僕は随分と彼に無理を強いてしまった。 透析が長引くといろいろな故障、いわゆる後遺症が発生する。 一番は骨粗しょう症である。そのため彼は何度か手術を受け、数年前はついに東京の医者たちに見放され、京都の名医を頼って手術を受け成功した。 今回、またその同じ部位の補強手術が必要となり、伏見の病院で同じ名医の手術を受けたのである。 昨日見舞ったときはもうずいぶん元気そうだった。 奥様も彼同様、物事に拘泥しない、明るい方である。 “この人は死んだふりをするのがうまくて、今度も騙されましたわ。”と本人を前にしておっしゃるくらい、当人も回復していたので僕もほっとした。 あとは彼の一日も早い回復を祈るばかりである。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-27 21:21
| 医療全般
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Comments(6)
![]() ちょうどルーブルを見終わって、印象派のオルセーに移動したところだ。 僕が伊集院にひかれたのは、ダイナースの月刊誌、シグナチャーに連載された「旅行鞄に花びら」のあたりからである。 元来自身が絵描きになろうか迷っただけあって、彼が絵について書くときは、評論で解説でもなく、彼の“作品や作家との対話”であり、美に対する彼の思いのたけがひしひしと伝わってくる。 いま読んでいるのは「美の旅人 フランスへ」だが、一章、一章が味わい深く、一気に読み干すのがあまりにももったいなく、ほとんどの本を数日で読み切ってしまう僕には珍しく、一行一行舐めるように味わい、読み始めてからひと月もたってようやく、道半ばである。 絵を観るのは感ずることであり、なにも理屈をひねくりまわす必要はない。 だが、その背景を知ることでさらに味わいも深まり、また、達人の話を聞けば、そのような観方もあるのか、と感心もさせられる。 人間が楽園から追放されたとき、神はご自分の見放した人間に慰めを与えるため、動物たちを授けられたと創世記には書かれていたような気がする。 だが芸術は、かつての棲家であった楽園を想起するよすがに、神が人間に与えたもうた手がかりではなかろうか。 キーツがエンディミオンの冒頭に歌ったように、“美しきものは永久の歓び”。 これが芸術の本質であろう。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-26 22:11
| 美について
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今日はクリスマス。
思えばそれぞれの時期にそれぞれのクリスマスがあった。 戦後しばらくは、ジングルベルのにぎやかな歌声と華やかなイリューミネーションの盛り場のクリスマス。 留学中は、カトリックに転向したこともあり、まじめに教会での御ミサにあずかり、戸外はクリスマスの飾りつけが銀世界を彩る、文字通りのホワイトクリスマスだった。 そして40年前帰国したあたりからは、家庭でのクリスマスが大はやりで、イブまでは町角のそここでは山積みのクリスマスケーキが売りさばかれ、サラリーマンがその箱を抱えて家路を急いぐ光景が続いた。 そして今はそれも下火となり、クリスマスセールといったデパートの販売合戦が主流になってきたようである。 が、いつの場合もクリスマスの主役はキリストよりも、クリスマスツリーとその下に積まれたプレゼントの山のようだ。 そして僕にはそのクリスマスプレゼントにまつわる奇妙な思い出がある。 大学のころ、あるクリスマスに、遊び仲間がリーダーの家に集まった。 食事の後、彼が皆にクリスマスプレゼントだと言って、ソックスを配り始めた。 まだ物資が不足して、ソックスは貴重品で皆喜んで受け取った。 だが、僕だけは“悪いけど受け取れない”と言って返してしまった。 クリスチャンでもないから、というのが理由だったように思う。 だが、その行為も言葉も、全く僕の意志と関係なく、いわば不随意的に出てしまったのである。 ぼくはアンチ・キリストでもなく、皆と同じにただの無縁の衆生だった。 それが何で皆を白けさせてまで、ただの習慣としてのプレゼント交換にこだわったのか、いまだに理解できない。 だが留学後間もなく、カトリックに入信してからは、宗教行事としてのクリスマスだけでなく、もちろんプレゼント交換も自然に行えるようになった。 そして家の中に大きなクリスマスツリーを飾り、イブの夜更けにプレゼントを積み上げ、クリスマスの朝、子供たちが歓声を上げながら包みを開けるのが習わしになった。 その習慣は今、それぞれ、子供たちの家で引き継がれているようである。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-25 23:22
| コーヒーブレーク
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Comments(7)
ビートたけしの東条英機を見終わったところに次男から電話があり、あまりカッカ来て過激なことをブログに書かぬよう、親切な忠告があった。
もう今日も終わりそうだし、長々と書くつもりはない。 ただ、あの戦争の愚かさと悲惨さは、経験したものでなければ分からないだろう。 北鮮やかつてのイラク、つまり全体主義国家の恐怖である、それも世界規模で。 日本中が神がかって、オーム真理教になったと思えばよい。 しかもその最高責任者は国民に一言の謝罪もしなかった。 国民もその決着をつけるのをためらった。 その無責任体制が、今の霞が関に連綿と引き継がれている。 反面、日本があの行動に出ざるを得なかった時代背景はもっと冷静にとりあげられてよいが、すでにブログで何度も触れたからこれ以上繰り返さない。 最後に一つだけ言いたい。 言論の自由だけでなく、思考の自由も奪われるということがどんなに悲惨であるかということを。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-24 23:55
| 美について
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Comments(8)
新井喜美夫さま:
![]() 77歳を迎えるまで、なぜ日本はあの「愚かな戦争」に突入したか問い続けてきました。 象をなでる群盲の一人として、確証はおろか傍証にも乏しい中で、僕なりの解釈をおぼろげながら構築してきましたが、御著の瀬島像を通し主要なミッシングリングがつながり、ジグソウパズルがほぼ完成した感があります。 これで僕もやっと敗戦で封印した過去と正面から向き合う勇気が持てるようになりました。 実はかって「幾山河」を読み、何度もヘドの出る思いをいたしました。ただ彼の視野狭窄も,思考停止も、あの当時としてはやむを得ない面もあったことは、重々承知はしていましたが。 その目で見ますと、表紙のフォトが彼のすべてを物語っているように感じます。 問題は、矛盾が敗戦で終結したわけでなく、現在ももっと低次元の形で霞が関と永田町、そして全国民に連綿と引きつがれて、阿呆首相のもと、我が国が漂流し、未曽有の経済危機に突入していることです。 人間は矛盾に満ちた存在です。 欲と保身の卑劣さの塊でありながら、理想を追い求め、獏ではないが夢を食べて生きたいとも望みます。 我々世代が、次世代、次〃世代に残すべきは、前者への歯止めを設け、後者を生きがいとして与えていくことではないでしょうか。 年明けに、井口君と共にお目にかかるのを楽しみにしております。 塩谷信幸拝 ▲
by n_shioya
| 2008-12-23 18:42
| コーヒーブレーク
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Comments(7)
”ゆとり教育”が問題になっているようだが、子供たちも育ってしまい、現状を直接体験する機会がないので、どうしてこれが問題となったのかよくわからない。
言えることは今の時代、子育ては本当に大変だろうと推察される。 テレビ、携帯、パソコンゲームが氾濫し、ヘッドフォンで頭に枠をはめられ、さらには大痲まで簡単に手に入る時代である。 しかも政治、官僚は腐敗し、子供たちはロールモデルを失い、未来に失望し、ただ白けるだけである。 ゆとり教育とは、この粗悪な環境の中で野放図な時間を与えることではなく、生徒の自発性を尊重し育成することではなかろうか。 だが、これは教える側に人間性の幅と忍耐を要求する。 僕らの中学時代は恵まれていたといまさらながら思う。すべてが不足していたからだ。 なによりも上記のハイテクの誘惑は何もなかった。 代わりに中学一年生のときから、何か自分の特技を持たねば相手にされなかった。 学問でも、スポーツでもよい。それぞれが才能を競い合った。 僕たちは学校の授業は必要最低限のものと理解していた。 あるものは原子物理学に凝り、広島にキノコ雲が発生、軍部が新型爆弾とうろたえている時、あれはウランの原子爆弾の筈だと、我々に教えてくれた。 プラトン哲学に凝っている者もいた。 課外の輪読会と称し国語の教師の手助けで、源氏物語の原文に取り組んだグループもある。 高等数学の専門家もいたが、ピアノを良くし、長じては前衛音楽の作曲家となった。 中学時代、僕の専門は生物学、特に遺伝学だった。校舎の屋上でスウィートピーを栽培し、メンデルの実験のまねごとを行った。 ある時は、“先生の授業はつまらないから、一時間譲ってほしい”と教師に頼み、カエルの解剖を同級生にデモしたこともある。 我ながらずうずうしかったと思うが、それを許す教師も度量があった。 すべてスノッブと言えばスノッブだが、男の子の背伸びは女の子のお化粧のようなものと思ってほしい。 こうして「基礎知識」の習得に加え、「自分の世界」を涵養させることがゆとり教育ではないかと思う。 ▲
by n_shioya
| 2008-12-23 00:02
| コーヒーブレーク
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Comments(4)
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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