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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
現役を退いた今でも、医者の紹介を頼まれることはしばしばある。
これが意外に難しい。 医者であっても自分の医者選びには頭を悩ますことが多い。 そもそもいい医者とは何だろう。 まず腕がいいこと、これには診断が確かで、治療、外科の場合は手術になるが、その腕がいいこと。 もちろん最新の知識にも通暁していること。 また、いくら腕が良くても、頭が良くても、おっかない先生は遠慮したい。つまりこちらの聞きたいことには分かりやすく、親切に説明してくれるないと困る。 じゃ、お前はどうだったと聞かれると忸怩たるものがあるが。 医者の紹介を頼まれた場合、僕はまずすでに誰かにかかっているかどうかを確かめる。 原則として、医者を変えるのは反対だからだ。 よほど特殊な病気であったり、その医者が医者仲間で定評のヘボ医か悪徳医師なら別だが、通常は医者を変えればすべて検査をしなおしたり、同じことでも医師によって説明のニュアンスが違うと却って迷いが深くなるからである。 また、言い方は悪いかも知れぬが、並みの病は並みの医師に任せたほうが無難である。 唯最近は“セカンドオピニオン”という考えが定着してきて、必ずしも転医のためではなく、とりあえず別の医師の意見を聞いて確かめたければ便宜を図りましょうと、セカンドオピニオン外来というのも生まれてきたので、活用されると良い。 ことに手術が必要な場合、外科医としては考え抜いた結論でも、突然手術といわれれば、素人でなくても、エッ、切らないと駄目ですか、とまずショックを受けるのが普通だろう。そこでセカンドオピニオンもやはり手術となれば、諦めもつくというものだ。 もちろん、“札付きの医師”の犠牲からもまぬかれることも出来る。 かってイエズス会の神父さんから相談を受けたことがある。カトリック系の病院で大腸がんで手術が必要を言われたという。やはり癌センターで手術を受けたほうが安心なのではという悩みだった。 話を聞いてみると、唯普通の大腸がんで、手術もルーティンのものである。幸い僕もそのカトリック病院と関係があり、外科部長も信頼できる方と知っていたので、たってと言われれば癌センターもご紹介できますが、今の病院でなんら問題ないし、院長も主任看護婦もカトリックで、むしろカトリック司祭にとっては、何かと好都合ではないか、また、入院環境も世俗の病院よりも優れているのではないか、と申し上げた。 だが、神父でもこんな時、世俗的に悩むものかと、いささかがっかりしたのも本音である。 そこで、医療というものは、医師とか看護師とか、また、医療設備とかいったものだけでなく、それ以上の次元の働きに、“神のご加護”とは言わなかったが、助けられるものだなど、“釈迦に説法”のようなことを付け加えた覚えがある。 そしてまた、良い医療を生み出すのは医師と患者の信頼関係であること。つまりこの先生にならすべてお任せします、たとえ結果はどうあろうと、と言うくらいの信頼が生まれれば、医師の力も最高のものが発揮されるものですよ。 このような僕のつたない説明に神父さんは納得してくださり、そのカトリック病院で手術を受けられた。 幸いに経過は良好で、30年たった今も、故国のハンガリーでまだ司祭として活躍されている。 医師自身の医者選びはまた別の難しさがあるので、次回に回す。 ▲
by n_shioya
| 2008-01-06 20:27
| 手術
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![]() これをどうブログで紹介したものか、頭を悩ませている。 題して“ビューティ ジャンキーズ” 著者のアレックス・クジンスキーはニューヨークタイムズのビューティコラムのライターである。 内容は最近のグロテスクとも言えるアメリカの、殊にユーヨーク、ロスアンジェレスの女性たちの間の美容外科ブームの赤裸々なドキュメンタリーである。 患者や外科医の取材も入念で、自身の体験も交え、トピックスもボトックス、脂肪吸引から、ヒアルロン酸注入等々、最新の話題を網羅している。 ジャンキーズと著者が呼んでいるように、一部かもしれないが本当とすれば、アメリカの女性たちの美容医療へののめりこみは、気違いじみてているというか、恐ろしくさえある。 たとえば豊胸術。昔はなるべく自然に、やった跡も残らぬよう苦心したものだが、今は唯、ひたすら大きいことはいいことだ、とむしろ人工物が入っていることを誇示する傾向になっているという。 また、ボトックスで皺だけでなく、表情筋の動きを止め、文字通りポーカーフェースでラスベガスで荒稼ぎをするなど、続々と興味をそそる話題が続いていく。 そうこんな話もあった。最近、肥満に対して、胃腸を切除したりバイパスして、消化不良で減量を謀る手術も盛んだが、その後だぶついた皮膚がエプロンのようにひざに達し、それをばっさりと取り除く形成術も必要になるという。 アメリカで起こることは数年の遅れで日本にもはやり始めるのが今までの習いである。 こんな“狂気の世界”が持ち込まれぬよう、また、一部の心無き医師がその風潮をあおる前に、このブログでおいおい彼の地のビューティ・ジャンキー達の実態をご紹介せねばとも思っているが、手っ取り早いのは、どなたかご興味ある方がこの本を翻訳して出版してくだされば、既にコマーシャリズムの餌食になっている日本の美容外科医とその患者さんたちへの警鐘にもなるだろう。 付け加えたいことがまだ二つある。 かつてアメリカの広告規制は厳しかった。それに反して日本は野放しとも言える状態だった。 今はアメリカの宣伝のほうがはるかに破廉恥である。 今ひとつは、まやかし美容外科医の横行である。唯これに対してはやはりまだ、アメリカのほうが自主規制が働いている。それはアメリカ形成外科学会の努力のおかげだ。 日本では、偽医者とは言わぬが、メスも持てないインチキ美容外科医が横行し、まだ犠牲者を出し続けている。 この間の事情は、拙著“美容外科の真実”(ブルーバックス)に詳述しているので省略するが、今テレビで派手に宣伝している美容外科医の相当数は危ないと思ったほうがよい。 では、安心できる美容外科医を探すには? まず日本美容医療協会に問い合わせていただきたい。そして日本形成外科学会の専門医の資格を最低必要条件として、お考えいただきたい。 ▲
by n_shioya
| 2007-12-17 20:59
| 手術
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最近美女軍団の露出が減ったが?
と熱烈なファンから問い合わせがあった。 決して消えたわけではなく、美女は美女を呼んで急増し、銀座の美女軍団はとても数枚のフォトには収まりきらなくなったのである。 というわけで今日はその半分がヒルトン小田原に集合したのでご披露する。 美女軍団の熱気でシャッターを押した若いウェイターのカメラが手ぶれをしたのはご勘弁いただきたい。 ここは元スパウザ小田原といって、悪名高き年金流用で立ち行かなくなった保養施設を、ヒルトンがリニューアルして、ドイツのバーデンバーデンにも負けないスパに変身したのである。 本場のカラカラテルメと同様、各種プール、ジャグジー、サウナ、エステ等すべて完備している。 ただバーデン・バーデンでは、サウナだけは男女が同室で生まれたままの姿でホットサウナを楽しむが、ここでは水着着用となっているのは無粋な限りである。 ![]() ▲
by n_shioya
| 2007-11-04 21:15
| 手術
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素晴らしい学会だった。
第30回美容外科総会。 オメデトウございます。 新富会長の斬新なアイデアと、美容外科にかける思いが充満していた。 まず、ライブサージャリー、インテラクティブビデオは新しい試みで、手術手技に関する具体的に深く突っ込んだ議論を可能にした。 ともすれば安易にノンサージカルに走りがちな今の若い人たちに、美容外科の醍醐味と奥の深さを印象付けたと思う。 また、30周年記念ということを口実に、普段あまり参加することのなかった形成外科学会の重鎮を引きずり込んだ会長の凄腕と感心した。これで両学会のギクシャクした関係も改善されていくことだろう。 その意味で、わが国の美容外科のターニングポイントとなる意義深い学会であった。 新富会長、山本教授、野平先生そして関係者の皆様、本当にご苦労様でした。 ![]() ![]() ▲
by n_shioya
| 2007-10-07 23:59
| 手術
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先日ペースメーカー友の会で講演をさせていただいたとき、まず“ザウエルブルッフの悲劇”から話を始めたと書いた覚えがある。
ザウエルブルッフは20期初頭のベルリン大学の外科の教授で、世界で始めて開胸術を行った胸部外科の先駆者で、その名のついた手術器具はいまだに使用されている。 ところが名声の絶頂期に、胃袋を切除してつなぎ忘れるという失態を犯した。今で言う認知症が既に始まっていたのである。 その頃のドイツでは教授の権力は絶対で、助手は教授の過ちを指摘することは許されなかった。日本の某大学の体質に似てますね。 そして患者は死亡した。 ベルリン大学はザウエルブルッフの教授の職を解き、事件は隠蔽された。これもわが国に似ていますね。 だがその後も世界中から患者が殺到し、彼は自分の家で手術を始め、アルゼンチンから訪れた甲状腺の患者を台所で手術して死亡させ、初めて事件は表ざたとなる。 外科医の腕は年と共に衰えるのは致し方ない、がそのピークがどの辺かは個人差もあり、又衰えの自覚は年と共に薄らぐのが外科医の浅ましさである。 僕は己の技術の下降曲線と世間的な評価の上昇曲線がクロスしたら、潔くメスを捨てるべきと信じている。如何に猫に鈴をつけるか、周りのものをあまり悩ませるのはよろしくないと思う。 僕自身、65歳の退官記念パーティで、親しいジャーナリストの一人、元朝日の科学部の大熊女史にこういった。 “だからやはり外科医の場合は定年が必要ですよ” 彼女いわく“先生留学から東大に戻られたときなんとおっしゃったか覚えてます?” “いや?” そのとき僕は32歳だった。 “外科医の旬は40台で、50過ぎたらそろそろ身の振り方を考えるべき”といったそうである。 それほど人は年とともに自分が客観視できなくなるようだ、たとえ認知症でなくとも。 唯一つ、僕が主張したいのは判断力だけは経験の積み重ねだから、加齢とともに緩やかでも上昇曲線を保ちうるものと、希望的観測を持つ。 ただしこれも認知症に邪魔をされなければの話だが。 だから今後のアンチエイジングの課題の一つは、如何に老人の経験を継承し生かすかにあるのではないか、若いものうるさがられずに。 そのためには老人もまた、“余人を持って変え難したし”などとうぬぼれた使命感を捨てるべきであろう。 ▲
by n_shioya
| 2007-07-02 23:59
| 手術
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外科学の5割は解剖学で、3割は病理学残り2割が生理学その他であると僕は常々レジデントに説いてきた。
それほど外科医にとって解剖は大事である。極端なことを言えば解剖さえ知っていれば手術など、一寸器用なら中学生でもできる。 難しいのは手術をすべきか否か、又するならどの方法をとるかという判断力である。 さて、その解剖で北里の現役時代、大変お世話になった山科教授の退官記念パーティが京王プラザホテルで今夕行われた。 ![]() その席で20年ぶりに、新潟大学の藤田名誉教授にお会いできたのは望外の幸せだった。 彼は医学部は僕の一年上で、父上も解剖の教授で我々皆薫陶を受けた。 息子の彼は絵が得意で、踏朱会という医学部の絵の会のリーダーで、文才にもたけ、岩波その他から何冊も啓蒙書も出されている。 ![]() 山科、藤田両名誉教授の今後のご活躍に期待する。 ▲
by n_shioya
| 2007-04-14 23:11
| 手術
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今年は日本形成外科学会発足50周年である。
早速その式典の模様と、形成外科最新情報を、満載せんと張り切って出かけてきたが、パソコンの機嫌が悪く、インターネットは繋がるがメールの送受信が出来ない。 おまけにデジカメのバッテリーが上がってしまい、フォトも撮れず、しかも車の携帯の接続まで 不具合になってしまった。 弱り目に祟り目とはこのことである。 こんな晩は早く寝るに限る。 ▲
by n_shioya
| 2007-04-11 21:15
| 手術
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万歳!これで無罪放免。
ヘルニアの手術は一応これで成功である。 昨日の外来で、もうこれで何もなければ来る必要はありませんとの主治医のお達しだった。 これから又、痙攣性便秘とのお付き合いは始まるが、もう危機的な時期は過ぎたといえる。 今だから言うが、手術前は術後の便通のことで頭が一杯だった。 術前は浣腸をする。当然数日は便が止まる。 その後は便が硬くなるので排便で又力まねばならぬ。 手術前は毎日、腹圧が患部にかかり、ヘルニアをカバーするメッシュの縫合部がメリメリッと裂け大出血を伴って、又大きな穴が腹壁に開いてしまう、という悪夢に悩まされ続けていた。 やはり最初の排便は苦しかった。最初は腹圧がかからぬようそっと試みたが駄目である。そのうち苦しくなり、文字通り破れかぶれで裂けるなら裂けよと力んでやっと出てくれた。 幸い何事もなかった。 さすが宇田川部長の縫合部は鉄壁の支えである。 だがそれに懲りて緩下剤のカマを飲み続け、今度は下痢に近い軟便に悩まされる。 そのせいか昨日の朝あたりから患部が又腫れてきたような気がした。 だが昨日の診察で我が宇田川部長は、ああ、これは術後の腫れで再発ではありませんよ、とこともなげに保障してくださった。とたんに彼の頭の後ろから後光が射すのを見たのは目の迷いであったろうか。 これからは患部では繊維芽細胞が活躍して、メッシュの周りをコラーゲンの繊維で強固に固めてくれるだろう。 便秘との戦いは続くにしても。 ところで美女軍団の皆さん、バッチイ話にお付き合いくださり有難うございました。 このあたりで盛大に快気祝いといきましょう、くさい話を吹き飛ばして。 あまり先延ばしするといずれ反対側にもヘルニアが出る恐れもあるそうですから。 ▲
by n_shioya
| 2007-03-06 23:07
| 手術
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![]() 先週の水曜日に入院し、木曜日の午後宇田川部長の執刀で鼠径ヘルニアの手術を受け、術後経過も順調でめでたく退院となったのである。 入院前、ヘルニア、ヘルニアと騒いでわかったたのだが、最近はただヘルニアというと腰痛の原因の椎間板ヘルニアを指すようである。 どこを切るので? そりゃお腹ですよ。というと相手は怪訝な顔をするので、ははあ、と気がついた。 素人はともかく医師の場合は、お腹を開けて腸を掻き分け背骨に到達する椎間板ヘルニアの新しいルートかと驚くようである。 僕のは鼠径部、又の付け根のあたりの腹筋が弱まり、腸が外に脱出する昔の脱腸である。まだ外科医の間ではただヘルニアと言えばこれをさすことが多い。脱腸というとあまり色気がないので、美女軍団の目に触れるこのブログでは使用を遠慮してきた。 虎ノ門病院で入院どころか治療を受けるのは初めてだが、評判どおりなかなかいい病院だ。 最近の私立のデラックスな病院のように、アメニティが完備しているわけでないが、必要なことが効率よく運ばれ、スタッフの動きも温かみはあるが無駄はなく、安心して身を任せることが出来た。 ヘルニアの手術は腰椎麻酔で行われる。 要は緩んだ筋肉に穴が開いて腹膜の袋が腸を包んで飛び出すわけだが、昔は無理して筋肉を寄せたので再発が多かったが、最近は人工のメッシュで閉じるので治りも早いし再発も少ないという。 手術時間は30分ほどだったろうか、薬でうつらうつらしている内に終わってしまい、痛みも何も感じなかった。 僕のは左側だったが、勿論左右どちらにも起こりうる。 つらかったのは手術当日は絶食だったのと、腰椎麻酔が切れてから膀胱の留置カテーテルを除去する時の痛みと、その後しばらく続いた排尿通である。 自慢ではないが僕は生まれてから食欲がなくなったことは、覚えている限り2回しかない。 一度は子供の時の両側性肺炎で、二度目はアメリカでインターの時、破傷風のワクチンでショックを起こしかけたときである。 無事退院という時、クラスメートの秋山元名誉院長が立ち寄って励ましてくれた。 “おめでとう。気に入ってくれてよかった。でも塩谷君さあ、どうせ又右もそのうち出るから又いつでもおいでよ。” 持つべき者は良き友である。 ▲
by n_shioya
| 2007-03-01 11:56
| 手術
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まさかと思ったがヤッパリそうだった。
こいつはヤバイ。 なんとなく左の太ももの付け根に違和感があるので、左手をズボンに突っ込んで触ってみると,付け根の少し上に計2センチほどのふくらみがある。ふにゃふにゃと柔らかで痛くもない。仰向けに寝るとすっと消えてしまう。 典型的な鼠径ヘルニアである。 一瞬、インターンの頃手がけたヘルニア手術の様が脳裏をよぎる。 アッペ(虫垂炎)、ヘルニアといってインターンのメス下ろし、つまり手術入門に使われる手術である。だが、決して安易に考えてはいけない。下手な手術で再発を繰り返すとだんだん根治がが難しくなる。ほっておくとカントンといって飛び出た腸が戻らなくなることがあり、更には腸がヘルニア口に締め付けられると、腸が腫れて悪循環を起こし、血行が絶たれて腸が死んでしまい、勿論持ち主の命も危うくなる。これを絞葯という。 しかも成人のヘルニアはいったん発生したら自然には治らない。だが、手術は怖い。 おそるおそる,僕はクラスメートの消化器外科の大家に電話した。 “何、ただのヘルニアだろ。そんなの年寄りにゃ珍しくないよ。カントンしてるわけじゃないだろ。ほっとけ、ほっとけ。” と相手にしてくれない。 “でもさ、いったん出来たら一人じゃ治らないだろ。だんだん大きくなれば手術も難しくなるし” とねばっても “どうせそのうち反対側もなるからさ。” となかなか診てやろうとも言ってくれない。 診ては欲しいけど、手術はごめんというこっちの本音を見透かしているのかもしれない。 そもそもなんでこんなことになるのか? 確かに老化現象の一つで、顔の皺と同じくコラーゲンの変性である。 つまりからだの支持組織であるコラーゲンが劣化して、防御壁であるべき腹壁がよわくなり、腹圧がかかると腸が飛び出てくる。このところ慢性便秘で力むことが多いのが、僕の場合最たる原因であろう。 又、目のしたの膨らみも、眼窩脂肪といってクッションのように眼球を支える脂肪が、前の隔壁のコラーゲンが緩んで弱くなったために、突出したもので、眼窩脂肪のヘルニアという言い方があるくらいだ。顔のしわ取りも下眼瞼の脂肪除去も、僕が現役のとき数多く手がけた手術である。 こう考えながらぼくは、これまで脅しや甘言で僕のメスの餌食になった方々のことを思い浮かべた。 こりゃあかん、やはりこちらも覚悟を決めて。 と癪だが僕も消化器外科の軍門に下ることとした。 ▲
by n_shioya
| 2007-01-30 21:14
| 手術
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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