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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
カテゴリ:手術( 47 )
形成外科医とデッサン
ところでより腕の良い“魔法使い”になるために、1973年に北里大学で形成外科を始めるに当たって、僕はまず次のことを試みた。

それは皆でデッサンを勉強することである。といっても、絵が上手になるのは必ずしも目的でない。
カルテに患者さんの顔や、手術操作をスケッチするから、絵はうまいにこしたことはないが、目的は観察眼の養成にある。言葉を変えれば、如何に自分の目が不正確かをしってもらうことにある。
そして、多少なりとも美的センスが養われれば、それに越したことはない。

週に一晩、専門家に指導を仰ぐ。これを三カ月続けると、結構デッサン力がつく。始めは静物画、そして最後は自画像で締めくくる。

これを毎年続けるうち、副産物として面白いことを発見した。自画像がその人の性格を暴露するものである。例えば性格的にバランスのとれた男は、やはりバランスのとれた顔を描く。ある時、頭はキレルが、はらはらするような手術ばかりする男がいた、その自画像はゴッホそっくりだった。
よし、これからは採用試験の面接に、自画像描きを入れようという話にまでなった。
by n_shioya | 2008-02-28 22:10 | 手術 | Comments(3)
美容外科の後ろめたさ
美容外科を受けようかと思い悩む方達の迷いの一つに、後ろめたさという思いがあるようだ。
医師の側でも、これは医療だろうか、医師のやるべきことだろうかと、未だ割り切れぬ感じを抱く者もある。
 
身体髪膚これ父母に受く
この孔子の言葉にずいぶんと我々は邪魔をされてきた様な気がする。
あえて毀傷せざるは孝の始めなり」、と来るからかなわない。
だから、“メスで傷を付けるのは邪道である”、という短絡的な昔の内科医の発想に繋がるからである。
元来は、親からもらったこのからだ、大事にしなさいよという至極当たり前の教えのはずなのだが。

ぼくの父も内科医として、その外科に対する偏見は共有していた。
医学部に最初の夏休み、しきたりにしたがって僕は無銭旅行に出掛けた。
二週間の放浪を終えて、帰宅すると、どうも家の中の様子がおかしい。お通夜でもないが、薄暗く静まり返っている。
すると母が出てきて、実は
“お父さんが盲腸炎で危ないとこだったのよ”
という。
手遅れで穿孔して腹膜炎を起こし、やっと峠を越したところだという。
“なあ、お前。今度は俺も降参したよ。”
と青白い顔をして、ベッド寝たまま、うめいている。
やっと腹膜炎おさまったところで、そのころ煙突と称していた、細いゴムの管が腹に未だ刺さっていた。

そこまで手術を敬遠したわけではないだろう。唯、診療に追われ、自分のからだまで手が回らなかっただけとはよくわかったが。
父も内科医として、必要あれば抜かりなく、外科医に患者をゆだねていたわけだから。
しかし内科にとって、外科に廻すというのは、自分の治療の敗北という感じが、全くないとは言えないようだ。
その気持ちも、わからないではない。

最近では、もうそこまでかたくなに“孔子の教え”を拡大解釈する人は居ないだろう。
たとえ命に別条なくとも、機能を回復する手術も盛んに、幾らでも認められている。骨関節の手術、耳鼻科眼科、泌尿器等、癌でなければ、ほとんどが機能改善の手術と言える。
だが、形のために、つまり見栄えのために、あえて危険をおかしてまで手術を何故するかという考えは、残念だが未だ未だ多い。
それも、火傷や交通事故の傷なら兎も角、全く正常なからだにメスを入れるとは、それも虚栄心のために、けしからん話しだと考える人が未だ多いのではないか。
こうした疑問に対して、自分なりに納得の行く回答を模索をし続けてきた。
そして得た答えが、次に述べる“魔法使い論”である。

もし僕が魔法使いで、杖で一寸触って呪文を唱えれば、たちどころに美女に変身するのなら、おそらくその力を行使するのに何の躊躇もしないだろう。
ならば、魔法使いと美容外科医の違いはなんだろう。と考えた。
当たり前のことだが、我々の手術は魔法ではない。痛みは伴うし、傷は付けるし、そして結果も何時も100%とはいかない。せいぜいのところ、7、80%といったところだろうか。
とすれば、もし“変身願望”を認めるなら、そしてメスでコンプレックスを解消するのが医療としての美容外科なら、なにも疚しさはないはずだ。
その不完全さだけが問題で、それをより完全に近くすべく努力するのが務めである、とこういうことになる。

ぼくはこうして自分のしていることに懐疑的になるたびに、“魔法使い論”に立ち戻って、躊躇う心にむち打ってきた。だが正直なところ今でも、完全に納得したわけではない。
by n_shioya | 2008-02-27 22:23 | 手術 | Comments(9)
不勉強な外科医と自称形成外科医
僕はブログのほかに、NPO法人アンチエイジングネットワークと、これもNPO法人創傷治癒センターの二つのサイトを管理している。

両方とも一番アクセスが多いのはFAQカウンセリングであるが、一番の悩みはネット上のカウンセリングの限界である。
一般的な質問なら良いが、多くの場合は患者の個人的な問題が多い。つまり拝見しなければ具体的な答えはしにくく、回答は一般的なものにとどまり、その先は専門医の診察を受けてというコメントになってしまう。

もっと困るのは、明らかに医師の不手際か、不勉強とおもわれる場合である。
自分が診察しないで、口出しするのははばかれるし、何かそれなりの理由もあったかもしれない。
だが多くの場合、それなりの理由というのは、別の日本語に置き換えると医師の不勉強になることが多い。
しかも常識的に考えれば、明らかに患者に不利な状況も起こりうるといった場面にときおり遭遇する。

その一つが、傷を縫った後の抜糸の時期である。
通常は四肢や躯間の場合は7日間だが、顔の場合は4,5日で抜糸すべきである。
それ以上縫合糸を残すと、糸の刺激で縫い跡が残ることがある。最近はナイロンなどの合成糸を使うので、昔ほど刺激は少なくなったが、それでも、不必要に糸を残す必要はない。もしそれで傷が開くようなら縫い方に問題がある。

何故われわれ形成外科医がこれほど抜糸の時期にこだわるか?
たとえ抜糸が早すぎて傷が開き幅広い目立つ傷跡が残っても、その修正は比較的簡単で、また可能である。
だが、傷と直角に、数本、数十本の縫い後が残った場合は、すべて含め広範囲に切り取って縫い寄せる修正が必要になる。

現在の常識で、もし縫い跡を残した場合は、術者の責任が問われても仕方がない。
でもケロイド体質ならしょうがないのでは?
まず、本当のケロイドというのはごくまれである。また、ケロイド体質ならなおさら早めに抜糸して、絆創膏固定で逃げたほうが無難である。

要約すれば,顔のキズを縫った場合
①抜糸は4,5日で行う
②後は一月から三月ほど3Mテープでの固定が望ましい。
これが原則である。

もし正当な理由、つまりそれなりの理由がないのに上記のことが守られないならば、並みの外科医なら不勉強として許されても、もし形成外科を名乗っているなら失格といわざるをえない。
そしてわが国では、患者や看護師の指摘で、おのが無知を悟らされた場合、突如猛り狂う"偉い先生"がまだまだ多いのが実情である。
by n_shioya | 2008-02-15 22:10 | 手術 | Comments(18)
美容外科とは、そして人は何故美を?
今日は朝から雪で、一面の銀世界は綺麗だが足元が危ないので、予定していた映画館行きは諦め、家にこもって“美”について考えている。

人は何故美を求めるのだろう。
とくに女性は、なぜ美人でなければならないのだろう。
女性週刊誌は、こうすれば貴方も美人にとか、確実に痩せる法などと、“美人への近道ガイド”が毎号ぎっしりと詰まっている。
又フェーシャル、痩身、脱毛を表看板にしたエステサロンは大繁盛だ。

まるで生まれ付きの自分に満足しているのは怠慢だと言われいるようで、“人間の本質は形ではなく心だ”とという建前はかき消されてしまいそうだ。
たしかにそれは建前であって、それだけで本音が納得するとは限らない。
肉体のない霊魂ならともかく、僕たち人間は肉体によって存在し、生きているのだから。
肉体に反映するように、肉体に影を落としまし、両者は不可分のものだからであろう。

仮に、ヤケドで顔に大きな傷跡が残ったとしよう。その傷跡が形成外科医のメスでキレイに消せるなら、その手術を受けることは、多くの人が当然のこととして納得するだろう。
では、どの程度の傷跡ならみんなが納得するのだろうか。
どんなひどい傷跡でも、当人が意に介さないのなら、形成外科医は手術はしない。
ところが客観的にはそれほどひどくなくても、当人が苦痛に思っているなら、その心の傷を癒すためにメスを入れる必要があるのではないだろうか。

そしてこのことは、鼻の形や肌の皺にも当てはまる。
つまり美容外科というのは、メスで体のキズや形を治すことによって、心を癒す医療である。

私は過去五十年近くを形成外科医として過ごしてきた。
そしてある時は異端視されながら、美容外科にも関わってきた。
その経験を踏まえて、美容外科とはいったいなんだろう、人はなぜ、メスに頼ってまでを追究するのだろう、そして美容外科はこの先どう進むべきだろうと改めて考えてみたくなる。

美容外科は根底に文化の問題をはらんでいる。
美の基準一つとっても、国により時代により、またひとによりさまざまで、“医療”の範疇から思い切りはみだしている。
今感じていることを一言で表せば
美容外科とは美を求める人間の執念と、造形の魔力に憑かれた形成外科医とが織りなす、矛盾をはらんだ人間模様であり、社会現象である」
ということになる。

何、さっぱりわからないとおっしゃる?
ではこれから、おいおいこのブログで解き明かすことにしましょう。
by n_shioya | 2008-02-03 16:02 | 手術 | Comments(5)
美人も皮一重
美人も皮一重”というが、美人を裏側から見るのは普通には出来ない貴重な体験であろう。
形成外科医として40年間、僕はそれを見続けてきた。
それは皺延ばしの手術である。

先ずこめかみに切開を入れ、更にメスを耳前部で下方に滑らせ、耳垂部でメスを耳后部にUターンさせ、最後に生え際へと水平に切り込む。
ついで顔の皮膚を前方へと皮下の脂肪組織から剥がしていく。
ここのところで、白人と日本人の違いが出る。一言で言えば、白人の皮膚の方が遥かに剥がしやすい。皮膚と皮下組織を繋ぐ結合織が粗なので、ほとんど指でさっとはがれていく。日本人の場合はこれに反し結合織が密で、丹念にメスか鋏みで、離斷して行かねばならぬ。
剥離に際しては、顔面神経を傷つけないよう、細心の注意を払う。
剥離を終えたところで、出血がないかどうか確認し、止血操作を行い、皮膚の吊り上げを行う。
この際、緊張はなるべくこめかみと耳后部で受け止め、耳前部や耳后部には、緊張がかからぬように気を付ける。余った皮膚は切除し、皮膚縫合を終えて、包帯を施す。
このほかにも効果を持続させるための、2,3の工夫があるが、これが手術のあらましである。

それにしても、人は何故、これほどの思いをしてまで、痛みをこらえ、若さを求めるのだろうか、
そのままで十分魅力的な女性の顔にメスを入れ、顔の皮を剥がし、顔面神経に気を遣い、術後の出血が気になって気になって、止血に神経を使い果たした時、僕はしばしば自問したものである。

ある女性患者が答えてくれた。
女がね、先生。こんな決意をするのは、男を引き留めようとしているときか、必死に追いかけているときなのよ。とさらりといわれ、ずしりときたことがある。
それ以来、美人の顔を裏側から透かし見るたびに、その重い言葉を噛みしめたものである。

だが最近は、そんな思い詰めた様子とも思えない、あっけらかんとした患者も増えてきた。一部の心無い医師の宣伝に惑わされてか、化粧感覚で手術を受に来る患者には、こちらが戸惑ってしまうのが現状である。
by n_shioya | 2008-01-28 23:54 | 手術 | Comments(3)
明日出来ることは今日するな
僕の運命を決定付けた一冊の本がある。いや性格には二冊組みであるが。
題名は「アート アンド プリンシプル オブ プラスティックサージャリー
著者はギリエスミラードという二人の20世紀を代表する形成外科の巨人の傑作である。

僕がアメリカで外科を修行中、将来は脳外科をやるか、いや心臓外科にすべきかなど迷っていたとき、“違う、お前は形成外科に進むべきだ”と、決心させたのがこの名著である。
入門書でもない、歴史でもない、テクニックでもない、いやそのすべてであり、しかも“形成外科のエスプリ”を余すことなく伝えてくれた魅力的な著書である。

この中で著者たちは形成外科医の守るべき10か条の心得を挙げている。
その中の一つ“明日できることは今日するな。”というのが僕を魅了した。
早とちりしては困る。決してこれは事なかれ主義の霞ヶ関の村民たちの、“先送り体質”を奨励しているわけではない。

そもそも形成外科手術は熱傷や外傷などを除き、一刻を争うものは少ない。
むしろじっくり時間を掛けて問題を分析し、頭の中で手術法を練りに練って、最適と思われる方法に絞り込めたところでメスを入れるべきで、とりあえずの行きあたりばったりの手術はつつしめという戒めである。

ある意味で形成外科の手術にはルーティンはなく、すべて応用問題といってよい。
しかも他の手術と違って、先へすすめなくなったらいったんメスを収め、間をおいて手術を再開することも可能な分野である。
また、手術の種類によっては、二回、三回とステージを分けて手術を行ったほうが安全な場合がある。

第二の理由としては、これが一番多いケースだが、当初目立つ傷跡でも、日にちが経つに連れ自然に目立たなくなることが多い。外傷などでは、受傷当時は細かい細工がしにくいし、また感染を誘発しやすい。
とりあえずは傷をふさぎ、半年、一年たって再評価して、目立つ部分だけを対象にすれば、修正の範囲も少なくてすむし、また操作もしやすくなる。

また小児の場合は、機能障害や生活に支障がない限り、成人するのを待って手術を行えば、子供のときには入院して全身麻酔が必要だったのが、局部麻酔で通いの手術で済む場合もあり、また術後の管理もしやすいというメリットがある。

つまり、形成外科では、“待つ”ことも治療の重要な一環であることが多い。

これほど大切な一か条だが、実は学生には教えないことにしている。
最初の講義でこれを得々と説いたら、その日から彼らは勉強しなくなったからである。

だから、美女軍団の皆さん!
スキンケアだけは、“今日出来ることを明日に延ばす”と後悔しますぞ、と脅しをかけるのは、目下当方は画期的なアンチエイジング化粧品を懸命に開発中だからである。
by n_shioya | 2008-01-22 22:39 | 手術 | Comments(4)
形成外科医は器用でなければ務まらないか?
形成外科医になりたいけど、器用でなければだめですか?”と聞かれることがしばしばある。
僕はこう答えることにしている。
"そんなことはありません。当たり前の手を持っていれば、誰でもなれますよ。僕を見なさい。”と。
すると相手は、またはぐらかされたかという顔をするが、僕は真面目である。

もちろん器用であることに越したことはないが、大切なことは形成外科に魅せられることと、あとはその人の努力である。
下手の横好きは困るが、自分の腕を過信せず、地道に基本から積み上げ、計画性を会得し、確実な手技を習得することにある。
器用な人の中には時折、あまりプランニングをせず適当につじつまを合わせてしまい、大成しないことがある。

“でも美的センスは必要でしょう?”
これもよく聞かれる質問だ。
“僕はこれも並みのセンスで十分。”とお答えする。
一番の理由は、SF映画と違い、今の形成美容外科のレベルでは、顔を思い通り自由に変えることなど不可能だからだ。
たとえば造鼻術。眼や外傷で欠けた鼻を皮膚移植で再建しても、かろうじて鼻らしいものが出来るのが今の技術の限界を示している。
最も難しいのはペニスだ。機能ははじめから諦めても、形状すら大浴場で他人様に開陳できる代物ではない。
余談になるが、性転換の手術で、男から女は比較的容易だが、その反対は難渋するのはそのためである。

必要なのは美的センスよりも美に対するこだわりだろう。仕上がりに対するあくなき執念。この点でも僕は失格者だと自認している。
仕上がりの完璧さを追求するほどリスクは高まり、僕の場合外科医としての判断がストップをかけてしまうからだ。
だが僕は、患者の心臓が止まっても、まったく気づかずに夢中で細工を続けた名工?を知っている。

そこまでいかなくても最も恐いリスクは、細工に凝りすぎて皮膚が死んでしまうことだ。血流が断たれてしまうからである。
20世紀の名形成外科医ラルフ・ミラード
形成外科とは美と血流の永遠の相克である。”と喝破したのはこのことである。
さすがミラード先生、洒落たことをおっしゃいますね。
by n_shioya | 2008-01-17 21:37 | 手術 | Comments(0)
悪徳美容外科医から身を守る方法
僕がアメリカ留学を終え、形成外科医として日本に戻ってきたとき、直面したのは跳梁跋扈する悪徳美容外科医の群れだった。
その頃まともな形成外科医は十指にも満たず、必死に形成外科の確立に努力いる彼らの足を引っ張っているのが、いわゆる“美容整形医”のでたらめな手術とその被害者の存在であった。
この図式は今もまだあまり変わりはない。

ちょうどその頃、豊胸術による死亡が話題となった。ある福島の女性が、日比谷の某クリニックで豊胸のためにパラフィンの注入を受け、それが静脈に間違って入り、肺に飛んで呼吸困難で死亡したのである。
今問題になっている下肢の静脈血栓が肺を詰まらせる、エコノミー症候群と同じ現象である。
その頃注入物質としてシリコンが使われ始め、すでにそのトラブルが問題視されていたとき、それよりはるかに劣悪なパラフィンを人体に注入すること自体犯罪行為であった。
その後、鼻の美容整形と称して、大切な鼻の軟骨を皆抜かれ、救いようのないつぶれた鼻に泣く女性。
下眼瞼の皺をとりすぎて生じたアカンベー。更には誇大宣伝で有名な某クリニックでは、脂肪吸引と称して腹部の内臓に穴を開けて、患者を死なせてしまう。
まさに魑魅魍魎の世界である。

何故このようなことが許されるのか。
まず、法律的には医師免許さえあれば、誰でも今日からでも何科を開業してもかまわない。たとえば僕が明日から産婦人科を名乗っても一向に構わない、ただ、僕にその勇気がないのと、どうせ患者も来ないことも確かである。

今の保険で締め付けられた日本の医療の中で、美容外科は唯一保険の効かない、自由診療の分野である。つまり、安い報酬と過酷な労働を強いられる保険制度に嫌気がさした医師にとって、言い方は悪いが唯一“うまみのある分野”である。そしてみな、メスを手にしたことのない医師まで、美容外科にシフトして行く。

反面、医師の広告規制は厳しく、つい最近まで、自分が専門医であることすら広告できなかった。これは美容外科に関しては今も変わらない。

更に美容外科の世界では、お忍びで手術を受けるがるため、患者の“口コミ”が期待できない。
したがって唯一の判断基準として、“テレビの露出度”が高いほどいい医者と、一般の人は信じ込む。
もちろん正しい啓蒙番組なら大歓迎だが、マスコミのスタンスは、イヤー美容はイカガワシイのでちょっとまだ、としり込みするくせに、その同じ局でワイドショウ的に、またお笑い番組で美容外科を面白おかしく取り上げ、そのイカガワシサをあおっている。

では安心できる美容外科医の選択基準は?
①形成外科の専門医であること(これは必要最低条件と考えて欲しい)
②その上で美容外科のトレーニングを積んでいること
誇大宣伝に走らないこと。テレビのモニター手術など言語道断である。美容外科も立派な医療の一つ。お笑いの対象にすべきものではない。
④悩みをよく聞いて、説明を十分にし、手術を受けるかどうかの決定は患者にゆだね、決して手術を売り込まない
⑤そしてもちろん腕が確かなこと。

だが、この条件を満たす医師は数が少ないんですな。
今は金と宣伝で“悪貨が良貨を駆逐せん”としている。
じゃどうすればいいの?
具体的に良貨の名前を提示する以外にないですな、考えて見ましょう。
by n_shioya | 2008-01-15 17:05 | 手術 | Comments(10)
神の手とは?
神の手“という言葉が流行っている。
手術の名手”を誇張した言い方だろうが、いかにもマスコミ好みのキャッチワードで正直言ってあまり好きでない。

今日も美女軍団の一人に聞かれた“先生、神の手ってほんとうにあるんですか?”
むむ、と返答に窮した。
ないよ、といえば己が神の手を持ってないことの僻みととられそうだし、あるといえば、マスコミの軽薄なセンセーショナリズムに迎合することになる。

確かに外科医にも上手い下手はある。だが何を持って上手いとするか、その評価基準はまちまちである。

一口に手術といってもそれぞれで目的が違う。
緊急を要する救命の手術なら、命が助かること。たとえばくも膜下出血や盲腸炎の手術。
癌の手術では、当然ながら病巣を完全に取りきって再発を防止すること。
だが、整形外科のように機能回復が目的なら、たとえば関節なりが動くようになること。
これが形成外科となると、顔かたちが本人の希望通りに復元されること。
美容外科はもっと難しい。本人の変身願望をかなえて、コンプレックスを解消すること。
いずれの場合も目的を達成し、かつ後遺症はゼロか最小限に抑えること。
つまりは結果がすべてであって、テレビ写りのよい手さばきの鮮やかさとか、執刀時間の驚異的な短さなどは、同じ結果を生むならばという二次的な評価対象に過ぎない。

これはひとえに麻酔の発達のおかげでもある。
今の麻酔の危険性は導入覚醒時にあり、持続時間はあまり関係ないから、大動脈瘤の破裂のように、寸秒を争う場合を除いて、落ち着いて手術ができるようになったからである。

手さばきにしても、せかせか忙しいのがよいわけではない。糸結びのような簡単な操作でも、焦って2回3回とやり直すよりも、丁寧に一回で済ませたほうが時間も節約になる。
一番よくないのは、あっちをいじったり、こっちをいじったりもたもたが続く手術である。時間を取るだけで、結果も思わしくないことが多い。ただこういうときは当の本人も何をやっているのかわからないことが多いので、やむをえない??

また、よくハンドルを握ると人格が変わる人がいるが、メスを持つと人格が変わるというか本性が出てしまうようだ。

そのため、手術の上手下手を一番よく知っているのは麻酔医である、術中に露呈される人物像を含め。
麻酔医はいろいろな人いのろいろな手術にいつも立ち会わされるからである。
医学部で外科系の教授選のとき、当該候補者の勤務先の大学の麻酔科教授に、そっと評価をお伺いすることがしばしばあるのはそのためである。

前置きが長くなったが結論を言おう。
僕は“神の手”は誤解を招く表現だと思うし、また“神の手”をまねることもない。
それよりも、外科医が目指すべきは、“神の意思”に従って患者のために動くような手を目指すべきと思う。
この場合、指先以上に大事なのは、神の意思を戴した“判断力”である。
これこそが外科医の真骨頂と言うべきであろう。
by n_shioya | 2008-01-11 20:54 | 手術 | Comments(9)
医者の医者選び
昨日の続きで、何故医者は自分の医者選びに苦労するかという話をする。

まず、医者であると、医療の裏側を知りすぎている。
世間的には名医で通っているがその実・・・、とか、あいつは手術は熱心だが、症例を増やして教授を有利に運ぼうとしているとか,この治療はメリットに比べてリスクは無視できると患者に入っても、自分じゃやっぱりリスクにこだわったりなどなど。

反面、こと手術に関する限り、他科の医師の実力など、執刀する姿を見せてもらわない限り、分かるものではない。
また、手術の腕のよしあしは、色々な要素で決まるので、一概に誰が名手とは言いにくいこともある。この問題はいわゆる“神の手”を含め、別の機会に論じたい。

更に教授職にあれば政治的な配慮も必要になる。
他大学には自分の抱えている疾患の名医がいると分かっても、同僚の面子を立てて自分の大学で受けざるを得ないとか。
たとえば心臓外科では、日本ではあそこが一番と誰もが知っていても、仲間を裏切るわけにいかず、ホノルルへ逃避したりした教授もいた。それはたまたまホノルルに名医がいたからでもあるが。

ところでこれからどこか医者にかかりたいが、というご相談のときは、まだ幸いクラスメートでも現役がいるのでそのつてか、また、後輩や弟子たちを通じて探してあげることにしている。
だが、どなたでもやはりかかりつけの医師というのを持つべきと思う。その人のライフスタイルをのみ込んで、また、家族構成も熟知してくれてる医師が。

昔は内科の開業医がそういう役目をしていた。今は内科医もそれぞれの専門に分かれてしまった。
だから逆に、かかりつけ医師は何科でもかまわない、必要に応じて専門医に紹介するだけの器量ネットワークを持っていれば。

数年前に始まって物議をかもしている2年の研修制度も、また、プライマリーフィジシャンという職種も、すべての医師に交通整理の基本能力を持たせるためのものとして、色々と問題はあるが育てていかねばならぬだろう。
by n_shioya | 2008-01-07 22:12 | 手術 | Comments(0)




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