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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
朝から庭いじりいていた配偶者が,泥だらけの瓦を手にして書斎に飛び込んできた.
きっと大震災の時の瓦礫の一つで,掘り出し物に違いないという. 洗面所でごしごし洗うと,アルファベットらしいものが現れてきた. 飛鳥田前市長が何かに書いていた,開国の頃横浜で造られたタイルに似てないでもない. 値打ちはともかく一旦は太平洋戦争で廃墟になった筈の處から,その更に昔の震災の遺物が今頃発掘されるとは,と一寸愉快になった. 明治の開国の窓口だけあって,遺跡など大袈裟なものではないが,何々の発祥の地といった類は我が家の近くにも幾らもある. 例えば我が国始めてのクリーニング.又国家[君が代]にゆかりの寺. また,二三ブロック離れた處にあるキリン園公園はキリン・ビールの発祥の地で,立派な石碑が建っている. ビールを飲めば,頻繁に用を催すのは理の当然で,我が国には昔から立ち小便という美風があった.しかしこれは文明開化,いやもっと切実には条約改正の妨げになると警察が立小便禁止令を施行したのもこの辺りである. だがその石碑は建っていない. 横浜に住み着いてもう40年. 子供達も大半が横浜生まれの横浜育ちだが,東京に生まれ育った私にとって,子供の頃横浜は近いわりには其ほど馴染みのある町ではなかった. その頃の交通事情で,一寸行くには時間がかかり過ぎる,だがどうせ遠出を覚悟なら,もっと箱根とか熱海へとなり,どちらかと言えば途中の通過駅にすぎなかった. 戦後,米国航路が復活すると,プレジデント・ウィルソン,プレジデント・クリーブランドといったプレジデント・ラインの客船がメリケン波止場に姿を現すようになった. しかし乗客はアメリカ人か極く限られた一部の日本人だけだった. やがて日本郵船の氷川丸がフルブライトの留学生達を運ぶようになると,私も先輩等の鹿島立ちといえば港に来て,羨ましさ一杯で見送ったものである. 私の留学の時はパン・アメリカンの飛行機が使われ始めていた. そして長い留学を終えて日本に戻った時,氷川丸は現役を退いて,山下公園に見学用に係留されていた. 外人墓地の傍の山手病院に行くようになったのもその頃である. かなり歴史の古い病院で,そもそもは明治の頃居留地の外人達が自分達の為に造り運営して来たので,院長もアメリカ人やらイギリス人が日本人は診ない建前で,必ずしも日本の医師免許を持たないで診療を行っていた. その時はKというニュージーランドの医師が院長だった. 小柄だが筋骨質で眉が濃く,一寸ワルそうな男前だった. 実際に相当なワルであったことはあとでわかるが. ともかく頼まれて月に一度ほど形成外科の診療にいっていた. 大変調子のいい男で,夕飯を御馳走するというので約束の日に行くと,院長室でながながと話を続ける.そして突然じゃあ今度は是非夕飯に来てくれと言われたものである. 私はいささか唖然として,この人は患者の診療にもこの様な記憶喪失を伴うのか,訝りながら辞した覚えがある. 何度目かの正直でやっと連れてって貰ったレストラン・スカディアはだがなかなかの場所であった.名前の通りスカンディナ風の料理だが,味も本格的で量もたっぷり. そして黒々とした木の内装がどっしりと落ち着いた雰囲気を造っていた. その頃は客も大半は外国人で,窓際に陣取ってカクテルなど飲んでいると,未だ見ぬスェーデンの都会にでもいるような気分になってくるのだった. やがて横浜に居を移したのも,勤務先が東大から横浜市大に移ったこともあるが、スカンディアが一つの大きな魅力であった事も間違いない.その為ではないが北里大学につとめるようになっても,横浜から動こうとはしなかった。 この40年間に横浜は目覚しい変貌を遂げた。 交通、輸送手段の変革で港としての機能は薄れたかもしれない。 事実、スカンディアは健在だが、外国船員の減少で山手病院は閉鎖された。 反面、そごうの進出やベイクォーターの誕生で横浜東口も西口以上に活気を帯びてきたし、またみなとみらい21の開発でホテルや国際会議場などが続々誕生して、首都圏の国際会議には横浜が選ばれることが多く、わが国随一の国際都市へと脱皮したといえる。 だから横浜は、私のような国籍不明の変な日本人にとって真に居心地のいい街である。
by n_shioya
| 2008-06-11 23:10
| コーヒーブレーク
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Comments(4)
塩谷先生へ
スカンディア。 素敵な雰囲気のお店ですね。
0
私も1970年代に何回かスカンデイアに行きました。苦くもあり甘くもあった我が青春の1ページで、看板のネオンサインがとってもエキゾチックで、印象的ですね。 このところのガソリンの高騰で、急に道路の渋滞が解消し、今なら横浜のご自宅から北里まで以前の約半分の所要時間かもしれません。
横浜市民です。なんだか横浜が好きで、横浜に住み始めて17-18年でしょうか。でも中華街くらいしか行ったことがなく、スカンディアのことは初めて聞きました。次の誕生日に絶対に連れていってもらいます!明日はアイスランド人を連れて、鎌倉と中華街へ。三溪園でもいいかなぁ・・・。考えます!
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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