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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
形成外科の専門医資格も無事取得し、アメリカにさよならを告げる日が迫ってきた。
マカンバーは自宅で僕と同期でレジデント終了のリントンの為に、祝賀パーティを開いてくれた。 マカンバーの家はオルバニーのはずれの高級住宅地にあり、街で唯一、かやぶきの屋根で知られている。カントリー風の高い天井の広い居間には、主の趣味を反映して、アフリカのサファリの剥製のトロフィーが、壁を誇らかに飾っている。 三四十人の関係者の中には、賓客として特別に、コロンビアのウェブスター教授と南アフリカのジャックペン教授が顔を出してくれた。 ウェブスターは前に述べたように、アメリカ形成外科の創始者の一人で、マカンバーの恩師でもある。ジャックペンは、マカンバーの親友で、南アの形成外科のリーダーであり、たまたま、日本形成外科創立に当たって、招待講演をされた方とは、すでに大森部長から伺っていた。 もう終了まじかの形成外科のレジデント。通算8年のアメリカ留学。越し方を振り加って、感慨は浅くないものがある。 ウェブスター教授は、アメリカ人としてはずいぶん小柄だが、カイゼル髭の似あった、なかなかの男前である。いつもながらのウィットのきいたせリフで、我々二人の門出を祝してくれた。 想えば八年間、無我夢中でよく頑張ったと想う。 肉体的なスタミナは兎も角、極限と言える人間関係。あいつを殺してやる、とレジデント同士で集まるたびに、スタッフを呪った毎日ももうおしまいである。 これからは独り立ちか、不安よりなにより解放感でいっぱいである。 “そこで君はどうする?”ペンに聞かれた 二年後にアメリカに戻って、そう、ワイオミングででも開業します。 そのころ、未だ、形成外科医のいない州がアメリカには幾つかあった。ワイオミングとその隣接した北ダコタ、南ダコタ、アイダホ、モンタナの五つである。アメリカの自然に魅せられていた僕は、ワイオミングの山中にクリニックを開き、セスナ機で往診することを夢見ていた。 “アメリカに戻る?やめなさい。君にはもっと大事な使命がある。日本で活躍しなさい。” と脅してから、 “お前が大森を必要としている以上に、大森はお前を必要としている。” とウィンクをしてみせた。
by n_shioya
| 2008-04-14 00:40
| 医療全般
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Comments(3)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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