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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
イヤー、いい奴だった、あのグレシーという女は。
僕がインターンとレジデントで八年を過ごしたオルバニー・メディカルセンターの名物交換手だった。 年はもう60過ぎだったろうか、白人の女は皺が寄るのが早いので、もっと若かったかもしれない。 それほどの美人ではないが、ちょっとディートリッヒを思わせる、姉御肌の女だった。 ハスキーボイスのてきぱきした応対で、しゃべり方は伝法肌というか、ベランメーの英語のやり取りが小気味良かった。 緊急の電話の時は、病院中、草の根を分けても連絡をつけてくれる。 反対にこちらがちょっと見つかってはやばい時は、そこいら中探す振りをして、絶対に居場所は明かさず、“あん畜生、どこへ雲隠れしたか、わっちにも教えないで!”と相手を撃退してくれる。 そのグレーシーが大腸の手術を受けることになった。 外科医は名うての、藪とは言わないが、許しがたい乱暴な手術で知られた奴である。しかも希代の女たらしで、彼のキャでラックは四つのタイヤがついたラブホテルと呼ばれていた。 何であいつに、と皆いぶかったが、術後は予測されたとおり合併症の連続で、3,4回切り直したが、一命は取り留めた。 そのときグレーシーは一言も外科医に文句は言わず、自分の体に悪態をついた、“なんてだらしない大腸なんだ。とっとと早く治りやがれ!”と。 でもなんで今頃グレーシーなんだろう? そう、今朝散歩のとき、山下公園に係留中の氷川丸を見て、50年前を思い出したからだ。 僕の前の年まではフルブライト留学生は氷川丸でアメリカに渡った。 僕のときからパンアメリカン航空に切り替わって、やった!と喜んだが、今こうして銀杏並木のかなたの埠頭に安らぐ旅客船を眺めると、船旅も悪くはなかったかもなど、しばしフルブライト留学の思い出にふけったのである。 ちなみにその後急速に航空機の時代になり、クルーズなどは金と暇のあるひとでなければ出来なくなったのは残念なことだ。
by n_shioya
| 2007-12-10 23:21
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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