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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
この夏、金婚の祝いに家族で集まったとき、夫婦としては初めてプロの写真家に記念撮影をしてもらうチャンスがあった。
子供たちの仕事仲間だが、ファッション関係では名の知れた方だそうだ。 昔懐かしいスピグラ風の大きな箱型カメラを据え、助手が露出計を持って忙しく飛び回る。 その露出計で僕は昔を思い出した。 僕がはじめてカメラを手にしたのは大学時代だが、今と違ってまだ自分で写真をやる奴は少数派だった。100人余のクラスで数名いたかという程度だったと思う。 当時からcanonとニコンが競いあっていたが、僕は友人の勧めでcanonをえらんだ。ライカなどは高嶺の花であった。 もちろんその頃は今のバカチョンと違い、ピントあわせだけでなく、絞りもシャッター速度も手動で、その組み合わせを露出計を使って、自分でを算出なければならなかった。 デジカメの遥か以前で、もちろんすべてフィルム使用。それも黒白がほとんどで、カラーはごく特別な人が特別なときに使うだけだった。 それを僕はカラーから始めるといって、くだんの友人の猛反対を受けた。 カラーは難しい。写真の基礎はモノクロにある。まず黒白で十分修行してからカラーをトライすべきだというのである。 僕の考えは違った。 モノクロこそ経験を要する、抽象というかいわば芸術の世界で難しい、カラーは見たままに写るからやさしい筈。と素人なりの考えを主張して、始めからカラーフィルムを装填した。今になれば当たり前すぎる話だが。 だがカラーの場合は色調が命である。そのためには当時ののカラーフィルムは厳密な露出が要求された。 こうして新米カメラマンは、何時もcanonを首から提げ、手当たりしだい取り撮りまくることになる。 キャンパスで、家で、そして旅行のとき。あるときは友人の結婚式のフォトグラファーを頼まれたこともある。 もちろんフィルムはカラー。そして露出計で被写体を嘗め回して。 そんな僕を見て、口の悪いかの友人から“露出狂の色気違い”とあだ名をつけられてしまった。 これももう半世紀前の話。 今はモノクロのほうが珍しく、カメラもバカチョンからデジタルへ変貌して、ついにケータイも入れれば、一人で数台持つ時代になってしまった。 僕のブログもデジカメで成り立っているようなところがある。 ところで配偶者はパソコンを毛嫌いして、僕のブログを見ることはないないが、“美女軍団”の話や、ブログはネットの上の“ストリップ・ショ-”みたいなものといった断片的な発言を耳にして、やはり僕は正真正銘の“露出狂の色気違い”ではないかと疑い始めているようだ。
by n_shioya
| 2007-09-22 09:59
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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