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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
チーズバーガーの味(1)
銀座クリニックを開いて早一年になろうとする。
机の周りがあまりにも乱雑になり、身辺整理をしていたら昔の掲載記事が目に留まったので、ここにご紹介する。
2000年9月の「諸君」の特集「進駐軍がやってきた!80人の証言」の一つである。


その日の昼も我々四人は、築地明石町の一膳飯屋の二階で豚鍋をつっついていた。
 川向こうには、黄色い煉瓦の聖路加病院が聳えている。 
 戦後まもなく聖路加病院は進駐軍に接収されて、海軍病院(今の国立がんセンター)と同愛病院を合わせ、東京陸軍病院として米軍の極東での医療センターとなっていた。我々がそこでインターンをしていたのは昭和三十年のことである。
 進駐軍と名前はごまかしても、英語ではJapan Occupation Forcesであり、立派な占領軍である。病院内はオフリミッツ(日本人立入禁止)で、中ではすべて軍票しか通用しない。 
 我々インターンは、医療チームの一員のドクターであっても、日本人つまり被占領国の国民なので、軍票はもてない、従って軍票が必要な院内食堂も使えない。そこで昼にはこうして、近所のチャブ屋で昼飯をかっこむ仕儀となる。
 我々というのは、新潟大学の橋本、大阪大学の三木、日本大学の柳沢そして僕の四人である。この四人の他に、インターンは北は北海道、南は九州と日本全国から集まった十二人で構成されていた。
 その日の話題は、そろそろ決まりかけたそれぞれの留学先のことであった。
 出身はまちまちだが、皆インターン終了後は、すぐにアメリカに留学しようと、その足がかりに、米軍病院でのインターンを志願した者ばかりである。
 皆、あの日を十三歳の少年として、経験したのだった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。東京大空襲の後、僕は父の田舎の宮城県の白石に家族で疎開していた。
 米軍の本土上陸も間近いということで、我々は毎日竹槍の練習にかり出されていた。教官は我々を国道沿いの雑木林に連れ込み、あの国道からアメリカ兵が現れたら、飛び出してって突き殺してやるんだ。いいか、わかったな。はい。という毎日だった。
 だが幸い、その前に日本は降伏した。お粗末なラジオで、雑音がガーガーと入り、天皇の声もうわずってとぎれとぎれで、かろうじてアナウンサーの、「国体は護持されました。しかし我が国は和をこうたのです」と言う解説で、ああ、日本はまけたんだ、とわかったくらいである。
 一寸した虚脱感と言うか、ああ、これで助かったんだという、解放感が体中からわき出てきたのは、それから一寸間をおいてからだった。
 その日、空は青空で、日の丸を付けた戦闘機が一機、「デマに惑わされるな、最後まで戦うぞ」と言うアジビラをまいていった。やっぱりそんなうまい話はないかと、一瞬、がっくり来た覚えがある。
 その鬼畜米英は、ジープに乗ってさっそうと進駐してきた。後ろにトレーラーをつけて、後から後から仙台方面へと、泥道の国道を疾駆していった。
 そして鬼畜米英に、我々が初めて覚えて使った英語は、“give me chocolate”だったのは言うまでもない。米国留学にあこがれるのは、その頃の自然の成り行きであった。

(続く…)
by n_shioya | 2007-02-21 20:29 | Comments(0)


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