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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
そう、僕も脳外科医になるはずだった。
米軍病院でインターンを終え、フルブライト留学生にとして渡米が決まった時、脳外科の清水健太郎教授、通称シミケンに相談に言った。 アメリカに行くような奴は俺は採らん、言下に断られた。 それに反し、心臓外科の木本教授はああいいとも、但し日本に帰ったら又新兵からはじめることになるけれどね。 そういう訳でどうせ日本に帰る気はなかったが、木本外科に籍をおかして貰って渡米した。 そして結果的には形成外科医として帰国し、こうして定年まで日本にもたもた居ついていてしまったのである。 今日は東京クリニックの開設記念パーティが大手町のパレスホテルであった。 日本一の脳外科治療のセンターになるというふれこみである。 なぜなら其の中核として、今“神の手”とマスコミでもてはやされている米国在住の脳外科名手、福島教授をお迎えすることになっているからだ。 最近では脳外科も進歩したが、僕の頃は外科医の憧れる花形の分野だったが、結果は惨憺たるものだった。 昼夜を分かたぬきつい仕事の連続で、結構死亡率が高く、運悪くではない運良く助かっても体や顔面が麻痺して廃人同然になる、まあこれ一生やれるのは、よほど楽天的な奴だな、と言う受け止め方だった。 しかも脳外科医にはこちらの偏見かも知らないが、特にアメリカでは結構傲慢な奴が多かった。手術のストレスもあるが、脳をいじくっていると、神様と自分の区別が付かなくなるのではなかろうか。 勿論日本では北里の脳外科の教授のようにこれとは正反対の人格者もたくさん居られるが。 それやこれやで僕は形成外科の手造りと言うか、手工芸的な魅力を選んでしまった。 其のことは決して後悔していないが、ふと思うことはある、もし僕が脳外科医になっていたら? 決断力に乏しく、スタミナにもかけているこの男は、患者にとっては神の手どころかせいぜいが悪魔の手先ぐらいで終わっていたかもしれない。
by n_shioya
| 2006-10-01 18:24
| 手術
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Comments(1)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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