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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
積極的に親不孝をしたわけではないが、あまり親孝行もできなかったことを今更悔やんでいる。
具体的にどうこうではないが、本当にして欲しいような対応をしなかったのではという申し訳なささである。 親父は寛大であった。こうせいとか、それはあかんということはほとんどなかった。好きなことを好きなようにさせてもらった。 ただ一度だけ、反対されたことがある。それは、中学受験から逃げたくて特攻隊を志願した時である。敵は本音を見破ったのか、“受験してからにしろ”という。それじゃ間尺に合わないので諦めた。しかも、“お前のように運動神経の鈍いヤツは、敵艦に到達する前に撃ち落とされてしまう”とまで言われた。 僕が「運動コンプレックス」を持つようになったのはこのためである。 お袋は誇り高い奈良女高師出の超教育ママだった。 信じてくれる人はいないだろうが、子供の頃僕は家事の手伝いが好きだった。 勉強は全く相に合わなかった。 朝雨戸を開け、布団の上げ下ろし、風呂の竈焚き、特にマキをたいての竃の飯炊きは僕にかなう者はいなかった。 ある時ふと、“こうして風呂焚きを一生してれば幸せだ”と、一言漏らしたのがお袋の耳に入り、教育ママは烈火のごとく怒った。 “台所から出て行きなさい!もう絶対入りなさんな!” お袋の教えは厳しかった。 “なんでも全力を出しきりなさい。そうすればたとえ失敗しても悔いは残らない。まして、本当はやればできるんだが、と言い訳がましいことを言うような卑怯な男にはなってほしくない。” 僕がガード下のホームレスにならないで済んだのは、やはりお袋のおかげである。 こう、今頃改めて両親に感謝するのはお彼岸のせいだろうか。
by n_shioya
| 2017-09-24 22:30
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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