|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
お雑煮が続くとパン食が恋しくなる。そしてベーコン・エッグのアメリカンブレックファストが。
それは学会出張の飛行機の中だった。 隣の席にはボスのワン教授が座っている。 フルブライト留学生だった僕は、一年が約束のところを延ばし延ばし、ついにこれで8年目、翌年は一旦日本に還されることになっていた。 “どうする,この先?” “勿論アメリカに戻ります,2年後には。” フルブライト留学生は一旦本国に帰り,2年経過してからで無いと移民の申請が出来ない決まりだった。 “そうか,それも良いだろう。でも、ベーコン・エッグのブレックファストが人生の全てではないことを忘れんように。だが,一旦アメリカ人になったら自分の過去は全て忘れるように。日本人であったことも” 蒋介石の主治医であったワンは,政権崩壊後アメリカに亡命。どれほどの辛酸をなめてきたことか、改めて感じさせられた。 そして僕が帰国したのは東京オリンピックの年。 日本にはまだ形成外科医はほんの十指に満たない程。母校東大病院の外来は患者で溢れ,緊急を要さぬ手術は3年待ちという有様だった。 僕は其の一員として忙殺される毎日が始まった。 必要とされることがどれほど「生き甲斐」を生むか、を痛感させられた日々でもある。 だがアメリカにいつかは帰ると言う夢は捨てずにここまで来た。 こうしてエトランジェとしての日本滞在が今年で50年。 だが今年は敗戦70年。 そしてまた東京にオリンピックが戻ってくる。 改めてあの敗戦直後の我々子供たちを含めての、「日本再建」の意気込みを僕は思い出す。 “そうなの、よかった。年甲斐も無く突っ張るのを止めて、そろそろ日本人に戻ったらどう。”と子供たちに言われそうである。
by n_shioya
| 2015-01-03 18:22
| コーヒーブレーク
|
Comments(0)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||