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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
僕もかっては痔主だった
“塩谷さん、なぁ、どうせすぐ再発しますよ。ハッ、ハッハ”と永年悩んできた痔の手術に成功して喜んでいた僕に高笑いを浴びせたのは、当時北里大学病院長だった菊池さんであった。

痔とのお付き合いは中学生のころからだから、それまでに三十年ほどにたっていた。
いわゆるいぼ痔が、切れ痔となって出血を繰り返し、北里大学に赴任した頃は、傷みも激しく、教授回診の最中に便所に駆け込んで、座薬を挿入することもしばしばだった。だがそれでも手術はまっぴらと、我慢し続けた。
その頃はまだ日本の痔の手術はホワイトヘッド法という野蛮な術式で、後にしばしば狭窄が起こったからである。
だがあるとき、肛門周囲が赤く腫れてどろりと膿がでた。「肛門周囲膿瘍」である。
その後には、肛門周囲の皮膚に穴が残り、直腸と繋がってしまった。痔ろうである。
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もう我慢はこれまで、と観念した。痔ろうはほっておくと、刺激のためか稀ではあるが癌化すると言われているからだ。
外科の同僚に相談すると、“痔はなぁお前、専門の病院に行けよ、俺らよりずっと上手いから。”と横浜の松島病院を紹介してくれた。
横浜駅と桜木町の間の高島町にある6階建の大腸肛門科の専門病院である。
入院患者は皆、その部位の悩みを抱えている。同病相哀れむ気やすさもあり、お互いに自分の病状を自慢し合う。
一番幅を利かせるのは、癌などで人工肛門を付けた奴であり、痔ろう程度では肩身の狭い思いで、部屋の隅っこに縮こまっていなければならなかった。

幸い手術後の経過は順調で、菊池院長の期待に反し、30年以上たった今も再発の兆候はなく、かって痔主であったこともすっかり忘れていた。
それが今、テレビで痔の番組を観ながら昔を思い出し、あの時思い切って手術を受けて本当によかった、と改めて当時の主治医に感謝している。ちなみに今の院長の松島君は北里大学出身で、僕の教え子というわけだ。

番組でも強調していたが、今は痔の治療も格段に進歩し、まず、予防、そして薬、さらには注射療法、それでも駄目なら初めて手術、それも安全に効果が期待できるという。
ですから「痔主」の皆さん、苦しければ我慢せず、また恥ずかしがらずに専門医にご相談ください。きっと楽になりますよ。
by n_shioya | 2014-08-28 22:46 | 医療全般 | Comments(0)


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