|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
アメリカ留学を終えて東大の形成外科に戻って間もなくの頃、女性の患者が二人、ペアで現れた。
聞くまでもなく二人はいわゆるレズビアンで、その男役?の方が手術で本当の男の体にしてほしいという。 当時はまだ違法だったし、女から男への転換は、その反対の場合よりもはるかに難しいことを説明した。 だが、どうしても手術を受けて、結婚したいという。 彼女らの言い分では、結婚は異性の間でなければいけないとは法律に定められてないそうだ。 所が相手方がトイレに立った時に、夫たるべき女性が急に泣き始めてしまった。 自分は本当は手術は嫌だが、断るとか彼女に殺されるかもしれないという。 トイレから戻り二人揃ったところで、ともかく今の日本では手術はしてあげられないから、とお断りし、言外にそのまま仲良く同棲を続けるようにとのメッセージを込めて、お引き取りいただいたものだったと。 そのころすでにアメリカでは「性転換手術」は合法化され、ジョンス・ホプキンス大学にはジェンダー・アイデンティティ・クリニックというのが設けられ、厳密なスクリーンの末、手術が行われていた。 そのころ言われ始めたのは、「性同一障害」というのはれっきとした病的状態で、いわゆる「ホモセクシャル」とは異なり、肉体と精神で「性」がくい違った状態で、手術以外に救いようのないという考えだった。 “じゃ、ホモとその障害とどう区別するの?” 僕はクリニックの友人に聞いた。 “それを見分けるのが「ジェンダー・アイデンティティ・クリニック」に所属する、形成外科医、精神科医、産婦人科医そして泌尿器科医などの専門医のチームの仕事です。その線引きは決して容易でないこともあるし、「性同一障害」と診断されても、手術まで行くにはさらに選別がかかります。” ということだった。 ただ、“「性同一障害」の場合、本人の苦しみは計り知れないものがあるので、周りの方々もよくご理解いただきたい”、とも付け加えられた。 それから半世紀。 わが国でもその考えが徐々に認められて、大学で正式に専門委員会を立ち上げ、「性同一障害」を認知させ、「性転換手術」をスタートさせたのは、当時の埼玉医大の原科教授であった。 そして今では、手術後に戸籍も変更が許されで、更にはタレント活動まで可能になったのは、これまで「性同一障害」で苦しんでこられた方々には、喜ばしいことだと思う。
by n_shioya
| 2014-02-11 22:49
| 医療全般
|
Comments(0)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||