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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
突如、女性の下着売り場に紛れ込んだような、気恥ずかしさをかんじた。
今少し品の良い言い方をすれば、「女の園」にこっそり潜りこんだような。 周り一面に、少女像が飾られ、それを眺めているのも女性ばかりである。 ちらほらと男性も見かけるが、みな初老の男である。 それは中原淳一展の会場だった。 中原淳一。 それは「昭和一桁」には、男性でも懐かしい挿絵画家である。 少女の友、ソレイユなど戦前、戦後の少女雑誌の表紙を飾り、詩も書き、シャンソンを日本に紹介もした。 結婚相手は、当時人気絶頂の宝塚の男役、葦原邦子、ニックネームは「あにき」だった。 なぜ僕がそんなことを? 女の姉妹に挟まれ、二人ともが宝塚狂で、姉は小夜福子の熱烈なファンだった。 だが我が家では、中原純一はタブー視されていた。あんな退廃的な、不健康な、というのが母親の見方だった。 また、必ずしも女性全員に好かれたわけでもなかったように思う。 当時の言葉で、“おセンチ”と片付ける向きもあった。 だが姉は、少女の友をこっそり押し入れにしまい込み、夜中に僕にそっと見せてくれた。 今日は彼の原画や人形を、誰はばかることなく堪能できた。 今見ても違和感がないのは、彼はファッションを、時代を先取りしていたからだろうか。 ちなみに彼の詩の一節を紹介しよう。 「もしこの世の中に、風に揺れる『花』がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。」 僕も“おセンチ”と言われそうですね。
by n_shioya
| 2014-02-08 21:45
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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